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番外File:王女と魔法使い

「いくら師匠だからって、無防備すぎないかな」


 休暇を過ごしている湖水地方の北部、ピクニックにきた山頂。

 ブランケットの上で、安心し切った寝顔を見せて昼寝をしている。

 すやすやぐっすり眠るソフィアを見下ろして、やれやれとコンラートはため息をついた。

 完全に保護者扱いなのはいまも昔も変わらない。

 その信頼を心地良くも思っているが、一応成人男性である。コンラートに対し、あまりに無防備なソフィアに呆れる気持ちもなくはない。


「それをよしとする僕も僕だけれどね」


 彼自身、ソフィアに対して一般的な異性との距離感でもなければ、師弟としても過保護な自覚はある。これに関しては、ソフィアのコンラートへの絶対的な信頼に甘えていることは否めない。

 

「こういうところは変わらないね、本当に……“僕のお姫様”」


 主従としては大いに不敬の範疇に入るが、出会い方もその後の経緯も普通ではない。自他ともに容認され容認してきた。いまさら変えられないし変える気もない。

 つぶやきながら、三つ編みに束ねる髪がほつれて頬にかかっているのをそっと指で避ける。

 コンラートの作った変身薬で栗色になったソフィアの髪だった。ルドルフシュタット王族の銀髪琥珀目を隠す魔法薬。ソフィアの安全は絶対だった。それは彼においても、彼女を取り巻く他者においてもである。

 いまのコンラートの他者への判断基準は、ソフィアを傷つける者かそうでない者かになっているといっても過言ではない。


「本当は、僕が心配する必要もないのかもしれないけれど」


 コンラートがルドルフシュタットを出たのは、ソフィアが十歳の時だ。

 そして十四歳の彼女が病床で死んだとアルビオンの新聞で読んだ。

 ゲルマニアの侵攻が本格化した頃で、逃すためだとコンラートは考えた。手紙で尋ねられることでもなく、確かめる術はないが生きていると信じていた。

 だが、翌年、ルドルフシュタットが併合され王族が粛清された。隣国のドゥルラハ大公国に嫁いだ第一王女にまで粛清の手は及び、本当にソフィアは死んだと思った。逃がされても、庇護者のいない王女が生き延びられるはずがない。

 十六歳になった彼女と再会するまで、コンラートは本当にそう思っていたのだ。


「……君は一人でアルビオンまで、僕のところにまで辿り着いたのだから」


 再会したソフィアは、自分の足できちんと立ち歩んでいける少女に成長していた。

 変わらないけれど、随分変わった。

 離れてよかったのだと思う反面、国が滅び放り出された彼女が理不尽に一人傷ついていたことを考えると、何故側にいなかったと悔恨にかられる。

 いまとなってはすべて過去のことだ。だからせめて、本当に独り立ちするまでは絶対的な守護者でいたいとコンラートは思う。

 かつて戻ったばかりの王宮で、ソフィアにとってのコンラートがそうであったように――。



 ◇◇◇◇◇



「ふッ……ウゥッ、コンっ……らぁあとぉぉ……っ、ぐすっ」


 彼が作ったおもちゃのブリキ人形を腕に、ぼろぼろ大粒の涙をこぼしながら歩く王女は八歳。彼女の後ろで、王女宮に仕えるメイドが困り果てた顔をしている。

 大泣きしているのに、王女はメイドと手は繋いでいなかった。

 使用人も行儀見習いも大勢いるが、彼等の中に、最近()()()()()王女が懐いた者はまだ誰もいない。とりわけ辛抱強く穏やかなメイドが数人選ばれて、彼女の世話をしている。

 コンラートに王女が最初から懐いたのは、ただただ運が良かっただけだ。


「あ、あの……コンラート様。また姫様のお人形が……」

「ああ、魔力切れだね」


 コンラートは即座に状況を察してそう言った。「姫様」と呼びかければ、ひくっとしゃくりあげて王女の嗚咽が止まった。メイドがほっとしたような顔を見せる。

 王女が囚われていた塔で一冊だけ隠し持っていた、ぼろぼろの子供向けの本。

 そこに描かれていた黒髪で黒衣の魔法使い。

 本の中で魔法使いは恋慕した姫を攫い、騎士に討たれる悪者だ。しかし、攫われ悲嘆に暮れる姫をあの手この手で慰めようとした、悲しき道化でもあった。

 コンラートの目の前で泣いている王女は、そんな悲しき道化の魔法使いが一番好きで、出会った時に黒衣を纏っていた黒髪の彼と絵本の魔法使いを同一視した。


「ここは僕が請け負うから、君は君の仕事に戻っておいで」


 メイドにそう言えば、心の底から感謝するように勢いよく一礼し、たたたっと小さな足音を立てて離れていった。

 相当手を焼かされたようだと、置き去りにされた小さな王女を見下ろす。

 使用人達から嫌われているわけでも、蔑ろにされているわけでもない。むしろ逆。ごく弱いとはいえ魅了の力を持っている愛らしい王女が好かれないはずがない。

 赤子の時に誘拐されて、八年経って無事に救出され、王宮に戻ってきたからなおさら。その分、王女の不機嫌や癇癪が、親切な使用人達には辛く堪えるのだろう。

 泣きじゃくる幼い王女への憐憫と力になれない己の無力さや罪悪感が、魅了の力もあって増幅されてしまうのだ。


「そんなに泣いたら疲れてしまうよ。僕のお姫様」

「……ぐすっ、だって……動かないぃっ」


 王女宮の広く、日当たりの良い、白っぽい回廊に小さな王女と二人きりになった。いまなら多少気安い態度を取っても問題ない。

 大事に抱えていたわりには、乱暴に人形の腕を持ってぶんぶんと振り回す王女にコンラートは苦笑する。人形の腕の接続具合も見た方がいいかもしれない。

 彼は胸下までの背丈しかない王女と、目線を合わせるために屈みこんだ。


「魔石の魔力が切れたら動かないよ。言ったよね? それに魔力が尽きたかも姫様は見てわかるはずだ。君の世話を一生懸命してくれる人を困らせるのはよくない」


 淡々とコンラートが諭せば、またひっくとしゃくりあげて、王女が大きな琥珀色の目を見開いて彼を見る。瞳の奥にきらきらと金色の魅了の輝きが宿っている。

 これまで幽閉生活を強いられ、人らしい触れ合いに乏しい環境で育った王女だった。そんな失われた幼い子供の時間を取り返そうとするように、近頃、甘えや気難しい我儘が出てきている。

 それだって半年過ぎてようやくだ。

 最初は抜け殻の人形みたいに他者をぼんやり見つめ、ただ問いかけに答えるだけだった。幽閉されていた間、そうする以外許されずにいた。

 塔の上の一室に閉じ込められて、世話する者達は彼女と最低限必要なこと以外話すことを禁じられていた。外界を遮断し、少女に余計な情報も知識も与えないように。

 誰かが禁を破りこっそり渡した読み古した本と、塔の窓から見える景色だけが、彼女が触れられる外の世界だった。

 いまこの幼い王女は、これまでの人生では見たことのない様々な物や景色を見ている。触れ合ったことのない人数の人々に世話をされ、話しかけられ、構われている。

 寄る辺ないのだ、塔で偶然出会ったコンラート以外に。

 けれどいつまでもそうでは、彼女自身も困ることになる。


「泣いたら僕のところに連れてってもらえるって、最近覚え始めているね?」


 少しばかり厳しい調子でそう言って、コンラートは王女を抱き上げた。

 八歳にしては小さくて細くて軽い。食事は与えられていたから栄養不足ではない。

 健康な子供が駆け回って過ごすべき時期に、部屋から一歩も出られなかったためだろう。あるいは乳幼児期が劣悪な環境だったからかもしれない。

 乳母らしき人と、四歳まで森の中の小屋に隠れていたと王女は話した。怖い人に見つかって、塔に連れて行かれたのだと。


「呼んでくれたら、いつだってちゃんと君のところへ行くよ」


 王女は国王と王妃に似て知能は高い。記憶力もいい。

 喋る機会が少ない分、見る方に偏ったのか観察力にも優れている。

 赤子の時に母親である王妃と共に誘拐されて以降、八歳で偶然コンラートに発見されて救出されるまでの間のことは、その後の調査で分かったことも多いが、王女自身から聞き出した話によるところも大きい。


「……うそ」

「どうして?」

「みんな……コンラートは、“まじゅつのおべんきょう”で忙しいって言うも……ぅ、うぅっ……」


 一度、落ち着きかけた王女の嗚咽がまた揺り返され、「あーそうか」とコンラートはつぶやいた。


「君が他の人ともう少しと思ったけれど……参ったな……」


 王女を抱き上げたままそう言って、コンラートは彼女をあやすためにダンスを踊るようにゆっくりと、周囲の景色を見せるように回りながら庭園へと向かう。

 現状、懐かれ方の序列でいえば、コンラートが絶対的な勝者なのは間違いない。

 次に父親である国王陛下、姉の第一王女、三人いる兄王子達、そして彼女付きの使用人達と続く。

 王族は皆、公務や日課で忙しい。使用人達も仕事がある。

 一番自由が効くのがコンラートというのもよくなかった。

 このままでは周囲も王女もコンラートへの依存癖が治らないと考えた彼は、なるべく頼らないようにとしたが、これは完全に裏目に出ている。

 だが、自分自身に置き換えて考えれば、無理もないかとコンラートは反省した。 

 コンラート自身、家族に虐げられていた環境から王家に手を差し伸べられている。すぐ王宮に馴染めたわけじゃない。表面上は上手くやれても、一年くらいは信用しきれていなかった。そんな彼を、国王も王妃も、与えられた部屋がある離宮の人々も見守っていてくれた。


「ごめん。僕が急ぎ過ぎた……ゾフィー王女」


 とんと、木陰に王女を着地させて、コンラートは自分より一回り以上小さな手を取ると恭しく頭を下げた。

 小さな手の指の背を彼の額につけて。


「誓って、今後は姫様が呼んだら駆けつけます。ゾフィー・シャルロッテ・フォン・グンダール=ルドルフシュタット王女殿下」


 コンラートは(かしず)いたまま、王女を見た。

 銀色の波打つ髪がふわふわと風になびき、じっと彼を見てなにか考えている琥珀色の瞳が、輝く蜂蜜のようだった。王族特有の銀髪琥珀目の容姿が、最も強く出ている王女でもある。だからこそ王宮関係者達も受け入れている。


「ここが姫様にとって大事な場所になり、皆が姫様の大切な人たちになるように」


 ふっくらした陶器のような薔薇色の頬、小さな唇。レースを重ねた白いドレスがよく似合う愛らしい王女。

 もう少し大きくなったら、きっと可愛らしい少女になるだろう。

 いまの彼女の寵愛の独占を失うのが、少しばかり惜しいような気もしてくる。


「本当?」

「本当。さて、人形を直さないとね」

「うん!」


 ようやく機嫌を直して、王女は頷いた。 

 意図的に行動と経験の機会を極端に奪われた結果が、いまの王女を形作っている。

 正直、読み書き計算が最初からできたのが奇跡だった。

 乳母らしき人が教えたと王女は言った。それを元手に後に手に入れた絵本で学習し、ぎりぎり社会適応できる基礎を作っていた。

 王女が言う“怖い人”は、王妃王女誘拐の主犯の男だ。

 かつて王妃の幼馴染みの伯爵で、国王の忠臣の一人でもあった。その忠節が王妃への歪んだ恋情のためとは誰も思っていなかった。

 執念深く、王妃を奪う機会を狙い続け凶行に及んだ。産後の王妃が、生まれたばかりの王女と過ごす静養の地で犯行は行われ、王妃だけでなく王女も連れ去られた。


「魔力を込めるにも、クズ魔石では限界がある」

「なくなったら、コンラートを呼ぶもん」

「そうだね。でももう泣いてはダメだよ」


 赤子の王女は男にとって、忌々しい国王の血を引く娘だ。

 殺すために引き離し、王妃から赤子を引き離すよう命じられた女が王女を助けた。

 この女が王女の言う“乳母らしき人”である。女も自分はそういったものと言っていたらしい。本来は彼女も口封じのため、共に殺されるはずだった。

 後の調べで赤子と女を殺すよう雇われた男が見つかってわかった。女は己が生き延びるために男を買収し、自分達の代わりに獣の心臓を証しとして男に渡した。

 まるで御伽話のような話だ。

 女は王妃に心酔していたようで、王女に繰り返し「尊き人の娘」であることを話していたという。“怖い人”に見つかった際、王女の目の前で女は斬り殺されている。

 以降、彼女は無数の斬り殺される者達を見てきた。

 亡くなった王妃の魂を維持する贄として殺された者達。王女は人の死を“真っ赤になる”と表現して話す。そのあまりに凄惨な日常には言葉を失うと同時に、なぜそんな理不尽な目に遭う必要があるのだと怒りが込み上げる。


「でも……動かないの、嫌だもん」


 王妃は王女と引き離されて、間もなく衰弱死していた。

 生まれたばかりの娘が殺された心痛と、産後から回復しきれていない時に攫われた負担が祟ったのだ。

 遺体は剥製のように防腐処理され、水晶の棺に入れて塔の地下に祀られていた。

 おぞましい王妃への執着心だった。

 伯爵は殺せと命じた娘の生存を疑い探し始めた。

 邪悪で歪んだ情念で、失われた魂の器として育てるために。

 王女が塔に幽閉されたのはそのためだった。

 だから王女は外の世界をほとんど知らない。まともに人と接してもいない。

 八歳としては鋭い知能と資質を持つ一方で、精神的にはひどく幼い。


「そっか」

「うん」


 人形を動かし続けられる高品質な魔石を手に入れたいが、これから魔術を導入しようと国王が尽力している小国ルドルフシュタットでは難しい。

 コンラート自身も、貴族の三男に過ぎない。

 それに魔力持ちのコンラートが実家の侯爵家でひどく冷遇される程、ここ大陸東部は魔術自体が神に仇なす邪術の考えが根深い。魔石はそこらに落ちている小石も同然のクズ魔石以外、手に入れるのは不可能に近いことだった。

 魔術書だって、国王が大陸西側から苦労して取り寄せているくらいなのだから。

 いち早く魔術の恩恵を取り入れ、産業における革命的発展と併せて、世界の覇権を握る大帝国アルビオンのような魔術大国とは違う。


「ないなら……作るしかないかな?」

「なにを? お人形を?」

「もう一体作ったら、姫様の悲しみが二体になって大変なことになる。作らないよ」

「うぅ」

「うなってもダメだよ。皆を困らせないようになるまではね。はい出来た」


 人形の目に嵌め込んだ魔石へ魔力を込めて、回路の流れを整えれば、カシャンと衛兵のようにまっすぐに人形は立って、王女に挨拶するようにお辞儀した。


「動いた! コンラート、ありがとう!」

「どういたしまして。魔石の魔力は見える?」

「うん、キラキラしてる」

「そう、じゃあ感度を落とそうね。疲れてしまうから」


 王女が目を閉じて、コンラートが教えた通りに目に集中しがちな魔力を調整しようとする。

 王女も魔力持ちだ。だが王族の魔力持ちは神が授けし力だから問題はない。

 

「できた」

「よくできました」


 えへへと微笑んだ王女を見て、どうかこの先、彼女には幸せだけが訪れますようにとコンラートは願わずにはいられない。

 コンラートにとって、ゾフィー王女――ソフィアはそういった存在だった。



 ◇◇◇◇◇


 

「フィフィ、フィーフィッ、いい加減に起きないと置いていくよ」


 揺り動かしてもううんと、抵抗するばかりのソフィアにまったくとコンラートはため息をつく。少し考えて、指先に少量の水を生成し、ピッと彼女の顔に弾くように水滴をかけた。


「ひゃっ! ううぅ……師匠ぅ」

「うなってもダメだよ。起きようとしなかったフィフィが悪い。はい、立って。顔を拭いて片付けを手伝って」


 乾いたナフキンを渡せば、「……はい」と少し反省した響きの返事が聞こえた。

 仕方ないなとコンラートは苦笑する。甘いと周囲から言われるだけの自覚はある。

 だが、どうしてもこの少女にはコンラートは笑っていて欲しいのである。

 

貸別荘(コテージ)に戻っておめかししないと。ハミルトン夫妻のディナーに向けてね。せっかくだから可愛くしよう。楽しみなんだろう?」

「はい! 師匠、早く片付けましょう」

「弟子が素直で可愛らしいよ」

「単純だって思ってるー」


 むっとした顔を一瞬見せたソフィアだったが、コンラートの顔を見てすぐにまた笑顔になった。それだけで、コンラートは満ち足りた気持ちになる。

 こんな時間がいつまでも続いてほしい。

 そう願いながら彼は、草の上に敷いたブランケットを持ち上げた。



<番外File:王女と魔法使い・完>


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