第41話 影しかない男(22)
「もしかして……あんたはあの臨時雇いのっ!! ええっ! いまのいままで女性にしか見えちゃいなかったっ!」
宿の店主ノートン氏が、ソフィアの手にあるスカーフと、正体が露呈してソファから立ち上がったロビンを交互に見ながら仰天して叫ぶ。ジェシカやアビゲイル、ボイル夫人の悲鳴が重なった。突然豹変したロビンに対する恐怖の悲鳴であった。
それでもソフィアは臆せず、目の前の凶悪な殺人者の本性を見せたロビンと対峙する。
「あらためてリチャード・ブランドルの嫡子ロビン・ブランドルさん――どうしてこんなことを……」
「アハハハハッ! どうして? すっかりわかっているくせに笑わせる!」
動機への疑問を考え巡らせながらソフィアが言えば、ロビンは背をのけぞらせ、おかしくてたまらないと哄笑した。
「きちんと名乗り出て、正当な手続きを踏み、ブランドル家の当主になることもできたはずなのに――!」
苦痛を堪えるように声を張り上げたソフィアに、ブランドル家の関係者達がはっと気がついたようにロビンを見る。
「そうだ。正当な血筋の男子なら。デニス叔父は隠していてもこれだけ根拠が出揃った。知っている本人なら正すことはもっと容易にできる……貴様どうしてッ!」
これまでトマス・ブランドルとして、将来家督を継ぐ者として生きてきた青年の激昂の言葉に「決まってる」とロビンは言って、片手で結い上げていた髪をほぐして下ろし、なんでもないように束ね直しながら答えた。
「言っていただろう? こんな辛気臭い家や田舎に興味はないからさ。ご大層な名誉とやらと端金はくれてやってもいいってね。全員に報復してもいいところを、オレの金を取り返すだけでチャラにしてやろうなんて寛大だろ?」
「なにを……言っているんだ……!?」
リチャードに成り変わったデニスは己を捨て、命を削るように領主として尽くし、事業を盛り立ててきた。それを使用人のデイビッドとして側で見てきた青年も侮辱された怒りを露わに声を荒げる。
「まさに、盗人猛々しいとはよく言ったものだ」
コンラートが静かに、だが冷ややかな声音でつぶやく。
抱き合うジェシカとアビゲイル、ボイル夫人も一緒に恐れ慄き、エレノアとグラットン医師は互いに支え合いながら眉を顰め、到底理解できない理屈でいるロビンをじっと見る。
弁護士のカーライル氏、証人というだけでほとんど部外者といってもいい工場長やノートン氏も、レストラードや巡査と一緒にいるクック夫人も。
室内の人間全員から顰蹙を買ったロビンは、彼らを見回して「おいおいおい」とへらりと嫌な笑みを浮かべる。
あの淑やかで物静かな令嬢に見えていたロビンとは、別人の表情だった。
演技などといったものではなく、人格の邪悪な歪みを感じる。
人を騙し傷つけることに、露ほどの罪悪感も抱かないそんな歪みだ。
「父の愚かさにつけ込んで、最初に上手くやったのはデニスおじさんだろう? ぬくぬく生きてきたアンタらも同罪だ。ご丁寧に失踪届を出して死亡宣告まで……まっ、とっくに死んでたけどな。ハハッ、だが、双子の兄貴に対してよくやれたものだ! ええっ!? 違うか!?」
両腕を広げ、大演説でもするような饒舌さで高らかに語るロビンに、誰も、デニスがリチャードに成り変わっていたことを思い出し、気まずそうに目を逸らす。
たとえリチャード本人に脅され押し付けられたのかもしれなくても、ブランドルの名誉を守るためだったとしても、正直に事を正さなかったのはデニスも同じだ。
それが許されることではない罪だとわかる。
どこかで薄々察していた者はなおさら己を責めるように俯いた。それが罪悪感を抱ける人間の反応だとも言えた。
「オレは奪われたんだっ! すべて! 本来ならこの大層な屋敷で尊い嫡男として傅かれ、栄光の日々を送れたはずの人生を!」
聞くに耐えなかった。
ソフィアは部外者だ。なにも言うべきではない。これはただのソフィアの内面の問題だ。義憤ですらない。
「奪われたんだよっ!! 愚かな両親と、強欲な親族らに! よってたかって! そうだろっ! 違うというなら言ってみろっ!」
落胆も怒りも、自分の過去を重ねてロビンに感情移入し、ここへ連れてきてしまったソフィアが持つ資格はない。それでもソフィアは堪えきれなかった。
「違います!」
違うのだ。奪われるというのは。
もっと有無を言わさず、訳もわからず、一方的で理不尽なもの――。
「そんなの、全然、違う……奪われてなんかない、です。あなたには取り返す機会も、取り戻してもらおうとする人もいたじゃないですか」
「は……?」
ソフィアには認められない。認めるわけにはいかない。
「身勝手な論理で、自ら捨てただけですっ。そんなの全然奪われたんじゃない。奪われるっていうのは、もっと、どうにもできないもので!」
蹂躙者の前に、どれだけの命が無慈悲に奪われ、犠牲になっていったか。その中でソフィアは生き残った。
奪われた人々のささやかな好意によって、見て見ぬふりはできない人々のささやかな善意によって。それは弱くて小さくてすぐに忘れてしまいそうなほど儚いものだけれど、ソフィアをいまのソフィアとしてこの場に立たせている。
「だからッ……違うもん……っ!!」
「フィフィ」
ばさりと、目の前がきらきらとした白さに覆われる。
金銀の刺繍が施された、コンラートのたっぷりした白ローブの袖がソフィアを覆ったのだ。黒い邪悪な影から守るように。
「……ふッ、ぅぅ……ッ」
「興醒めだな……オレの正体に勘付いて問い詰めてきた、あの男と同じことを言いやがる」
「それはロバート・クック氏のことかい?」
感情の昂りで息が詰まってしまったソフィアを、落ち着かせるように抱きしめたままコンラートがロビンに尋ねた。普段の穏やかさなど微塵もない冷淡な声だった。
「もし彼がデニスから、デイビッドへの遺産について聞いたとしたら当然、君のことは話に上るはずだ。近づいてきた臨時雇いの探るような言動と容姿や雰囲気からロバートが君をロビンと察してもおかしくない」
あの工場機械の設計を見れば、非常に知的能力の高い人とわかるからねと、コンラートの言葉を「ああそうだな」とロビンは答えた。
「面倒なことになったが、だが、おかげでいい事を思いついた」
「それは自分の罪を着せ、デイビッドを絞首台へ送るということかい?」
「そうさ。赤の他人が当主となり、デニスの実子は罪人として処刑されるこんな滑稽なことはないだろう? 因果応報ってやつさ。すべては跡取りでもない奴が当主になったせいさ」
ブランドル家が潰れては困るが、ただ莫大な資産だけが欲しいロビンにとって、これはブランドルの誇りを踏み躙り、崩壊させる最高の復讐方法だったのだろう。
「領主として当主としてついてまわる名誉や責務は君には無用のもの。だから姪を装った。女性だと周囲に思わせるのは警戒されないためと、後継者候補と扱われるのを避けるため」
「言っただろう? こんな辛気臭い家や換金も出来ない田舎に興味はない……っ!」
不意を突くようにロビンは突然窓へと突進した。あっという間に掃き出し窓の外、ベランダは出て階段から逃げていく。
「逃がすなっ!」
レストラードも駆け出し、リディアについていた巡査もその後を追い、ピーッピーッと笛を鳴らす。
咄嗟に腕の中へソフィアを庇ってくれたコンラートのおかげもあり危険はなかった。
彼のローブの守りから出たソフィアは窓の外を見下ろす。庭中に警備の警官が配備されている中でロビンが追い立てられていた。
いかにロビンでも逃げ場はなかった。
「連行しろ」
レストラードが大声で指示するのが聞こえ、警官複数人の手で厳重に拘束されたロビンは、州警察へと連行されていった。
開いた掃き出し窓から「離せッ、糞ッ」とロビンが怒鳴り、警官と揉める声が聞こえていたがそれもやがて遠くなり、静かになった。
はあっと、息を吐いたソフィアに、青年二人が声をかける。
「貴様の仕事はこれで終わりか?」
「ロバート・クックに……父に、このブランドルになにが起きたのか、教えてください!」
「はい、今度こそきちんとご説明します」
振り返ったソフィアはもう一度呼吸を整えると、二人を見て頷いた。




