第42話 影しかない男(23)
「検屍官は、一体いつからロビンが男だと疑っていたんですか? 刑事の私から見てもうまく化けたもんでしたよ」
トマスとデイビッド達と向かい合い、他の者たちも落ち着きを取り戻した頃にレストラードが居間に戻ってきた。連行されたロビンと一緒に州警察へ行く護送馬車に乗るかと思っていた。
「こちらは所詮応援ですからね。それに後の報告を考えたら、ここで検屍官の話を聞いた方がいい」
「そうですか」
「そうですよ。州警察で鑑識作業したり、本来なら牢に入れとかなきゃならん人を出したりと好き勝手し放題する人のせいで」
ぼやきながら隅の肘掛け椅子に腰掛けたレストラードに、ソフィアは曖昧な苦笑いで誤魔化した。トマスに「貴様かなり厄介な奴みたいだな……」とじっと細めた眼差しを当てられて、「そんなことないです」と控えめに否定する。
そんなことはないはずだ。
入れ替わっていた二人の青年が本来の名前と身分になるには、これからあれこれと手続きが必要になる。それまでは、これまで通りのトマスでデイビッドということに、本人達とこの場の者達の合意がなされた。
ソフィアとしても説明するのに面倒がなくて助かる。
居間の雰囲気は幾分か緊張が緩んだものとなっていた。事件の真犯人が捕まって、諸々の大きな秘密は明るみになり、これから精算に向かうからだろう。
同時に遺言が白紙となる不安も滲んでいる。
「僕が言うのは、おこがましいですが……僕がブランドルの人間になったとしても、旦那様の意思は叶えたいと思っています。誰がなんと言おうとブランドルコートのいまを作ったのは、旦那様です」
「……そうだな、家督を含めた俺の遺産と事業財団の扱いはともかく」
「できるだけ、そうできるよう力を貸してくれませんか、ミスター・カーライル」
「家督も権限も然るべき者に正すべきだ。でなきゃ、反目しながらもブランドルと俺達のために動いてくれていた、あの人にも親父殿にも顔むけできない」
デイビッドとトマスが、弁護士のカーライル氏にそう言うのなら間違いはないだろう。二人の青年の言葉を支持する様子で、人々に滲んでいた不安がほっと薄れた。
「遺産分与に関して、最も重要人物であるお二人揃ってそう仰るのなら、さほど難しいことではないでしょう。手続きだけの問題に絞れますから」
もしかするとこの人が最もほっとしたかもしれない。
カーライル氏は銀縁の眼鏡を猫が顔を洗うような手つきで押し上げると、頷いた。やはり正そうにも好きにしていいと割り切れるような遺産の規模ではない。
「よろしくお願いします」
「頼む」
ブランドルの遺産に関し穏便に事が進みそうで、ソフィアもほっとして寄り添っているコンラートの顔を見上げた。彼も穏やかに微笑んでいた。
離れた椅子に掛けているレストラードも「どろ沼の悲劇にならないのが一番だ」と実に刑事らしい余計な一言をつぶやいていた。
「ロビン・ブランドルに関して怪しんでいたのは師匠が先でした。列車の中で彼女が声をかけた時からです」
遠く離れてアルビオンとは季節が逆になる、アウストラリスから着いたばかりの人として不自然な点を師コンラートは見逃さなかった。
季節事情の合わない髪や服装についてソフィアが説明すると、案の定レストラードが呆れ声を発した。
「あんた、最初から分かってたのか!?」
「そうじゃない。列車の時点では怪しい人物であること、ブランドルのような家に親族として向かうなら、詐欺かなにかかと思っただけだ。まだ僕も女性と思っていた」
コンラートの弁明に、そうだったのかとソフィアは思った。なにもかもすべて察していたわけではなかったのか。
「警部と駅で出会って非常に嫌な予感はしたけれどね。ブランドルに向かう馬車の中で事件を聞いて、先に仲間がいてトラブルを起こした線で最初は考えた」
ロバート殺害についてロビンにはアリバイがあった。事件が起きたのは火曜の夜で、ソフィア達と動いている列車の中で出会ったのは木曜日の午後。
レストラードの部下の調べで、首都のホテルに泊まった裏付けもあった。
「僕の中で可能性が浮上したのは、盗まれた自転車と鳥獣避けの魔法薬の話が出た時だ。その時にはフィフィの方がロビンへの疑惑が一歩先をいっていた。とはいえ状況証拠はデイビッドを示し、確証に欠けたから不本意ながら政府の力を借りた」
コンラートが電信を打った先は、エドワード殿下。かつて将校として軍属し、いまも治安維持と貧民対策を担う第三王子。
彼は過去にアウストラリスを視察し、植民地政府との繋がりもある。ソフィアが列車内で話した過去の出会いから依頼することを思いついたのだろう。
まさに政府顧問の大魔導師でなければできない裏取りであった。
「師匠は現地政府に照会したんです。ロビン・ブランドルの性別と出国記録を。アウストラリスとの定期航路は限られ、出生証明書はロビンの話に出ていましたから」
「こっちが必死に嗅ぎ回って調査してる時に、植民地政府へ照会なんて政府の賢者だからこそできる裏技だ」
レストラードがむっすり悔しそうに言って、苦虫を噛み潰した顔になる。
「照会の結果、ロビン・ブランドルは男性で、現地の冬よりも前に二度アルビオンに渡航していた」
一度目はブランドルを探ると同時にリチャードに扮したトマスに秘密裏に会うために。二度目は親族としてブランドル家に現れるために。そう、コンラートはロビンに対する調査結果を伝えた。
「一度目については想像でしかないが、遺言状の件から見ておそらくそうだろう。政府経費持ちを上手く使ったとでも警部は思ってくれればいいかと」
「で、検屍官のが一歩先ということは、もう犯人と目星をつけてたんですか?」
「師匠の言う通り確証はなかったです。でも遺体発見時、ロビンは冷静過ぎました。ジェシカさんを現場から遠ざけるため、きつい物言いをしたトマス様を批難した」
「……あの時か」
「あれは、さすがに淑女ぶりが行き過ぎです」
ソフィアに近い、窓寄りの長椅子のソファに、デイビッドと共にかけたトマスが顎先に手をやりながらつぶやき、彼女は頷いた。
「人にハンカチを決闘みたいに投げつけて、あれってそういうことだったの? 貴方って本当、生意気」
「お兄様は優しいけれど、分かりにくいのよ」
びっくりしたように尋ねて文句を言ったジェシカと、実の兄でないとわかっても変わらずトマスを庇ったアビゲイルに一度目を見開いて、それからふんっと彼はそっぽを向き、そんな彼にデイビッドも苦笑した。
「たしかに分かりにくいですよね。首都の事務員達にも書類の書き方や計算の仕方を忙しい社交の合間を縫って、それはもう熱心かつ辛辣に教えていたようですし」
「あいつらが出来無さすぎなんだ! お前が何度も何度も電話で根気よく聞いたり出向かなきゃならないなら、なんのための首都の事務所かわからないだろう!」
まったくと腕と足を組んで憤慨するトマスだが、年配の大人達からの好感をわずかばかり引き出しただけだった。
「意外にちゃんと事業のことも考えていたんだねえ」
「うるさい。無能や馬鹿と付き合いたくないだけだ……それで、あの人はどうやって殺されたんだ? 親父は? アビゲイルまでどうして」
グラットン医師の揶揄うような言葉に応え、ブランドルの工場と屋敷で起きた事件について言及したトマスに、室内に少しばかり緊張が走る。
「私、階段で黒い紙を拾おうとして、なにかに躓いて転んだの……あれもロビンの仕業だったの?」
「ええ、それにおそらくは無作為ではなく、アビゲイルさんを狙ったものだと思います。ロビンさんの脅迫の話をいつ聞いたんですか?」
「土曜日よ。屋敷中がバタバタしていたから、退屈でジェシカの部屋にロビンと集まってアウストラリスの話を聞いてる時に」
ジェシカが、デイビッドが工場ができる少し前、春先に出張に行ってたから怪しいと言った。葬儀や遺言の開示があるまでは忙しいから、その後にアビゲイルが尋ねる相談をした。リチャードの娘の自分なら尋ねたことに答えないわけにはいかないと。
「でも一人で行くのは怖いから、二人に階段の影から見張っててと言ったの。本当は下の廊下で呼び止めて聞くつもりだったの」
彼女達の部屋がある二階にデイビッドは用がない。しかし、一階の当主の執務室には葬儀の後処理で来るだろうと考えた。しかし、当主の寝室の前に彼がいたので声をかけたのだ。話を聞いてなるほどとソフィアは納得した。
アビゲイル転落時、ジェシカとロビンがデイビッドを目撃する構図が出来すぎていると思ったが、そういった理由だったのだ。
「僕は、ロビンから旦那様があの時、僕を呼んだのはなにか渡したいものが寝室にあったのではと聞いて……それに刑事が僕を疑ってもいると。遺言開示の後すぐ確認しに行った方がいいと」
「お前、それは完全に嵌められているじゃないか……」
「どうしてそれを我々に言わなかったんです?」
「それは、関係ないことだとっ」
それはそうだろう。ロバートを殺したのがロビンだなんて、誰も夢にも思っていないことだから。リチャードとデニスの入れ替わりを知らなければ、たとえ甥として現れていても嫡流ではない。遺言になにか書かれていなければ相続とは無関係だ。
まして女性で姪としていたのだから尚更だ。それも狙いの一つだった。
「とにかくアビゲイルさんが、狙われるべくして狙われたのは間違いなく、お二人の話で裏付けも取れました。その理由は後でお話するとして」
それにしてもロビンはソフィアがこれまで捜査した犯人とはまったく違う、普通殺人というのは非常に計画的か、衝動的かに分かれるものだ。
しかしロビンは計画的かつ即興性にも優れている。特に状況を利用する点にかけては天才的だ。それだけ過酷な生活をしていたのかもしれないし、単に悪事の天才なのかもしれない。もしかすると両方かもしれない。
「火曜の夜、ロビンは事前にロバートさんから話があるとでも言われていた。あの殺人には準備が必要です。ロビンが言った通り、彼の思いつきで理由をつけて、日時と場所を指定したのだと思います」
それなら数日前に工場長が聞いた“すべてを片付ける”と言ったロバートの言葉とも時期が合う。
「言われてみれば……それぐらいの頃に二人して飲みにきていたような……ロバートがなにか難しい顔して。いつものことで気に留めてもなかったですが」
「事件に興味津々だったくせに、肝心なことはさっぱり証言しとらんじゃないか!」
ノートン氏が思い出し思い出しつぶやいたのに、レストラードが呆れて言えば「そんなの知りませんよ」と彼は肩をすくめた。
「警部さんの聞き方が悪いんですよ。そんなことが関係あるかなんてこっちにはわかんないじゃないですか」
それはそうだ。言われて、レストラードは黙り込んで腕を組んだ。
ロビンが指定した新工場の監督室は、夜間は人の気がなく、来る途中で目撃されても工員を装えば特に気にされることもない。そして最も重要なのは、工場から町やブランドルへ帰る人の通り道と窓が面していること。
臨時雇いの人夫として工場の建設現場にいて、使用人や工員の雑用を時折小遣い稼ぎを装って請負い、屋敷にも近づいていた彼はブランドルの新工場と屋敷の出入口や人の動きを知り尽くしている。
「ロビンはロバートさんが来るより早い時間に、絨毯のない床に石炭の灰と水を混ぜたもので人の形の影を描いて、柱時計とその奥にある本棚との間に身を潜め待ち伏せた。出入口からは丁度死角になる位置です」
やってきたロバートは、床の灰に気がついてそこへ近づいて屈み込む。
そこへ隠れていたロビンが背後から近づき――。
「首の後ろと肩の間に、ストリキニーネを入れた注射針を刺したんです。そして頭から鳥獣除けの魔法薬を垂らした。これで皮膚が燃えない炎に頭を包まれ、もがき苦しむロバートさんは窓の外の人の気配に、助けを呼ぶために近づく」
「それを目撃したのか!」
工場長が声を上げ、デイビッドがあまりの手口に絶句する。
「ここからがロビンの巧妙なところです。彼は逃げるのではなく内鍵をかけて絶命したロバートさんを執務机の下のスペースに隠しました。ストリキニーネは急激な痙攣と麻痺を起こすのでおそらく舌を噛んだんです」
血痕がつけば元も子もなくなる。だから吸取り紙をロバートの口に突っ込んだ。
そうして、彼自身はまた死角に身を潜める。
「机の下に隠し、椅子で塞げば、多少魔法薬の火が残っていてもわかりませんから。これで人体発火と消失、密室の出来上がりです」
「なんてことだ……じゃああの時、犯人は……」
デイビッドのつぶやきに、ソフィアは彼を見て「そうです」と答える。
「同じ部屋の中にいたんですよ。犯人も、ロバートさんのご遺体も」
ソフィアの言葉に、居間にいる関係者達の間に戦慄が走った。




