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第23話 影しかない男(4)

「お二人には、食堂車で私から話しかけました。大魔導師様が列車停止の原因を説明するのを耳にして……声をかけずにはいられなかったんです」


 ロビンは生い立ちとブランドル家へ向かうに至った経緯、ソフィアとコンラートに付き添いを依頼した理由をレストラードに話し始めた。


「私は、母とアウストラリアで暮らしていました。父の顔は知りません。母と生まれたばかりの私を捨て、鉱山事故で亡くなったと聞いています」

「その父親がブランドル家の者だったと?」

「ええ、警部さんの仰る通り。父はブランドル家を出奔した、現当主様の弟です」

「ということは……貴女はブランドル家当主の姪!?」

「そうなりますね」


 驚くレストラードに対しどこか他人事のようにロビンは応じて、窓へ目を向けた。ソフィアもつられたように、ロビンの視線を追って外の景色を見る。

 馬車はがたごとよく揺れていた田舎道を抜けて、川と湖が見える林道から緩やかな勾配を見せて広がる緑地に出るところだった。

 絵画的な風景。丘陵地の高低差を計算し整えられた景観。すべては訪れた者の目を楽しませるためのものだ。

 いつの間にかブランドル家の敷地(アプローチ)に入っていた。そう時間もかからず屋敷に到着するに違いない。


「正直、いまも半信半疑です。幼い頃から母とぶどう農園で働いて暮らしていた私が、大帝国アルビオンの大地主の血筋だなんて……」


 窓の外から再び膝の上にロビンは目を落とし、ハンドバッグから出していた三通の手紙をレストラードに渡した。

 年月で紙が黄ばみ、インクの色も褪せたものが二通と、そうでないものが一通。


「拝見しても?」

「ええ」


 ソフィアとコンラートも見せてもらった手紙は、ロビンの母親が生前にブランドル家の現当主、リチャード・ブランドルと連絡をとっていた手紙だ。

 ロビンの父親は、リチャードの弟デニス・ブランドル。

 若き日の彼は、隣街の女性と駆け落ちした。

 隣街とは特急列車で次の駅。レストラードが事前に立ち寄った、州警察庁舎のあるプレストという街である。

 

「父はひどい放蕩息子だったようで、数百ポンドものお金を家から持ち出し、母とアウストラリアへ渡りました。世界中から人が集まる金鉱脈の町へ……そして二年も経たずに亡くなった」


 そうとは知らずにデニスの父、つまりロビンの祖父であるブランドル家の先代当主は死の間際まで、失踪した息子を探していたらしい。


「アウストラリアじゃ見つかるはずもない。母親はデニスの死や亡骸の場所をブランドル家に知らせなかったのですか?」

「ええ。母は駆け落ちした手前、知らせるのが怖かったと言っていました」


 手紙には、デニス・ブランドルが死亡した翌年に先代当主が亡くなったことや、後を継いだ現当主リチャードがデニスの失踪届を出し、七年経って死亡宣告されていることが綴られていた。

 本人はとっくに亡くなっているから、死亡宣告されても問題はない

 ロビンの母親は、デニスが祖国でも死者となっていたと知り、胸のつかえが下りたと話したという。


「勝手だと思いました。でも母が負い目を感じていたのは本当で、頼ることは一度もなかったと思います。私がこの手紙を母から渡されて、ブランドル家の話を聞いたのも昏睡状態になり亡くなる前日でした」


 ロビンの母親は、デニスが出奔の際に大金と共に持ち出した指輪のことを手紙に書き、結婚証明書やロビンの出生証明書もブランドル家に送っていた。


「その指輪というのは?」

「これです。紋章らしきものが石の台座に彫られていて、大事なものだと思います」


 ロビンはピルケースをハンドバッグから取り出し、中にしまってある指輪をレストラードに見せた。彼女の話通りに、男性の小指にはめる金の指輪は石を置く台座の部分に紋章が刻まれ、見事なエメラルドが嵌め込まれている。


「こりゃ大層なもんだ」

「すみません……きちんとした宝石ケースなんて持ってないものですから。母の話ではアウストラリアに渡る時に貰ったもので、父に捨てられた当時贅沢品は全部売ってお金に換えても、この指輪だけは残したと」


 印章指輪でなくとも、一族の人間に渡すものと明らかにわかる指輪だから、万一のために取っておいたのかもしれない。そのことに気が付かないレストラードではないが、紋章入りだから居場所を突き止められるのを恐れたのかもと話すロビンに、相槌を打つ程度で言及しなかった。

 ブランドル家に着いて、彼女がこの指輪をどう使うかを見るためだろう。


「……ブランドル家も調べたらしく、事実と確認した旨が二通目に。母が生きている間に届いたものです。支援について書かれていますが母は断ったと言っていました」

「この三通目は? 最近届いた手紙のようだが」

「私が母の死を知らせたことへの返事です。生前のやりとりを聞いたら、知らせないわけにはと思い」

「当然ですな」

「そしたら、一度ブランドル家に来るようにと。蒸気船の乗船券と旅費五〇ポンドの為替が届いたんです」

「……移動の間に、それなりの礼儀作法を身につけてこいとはまた」

「あちらからすれば、私は植民地の農家の娘ですから」


 手紙に目を通しながら、レストラードがその文面に呆れてつぶやく。

 ソフィアとコンラートも彼と同様の感想を抱いた箇所だが、ロビンは当然だろうと特に気にしていない様子だった。


「母はこちらにいた頃、貴族のお屋敷でパーラーメイドとして働いていて、最低限の作法は教えられました。父との出会いも応対がきっかけだったみたいです。母はローズという名に相応しく、美しい金髪と青い瞳の美人だったので……」


 パーラーメイドは客の取次などを担当する。従僕(フットマン)同様、容姿端麗な者を採用する家が多い。資産家の放蕩息子がいかにも逃避行の供にしそうだ。

 それでロビンが生まれているのだから、ブランドル家からすれば明るみになれば大醜聞である。ロビンも分かっているのだろう。言葉を濁した打ち明け話に、レストラードも「そうですか」と相槌を打つわけにもいかず口の端を歪ませていた。

 ロビンの元に送られてきた蒸気船の乗船券は、ブランドルの名を気にしてか一等船室。おまけに十分な旅費もある。


「なんて言えばいいか、やはり身内に会ってみたい気持ちと、亡くなった母や父の過去を謝罪し精算もしたく……ご厚意に甘え感謝の返事を送って、こうして向かっています。ただ……」


 ロビンは指輪を入れたピルケースをハンドバッグに戻し、もう一通、封筒を取り出した。ひどくシワの跡がついてくたびれており、一度捨てようとしたとわかる。


「アウストラリアを出る数日前に、これが届いたんです」


 レストラードが封筒の口を開けば、人型に切った黒い紙が出てきた。

 冬に降誕祭の飾りで見る、人型クッキーのような単純で愛嬌のある形だが、黒い紙がなにか不吉で人を嫌な気持ちさせる。

 それこそがロビンを怯えさせ、彼女がソフィア達にブランドル家への同行を依頼した理由であった。


「カードが入ってる……“影は常に共にある”。タイプライターの文字、封筒に透かしや差出人はなし……消印はロンデウム」


 刑事らしく証拠品を扱う手つきと眼差しで、シワのついた手紙を検分しながらレストラードが言い、ロビンだけでなくソフィアとコンラートも頷いた。


「これが届いてから、次々と奇妙なことが身の回りで起きるようにっ」


 両手で口元を覆ってロビンはうつむき、大きくため息をつく。

 彼女が話した「奇妙なこと」は、これといった実害はないものの、人を怯えさせるには十分だった。

 買物から戻ると、玄関ドアの隙間に黒い紙人形が挟まっていた。家に入れば部屋の物の位置が微妙に違う。しかし盗まれたものはない。


「気味が悪くて捨ててしまいたかったのですが、念の為とっておきました」

「賢明な判断です。カードの文字からタイプライターが割り出せるかもしれん。それで?」


 夜休もうとベッドの灯りをつければカーテンに黒い人影が映り、農園に挨拶に行けばぶどうの木の合間から人影が見え、正体を掴もうとしても誰もいない。


「もうあたし怖くて。逃げるように支度をして船に乗り込みました。なのにっ……旅行鞄だけでなく、船室の隅やチェストの中からも黒い紙人形が……全部こちらに入れてあります」


 普段の口調混じりに怯えながら、ロビンはさらに別の封筒を震える指先でつまんでバッグから出した。受け取ったレストラードが封筒の中をのぞき絶句する。

 ソフィア達も、封筒の中身を見てその執拗さに戦慄した。

 封筒の中から、食堂車の白いクロス掛けのテーブルに並べられた黒い紙人形は、大小合わせて二十枚近くもあったのだから。

 

「逃げ場のない船の中で気が狂いそうでした。船員の方に訴え、船長の配慮で部屋を替えてもらっておさまりましたが、すっかり神経が参ってしまって」

「そりゃそうでしょう。ここまでくれば立派な脅迫だ。心当たりは?」


 膝の上に落とした夥しい数の黒い紙人形を、気味悪そうに寄せ集めて封筒に戻してレストラードが、ロビンに食堂車でコンラートがした質問を繰り返す。


「まったく。そもそもこちらに知り合いもいません。ブランドル家の方とは顔を合わせたこともなく、心当たりなんてありませんっ」


 女性としてはやや低い声を張って、ロビンは首を振る。

 ブランドル家に向かう馬車の中、窓の外の美しい風景を誰も眺めてはいなかった。

 ロビンの話とソフィアの話が繋がったレストラードが、コンラートの顔を見る。


「列車の進行妨害も黒い人影。それを調べた大魔導師殿と検屍官を、ミス・ブランドルが頼ったわけですか」

「関係するかはわからない。けれど奇妙な一致ではある。封筒の中の“それ”も、善意の警告ではなさそうだ」

「それで付き添って欲しい、彼女の依頼に応じることにしたんです」


 コンラートとソフィアが順番に、ロビンに同行する理由をレストラードに述べた。

 なるほどと納得しながらレストラードは手紙をロビンに返し、彼女を気の毒そうに見る。


「しかし……人影とは。大魔導師殿の言葉通り奇妙な一致です」

「なにか? 警部」

「ブランドル家の事件ですがね。火曜の夜に、工場の一室で人が燃えるのを複数人が目撃した。州警察の刑事が言うには、死んだのは確実だが部屋に焼死体はなく、床に人の形の焦げ跡が残っていたと」


 まるで黒い人影のような――。


「影……」


 レストラードの言葉に、ソフィアはつぶやいた。


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