第40話 影しかない男(21)
【月曜日・午後:プレスト-弁護士事務所】
ブランドル家に戻る、三時間前。
ソフィア達はカーライル氏の弁護士事務所へ立ち寄った。
州警察で手紙に施された消印の滲み、手紙に書かれた代名詞に一文字書き足して、男性から女性を指す語に変更する細工、その鑑定を終えた後だった。
成分分析の応用だ。魔力は物質と反応する際、特定の波形を出すため、手紙のインクの古さや成分差異を検出できる。紙色が変わるほど年月を置いた手紙だからできた。近い年月で同じインクなら差異は出ない。
カーライル弁護士に情報開示させるためにもと思っていたが、そちらはレストラードがデイビッドの嫌疑からすでに動いてくれていた。
「お忙しいところ恐縮ですな、カーライル弁護士」
「警察への協力は惜しみません。とはいえ手短に願います……何故、あなた方が?」
約束なしに押しかけたレストラードに、予定の合間でと応対した弁護士のカーライル氏はソフィアとコンラートの姿を見て驚く。
「ロバート・クック殺害の捜査過程で、リチャード・ブランドルにおける重大な詐欺の嫌疑が出てきました」
「詐欺……それは一体、どういうことです!?」
「情報開示にご協力を。こちらは令状です」
レストラードが出した書面を受け取って、カーライル氏は銀縁の眼鏡をツルを掴んで掛け直した。
「実はデニス・ブランドルの出奔時に、リチャードとデニスが入れ替わった証言が取れた。遺体にある特徴も現在確認中です。ご存じではないでしょうね?」
「まさか、そんな馬鹿なこと!」
「なににしても、後の予定はキャンセルいただきたいですな。警察への協力は惜しまんのでしょう?」
レストラードの言葉に「秘書に指示してきます」とカーライル氏はデスクの席から立ち上がるとあたふたと書類やファイル棚の合間を抜けて、一旦、オフィスの執務室を出て行った。しばらくしてハンカチで額と眼鏡の曇りを拭いながら戻ってきた彼は、普段は依頼人が座るのだろうソファセットへと、ソフィア達を誘導した。
カーライル氏は自身のデスクの鍵付きの引き出しから、書類封筒を取り出しソフィア達の正面に腰を下ろした。
「その、サー・リチャードがデニス様とは……?」
「貴方は僕に仰いましたね。サー・リチャードには深い悔恨があると。それは若き日に問題児であった彼が、己の悪事をすべて双子の弟のデニスに押し付け、追い詰めたことではありませんか?」
コンラートの言葉に感嘆して息を呑み、カーライル氏は持ってきた書類封筒の中身をソファーのテーブルの上に広げた。
「すっかりお調べですか。左様です。醜聞を避けるための先々代当主様も見て見ぬふりを。対応したのは父の代で、領民や学友への暴力や、商店への未払い、女性問題と示談に奔走していました。私も法曹院から帰省の度に手伝いをさせられたものです」
「想像以上に札付きの悪童ですな」
「ええ、困ったことに本人に罪も反省の意識もなく……ブランドル家が地域に君臨していたのもあるでしょうが。ですが、それもデニス様が出奔時にしでかしたことに比べれば、若気の至りの範疇です」
プレストほどの街となるとさすがにブランドル家の威光も通用しない。この地方における行政都市である。ブランドル家が莫大な富を持ち、地域発展に貢献しようと、所詮は田舎の貴族でもない地主階級に過ぎない。
「数百ポンドと、紋章付きの指輪を屋敷から持ち出しただけではないと?」
それだけなら大したことじゃありませんと、カーライル氏は言った。
大金だが家が傾くはずもなく、印章指輪でもないと。
「プレストの貴族の家で使用人を手を出し、宝石を持ち出させて駆け落ち。普通なら示談では済まない不祥事です」
使用人はパーラー・メイドだったローズ・ブランドルだろう。
ロビンの母親が死の間際までブランドル家のことを打ち合けず、頼ろうとしなかった合点がいった。当時の恋人の指示でも窃盗の罪を働いて頼れるはずもない。
「それでもなんとか高額の示談金で、ブランドル家はことを収めました」
だが、先々代の当主は非常にショックを受けたらしい。
温厚で品行方正だったデニスが、手のつけられない跡取りのリチャードを上回る大それた罪を犯して姿を消したのだ。屋敷から持ち出した数百ポンドは工場の従業員の給与に用意していた、屋敷の金庫にあったもの。
「勝手な話ですな。散々兄の罪をなすりつけ知らぬ顔してたくせに……上流階級ってのは理解し難い」
「名誉への執着は相当なものですよ。ブランドルのような家は尚更」
本当はリチャードが出奔し、ブランドルに残った方は本当はデニスだったとしたらその後のことにも納得がいくと、カーライル氏は語った。
「弟のことで深く反省し悔い改めたにしても、サー・リチャードの人の変わりようはあまりに大きいものでしたから」
「具体的には? 不愉快な人物ではあったようだが?」
レストラードの質問に、いやいやとカーライル氏は首を横に振った。
「表面上は横暴で偉ぶりこそすれ、家の権威と畏怖を保つためのものです。あれだけの事業規模だ。手がけることは実に良心的かつ領民と家に尽くすものでしたよ」
権利関係で訴訟はあっても、素行不良はその後一切なかった。
まさに“人が変わった”、“心を入れ替えた”という言葉そのままであったらしい。
「特に先々代が亡くなり当主になられた後は、悲痛なまでの覚悟を決めた様子で領主と事業主の仕事に打ち込んでいました。まさに命を削るが如く……つまりそれも、デニス様の覚悟であったということですか。やりきれませんな」
ブランドルの名声を名実あるものにしたのは、いま人々が思い浮かべるリチャードだとカーライル氏は言った。
「何故今頃になって判明したんですか?」
「デニスと恋人関係だったリディア・クックが証言した。若き日に彼が怪我した傷跡が太腿にあり、証明にもなるはずだと」
「リチャード様にやられた傷です……領民を庇って突き飛ばされた先に折れた木の枝があって、当時は大騒ぎになりましたよ、医者がいませんでしたから」
十年前より主治医となっているグラットン医師のカルテにも記述があり、自宅で急死した際の検屍報告にも身体の特徴の古傷として記されている。
リディアの証言で、治療は現存するプレストの医院なのも分かっている。
「念の為、遺体を掘り起こし確認の運びですがね。治療したプレストの病院にも過去のカルテ提出を要請したところです、十中八九間違いないでしょう」
「三十年以上も顧問弁護士でいて、一つも気づかずにいたなんて……情けないっ」
眼鏡を手で押し上げて目を覆って嘆いたカーライル氏に、レストラードは質問を重ねた。
「この場合、ブランドル家の遺産はどうなるかね?」
「リチャードとして生きたデニスの功績が大きすぎて、はっきりとは言えませんが……」
一旦、現状の遺産分与手続きは停止、資産凍結の後に、然るべき分与手続きをあらためて行うことになるだろうとカーライル氏は話した。
「その事情なら、リチャード……いえデニス様ですか。彼があのような遺言と契約を指示したのも納得です」
「それは事業財団の管財人のことでしょうか。ミスター・カーライル?」
コンラートの問いかけに、カーライル氏は頷いた。
「管財人はロビン・ブランドル。その報酬はブランドル家の関係者と出資者他役員や株主への配当分を除いたすべて」
理事の立場に近く、直接財団資金には手をつける権利はない代わりに、報酬は終身で受け取れる権利なため、間違いなく国内屈指の資産家になるとのことだった。
「半年前に突然、デイビッドやトマス様への内容も含めて遺言を書き換え、財団設立を委託する契約をされました。おそらくは本来の後継者の血筋へ、ブランドルの名誉は傷つけずに資産を返すつもりだったのでしょう」
カーライル氏はそう言って、深く重いため息をついた。
◇◇◇◇◇
【月曜日・夕方:ブランドル家-居間】
床に広がる黒レースのドレスの裾が、夕方の光差し込む居間に悲劇的な色を添えていた。崩折れていたエレノアに「姉さん……」とグラットン医師が手を差し伸べて支え起こし、ソファに座らせる。
エレノアは支えてくれた、実弟の腕に寄りかかって震える。
「わ、わたくしは……一体、誰を夫としていたの……」
エレノアの背を医師的な動作で撫で、彼女を落ち着かせながら困ったような表情で「姉上は複雑なんだ」と、グラットン医師はつぶやいた。
「最初はリチャードに恋した。見目良き若者で外面も良かったからね。けど私への態度は最悪だった。正式に婚約したら姉上も蔑ろに」
当時それをフォローし、気遣っていたのがデニスだったらしい。
同じ顔で優しいデニスだが、リディアという恋人がいた。それに双子でも次男でやがて独立もする。デニスは義弟という身近でいて隔たりもある青年だったのだ。
「デニスが姉さんの夫になってくれたらと思ったものさ。そしたら恋人とじゃなく別の女性と突然失踪。一方、リチャードは結婚前に心を入れ変えたみたいになって……」
とはいえ、政略結婚相手に礼儀は尽くすといったもので、態度は変わらず横暴で偉そうではあったから、まったく気づかなかったとグラットン医師は言った。
「誰もがそうじゃないか? 若い頃は不良でも、きっかけもあってと大人になり立派な領主に成長したって。ロバートの死とも関係が? ミス・レイアリング?」
「はい、この最初の双子の入れ替わりが、そもそもの始まりです」
「最初……?」
グラットン医師の問いかけに、ソフィアは答え、現在のトマスとデイビッドの、リディアによる入れ替えを説明した。
「そんな馬鹿げてる!」
「こちらの方が立証が難しいです。生まれてすぐの話で、ブランドル夫人は産後の調子が悪く、赤子のトマス様をよく見ていません」
「わ、わたくし……デイビッドがどうしても可愛らしく思えて……婚約時に聞いたデニスの傷跡がリチャードにあるのも……こんな考え許されないと、いままでっ!」
若い頃の願望に囚われた、己がおかしいと思っていた。夫と息子に酷い裏切りを心の中でしていると罪悪感を抱き、ずっと押し黙って夫と息子を愛そうとしていた。
「間違いではなかったなんて……わたくしの……わたくしの人生は……!」
「……エレノア」
彼女の隣に座るボイル夫人が心の底から気の毒そうに、エレノア夫人の肩を抱く。
良くも悪くも直情的な人なのだ。
「ロバートさんが死ぬ前に工場長に漏らしたのはこのことだったんです。リディアさんが裏切ったのは夫ではなく、デニスでありブランドルだったと」
デニスは、おそらくはデイビッドの髪色が変わった時に察したのだろう。しかし、何故リディアがそんなことをしたのか問い詰めれば、自身がリチャードではなくデニスだということも露呈しかねない。
リディアはデニスが自分自身も捨てたと証言したから、入れ替わりを知っていた。
しかし町娘が背負うには大きな秘密だ。縁談も「余計なお世話だ」と突っぱねようと、表向きはブランドルの新領主リチャードによる、弟の仕打ちに対する気遣いの提案。拒否できるはずもない。だから彼を憎んだ。
「半年前にサー・リチャードの遺言状は書き換えられました。おそらくローズ・ブランドルが死の間際、残されるロビンを託した手紙をきっかけに」
「そういことか! ロバートの奴はきっと旦那様……いやデニス様からデイビッドの遺産についてきっと教えられた! もう自分も先が長くないと……」
工場長のつぶやきに、ソフィアは「おそらく」と頷いた。
「そしてこのことが、ロバートさんが殺されることになった理由です。彼はただ犯人にとって都合が悪いことを知ったというだけで、あんな姿になったんです」
「そんな……っ」
「なんだって!?」
それまでデイビッドとトマスだった青年が同時に声を上げる。
ソフィアは窓辺から、一歩、部屋の中心に向かって足を踏み出した。
「非常に邪悪で……蛇のように狡猾で執念深い計画性と、悪魔的な機転による即興性によって行われた犯罪です。もしかしたら、ロバートさんはなにも知らなくても同じ目にあったかもしれません」
最初にブランドル家に入り込む時から、接触されている。
周辺を探って、すぐ町の鼻つまみ者のロバートとリチャードとの確執は耳にしたはずだ。そして犯人はリチャードがリチャードではないと知っている。
「犯人にとってブランドルの名誉や領地などはどうでもよかった。ただ財産だけを奪い取り、己の脅威となる存在を排除し、崩壊させる対象でしかない」
断片的な情報からブランドル家とクック家の間にある秘密を察したことだろう。秘密はリチャードがデニスであるとことさえ分かれば比較的容易に紐解ける。
話しながら、一歩、また一歩と、ソフィアは部屋の中へと進んでいく。
「デニスはサー・リチャードとして、ブランドルの資産と名誉と次世代の繁栄を本来の後継者に返そうとした。リチャードの息子、ロビン・ブランドルに」
そうして中央から少し外れたソフアの前で、ぴたりとソフィアは足を止めた。
ロビンの正面で。
「な、なにを言っているのですか……レイアリングさん……」
「背が高くも低くもない、髪は茶色の帽子を被った臨時雇いの人夫……帽子は目の色をわかりにくくするため。髪色を薄くしたのは印象を誤魔化すために? 消毒液など使えば脱色できます。喉が弱いと常に首元を隠すのは、決定的な特徴を隠すため!」
そうして、ソフィアは腕を伸ばし、ロビンのスカーフを掴んで抜き取った。
「男性の喉仏を……っ!」
「ッ――!」
女性にしては低い声、喉に手を当てているロビンが表情を一変させてソフィアを睨みつけ、そして次の瞬間、ニッタリと実に邪悪な笑みに口元を歪ませた。




