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第27話 影しかない男(8)

 【金曜日・午前:ブランドル家-東居間(モーニングルーム)


 ブランドル家当主のリチャード・ブランドルは心臓がよくない。

 州警察の刑事と揉めて大きな発作を起こし、絶対安静で主治医がついている。


地主階級(ジェントリ)たって、正直、我が子爵家よりずっと大きな事業をやってる。信用第一なのに弟は出奔、先代は早死にじゃ、若い内から心労も絶えないさ」


 うねった金髪を襟足で短く束ね、耳の下まで伸びた前髪が顔の左側に揺れている、内科医のトリスタン・グラットンは言いながらお茶のカップを持ち上げた。

 ブランドル家の主治医は、リチャードの妻エレノア・ブランドルの実弟で、家のしがらみも薄い末弟の三男のためかやや軽薄そうな三十過ぎの紳士だった。


「領地民だけじゃない、従業員、取引先、投資先他、彼ら家族の生活まで背負うなんて、その重圧たるや私には到底、想像もつかんね。わかりたくもない」


 義兄の容態が落ち着くまでは屋敷に滞在し、エレノアと交代で様子を見ている。

 コットンの白いサックスーツに生成色のウェストコートと、気楽で涼しげな服装が田舎暮らしの医者といった感じだ。


「グラットン先生だって、リチャードおじさまのお世話になってる一人なのにひどい言い方。おじさまも高いお医者代だわ」


 糖蜜タルトを口に運ぶ、白ブラウスに赤いスカートの茶髪に鳶色(とびいろ)の目をした女性はジェシカ・ボイル。

 リチャードの従妹(いとこ)の娘で、二十五歳だという。

 彼女の話では、グラットン医師の開業資金はリチャードがほぼすべて賄い、診療所は彼の希望する街ではなくブランドルコートの町に用意された。


「おかげで病気も怪我も不眠症もなんでもござれ、この田舎唯一の名医になれたよ。しかし同じ穴のムジナのジェシカお嬢さんに言われたくはない」


 ジェシカの母親はボイル夫人。夫と死別し、ボイル家の家督は夫の従兄が継いだために居づらくなり、母娘でブランドル家に身を寄せている。

 つまりはリチャードの世話になっている者同士だ。


「嫌な言い方ね。居候の娘って言えばいいのよ」


 二人とも、ソフィアがはらはらする言葉を使うが意地悪さはなく明るい。その証拠にどちらともなく吹き出して、おかしそうに笑っている。兄妹のような仲の良さなのは見てとれた。


「おかしな人でしょう、ロビン。優雅なエレノア様の弟なんて信じられない」


 ソフィアとコンラートはブランドル家で一泊し、朝食後、執事の案内で庭園を眺められる大きな窓の部屋を訪れていた。陽の光が入る明るい部屋だ。

 ロビンと、ジェシカとグラットン医師がいて、お茶のテーブルを囲んでいたそこへソフィア達も入れてもらった。


「シュタウヘン卿、こんなお嬢さんですがいかがです? 明るく楽しい家庭になるのは保証しますよ」


 突然ジェシカをコンラートに推薦したグラットン医師に、ソフィアはびっくりして飲んでいたお茶でむせそうになった。

 コンラートは口元のカップをゆっくり降ろし、曖昧な微笑みでジェシカを見た。

 彼は窓を背にした席にいて、夏の庭を背景に一枚の絵のようだ。

 陽光にきらめく緑茂る庭は、終わりがけのバラが薄紅色の花弁を散らし、薄紫から濃紫のラベンダーの花が揺れている。オレンジやピンクのエキナセアの花や、鮮やかな黄色のルドベキアの花が夏の色を添えていた。


「ボイル嬢が、使用人一人も雇わず、書籍と研究に注ぎ込み、仕事以外は工房にこもる魔導師の夫でよければ」

「それは嫌だわ」

「フラれました」


 外を歩けば、道ゆくご婦人を振り返らせる、コンラートの年齢不詳な容貌も大魔導師の名誉も、ジェシカは価値を見出さないらしい。即答だった。

 肩をすくめてみせたコンラートに、おどけた仕草でグラットン医師は首を振る。


「君のお師匠様は、随分と偏屈な人のようだね。ミス・レイアリング」

「師匠は、いい師匠ですよ」

「魔術職ってのは変わり者だ」


 性格というよりは、高い報酬を体面や贅沢に使わず、書物や高価な魔術素材に使うあり方に対してのようだ。

 魔術職は貴族的だと言われるけれど、貴族の人から見るとそうでもないらしい。


「しかし、それにもまして偏屈なのはジェシカお嬢さんだ。貧乏貴族は嫌、田舎の開業医も嫌、元大陸貴族の麗しい大魔導師様も嫌ときた」

「自由になる経済力が第一よ。ロビンがリチャードおじさまの甥なら恋に落ちたかも。体面を気にして事業の要職につけるでしょうし、遺言でもたっぷり分けるわ」


 随分と身も蓋もない令嬢の言葉だ。けれど、ジェシカは新鮮な風が常に吹いているようなすっきりした雰囲気の人で好感が持てる。

 コンラートも彼らの会話に苦笑気味ではあるものの、悪印象は持ってなさそうだ。ロビンは、急に話の矛先が彼女に向いて慌てている。


「ええとっ、なんだか申し訳ないですね……あ、ご令息のトマス様は私と同じ二十三歳とお聞きしましたけれど」

「領主夫人は堅苦しくて嫌よ。それに二つ年下なのに生意気で」

「君は、我が国のご令嬢達の中で、かなり珍しい小鳥だよジェシカ」

 

 グラットン医師が言うには、社交界の令嬢達は皆、家督を継ぐ嫡子の令息を夫とすべく、熾烈な争奪戦を水面下で繰り広げているらしい。なんだか怖い。

 ロビンは今日も慎ましやかだ。少しくすんだ水色の、首の詰まったデイ・ドレスは、青灰色の瞳を持つ彼女によく似合っている。


「ミス・レイアリングは、どんな人が好みかな?」

「え?」 

「……なかなか切り込んだ質問をしたものだね、グラットン医師」

「師として押さえておくべきことだろう。保護者も同然だ」


 苦笑するコンラートに、ソフィアを助けるつもりはないらしい。

 どんな人なんて言われても困る。恋も知らないのに結婚なんて想像もできない。


「わからない、です」

「大魔導師様みたいな方と、四六時中一緒にいたらそうなるわよ。少なくとも顔も名誉も収入も揃ってはいるもの。使い途はどうかだけど。貴女、苦労しそうだわ」

「苦労……?」

「フィフィはその前に一人前の魔導師になるのが先かな」

「はい! そうです」


 勢いよく答えたソフィアに、「呆れた、魔術職って変わり者ね」とジェシカがお手上げといった仕草を見せる。

 名家の屋敷でずいぶんと気安いお茶会なのは、年配のご夫人達やリチャードの息子や娘がいないためもある。少々悪い言い方をすれば「よそ者のお茶会」だ。


「そういえば、工場の事件はどうなったのかしら」

「ヤードの警部殿は、朝から忙しく工員達に事情を聞いているようだよ。それにしても“彼”が気の毒だ。目の前で父親が焼け死ぬところを見て、しかも遺体もない」


 グラットン医師の言葉は、ブランドル家の中の標準的な認識だった。

 被害者とされるロバート・クックは工場事故でリチャードを逆恨みし、あまりいい感情は持たれていない。

 反対に事件を目撃した“彼”――ロバートの息子で、気難しいリチャードに献身的に仕える、秘書のデイビッド・クックに同情の比重が置かれている。


「どうかしら。ずっと仕事しているじゃない、あの人。父親が亡くなったのに……リチャードおじさまそっくりの冷血漢ね」

「場にいない人の悪口は感心しないよ、ジェシカ。辛くて仕事に打ち込む人もいる。あの親子は事情もあるしね」


 たしかにソフィアもコンラートも、デイビッドが被害者の息子とレストラードから聞いて少々驚いた。とてもそんな出来事があったように見えなかったからだ。

 しかし、彼が「親も工員だった」と言った時の、一瞬の翳りをソフィアは見た。

 きっと父親への複雑な感情からに違いない。


「それに義兄殿が倒れて、事業への責任感だってあるだろう」

「だからそれがおかしいじゃない。おじさまの息子のトマス様がいるのに。成り上がりの秘書のあの人が、リチャードおじさまの後継者みたい」

「ジェシカ」


 ジェシカをたしなめるあたり、グラットン医師はいい人のようだ。しかし彼女の言葉は、ソフィアも頷けるものがある。

 ブランドル家が大変な状況なのに、令息のトマス・ブランドルは姿も見えないし、彼をあてにするような話も聞かない。


「あの、ミスター・トマス・ブランドルはお屋敷にいないんですか?」

「彼は、首都の邸宅(タウン・ハウス)にいるんだ。祖母が男爵令嬢、母親が子爵令嬢だから、中央の社交界で義兄殿の代わりを務めてる。今日帰ってくるはずだよ」

「このあたりでは王様でも、首都ではリチャードおじさまも田舎成金だもの」

「ジェーシーカ! 困ったお嬢さんだ」


 ふんっ、とジェシカはグラットン医師からそっぽを向き、ロビンに顔を向けた。


「知ってる? 今日の夕食の席、デイビッドも呼ばれているの。ただの秘書がありえないわ。おじさまはロビンだけじゃなく、きっと彼にもなにかあげるつもりよ」

「ジェシカ、口が過ぎるよ。君の取り分がなくなるわけじゃない」

「手に職のある男の人は暢気でいいわねっ」


 腹立たしげにジェシカはそう言って、おろおろしているロビンにも構うことなく小さな焼菓子を一つ二つ三つと勢いよくつまんだ。

 そして急に黙って、喉を詰まらせたように「ん〜っ」と唸ってお茶を飲む。

 やれやれとグラットン医師は彼女を宥めた。


「怒りながら食べるからだよ。しかし君ほど悪役に向かないお嬢さんもいない。意地悪く怒ってもどこか滑稽で、いまひとつ締まらないんだから」

「いいことだと思いますよ」


 ふふっと、控えめにロビンが笑って言えば、すっと顔を斜めに上げた澄まし顔を作って、ジェシカは言った。


「そうでしょ。愛すべきジェシカ・ボイルなのよ」


 たしかにジェシカが側にいれば、明るく楽しい日々が送れそうだ。

 

「ああ、でも憂鬱だわ。リチャードおじさまが皆を集めるなんて。絶対不愉快なことになるもの。でも安静にならお流れかしら?」

「主治医としてはそうあってほしいね。体力も落ちてる。そういえば魔法薬は素晴らしい効能らしいが、既存の薬と併用できるものかい?」


 軽い口調だが、そこには医師としての興味が感じられる。尋ねられたのはコンラートだが、自分の研究分野でもあるためにソフィアはつい口を挟んだ。


「師匠が作った魔法薬はすごいですよ。でも、お尋ねのことなら薬の種類と人によります。師匠のは病気の人向けではないですね……」

「そうなのかい? 回復補助のポーションなんかは知っているが、医療用魔法薬は工房との伝手もないから、よく知らなくてね」

「僕のは傷の治りを早め、膿むのを防ぐ怪我人向けで。魔術協会の認可を受け、レシピ公開後の製造は魔術師が担うため手元にもないのですよ」


 魔導師は研究開発を主とし、魔術協会の認可を受けた魔法薬や魔導具を作るのは、技術者である魔術師の領分だ。

 認可は一般用から産業用、危険物など区分も色々、取り扱うための資格もある。


「あっても、この家の病人に適してはなさそうだ。他はどうだろう?」

「サー・リチャードのような容態なら、医師と体力維持など目的を定め、個別処方が一般的かな」

「聞くだに金がかかりそうだ」


 額に手を当てて天井を仰いだグラットン医師は、症状への癇癪がひどくてねと嘆く。彼の言葉を聞いて、そういうことならとコンラートが提案した。


「僕が容態を見て、流通薬を卸せる工房の紹介までなら。魔法薬は弟子の方が専門分野で詳しいですが、まだ見習いで出来ることは少ない」


 魔術は人に大きな影響を与える。見習い魔導師はしていいことに制限がある。

 薬も個人の研究目的の調合以外は、他者に提供していものの種類は限られた。

 業者の斡旋などもできないし、違反したら法的処分を受ける。

 

「そういうのって斡旋料とか取るんでしょう?」

「僕たちは飛び入りの客人だ。簡単な助言や紹介程度なら滞在費がわりとして」

「そりゃ、ありがたい! そろそろエレノアとも交代だ。大魔導師様の気が変わらないうちにさっそく!」


 立ち上がったグラットン医師は、ソフィアに「お師匠様を借りるよ」と言い、彼女がぽかんとしている間にコンラートの腕を取って部屋を出ていってしまった。


「まったく、グラットン先生ったら強引ね。私たちも行きましょうか。これからロビンに外を案内するの、貴女も一緒にくる? この屋敷の庭はなかなかなのよ」


 ジェシカに誘われてソフィアは少し考え、レストラードのところに行くからと断った。ロビンと違い、ソフィアは飛び入りの客でしかない。表向きレストラードの捜査協力に応じたコンラートの弟子として滞在している。


「師匠の役にも立ちますし」

「内弟子ちゃんは健気ね。じゃあまた夕食でね。大魔導師様とそのお連れだもの、今夜はくるでしょ」

「はい、おそらく」


 昨晩は、列車と工場と二つの現場を調査をして、魔法薬もある荷物の管理もあった。歓待を受ける雰囲気でもなく、コンラートが失礼にならないよう辞退した。

 ジェシカは裏表がない性格で親切な人のようだ。

 怯えていたロビンも、いまはそれほど緊張していない様子で少しほっとした。

 いまのところブランドル家の人々は、ロビンを()()()()()()()として受け入れているように見える。

 ソフィアは二人と分かれて、工場へと一人向かった。

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