第一章 プロローグ
暗く、鬱蒼とした山道を、少年は呆然と見つめた。こんなに先の見えない道を、今まで歩いた事はない。
少年は目の前の現実が受け入れられず、ギュッと目を瞑った。
『領主様の信頼を裏切り、民を苦しめ私腹を肥やし続けた悪行の数々、その命を持って償うがいい!そしてその卑しい血に連なる者どもはみな、落土送りだ!』
どこか得意げに父親の罪状を読み上げる官吏の顔が浮かぶ。
「父上は、罪を犯してなど…」
もう何度したかわからない呟きと共に涙がポロリと落ちる。
「そうよ、だから何も恥じることはないわ」
少年の手を引く年上の少女は、こんな状況でも笑って見せる。
「黎明様だって信じてくださった。必ず助けると言ってくださったわ」
「でも、父上のことは助けてくれなかった」
少年は、少女の手がどんどん冷たくなっていくのを感じていた。強気な発言の彼女も怯えているのだ。この先に待つ過酷な未来に。
「黎明様も尽力してくださったの、わかるでしょう?だから私たちは死罪を免れた。それに、引き離されることもなかった。二人一緒なら、由羅がいるなら私は頑張れる。何としてでも、生き抜いてみせるわ」
そう言って目の前の闇を睨む。
「こんな理不尽に、負けるもんですか」
(姉さんは強い。それに引き換え僕は…)
互いに強く握る手は微かに震えている。しかし彼女は決して弱音を吐かない。
「姉上、僕は怖い」
弱音しか出てこない自分が情けない。そう思いながらも、少年は呟かずにはいられない。
「天彾様なら助けてくれる?」
「天彾様?」
少年の問いに、少女は首をかしげる。
「黎明様だって、この国で一番偉いわけじゃないでしょ?父上を助けようと思っても、無理だった。だったら、もっと偉い天彾様なら、昔、天帝から遣わされて悪い王様を倒してくれた天彾様なら、救ってくれる?」
ふいに姉の歩みが止まった。振り返りしゃがむと、両手で少年の頬を包んだ。
「天彾様は、過去の騒乱をおさめた際に命を落としたと伝えられているでしょう。黎明様だって、私たちを生かすために随分危険を犯したの。どんなに偉い人でも、無限に救う事は出来ないのよ」
少年は涙を溜めた目で姉を見つめた。彼女の強い光を宿した目を。
「助けられる側だって、そればかりを当てにしてはいけない。救いの手が差し伸べられたら、その手を掴むために、こちらも目一杯手を伸ばさないとダメよ。お互いの力を振り絞って、ようやく救い救われる事が出来るの」
彼女の言葉は力強さを帯び、頬を包んだ手は温かくなっていく。
「黎明様は五家の当主という王家に次ぐ立場でありながら、私達のような子供に頭を下げてくれた。心の底から何とかしたいと願ってくれているのがわかったでしょう?」
少年の脳裏に、苦痛に耐えるよう表情を歪めた一人の大人の姿が浮かんだ。
『私の力が及ばず、こんな事態を招いてしまった』
少年は、その様子に絶望した。助ける手立てがないのだと、その表情が語っているようだったからだ。しかし、たくさんの裏切りを味わった中で、それはその人の本心だと信じられた。助けたいと、心底願ってくれるのが伝わってきた。
「ここで何とか生き延びたら、いつか黎明様は助けてくれる?」
「私はそう信じてる」
姉は迷わず答える。
少年は、口をキュッと引き結んだ。
「じゃあ、僕も頑張る」
縋るものが何もないと、この過酷な環境で立ち続けることは出来ない。少年は生き延びるため、僅かな希望の光に目一杯手を伸ばすのだった。