第8話 誰にでも秘密がある(7)※完結
「店奥の住居に地下の小部屋があり、女児の白骨遺体と保存瓶に入った被害者の体の部位が見つかった」
床には魔法陣らしきものが血で描かれ、中央に白骨遺体が、その周囲に被害者の体の一部は置いてあったらしい。
「解決しても“裏通りの黒魔術事件”と結局大騒ぎだ……まったく」
両手を投げ出すような仕草をして、エドワードはソファにふんぞり返った。
いつも事件の後処理を終える頃にこの家にやってくるけれど、第三王子殿下は暇なのだろうかとソフィアは思う。
「レストラード警部からも聞きました。犯人の錯乱がひどくて困っているとか」
「“神様が教えてくれた”とか、“娘は寄宿学校にいる”とか、“魂の代償が必要なのよ”とか……支離滅裂にわめき散らしては笑ったり暴れたりと。あれでは裁判もできん」
娘の死が露見し壊れたか――エドワードにしてはぞくりとするような冷淡なつぶやきに、ソフィアは黙った。
女児の頭蓋骨は後頭部に陥没が見られ、腕や足や肋骨にも新旧の骨折の痕があった。母親の仕業だろうと、苦々しい面持ちでレストラードは言っていた。
母娘をよく知る周囲の証言では、虐待に近い折檻が日常的に行われていたらしい。
許しを乞う女児の泣き声がしなくなった頃から、寄宿学校に進学したと母親が自慢げに話すようになり、皆納得していたそうだ。
「見ているのに、見えていない。注意を払われない人物」
ぽつりとソフィアはつぶやく。
それは人知れず母親に殺されていた、十一歳の女の子だったのではないだろうか。
「優しくて、感じのいい人だと思ったのに……」
「フィフィ」
今日は同じソファに並んで座るコンラートが、目を伏せたソフィアの頭を寄せる。耳に触れる手の乾いた温かみに、ソフィアは小さく安堵の息を吐いた。
思えば犯人だけでなく、被害者にもそれぞれの隠し事があった。
ソフィアにも秘密がある。
コンラートに寄りかかったまま、ソフィアはチラリとエドワードを見た。
「そうだ、子リスよ。あの魔法薬なしには犯人検挙はできなかったぞ! ティーショップの女店主が犯人などと、証拠もない上に荒唐無稽な妄想に近い話だったからな! レストラードもよく動いたものだっははは!」
目が合ったと思ったら、パンッと派手な音を立てて手を打ち鳴らし、エドワードはいつもの騒がしさに戻った。
そんな彼に、隠し事して悪いなとちょっと思ったけどやっぱりなしと、ソフィアは口の端を曲げる。
「妄想じゃなく、事実が示してたんですー。被害者の足取りを丁寧に追えばわかったはずですー」
「ふむ、足取りは奴も言ってたな。接点はなくとも共通の立ち寄る場所があるだろうと。伝える前にレストラードが踏み込んでいたがな、はっは」
「あの役人ですか? 何者です」
「紹介しただろ重宝な奴と。記憶力と知識が頭抜けていてな。ま、変わり者だが」
コンラートの問いかけに、特に隠すこともない調子でエドワードは答えた。とても優秀な役人ということなのだろう。
「だが本来、証拠もなしに住居には踏み込めん! 褒めてやったのに子リスはなぜ怒る!」
不服を訴えるエドワードに、ぷいっとコンラートの胸に懐くようにソフィアは顔を背ける。褒めてる言い方じゃない。
「フィフィ。殿下も、どうしてそう大人気ないのだか」
「馬が合わないんです」
「子リスじゃ馬は扱えんな」
「むゔぅ〜ぅっ」
子供じみた慰め方だとコンラートがエドワードに嘆息したけれど、絶対違うとソフィアは思う。
◇◇◇◇◇
血液に反応し、薄暗い場所で青白く光る魔法薬は、ソフィアが魔法薬研究をするなかで生まれた偶然の産物だ。
本当は、特定の組織の色素に反応させるつもりが、失敗してできた。
無駄に高感度で、古い血痕や拭き取った血も成分さえ残っていれば反応する。
ソフィアの研究にはこれと使い途もなかった薬だけれど、今回の犯人には使えると思いついて、使い切りの少量をレストラードに提供した。
レストラードはソフィアの説明に筋は通っていると理解は示したが、ティーショップへ乗り込むことは渋った。
『証拠の一つでもあれば別だが、突飛な上に否定されたら追及できない。狡猾な犯人ならなおさら逃げられる』
『でもっ』
『被害者と同じ特徴を持つ、感じのいい未亡人……下手すりゃこっちが悪者になる。近くで起きる事件に日々怯えながら女手一つで店をやっているのに、突然言いがかりをつけられたなんて記者にでも喋ったらなんて書かれるか』
博物館の騒ぎだって、遺体を運ぶために起こしたなんて誰が思いますとレストラードはぼやいた。
便箋と封筒は、高確率で最初の被害者エミリーが購入したものだ。購入店からは追えない。脅迫文は古本から切り取った文字を糊で貼って書かれていた。
『全部紙だ、とっくに燃やしてるでしょうな。ティーショップなら湯沸かしで石炭レンジに火を焚いてる』
『車椅子は? 盗めば目立ちます』
『どこから持ってきたのやら、近くの病院ではなくなってない。最初と二番目の木箱も方々の店や市場でありふれたもの……そうだ、三番目の被害者の指の粉は?』
『お菓子の粉ですが、たとえお店のお菓子と成分の一致を調べられたとしても、彼女は倒れるまで生きていたので、店に立ち寄った証明にしかならないですね』
本当に証拠らしい証拠がまるでない。
『検屍官の話じゃ、店も清潔だったんでしょう。厨房でやったなら落とした血が多少残ったって、なんとでも言い逃れできる』
『血……』
ソフィアはつぶやいた。
多少ならそうだ。でも、不自然なほどであれば?
ソフィアは一人目と二人目の被害者の解剖所見を手に取る。
被害者には抵抗の跡が見られず、眠らされ殺害後に必要な部位を切り取られたとあるが、心臓も左手首も太い血管を切断する必要がある。
血は大量に流れ出たはず、厨房の石の床を入念に掃除しようと絶対残っている。
『……血液の成分に反応する試薬があります』
『ん?』
『不自然な量の血痕があれば追及できますよね?』
そしてソフィアは、使い方を教えるのも兼ねてその場で実演した。
作業机に青白く光る検体の血の痕を見たレストラードは、こんな場所で茶を……と気分悪そうな顔をしたけれど。
◇◇◇◇◇
「あんな試薬を隠し持っていたとはな!」
「別に隠し持っていたわけじゃ……」
コンラートに寄りかかったまま、ぶすりとソフィアはエドワードに答える。なんだか興味を持っている様子がいやな感じだ。
「エドワード殿下、あの試薬は血液に反応するだけだ。誰の血液かどころか、人か動物かも判別できない。ソフィアも警部にそう説明している」
「だが、役には立つぞ」
「だめです!」
コンラートから身を離して、ソフィアは抵抗の声を上げた。
証拠とするには不完全な検査薬だ。
犯人が自明で追及のために、レストラードへの信頼もあって提供したが、捜査のやり方としてはよくない。今回みたいな方法で濫用されたら冤罪を生みかねない。
「フィフィ。殿下は道理は守る人だ。政府顧問として使用法と運用案を提出するので、議会の承認を受けてからです」
「議会?」
「ヤードは首都警察法にもとづき創設されたもの。現状、犯罪捜査への魔法薬使用の例も制約もない。殿下も法は蔑ろにできないはず。魔術協会の了承もいるかな」
「ぐっ!」
「魔法薬認可も受けた上で調合法のみを提供。政府が魔術師に発注し管理監督する。冤罪を作るのも、魔術師の領域侵害も、魔導師として許容できない」
静かで落ち着いた賢者然とした態度で、王子相手にきっぱり断言するコンラートは、さすがの大魔導師だ。
「ぐぅぅ……よかろう。時間はかかりそうだが仕方ないっ」
「賢明なご判断だ」
「貴公の、腰が低いようで脅し紛いに押しが強いところ! 本当に憎たらしいぞ! 大体、私より……」
「もう一つ! エドワード殿下」
エドワードが文句かなにか言いかけたのを遮って、コンラートが少しばかり声を張った。不調法なことはしない人だけにソフィアは少し驚いたが、エドワード相手だとこれくらいの強引さがいるのかもしれない。
「まだあるのかぁ?」
「この子と僕の“完全なる休暇”を。そもそも嘱託だ。本業を疎かにさせる気もない。師として一ヶ月は副業禁止にするつもりでいる」
ひくっとエドワードが頬を小さく引き攣らせたのをソフィアは見た。にっこりと微笑みかけているコンラートの目が笑っていない。
こういった時のソフィアの師匠は、人に有無を言わせない迫力がある。
「……相変わらず過保護な。まあ、いいだろう。栗毛の子リスには、いささか残酷な事件で危険もあった。配慮はしよう」
「ご理解に感謝します、殿下」
いつものように見送り不要だとエドワードが立ち上がる。
臣下の礼を取ったソフィア達に背を向けて、応接間を出ると思ったら、コンラートとエドワードは声をかけた。
「進言も休暇も構わんが、我が国の特権には義務が伴う……忘れるなよ」
「もちろん、そう見えないかい?」
「まさか。よい旅を、子リスよ」
どうもと答えて、エドワードが去った後にあれとソフィアは首を傾げた。
「殿下に旅行の話したかな?」
「前の会議で、僕がフィフィと旅行に行くからしばらく欠席すると言った」
「政府のお仕事まで止めていいんですか?」
「僕の休みなんて政府にはなんでもないよ。僕もフィフィも文句も言わずに政府の仕事を片付けているしね。向こうも文句を言う筋合いはないよ」
言われてみればそうかもと、ソフィアも思えてきた。
検屍審問に報告書の提出、ソフィア自身もティーショップに案内された事情聴取を受け、実況見分にも参加させられて忙しかった。
休暇どころか、旅支度に買った品物の包みすら開けられないままでいる。
ソフィアがそんなことを考え巡らせていたら、不意にコンラートが右手を取って甲をぽんぽんと軽く叩きながら、「フィフィ」と少し苦い微笑みを浮かべた。
「師匠?」
「誰にでも秘密はある。でも秘密を暴くなんて正しいことでも気分はよくない」
関係者も秘密があった。エミリーの家庭教師はあの日弟が熱を出していた。エミリーの提案で一緒に外出し、あの店で彼女が恋文を書く間、家に戻ったのを後悔していた。先に帰ったと言われ、行方不明になり、目を離した隙にいなくなったと保身の嘘を吐いたことも悔やんでいた。
リズにつきまとっていた客に彼女の結婚を教えたのは、その存在を証言した同郷の友人でリズへの妬みからだった。そのことをあの店でリズから問い詰められ、先に店を出ていた。
ドロシーに違法な堕胎手術を受けさせ、モルヒネを渡していたのは彼女のパトロンだ。二人は時折あの店を利用していたらしい。
「しばらくゆっくり過ごそう」
露店の少年は、店の話題作りにと一人六ペンスの報酬を持ちかけられただけと証言した。しかし、どうだろう。
一日露店の番をして、得られる報酬は二ペンスと少年は話したそうだ。
情報料と案内料で九ペンスの収入は、少年にとって大きかったはず。
利用されただけと罪に問われなかったが、奇妙な宣伝の依頼に案内した者が殺害……薄々察しながら沈黙を選んだのかもしれない。
ふと、ソフィアはコンラートを見上げた。
「そういえば……師匠にも秘密ってある?」
「ん? あるよ」
「どんな?」
「フィフィ、秘密は秘匿するから秘密だ。教えられないね」
「ずるいぃ」
ソフィアが言っても、知らなかったのかいとあしらわれただけだった。
「それより夕飯の支度だ。食べたら、届いたままの品物の包みを開けよう」
うまくはぐらかされた気がするけれど、夕飯や買い物の包みを開ける方が大事だ。
下準備は自分がすると、ソフィアは先にキッチンへ向かう。
だから彼女の後ろ姿を見つめる、コンラートの言葉は聞こえなかった。
「ずるいよ、僕は。都合悪いことはすべてフィフィに隠して側にいる……」
<誰にでもひみつがある・完>