『仕方がない』が口癖の婚約者
「───だって仕方がないだろう! 知らなかったんだから!」
そう言ってユリアナに突っかかってきたのは、婚約者だったルードヴィヒ。
ユリアナは内心、『ああまたか』と思った。
「───ええそうね。仕方がないわよ。貴方は知らなかった。……知ろうともしなかった。……だから今こうなっているの」
美しいウェディングドレスを身にまとったユリアナは憐れむようにルードヴィヒを見た。
「ッそうだ、知らなかったんだ! だからあの『婚約解消』は無効だ! 君と結婚するのは婚約者であるこの僕だ!」
身勝手にそう叫ぶルードヴィヒを横目にユリアナはため息を吐いた。
◇
───8年間、婚約者だった。
キルステン伯爵家の一人娘であるユリアナがシュレーター子爵家の三男ルードヴィヒと婚約したのは2人が9歳の時だった。
金髪碧眼の、まるでお伽話の王子様のような美少年だったルードヴィヒ。子供達が集まるお茶会では一際目立っていたし令嬢達は彼に近づこうと必死になっていた。
……ユリアナもその中の1人だったのだけれど。
ユリアナがルードヴィヒと婚約を結べたのは、単にユリアナが伯爵家の跡取り娘だったからだろう。彼の両親も三男がその美しさで伯爵家の婿となれる事に大変満足そうだった。
ユリアナも一目惚れした、まるで王子様のような少年の婚約者になれてとても嬉しかった。
…………そう、あくまでも過去形である。
───だってルードヴィヒは、ユリアナが突然両親を亡くし何よりも力になって欲しいその時に、『婚約破棄』を突き付けたのだから。
◇
「───という訳でね? どなたか良い方を紹介してもらえないかと思って」
「───は? 昨日婚約を解消したばかりなんだろう? 随分と切り替えが早いんだな」
ここはユリアナが通う王立学園。王国の貴族達は余程のことがない限りはこの学園に15歳から3年間学ぶ事が義務とされている。
ユリアナは3年生。あと約一年で卒業だ。
「……そりゃあね。ルードヴィヒにはもう愛想が尽きてたし、執事からも彼がキルステン伯爵家に足繁く通っていると聞いていたしね」
「!? ……ユリアナ、君は今学園の寮に住んでいるんだよね? 彼は婚約者のユリアナが居ない屋敷に通い詰めていたのかい?」
「そうらしいわ。……分かりやすいわよね」
ユリアナは一つ小さなため息を吐いてからお茶を飲む。
ここは学園のカフェテラス。先生が休みで自習となったので、他のクラスが授業中でほぼ誰も居ないだろうここに彼を連れてやって来た。……秘密の話をするにはもってこいだった。
「あー……。目当てはマヌエラ嬢って事だね。確かに最近学園でも一緒のところを見かけるな。……ほんと分かりやす……、ああごめん」
「いいのよ。本当に面白いくらい分かりやすいわよね。まあ元々彼はキルステン伯爵家の爵位が目的だって事は分かってたけど」
ユリアナはそう言って肩をすくめた。
───分かってはいたのだ。ルードヴィヒの考えなんて。
出会った時はまるで王子様みたいだと思ったルードヴィヒは、その人となりを見ればただの思い上がったダメ男だった。
彼は努力というものをしない人間だった。『努力? ナニソレ美味しいの?』とばかりに勉学も身体を鍛える事も『それなり』だった。大概の事は『それなり』に出来てしまう才能があったが為に、『それなり』で済ませて終わらせる、そんな残念な人だった。
そしてルードヴィヒは自分の美しさが周りからどう見られるかをよく分かっていた。黙っていてもその魅力で人(女性)が寄ってくる。将来はキルステン伯爵家に婿養子に入る身でありながら、随分と気楽に遊んでいるようだった。婚約者であるユリアナを『それなり』に扱って。
ユリアナもそれをヒシヒシと感じていたし、流石に父であるキルステン伯爵もそれに気付いていた。そして何度か彼に注意もしてくれていた。……が、
「僕も困っているんですよ。……でも、周りが僕のこと放っておいてくれなくて。こちらから何もしないのに寄ってくるんですから、仕方がないですよね?」
全く悪びれなく、巷で女性達が見惚れると噂の笑顔で言ってのけた。……父は『こりゃダメだ』とため息を吐いていた。
『仕方がない』
……それは、ルードヴィヒの口癖だった。
昔の嫌な事を思い出し小さく首を振ってそれを振り払い、ユリアナはもう一度目の前にいるクラスメイトのランベルトを真剣に見た。
……黒髪に青い瞳の美青年がこちらを少し警戒しながら見ている。彼とは2年生の時文化祭で同じ役員になってからから仲良くなった。
「ランベルトは生徒会の書記に選ばれる位みんなの信頼も厚いし人脈も広いでしょう? 遅くても1年後には結婚してもオッケーな、思慮深くて誠実な男性を紹介して欲しいのよ。……出来ればそう歳の離れていない方がいいのだけれど」
ちなみに学園の生徒会長はこの国の王子殿下、副会長その他も高位貴族の子弟達だ。まあランベルトだって侯爵家の令息なのだけれど。
「───は? 1年後? 学園卒業してすぐに結婚希望なの?」
「ええ。私の18歳の誕生日が卒業の翌日なのよね。だから出来れば良い方を見つけて成人後すぐに結婚したいのよ」
この国の成人年齢は18歳である。貴族はこの歳から結婚が出来るし、色んな権利も手に入れられる。
「……はー……。そりゃまた急な話だね。けど貴族の結婚って普通は婚約して準備期間が1年位じゃない? 政略結婚でもないのに、紹介したらすぐに婚約、かー。そりゃ相手も余程結婚を焦ってる奴じゃないと難しいよね。僕を信頼いただいて光栄だけど、そんな奴周りにいるかなー」
大半の貴族は学園に入る前に婚約者がいる。……すぐにとなると年寄りじゃなきゃ余程領地が遠方だとか借金抱えてるかとかで条件悪くて女性が寄って来ない奴位になってしまわないか? とランベルトが考えていると、
「……あ。条件付けて悪いんだけど、借金とか浮気性とかの人はちょっと……」
「……うん。そりゃそーだよね」
……危うく口にするとこだったよ。早まらなくて良かったとランベルトは胸を撫で下ろす。
そしてその次にユリアナは他の諸々の相手への条件などをランベルトに告げた。
「───え? それって……」
その条件を聞いて驚くランベルトにユリアナは困ったように頷いた。
「───そうなの。だからこの条件は譲れなくって」
「そりゃ、……まあそれが普通なんだよね。でも、その事ってアイツ分かってるの? 分かっててそんな馬鹿な事───」
ランベルトは隣のクラスのルードヴィヒを思い出しながら聞いた。とびきりの美青年でありながら目先の事しか見えていない残念なヤツ、というのがランベルトの彼への印象ではある。
「……分かってないと思うわ。私も敢えて伝えていないし。だけど彼が少しでも婚約者の事を気にかける誠実な方だったらきちんと説明出来ただろうし……そもそもこんな馬鹿な事しないはずですものね?」
───もしも両親を急に亡くした婚約者を、支えるべく声を掛けてくれていたのなら。たとえ彼が今まで良い婚約者といえなくても事実をきちんと伝えただろう。
ランベルトはその話に深く納得し同意した。
「───それはそうだ。全てアイツの自業自得だ」
それからユリアナはランベルトに『良い男性』を紹介してもらえる事になった。
……驚いたのは、紹介するからと指定された場所へ行くとそこにいたのはランベルト一人。やっぱりあの条件に合う人は居なかったのかと少し落胆しつつ尋ねると、
「───僕では不満?」
と返された。
ランベルトにはそれなりに……いや結構好意を持っていたし、不満なんかはあるはずがなかった。しかし侯爵家の三男であり学園でも優秀で人望も人気もあるランベルトと自分が釣り合うのかとユリアナは不安になった。
「僕がユリアナが良いんだから仕方がない。絶対後悔させないから」
と結構強引に押し切られてしまった。
ユリアナは驚いたけれど、そんな少し強引なランベルトも素敵……。なんて思ったのは秘密だ。
◇
「ユリアナ義姉様! 来てらっしゃったのね」
……自分の家に帰っただけですけどね。
ユリアナは一つ歳下のいとこであるマヌエラに無言で微笑んでみせる。
「聞いたぞ。学園を卒業したらすぐに結婚するそうじゃないか。まあそういう事ならば我が伯爵家から少しは援助してやろう」
……そのお金はあなたのものではありませんけどね。
完全に当主気取りの叔父に少し苛立ちつつも、ユリアナは笑顔を崩さない。
「ルードヴィヒ様がうちの可愛いマヌエラを選んでしまったから……。御免なさいね、ユリアナ」
……熨斗付けてくれてやりますわよ。
男爵家出身の叔母はユリアナの母の宝石を身に着けてニヤリと品なく笑う。ちっとも悪いとなんか思っていないのだろう。ユリアナは笑顔のつもりだけど、少し引き攣っているかもしれない。
どれも口には出来ないのでユリアナはとりあえずもう一度ニコリと微笑んでおいた。
「……まあユリアナは、もうキルステン伯爵家とは関係のない人間だから好きにすれば良い。とりあえず我が家に迷惑さえかけなければ目をつぶってやる」
叔父達は兄のたった一人の忘形見である娘ユリアナがキルステン伯爵家に婿養子に入るはずだったルードヴィヒと婚約破棄、その後学園卒業後すぐに他の男性と結婚すると聞いて喜んでキルステン伯爵家代々の教会で結婚式を行う事を許した。
世間的にも正々堂々とユリアナを家から追い出せると思ったからだろう。
キルステン伯爵家の娘であるユリアナがこの教会で結婚式を挙げるのは当たり前で叔父達の許可がいる筈はないのだが、邪魔をされるのは困るので話は通しておいたのだ。
「───ええ。きっとお父様もお母様も、何処かで見てくださっているでしょうから」
───今から3ヶ月前。ユリアナの両親が亡くなった。馬車の事故だった。
この国には女性にも継承権はあるけれど、それは成人していないと認められない。
そんな訳で、このキルステン伯爵家の権利はいったん後見人に預けられる事になったのだが───。
余りにも突然の両親の死にユリアナがショックを受けて茫然としている間に、親切を装って伯爵家にやって来たのが父の弟であるアルノー一家だった。
「兄が死んだ以上はキルステン伯爵家は弟である私が跡を継ぐ」
そう言い張り、アルノーは伯爵家に家族で居座った。
我が物顔で屋敷で好き勝手し始めた弟一家に初めは抵抗していたユリアナと使用人達だったが、執事セバス達と相談してとりあえずユリアナは学園の寮に住む事にした。
セバスからの報告によると、当然のように両親の部屋だった部屋にはアルノー夫婦が、そしてユリアナの部屋にはアルノーの一人娘マヌエラが住み出したそうだ。
悔しいけれども、特に大切な物だけは持ち出しそれと分からない場所に隠してある。
そして、本来ならば頼りにすべきユリアナの婚約者であるルードヴィヒなのだが───。
「ユリアナ。……僕は『真実の愛』を知ってしまった。僕の妻になるのはマヌエラだ」
ユリアナの両親が亡くなって3ヶ月後の事だった。
その頃には叔父家族は当たり前のようにキルステン伯爵家で暮らしていた。領地の仕事などは元からいる執事や秘書達がなんとかしてくれている。
……要するに、叔父達は伯爵としての仕事を何もせず伯爵家の財産を奪いそれでいて伯爵を名乗り貴族社会に出ているのだ。
ユリアナは彼らの魔の手から逃れる意味もあり学園の寮に早々に居を移した。しかし屋敷の執事セバスからの定期連絡ではユリアナの婚約者であるルードヴィヒが以前よりも足繁くキルステン伯爵家の屋敷に通っているとは聞いていた。
……マヌエラや叔父夫婦に気に入られるべく手土産を持ちその美しい王子スマイルを彼らに大盤振る舞いしていると聞いた時には、ルードヴィヒはいずれ必ずユリアナに『婚約の解消』を申し出てくるだろうとは思っていた。
……いや、ユリアナの気持ちとしては複雑ではあった。以前から自分も両親もある程度彼を見限ってはいたとはいえ、一応8年も婚約者だったのだ。急に両親を亡くした婚約者に対しルードヴィヒにも多少は『情』というものがあるのではないかと……。信じていたのかそう信じたかっただけなのか……。
とにかくルードヴィヒから『婚約破棄』と言われた時には、やっと彼から離れられると思う安堵感と少しは信じていたかった失望感がないまぜになって……。とにかく複雑な心境だった。
───が、結果としてはそういう事だ。ルードヴィヒはやはりそれだけの情の無い人間で、ユリアナの爵位だけが欲しかったのだ。両親と話していた通りだった。
……彼とは、別れるべくして別れるのだ。
婚約破棄を告げられた夜、ユリアナは色々考え過ぎて眠れなかった。しかし翌日は眠いはずなのに何故だか妙に目が冴えきっていて、気持ちもルードヴィヒを切り捨てる方向に全振りしていた。……所謂、アドレナリンが出過ぎている状態だったのだろう。
───もう、迷わない。
成人したら、然るべき人とすぐに結婚する。
そう決意したものの、しかしユリアナには今から個人的に新しい婚約者を見つける『アテ』が無かった。ここでまた外面だけが良いダメンズを婚約者にする訳にはいかない。
そこでちょうどその日の授業が自習になったのを幸いに、同じクラスの『男女共に信頼度・人気No. 1』(学園新聞部調べ)のランベルト フリーマン侯爵令息に婚約者斡旋をお願いしたのだった。
───そうして周りにユリアナの婚約者の存在を知られる事なく日々は過ぎた。
◇
───王立学園卒業式の前日。
ユリアナは久しぶりにキルステン伯爵邸の叔父に挨拶に行った。
出迎えた叔父一家は満面の笑顔だった。
「卒業後、すぐに結婚してしまうなんて寂しいわ、ユリアナお義姉様」
……お顔が笑ってるわよ?
ユリアナは勝ち誇るマヌエラに静かに微笑みを返す。
「ユリアナ。本当に新たな婚約者は存在するのかね? 寸前になっても相手を我らに紹介すらしないとは」
……そりゃあ、ね。
ユリアナは叔父に少し困ったように微笑む。
「あなた。あの美しい婚約者ルードヴィヒ様と別れて次の婚約者なんて、恥ずかしくてこちらに紹介なんて出来ないのでしょう。察しておあげなさいな」
……恥ずかしいのはあなた達ですけれどね。
ユリアナは叔母にはにかむように微笑んだ。
まあ明日の卒業式を終えればすぐに結婚式ですし。挨拶だけは済ましておかなければね。
「……結婚すれば、叔父様達とはお別れですもの。式が終わればもうお会いする事もないでしょうし、私からの最後のサプライズですわ」
ユリアナが少し目を潤ませてそう告げると、3人はそれは嬉しそうにニヤリとした。
「そうよね。ユリアナお義姉様はこれから私達とは離れて辛い暮らしをするんだろうから頑張ってね。あ、私とルードヴィヒ様の結婚式は私が来年卒業してからになるから招待状をお送りするわ」
「……うむ。しかしここからはお前には援助は無いから我が家をアテになんかするんじゃないぞ」
「ここはもう貴女の実家ではありませんから、帰って来ようなんて考えない事ね」
そう告げた3人に、ユリアナは少し悲しい気持ちになった。
「……はい。よく覚えておきますわ」
……その言葉、絶対に忘れないわ。そっくりそのままをお返しします。
◇
「ははははは!! こんなに上手くいくとは思わなかったぞ。これで名実共に私がキルステン伯爵だ!」
「嫌ですわ。義兄上様が亡くなった時点で貴方がキルステン伯爵だったでしょう?」
高笑いするユリアナの叔父アルノーに同じく笑いを抑えきれないその妻。
「一応嫡子であるユリアナが居たからな……。兄さん達が死んだのがユリアナの成人前で良かったよ。女神は私達に微笑んだのだ!」
「本当よね! 兄弟なのに伯父様は伯爵でお父様は男爵だったなんて……。そんなのずるいもの! これまでユリアナだけこんな素敵な暮らしをしていたんだからこれからは私が貰って当然よ。……ふふ、素敵な婚約者もね」
いとこであるマヌエラも昔から伯爵令嬢であり美しい婚約者のいるユリアナが妬ましかった。
ユリアナが屋敷を出た後、『全てを手に入れた』と確信した彼らは高笑いをしながら祝杯をあげた。
───そこに控える使用人達の冷たい視線に気付かずに。
◇
ユリアナの結婚式当日。
……前キルステン伯爵の弟であるユリアナの叔父アルノーは、親を亡くしたたった1人の姪の卒業式に行かなかった。
しかしそのユリアナが名実共にキルステン伯爵家から出ていく事になるこの結婚式には一家でホクホク顔でやって来た。
彼らが教会に到着し入っていく参列者を見ていると、たくさんの立派な貴族達がいた。
「……なんだ? 何故こんなに沢山の貴族が……。ユリアナはキルステン伯爵家を出ていくというのに」
「あなたこれは……もしやユリアナの結婚相手が貴族、という事なのでしょうか、それもかなり高位の……」
「……ッ! あの方、殿下だわ! まさかユリアナと仲が良かったの?」
彼らは今更ながらユリアナの結婚相手を聞いておかなかった事を悔やんだ。しかしとりあえず中に入れば相手は分かるのだろう。
彼らは当然のように花嫁側の一番前の席に座ろうとして……止められた。
止めたのはキルステン伯爵家の親戚達だった。
親戚達はにこりともせず親戚の中では一番後ろの席を指し示した。
何故か親戚たちに冷たくあしらわれ、アルノー一家は渋々指定された席へと座る。
早速アルノーの妻は不満を漏らした。
「何故私達がこんな後方の席なのです?」
「分からんが……、まあユリアナは我がキルステン伯爵家とはもう関係がない、という事なのだろう」
アルノー一家が不満に思いつつ席で式の開始を待ちながら周りを見ていると、花婿側に次々に現れるのは高位の貴族達ばかり。
そして一番前の花婿の両親の席に座ったのは……。
「あの方は……フリーマン侯爵……! まさかユリアナの結婚相手はそのご子息なのか! マヌエラ、どういう事なのだ! 同じ学園なのに知らなかったのか!?」
「そんなの私も知らないわ! フリーマン侯爵の子息はユリアナと同じクラスだったかもしれないけど、まさかそんな仲だったなんて……!」
「クッ……! 侯爵家と縁続きになるのであればそうと言えば良いものを、ユリアナめ……! ……ふん、まあ良い。それならそれでこれから我が家の格も上がるというものだ」
アルノーはそう良いように考え直した。姪が侯爵家に嫁ぎ、自分は侯爵家とも縁付いたキルステン伯爵として大きく飛躍する姿を想像する。
「───失礼。貴方は確か、ユリアナ嬢の叔父君では?」
不意に声を掛けられアルノーがそちらを見ると、そこには立派な紳士。
「───は! フリーマン侯爵閣下! 如何にも、私はアルノー キルステン伯爵でございます。この度は……」
「貴方がキルステン伯爵だって? ははは……、面白い事を言う。貴方はユリアナ嬢が成人するまでのただの中継ぎ人であろう」
「は? ……いえ私は亡くなった兄の跡を継ぎまして」
「───キルステン伯爵家の正式な後継者は一人娘であるユリアナ嬢だよ。基本的に成人までに親に不幸があった場合は後見人を付けて成人すれば子が跡を継ぐ。それは当たり前の話なのだが、貴方は何を言っているのだ?」
叔父アルノーの言葉を聞いたフリーマン侯爵が不機嫌そうな低い声で話し出したので、周囲の貴族達も何事かと彼らを見た。
アルノーは焦りつつそんな筈はないと言い返そうとした時、前から声が掛かった。
「───ああ。アルノーは昔から空想癖がありましてな。ユリアナが成人するまでの間、『キルステン伯爵』となった夢でも見ていたのでしょうな」
現れたのはアルノーやユリアナの父の母親の弟である、ヘリング辺境伯。アルノーが昔から苦手な人物だ。
「叔父上……! 何を仰るのです? 兄が亡くなれば弟にその爵位がいくのは当たり前で……」
「……アルノー!!」
苦手ではあるがこれは譲れないとアルノーは言い返そうとしたが、普段から軍を纏め隣国と対峙する辺境伯である叔父の低く太い声で遮られた。
「常識で考えよ。その兄に子がいるのに弟に爵位がいくはずがないだろう。
……しかもお前達は伯爵家の管理どころかその財産を良いように散財していたそうだな。今後お前達はその散財した分をきっちり返還せねばならないぞ」
「───え……」
アルノーは血の気が引く。
「当然だろう。……私はお前の兄イーヴォ達の葬式の後このような事になっているとは知らず、今回この話を聞いた時には余りの怒りで兵を率いてお前を討ち取ってやろうかと思うたわ、このたわけ者が! ……穏便に事を済ませてくれと願ったユリアナ達に感謝するのだな」
「ヘリング辺境伯殿。……これからは我が息子ランベルトがユリアナ嬢を守りこのキルステン伯爵家を盛り立てる事でしょう。勿論私も不穏な動きが無いよう彼らを監視させていただきます」
王家の信頼の厚いフリーマン侯爵とヘリング辺境伯に睨まれ、叔父アルノー一家は小さくなるしかなかった。
◇
「───あら? 外が騒がしいわね」
無事に学園を卒業しユリアナは結婚式当日を迎えていた。花嫁の控室にはユリアナに昔から仕えてくれた侍女たちが今日のめでたい日の主人を誰よりも美しく着飾っていた。
「なんの騒ぎでございましょう。この良き日に」
侍女達も不審に思い外の様子を見る為に扉に近付こうとしたその時、扉が乱暴に開かれた。
「ユリアナッ!!」
礼儀も何もなく、飛び込むように入って来たのは元・婚約者のルードヴィヒだった。……勿論、今日の式に彼は招待していない。
「───あら。懐かしい方がいらしたのね。私貴方に招待状を出したかしら?」
今ここに来るのは想定外だったが、いつかは自分の所に文句を言いに来るのだろう事は分かっていた。おそらく卒業式にでも誰かから話を聞いたのだろう。
「ユリアナ……君は! 僕に黙っていた事があるだろう! いや、君は僕を騙したんだ!!」
見目麗しいルードヴィヒはまるで悲劇の主人公を演じるかのように大袈裟に身振り手振りをしながらユリアナに言った。
「───はて? 私が貴方を『騙す』? どういう事かしら」
「しらばっくれるなッ! ユリアナ、君は僕に言わなかったじゃあないか。生前に伯爵がキルステン伯爵の次代の後継者は君だと王家に正式に届けてあった事を!」
「あら。そうだったかしら」
「僕は聞いていない! 君が僕にきちんと話をしてくれていたのなら……」
「…………両親が亡くなってから、貴方が私の所に来てくれた事ってあったかしら。キルステン伯爵である父がいなくなって、成人していない私に継承権がないと思い込んだ貴方はさっさと私を切り捨ててマヌエラに乗り換えたんですものね」
ルードヴィヒは怒りか恥ずかしさか分からないが顔を赤くした。
「何を言ってるんだ! 当然だろう? 僕はキルステン伯爵となるべく君と婚約したのだから、君に継承権がないなら継承権を持つ者の所にいくのは当然なんだ!
問題は『成人すればキルステン伯爵家を継ぐ』と僕にきちんと伝えなかったユリアナ、君なんだよ!」
「随分と勝手な理屈ね。だけど婚約破棄をしたのは貴方よ」
「───だって仕方がないだろう! 知らなかったんだから!」
そう言ってルードヴィヒはユリアナに突っかかってきた。
『だって仕方がない』
ルードヴィヒの、昔からの口癖。
ユリアナは内心『ああまたか』と思った。
「───ええそうね。仕方がないわよ。貴方は知らなかった。……知ろうともしなかった。……だから今こうなっているの」
美しいウェディングドレスを身にまとったユリアナは憐れむようにルードヴィヒを見た。
「ッそうだ、知らなかったんだ! だからあの『婚約解消』は無効だ! 君と結婚するのは婚約者であるこの僕だ!」
身勝手にそう叫ぶルードヴィヒを横目にユリアナはため息を吐いた。
「『解消』でなく『破棄』でしょ。……貴方がそう言ったのよ。そしてそれはもう覆らない。そもそも親が亡くなれば例え成人していなくても子に相続がいくのは当たり前でしょう。……貴方のご両親であるシュレーター子爵もその辺りをよくご存知なかったようね」
あの『婚約破棄』後、一応家同士の契約でもあるのだからとルードヴィヒの両親であるシュレーター子爵夫妻にも確認はしたのだ。彼らは表面上は親を亡くしたユリアナに同情しつつ、息子の結婚相手は爵位のある者でないとと言ってけんもほろろにユリアナを追い返した。
ユリアナはその時にはルードヴィヒとは別れる決心をしていたので、彼らのその対応を見て情をかける必要はないとむしろスッキリしたのだが。
「───どんな事情であれ貴族同士の婚約なのだから、勿論正式に王家に届けが行っているのよ」
「……そんなもの……ッ! 君が僕を選ぶと言ってくれたらそれで済む話で……」
「───それで済む訳がないだろう」
今まで聞いたことのない程の低い声を出して部屋に入って来たのは、ユリアナの新たな婚約者であり今日夫となるランベルト フリーマン侯爵令息だった。
「何やら騒がしいようなので来てみたら……。僕の花嫁に何をしている?」
ランベルトは昏い低い声でルードヴィヒに尋ねた。その後ろの入り口付近にはルードヴィヒが来てすぐにランベルトを呼びに行った侍女が息を切らせて立っていた。
ルードヴィヒは思わずその迫力に後ずさる。
「……ひ……ッ。……ランベルト? まさか貴方がユリアナの新たな婚約者!?」
「そうだよ。君がユリアナと別れてから、僕たちはお互いを知り想いを深めて来た。もう君が入り込む隙間なんて1ミリもないよ」
そう言いながらランベルトはユリアナの前に行き彼女の上から下までを嬉しそうに眺めた。
「……綺麗だ。ユリアナ。こんな男がいるのは気に食わないけれど式の前に君の美しい姿を見れたのはラッキーだったな」
「……ランベルトったら。ルードヴィヒにはそんな風に言ってもらえた事がないから恥ずかしいわ……」
思わず顔を赤らめる花嫁にランベルトはクッと笑う。
「ああ。僕は真に大切な人を放ってあちらこちらに目移りするような(クズな)男ではないからね」
ランベルトはルードヴィヒに当て擦りのように言ったのだが、ルードヴィヒは将来の自分の立場や爵位の事しか考えていなかった。
「ちょ……ちょっと待てッ!! 僕は、僕は本当に知らなかったんだ! だから仕方ないじゃないかッ! 僕は、知ってたらユリアナと別れたりなんかしていないッ!」
ルードヴィヒはその美しい顔を歪ませて必死に彼らに向かって叫んだ。
ユリアナとランベルトはそんなルードヴィヒに冷えた視線を移す。……それを見たルードヴィヒは思わずびくりと震えた。
「───『だって仕方がない』じゃない。ルードヴィヒは私を無視していて話が出来なかったのだもの」
「…………ッ!!」
ユリアナが冷たく言った言葉は、いつも自分が言う口癖で。ルードヴィヒは思わず言葉に詰まる。
「……ルードヴィヒはユリアナを無視していたのか。それでは話せる筈がない。じゃあ『仕方がない』よね」
追い打ちをかけるようにそう冷たく言ったランベルトの言葉にルードヴィヒが茫然としていると、やがてやって来た警備員達に彼は連れ出されて行った。
◇
ルードヴィヒが連れて行かれた扉を見た後、ユリアナとランベルトはゆっくりと互いの顔を見た。
そして、お互い苦笑する。
「……はあ。……うん、彼は想像以上だったね。でもここまでやればもうユリアナを諦めるかな?」
「私を、というより『キルステン伯爵家』を、だと思うけれどね。どちらにしても私が成人してランベルトと結婚したらもう彼にはどうにも出来ないわよね」
「そりゃそうだ。僕は正式にランベルト キルステンになると王家に届けは出してあるし、ユリアナは成人して正式にキルステン伯爵位を受け継いだ。他の誰にもどうにも出来るはずないね。……そういえば、ルードヴィヒはマヌエラ嬢とはもう正式に婚約を結んであるの?」
「いいえ。届を出す時にマヌエラが『伯爵家の後継ではない』と気付かれてはいけないから執事が長引かせて、その後は止めているとヘリング辺境伯……大叔父様が言っていたわ。大叔父様は今回のこと、随分お怒りでしたもの。今頃叔父達は大叔父様に叱られて全て事実を知ったのではないかしら」
後で大叔父に話を聞くとその通りだったそうだ。叔父一家はまず最初にランベルトの父フリーマン侯爵にピシャリと事実を突き付けられ、動揺している時にダメ押しで大叔父様に叱り付けられた。……ちなみに大叔父は父達の母方の叔父でヘリング辺境伯である。
遠方の親戚なのでこちらの味方になってもらえるか分からずすぐに声を掛けられなかった。しかし正義感の強い方で次からは何かあればきちんと相談するようにと言ってもらえた。なんとも心強い。
「───全て解決したようで良かった。だけど、僕との結婚はやめさせないよ?」
「勿論よ。そんな事絶対にしないわ。……今回の事、屋敷を奪われたり色々仕方がないと諦める事もあったけど……
ランベルトとこうなった事だけは彼らに感謝しなければならないわね」
「……そうだな。そしてあの時、君が僕に婚約者の相談をしてくれて本当に良かったよ。他の奴に相談して君をとられていたらと思うとゾッとする。僕はもうユリアナを手放すなんて考えられない」
───ランベルトが婚約者探しの相談を受けたあの時、ユリアナは結婚相手の条件として『嫡男でない事』を挙げた。つまりユリアナのキルステン伯爵家に婿入り可能な人間、という条件だったのだ。
世の中に次男以降の貴族は多い。そして皆出来るならば貴族の婿入りを希望し探している。それが『伯爵家』となれば喉から手が出る程良い条件だ。
一方ランベルトは侯爵家の三男だが婚約者は居なかった。彼自身王子や高位貴族と仲が良いので将来的には文官か殿下の側近として働いて上を目指し、結婚はその時に都合の良い政略でと考えていたのだが……。
好意を待ってはいたが婚約者がいて諦めていたユリアナがフリーになり新たな相手を探していると分かればそれに乗らない手はない。
ランベルトは改めて愛しい人を見つめる。
……元婚約者が馬鹿な男で良かったよ。お陰で僕は愛しい女性も爵位も手に入れた。これから僕は愛する人を元婚約者や愚かな身内から守り、愛し抜いて生きていく。
「……さあ、そろそろ式の時間だ。行こうか、愛しい人」
ランベルトはそう言って恭しくユリアナに手を差し出した。ユリアナはこみあげる喜びを抑えつつランベルトの手をゆっくりと取る。互いの手の温度を感じて2人は少し照れたように微笑み合い、新たな道へと歩み出した。
◇
───その後、叔父一家はユリアナの結婚式が終わると大慌てて屋敷に戻ったが……。戻った『キルステン伯爵』の屋敷前には、叔父一家の荷物が使用人達により既に纏められていた。すぐにでも出て行かなければならず、行き先はそれまでに住んでいた約一年放置していた小さな王都の外れの屋敷。……まずは掃除をしなければ寝ることも出来ないだろう。
彼らは約一年『後見人』として一人娘のユリアナが学園を卒業するまでの間、屋敷を管理するという立場にいただけ。その管理費として考えられる額以上に使った生活費は後で全て返還しなければいけない事になっている。
そしてルードヴィヒとマヌエラは正式に婚約はしておらず、やはりというかルードヴィヒはマヌエラを捨て新たな婿養子先を探す事にしたようだ。
しかしルードヴィヒの遊び癖に生活態度、そして『爵位』だけを求め立て続けに女性を捨てたという事実は皆の知るところでありその後婿養子どころか普通の縁談も纏まることはなかった。
その後未亡人の所で愛人として暮らしていたらしいが、年月を経てその美しさが損なわれ更にそのいい加減な態度が改まらなかった為に何処かに放逐されたという。……その後の彼の行方は誰も分からない。
マヌエラはその後母方の男爵令嬢に戻ったが、一年間『自分は伯爵令嬢』と名乗っていた為周囲の冷たい対応に晒された。その中で新たな結婚相手を探したが、今回の件を知っている者も多く更に一年贅沢をして借金まで出来ていた為かなり難航したようだった。
その後は真面目な文官と知り合い、慎ましやかに暮らしたという。
───そしてユリアナは、叔父達に乗っ取られていた間に屋敷を守り続けてくれた大切な使用人と、何より得難い愛する夫ランベルトと共に手を取り毎日を大切に暮らした。
《完》
お読みいただきありがとうございました!
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