第46話 パン職人失踪事件(3)※完結
不意の物音に、マイクの家の中へ入っていったルーシーを追って、ソフィア達もランプを持ったパーカー夫人とハミルトン夫人と一緒に廊下の奥へと進んだ。
「ガス灯があるんですね」
照明のつまみを見て、コンラートがつまみを捻り、パチンと指を鳴らした。
ぱっと照明がついて、家の中が明るくなる。
「声はかけていただいたので、暗いままよりいいでしょう」
「まあ、魔術師の方の魔術って初めて見ましたわ」
「違うわベス、魔導師よ。大魔導師様ですもの」
ハミルトン夫人がパーカー夫人に言った言葉に、ソフィアは感激した。
一般の人には技術者である魔術師の方が馴染みがあるからか、混同されたり、一緒くたにされたりするけれど、魔術職のなかで魔導師と魔術師は区別されている。
ソフィアが訂正する前にそれを指摘してくれるなんて、ハミルトン夫人はやはり魔術職への理解がある。
「まあ僕は幾分か独学が多いので、どちらとも言えますけどね」
コンラート個人でいえば、それもそうではあった。
彼はルドルフシュタットの王宮でソフィアの父、国王の支援を受けて魔術を独学で学び実践し研究もしていたから。当時のルドルフシュタットはこれから魔術を導入したい段階だったので、アルビオンのような明確な職業区分も地位の保証や評価もなかった。もっともゲルマニアの侵攻で国が滅んで、導入も潰えている。
「フィフィ、ぼんやりしてどうしたの?」
「あ、いいえ。やっぱり留守のようですね」
明かりをつけたが家の中には誰もいなかった。
寝室らしき部屋も少し覗かせてもらったが、ベッドももぬけの殻だ。
チェストの上で写真立てが倒れていた。窓の鍵が半がけになっている隙間から風が吹き込み、薄いカーテンを揺らしている。さっきの物音はきっとこれだろう。
壁に数本打ちつけてある釘にハンガーだけが引っかかっている。
「でも、それはそれで……約束を破って、こんな時間まで留守なのは変よ」
より深刻そうに顔を歪めて、ルーシーが訴える。
ソフィアはあらめて家の中を歩いて見て回る。コンラートは居間の様子を注意深く観察しているようだった。
「物音は、寝室のチェストの上の写真立てが隙間風で倒れた音のようですね。それに待ち合わせの約束には行くつもりだったみたいですよ」
「どうしてわかるの?」
ハミルトン夫人が尋ねてきたので、「そうですね」とまずはキッチンへと向かい、大きめのマグに生けてあった花を指差した。
「いくつかあるのですが。パーカー夫人、このお花は裏庭の花をマイクさんに分けてあげたものではないですか?」
「ええ、そうよ。昨日分けてほしいって頼まれて」
「きっとルーシーさんへのプレゼントだと思います。それに……アイロンも使ったようですね」
台所の隅に、石炭アイロンと水の入った霧吹きと板が置いてあった。
「寝室の壁にハンガーだけ残っていたから、前日にシャツや上着の皺を伸ばして吊るしておいたのでしょう。他の服はチェストの中みたいですから」
「居間の書き物机の下の屑籠、メモがたくさん捨てられているね」
ソフィアに続いたコンラートに、師もわかったのだと彼女はその顔を見上げてにっこり笑んだ。くすりとコンラートも笑みを漏らす。
「丸めた書き損じから見えた単語で、まあその、入念に準備したのだろうね」
「準備?」
「師匠、言っちゃダメですよ」
「そうだねえ」
居間に戻りながらのソフィアの制止にコンラートも頷き、訳がわからないと言った顔で二人の後をついていたルーシーは、ソフィアの前に回って詰め寄った。
「なんなの! 言ってよ!」
「うーん……あっ、そうだメモ用紙!」
ソフィアは居間の書き物机の上にあるメモ用紙と、床に落ちたペンに目をやって声を上げた。近づいてメモ用紙を見ると、思った通りに書いた跡が残っている。
「マイクさんは、皆さんのお話通りきちんとした方ですね。お部屋は片付いてます。なのにペンが床に転がっているということは……相当急ぎの用事で慌てて家を出たのだと思います」
少し待ってくださいねと、ローブの中からソフィアは木炭を取り出した。
それを見て、ルーシーが変な顔をする。
「どうしてそんなもの持っているの?」
「観察のスケッチとか、目印つけとか色々便利なんです」
「こちらには素材採取に来ていまして……鉱物とか薬草とか」
コンラートが説明したのに、ああとルーシーは納得した。
「この辺りに滞在する、学者先生と同じね」
「近いものはありますね」
ルーシーにコンラートが答えている間に、ソフィアはメモ用紙に軽く木炭を擦り付けの表面を塗り潰す。すると筆圧で溝となっているメモに書いた文字の跡だけが白く浮き上がってきた。
「ルーシーさん、ご自分の家には戻りました?」
浮き上がった文字を見てソフィアが尋ね、「いいえ」とルーシーは首を振った。
「お家に手がかりがあると思いますよ。たぶんですが、ここから待ち合わせのお店よりルーシーさんの家の方が近いのでは?」
「どうしてわかるの?!」
「きっと早朝に急かされて、直接伝えられなかったんだと思います」
「急かされる?」
ソフィアは不思議そうな顔をしているルーシーや、その後ろで首を傾げる二人の夫人に黒く塗ったメモを見せた。
そこには、急な仕事で行けなくなったこととお詫びの言葉が書かれていた。
「ええっ〜!」
その後、マイクの家を出て、パーカー夫人と別れ、ハミルトン夫人を家に送り届けたソフィアとコンラートはルーシーと一緒に彼女の家へと行った。
ルーシーを送り届けたのもあるが、きっとあると思ったのだ。
案の定、玄関ドアのそばに置いた鉢植えと鉢植えの隙間に封筒が落ちていた。
「これ!」
「朝早くにドアに挟んで用事に向かったのだと思います。慌てていたからきちんと挟まっていなくて、ルーシーさんが家を出る前に落ちて、鉢植えの隙間に入り込んでしまい気が付くことができなかったんでしょう」
「なんなのもう! 貴族様のお屋敷で人手が足らないから行ってくるって。いいお給金も出るから埋め合わせするって!」
「パン職人だから朝早くに使いがきて、いまから来てくれと言われたのでしょうね」
「なんて人騒がせなの!」
「でも無事でよかったです」
ソフィアがそう言えば、ルーシーはきょとんと毒気を抜かれたような顔をして、手に持っている恋人からのメモを見下ろした。
「それもそうね」
「すごく心配していましたしね」
「だって……もうっ、からかわないで頂戴。でも、ありがとう」
ほっとしたわと、ルーシーは言って彼女の家へ入っていった。
それからまたコンラートと一緒に、ソフィアはハミルトン夫妻宅に戻って、事の顛末とマイクの“大事な話”の内容も含めて話した。
「くれぐれもマイクさんが戻るまでは内密に」
「そうだな、事故や物騒な事件じゃなくてよかった」
「若い人はいいわね」
夫妻がにこにこしながら「デザート持っていって」と手つかずの余りを包み、ソフィア達は包みをお土産に貸別荘に帰った。
「本当に、今回は物騒な事件じゃなくてよかった」
コンラートの言葉に、師匠までそんなこと言うとソフィアはむくれる。
「貴族様って、たぶんこの近くだと侯爵家の別荘だね。社交シーズンは終わってもまだ暑いと領地に戻る前に、別荘に立ち寄ることにでもしたんだろう」
よくある気まぐれだとコンラートは肩をすくめた。侯爵家の別荘はケスウィックの駅に着いた時に近辺の案内地図に載っていた。
管理する使用人はいるだろうが、狩猟にはまだ少し早い時期だ。かといって避暑には少し中途半端な時期でもあるため、主人が立ち寄ると思っていなかったのだろう。
まだ観光シーズンであるから人手も不足していて、近い町から心当たりの人を急遽集めて回ったに違いない。本当に人騒がせなことである。
「そうそう事件なんて起こらないものだからね。それに僕たちは完全な休暇だ。事件の方もそうであってほしいよ」
「そうですね」
居間のソファに寛いでのコンラートの言葉に、ソフィアも大いに頷く。
「明日はどうする?」
「今日採取したものの加工をします。それから州警察で手紙の鑑定に使った魔法薬が役に立ちそうだったから、きちんとレシピを調整しようかな」
「エドワード殿下がまた食いつきそうだ……まあでもそれもフィフィを任命した目論見の内だろう。調合レシピができたら確認するよ」
「はい!」
「今日はもう休もうか、フィフィも疲れたろう」
なだらかな坂道とはいえ朝から山を登り、日中は鉱石採取、夜は夕食会からパン職人失踪事件の解決と、たしかにくたくただ。
「そうですね。おやすみなさい、師匠」
「おやすみ、フィフィ」
ソフィアはおやすみの挨拶をして、いつも通りに入浴と寝支度をし、彼女が使っている部屋のベッドにもぐり込んだ。
◇◇◇◇◇
三日後、午後の昼下がり。ソフィアはコンラートと一緒に留置きの手紙の確認がてら、ホテルで働くルーシーを尋ねた。
「この間はありがとう! もうすぐ休憩時間なの、カフェで少し待てて。お礼にお茶をご馳走するわ」
大したことはしていないと、コンラートと一緒になってソフィアは遠慮したが、「いいのいいの、お礼をさせて!」とルーシーに押し切られてしまった。
なにやらとても上機嫌な彼女の様子に、もしかしてとコンラートと目配せしあってお言葉に甘えることにした。
カフェで待っていたら十分もしないうちにルーシーはやってきた。
「昨日の夜、ようやくマイクが謝りにきたわ、仕事も終わったって」
「何事もなくてよかったです」
「何事も、なくはないわよ?」
そう思わせぶりに言ったルーシーが、にこにこと左手を見せた。
その薬指に指輪が光っている。
「あ!」
「求婚されたの! それにね、貴族様のお屋敷の仕事でお給金もたくさんもらったみたい。急に手伝ってもらったからって」
「よかったですね」
「あの時、あなたが教えてくれなかったのこのためね?」
「まあ、はい」
給仕がお茶を持ってくる。それにデザートまで。
「こちらがお祝いしなきゃなのに」
「いいのいいのっ!」
「おめでとうございます」
ソフィアとコンラートが口々にお祝いの言葉を述べれば、きらきら眩しいくらいの笑顔で「本当にありがとう!」とルーシーは応えた。
とても幸せそうだ。
「侯爵様の気まぐれで、別荘の使用人たちは上から下までてんやわんやだったみたい。マイクったら見目がいいからって、給仕もって言われたそうよ」
「できるんですか?」
「無理よ。スープ容れを運ぶだけでいいって言われたそうだけど、手が震えるからって断ったって。でもやっていたらもっとお給料もらえてたって後で悔しがって……今度いざという時のためにお作法教えてあげるの」
高位の貴族の屋敷では、使用人達の序列も厳格だ。
主人やその家族と客人に直に顔を合わせられるのは、上級使用人のみ。それだって持ち場や役職により限られた者達だけである。
厨房の人間など正規の使用人だとしても料理長以外は、侯爵家の家族も見たことがあるか怪しいだろうに、数合わせでも給仕なんて突然言われても無理な話だ。
マイクは次の機会を狙ってホテル勤めのルーシーに作法を習おうとしているが、こんな機会はそうあるものでもない。ルーシーはわかっていておかしそうに笑った。
「人がいいから、単純なの――そろそろ、仕事に戻らなきゃ。またお茶しましょう、今度はハミルトンさんたちも誘って」
「はい、ぜひ」
「ホテルの宿泊客向けのお庭も見ていって。丁度、綺麗な時期よ。テラスを出た植え込みの庭師用の通路から入れるわ。支配人には言っておいたから大丈夫よ」
おしゃべりとお茶を楽しみ、休憩時間が終わったルーシーは席を立った。
「庭園見に行きたいです」
「じゃあいまから行こうか、お茶も終えたしね」
残ったソフィアがコンラートにねだると、彼は苦笑しながら了承してエスコートの手を差し出した。
カフェのテラスから出て、ホテルの庭園へと向かう。
良いお天気で風は爽やかで心地よく、とても素敵な日だ。
「こんな日がずっと続くといいのになあ」
「同感だね。休みの間だけでもそうであってほしいよ」
綺麗に刈り込まれた整えられた緑と、咲き誇る夏の花々、この地域だけの花やハーブを集めた場所など見て周り、庭園の中央にある大きな白大理石の噴水に腰掛ける。
ソフィアはなんとなく、鉱物採取の時のコンラートとの方鉛鉱についての問答を思い出した。“変容を促す”、ずっとこのままではいられないコンラートにはコンラートの人生があり、ソフィアもいずれはきちんと自立しないといけない。
自分の人生を自分の力で歩んでいけるように。
だけど、と。ソフィアはコンラートの横顔をそっと見上げた。
いまは、もう少しだけ。
「師匠のお休みは三ヶ月ですよね。あと一ヶ月かあ……早い」
ソフィアは事件と遭遇しない限り、いつまでも休みといえば休みにできるが、コンラートはそうもいかない。最初の一ヶ月が、裏通りの黒魔術事件の事後処理に費やされてしまったのが惜しい。
「もう少し伸ばしてもいいけれどね。でもまあ本格的に涼しくなる前に首都に戻るのがいいだろう。この辺りの秋は寒そうだ」
「そうですね」
ぼんやりと並んで庭園を眺める。
いまはお茶の時間を過ぎた頃。午後の光は淡く黄色味を帯びていて日が短くなってきているのを感じる。もうあと半月も経たずぐっと秋めいてくるはずだ。
「それまではのんびり楽しもう。フィフィ初めての旅行をね」
「初めての旅行……」
ソフィアはつぶやいた。そうだ、ソフィアが自分で計画した初めての旅行だった。それも一度ルドルフシュタットで離れ離れになったコンラートと、また一緒に。
くふふとソフィアは小さく笑んだ。いつまでもこのままではいられないけれど、きっと大丈夫。
「フィフィ?」
「なんでもないっ」
こてんとコンラートの腕に懐くように頭を預け、心の底から広がってくるうれしさにソフィアはにっこりとコンラートに微笑んだ。
<パン屋失踪事件・完>
お読みいただきありがとうございました。
いつも殺伐とした事件なので、たまにはかわいい事件をと書いた短編です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
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