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魔導検屍官ソフィア・レイアリングの巻き込まれ事件簿  作者: ミダ ワタル
File5:パン職人失踪事件(全3話)
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第45話 パン職人失踪事件(2)

「ハミルトンさん、ハミルトンさん……!」


 肉料理の付け合わせプティングの、シュー生地のようなふわふわもちもちの食感と、吸わせたソースの肉汁の旨みをソフィアが味わっていた時だった。

 玄関扉をノックする音と、女性の呼ぶ声が開いた食堂の窓から聞こえてきた。


「まあ夕食時に一体、誰かしら?」


 ハミルトン夫人が失礼と、ソフィア達に断って、オールワークスメイドのメアリーを呼んだ。


「メアリー、メアリー! 誰かいらしたから、出て頂戴!」


 上流階級のお屋敷なら侍従や執事、パーラーメイドが応対して取り次ぐところだが、いくら悠々自適でも小集落の中流家庭夫婦にそんな使用人は抱えられない。

 ハミルトン家の常時雇いはコック一人とメイドのメアリーの二人だ。

 あとは週三日の通いで下男兼庭仕事手伝いのおじいさんが一人いる。

 そんなわけで不意の来客応対は、メイドのメアリーの仕事だった。

 ソフィア達は夫人に迎えられ、夕食はテーブルにすべての料理が並び、ハミルトン氏自ら料理を取り分けてもてなされている。実に家庭的でくつろいだ夕食会だった。


「あの子ったら、また台所でのんびりしているのよ困った子ね」

「なにか急ぎの用かもしれないから、お前行っておいで」


 片頬に手を当てて、褐色の髪を結い上げた頭を傾げてぼやいた夫人に、少し頭に白いものが混じる大柄な体を揺するようにナイフとフォークを動かしながら、ハミルトン氏が促した。


「僕たちのことはお気になさらず」

「はい、お食事楽しんでます」


 コンラートとソフィアがそう言えば「仕方ないわね、失礼しますわ」とハミルトン夫人は席を立った。

 それにしてもこの仔羊のローストは絶品だ。ひき肉と野菜の甘みが表面を覆うマッシュポテトに凝縮されたシェパーズパイも。ハミルトン家のコックは素晴らしい。

 

「こっちのサーモンスープはどうだい? 私が釣ってきたんだよ」

「こちらもとてもおいしいです!」


 野菜とお魚の旨みが溶け込んだ、クリーミーなスープもとてもおいしい。

 頬に手を当てて幸せいっぱいに答えるソフィアに、「そうかい、そりゃよかった」とハミルトン氏は茶色の目を細めて相好を崩した。渓流釣りが趣味だそうで、近辺の地層にも詳しく、今日の採取スポットもハミルトン氏に教わった場所だった。


「ハミルトンさんのおかげで、いい鉱石が採取できました」

「そうだろう? あそこは前に地層学の先生が来て、大喜びした場所なんだ」

「本当に様々な学識者の方が利用されていますね。この夏、僕たちが滞在できて光栄です」

「いやいや、約束していた大学教授の先生の都合が悪くなって、こちらも困っていたんですよ。それにお二人共、お若いのに政府の仕事なんて大したものだよ」


 賃貸契約の際に職業を伝えたから、ソフィアが政府嘱託の検屍官であることも知っているハミルトン夫妻だが、「こんなに若いお嬢さんが国のために働いてるなんて偉いものだ」と、特段奇異の目で見ないのもよかった。

 大魔導師のコンラートに対しても立派な学者先生扱いでことさら特別視はしない。彼もその点で夫妻のことを大いに気に入っている。

 距離感や親切の加減がとても心地いい夫妻なのだ。


「誰かと思ったらルーシーだったわ」

「ごめんなさい、お客様がいらしているなんて知らなくて……」


 夫人が、二十歳くらいの灰茶色(アッシュブラウン)の巻毛に灰色目の女性を連れて戻ってきた。ソフィア達とも顔馴染みの女性である。

 

「あら、大魔導師様とお弟子さんだったのね。こんばんは」

「こんばんは、ルーシーさん」

「こんばんは、どうかなさったんですか?」


 ルーシーは、手紙を留め置いてもらっているホテルのフロント係だ。きてすぐの頃から三日に一度は会うため、すっかり顔馴染みである。

 ケセウィック出身でホテルで働くため、数年前からこの町の小さな借家に同僚とルームシェアして暮らしている。表情豊かで、生き生きした魅力的な女性だった。


「かわいそうに、デートをすっぽかされてしまったのですって」

「それはいいのよ! マイクったら家を訪ねてもいないし。でも約束をすっぽかして、どこかへ行っちゃうなんて……」

「それでどうして、ウチにきたのかね?」


 夫人が椅子を勧め、ハミルトン氏が尋ねたのにルーシーは「ああくたびれた」と椅子に腰掛けてから答えた。


「パンを届けているでしょう? だからもしかしたらって」

「パンは水曜日。昨日来たばかりよ」

「そうなの? ああ、マイクはこの町のパン屋なの。お店の方はまだお父さんが健在だから、ホテルにも時折手伝いに来ていて」


 パンを届けていることは知っていても、いつ届けているのかは知らなかったようだ。せっかく来たのだし、一緒にいかがと夫人はルーシーを夕食に誘った。

 ソフィアとコンラートも頷く、ずいぶんと恋人を探し回ったようだ。お腹も空いていることだろう。


「ひとまず食べて落ち着くといい」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 夫人が言いつけたのだろう。メイドのメアリーがルーシーのお皿やカトラリー、ナフキンを運んでテーブルにセットした。


「なんなのかしら、こんなこと一度もなかったのに!」


 ルーシーはナフキンを開くと、料理の匂いに誘われたようにテーブルの上を見て「ご馳走ね」とつぶやいた。


「メアリー、デザートが出来たら持ってきて頂戴」

「はい、奥様」


 少し眠そうな目をしつつも、メイドのメアリーはにこやかに答えた。

 呼ばれてすぐ出てこなかったのは、台所でうとうとしていたのかもしれない。オールワークスメイドは家事のすべてを請け負うからメイドの中でも大変な仕事だ。


「まだ十七歳でしょ? あまりこきつかちゃかわいそうよ」

「うちなんて大した家事はないのよ。この人と二人暮らしで、私も一緒にしてるのだもの。ただコックが下拵えに厳しいから……今度、注意しておくわ」  


 使用人にも優しいようだ。メアリーが素直に夫人に応じる様子でもわかる。

 上流階級の家の、和やかでも常にどこか一線引いた緊張感があるのとは違う、家族的な雰囲気があった。


「あとでもう一度マイクの家を訪ねてみるわ。もう知らないって思うけど、なにか大事な話があるって言っていたから気になっちゃって」

「こんな時間にかい?」

「まだ八時前よ、外も薄明るいわ」

「食べ終える頃にはもう暗いわよ?」


 いまは夏なので日がとても長いとはいえ、もう八月も終わりに近づいている。

 夕食を終える頃には、日が暮れ始めてあっという間に暗くなるだろう。


「よければ僕たちが一緒に行きましょうか。小さな町で安全とはいえ、女性の一人歩きは心配です」

「あら、さすがに首都からきた方は紳士ね」

「師匠は心配性なんです。でも、たしかにもう少ししたら暗くなりますから一緒に行きましょう」

「本当? ありがとう」


 デザートはふわふわのメレンゲをスポンジで挟み、ブラックベリーのジャムをたっぷり載せたケーキだった。お茶とよく合うあっさりした甘さの季節のケーキだ。


「おいしい〜、幸せ」

「ソフィアは本当に美味しそうに食べるわね。ホテルのティールームでも給仕の間でかわいいってあなた評判よ」

「えっ」


 週に一度、ホテルのティールームで香り高いお茶を楽しむのが、ここ最近のソフィアとコンラートの楽しみだった。そんなふうに言われているなんて少し恥ずかしい。


「フィフィは愛らしいからね。特に食べている時は」

「師匠っ、失礼!」

「ふふっ、安心して。そばに超絶美形の保護者がいては誰も悪さは出来ないわ」


 ルーシーは笑ってお茶を飲んだが、やはりどこか落ち着かない様子ではある。


「マイクさんが気になりますか?」

「え、ええ。最初は腹を立ててムキになって探していたのだけど、食べてるうちにだんだん心配になってきちゃって……本当にこんなこと一度もないの」

「誠実な恋人なんですね」

「そうなの。ちょっと地味だけどマイクのそこがいいのよ!」

「たしかにマイクは好青年よね」

「少々頼りないだがな。奴の父親がそれでたまにぼやいてる」

「人がいいのよ」


 会ったこともないルーシーの恋人だが、ものの十分ほどで、容姿から人となりや日頃の働きぶりまですっかり知るところとなった。

 茶色の髪を短く整え、焦茶色の目が小鹿のように優しいルーシーの恋人は、パン屋の息子で、時折ホテルの手伝いに入ってパン職人として腕を磨いているらしい。

 ホテルの支配人が正式に雇いたいと零すほど、真面目な仕事ぶりの好青年。


「大事な話に、なにか心当たりは?」

「それが特にないのよね……本当は留守じゃなくて、急に病気で動けないとかだったらどうしましょう」


 ルーシーがマイクを好きなのは話していて伝わってくる。

 たしかに誠実な恋人が、大事な話があると言って誘ったデートを無断ですっぽかすのは少し違和感を覚える。ソフィアもルーシーの心配が伝染して心配に思えてきた。


「デザートもいただきましたし、いまからマイクさんの家に行きませんか?」

「奴はベアトリスの離れを借りているだろう? お前も一緒についていってあげたらどうだ。本当に急病で動けなくなっていたら、鍵も借りに行かなきゃならん」


 親切なハミルトン氏が、ルーシーの心配ぶりに同調して夫人にそう言った。

 ベアトリスという人は、マイクが借りている家の大家であるらしい。


「嫌だわあなた縁起でもない。大丈夫でしょう、こんな時間にベスも迷惑よ」

「ハミルトンさん、お願いします。本当にこんなこと一度もないし、約束のお店で二時間待って、心当たりの場所を探してもいなかったのよ」


 それで、パンを届けているこの家にまできたのか。それはくたびれるはずだ。

 ルーシーの訴えに、夫人もだんだん心配になってきたのか「そうね、なにもなければよかったわで済むことだもの」と了承した。

 こうしてぞろぞろと連れ立って、マイクの家へと向かうことになった。


「あの、ベアトリスさんというのは?」

「あなた達は知らないわね。ベアトリス・パーカー夫人。未亡人で町外れの家に一人で住んでいるの。初等学校の同級生だったけれどお気の毒な人でね」


 マイクの家へ向かう道すがら、ソフィア達はベアトリス・パーカー夫人の話をハミルトン夫人から聞いた。

 

「近くの貴族様の屋敷のメイドに採用されて、出入りするお金持ちの実業家と結婚したの。夫婦でヒンディアに支部を出すために移ったまではよかったけれど……」

「パーカー夫人、ヒンディア帰りなの? お金持ちの未亡人としか知らなかったわ」


 配当だけで裕福に暮らす羨ましい人なのとルーシーが言った。それにしてもさすが小さな町だ。住人同士の暮らしぶりまで互いによく知っている。


「もう三十年は昔のことよ。ヒンディアに移ってすぐパシュタンの紛争で軍の物資調達を請け負うことになって、運悪く砲弾で夫を亡くして未亡人に。まだ子供もいない新婚だったのに。会社の損害を遺産で支払いこの町に戻ってきたけど、ずっと一人」


 やっていけるお金はあっても、ずっと一人でいるなんて気の毒だとハミルトン夫人は言った。それほど夫との思い出が大切であるらしい。


「それはたしかに、お気の毒ね」


 なんとなくしんみりした雰囲気になって夜道を歩く。「なんだか今日は暗い夜ね」「曇って月が出てないから」などと話しながら、パーカー夫人の家にたどり着いた。


「まあ、一体どうしたのです? こんな時間に皆さん」


 突然の、数人組の夜の訪問者にパーカー夫人は驚いたが、ハミルトン夫人の説明を聞いて「それは少し心配ね」と言った。


「鍵を取ってくるから、裏庭で待ってて頂戴」


 玄関から家の中へとパーカー夫人は(きびす)を返した。

 ハミルトン夫人とルーシーに誘導されて裏庭へと回る。


「マイクは裏庭にある、離れ小屋に間借りしているのよ」

「パーカー夫人が母親みたいに親切だってマイクが言っていたけれど、本当に息子みたいに考えてくれているのかもね」


 ハミルトン夫人とルーシーが話すのを聞いていたら、裏口からパーカー夫人が手元ランプを持って出てきた。


「お待たせしたわ」

「……なにもなかったら、マイクはきっとびっくりするわね」


 なにしろルーシーにパーカー夫人、ハミルトン夫人、ソフィアとコンラートと言った五人で押しかける形になっている。


「おおごとにしてって怒られちゃいそう」

「そのほうがいいのよ。なにもないのが一番だわ」


 もう日も暮れていたが、裏庭は夏の花の香りがまだ漂っていた。園芸が趣味らしく花々やハーブの苗がたくさん植えられている。


「いい香りのするお庭ですね」

「ハミルトンさんの貸別荘のお客様よね。大魔導師様とそのお弟子さん。今度は昼間にぜひいらして頂戴」

「はい、ソフィア・レイアリングです。ありがとうございます」

「こんな形の挨拶になりましたが、コンラート・シュタウヘンです」


 裏庭を歩きながら、パーカー夫人と挨拶を交わしていたら、マイクが借りている離れ小屋に辿りついた。小屋といってもガレージ付きの小さな家だ。


「使っていない小屋だったけれど、一人暮らしで見知らぬ人に貸すのも怖くて。町の人の知り合いを募っていたら、マイクが一度は自活したいから住まわせてほしいと言ってきたの。薪割りなんかの男手仕事も手伝ってくれて助かってるのよ」


 話しながらパーカー夫人はランプを持たない手で、離れ小屋の入口のドアをノックした。


「マイク、ルーシーさんが心配してきてくれたわよ!」

 

 声をかけても、応じる気配がない。ソフィアは部屋の窓を見たが明かりもついていない。パーカー夫人がドアノブに手をかけたがドアも開かないようだった。


「留守のようだけど……鍵もかかっているわね」

「でも、心当たりは全部探したんです。無断で約束をすっぽかすなんて、やっぱりありえないわ。もし中で倒れていたら……」

「そうね、開けてみましょう」


 もう一度ノックして、「開けますよ」とパーカー夫人が声をかけて鍵を開ければ、離れ小屋の中は真っ暗で、人がいる気配はなかった。


「やっぱり留守かしら……」

「コートかけから帽子が落ちてますね」


 ソフィアが玄関の廊下の隅を見て言えば、ルーシーが帽子を拾い上げて普段彼が被っている帽子だと言った。その時、家の奥からガタンとなにか倒れる音がした。


「マイク――!」

「あ、ルーシさんっ」


 心配が頂点に達したのだろう、ルーシーは家の奥へ急ぎ足に入っていった。

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