第22話 影しかない男(3)
【木曜日・午後:ブランドルコート駅】
不穏な偶然の重なりだ。
簡素な駅舎を出て、ソフィアは駅の看板を背にして立ち、胸の内でひとりごちた。
そして不穏な予感を抱くのは、ソフィアだけでもなさそうだった。
「僕たちは、“完全なる休暇”でね。レストラード警部」
隣に立つコンラートの声に、ソフィアは榛色の瞳を右に動かす。
関わらないと表明するような牽制の響きだった。
ソフィア達が途中下車した駅はブランドルコート――特急停車駅なのが不思議なくらい小さな駅である。
「私だって、週末は非番で家内と庭仕事の予定ですよ。それまでに帰れたらですが、大魔導師殿」
応じる四十絡みのベテラン警部の皮肉の声に、今度は瞳を左へソフィアは動かす。
休日に奥さんと庭仕事。想像できない姿だ。
ソフィアは足元へと視線を下ろした。
舗装もなく乾いた土の地面……やはり特急停車駅には思えない。
住人か、知り合いがいるか、もしくは商用でもなければ、大半の人間は一生降り立つこともない駅で田舎町といった雰囲気だった。
「何故、お二人がこんなところに?」
「首都警察の敏腕警部が、管轄外の地方駅にいる方が不思議では?」
いま、駅前の広場は賑やかと言えるかもしれない。
ソフィアの右に、黒衣に白ローブを羽織った大魔導師コンラート。
同じく左に、頭頂部が丸いボーラーハットにダークスーツのレストラード警部。
少なくとも、この地に縁のない者がソフィアを含めて三人もいる。
「昨夕、州警察から応援要請がありましてね。上役のパブリックスクールの同期だかなんだか知らんが、安請け合いした挙句に“お前向けだ”の一言で最終列車です」
「それは気の毒に」
迷惑そうに黒い目を細めたレストラードに、紫の瞳をした目を軽く伏せてコンラートは同情の意を示す。
「一駅先の州警察のある駅に夜遅く着いて一泊し、話を聞いてからここへ。そちらは?」
「旅行途中に招待されてね」
「誰に? どうしてまた?」
「あのっ!」
コンラートを尋問するレストラードを遮るように、ソフィアは声を張り上げた。
ソフィアを見下ろした二人を顔を上向けて睨む。
人の頭越しに話すのはやめてほしい。
小柄な体でちょこんと男達の間に立っていた彼女は、右腕を突き出すように伸ばし、前方を手で差し示した。
少し離れた場所に、馬車が一台だけ停まっている。お仕着せのスーツを着た御者が控える、四頭建ての立派な馬車だ。
馬車の側で背の高い女性――ロビン・ブランドルが心配そうにソフィア達の様子をうかがっている。
「さっきから、ずっと待ってくれています」
ソフィアの言葉に、コンラートとレストラードは彼女の頭越しに目配せし合う。
馬車が待っているのは、ロビンに付き添うソフィアとコンラートだけではなかった。四頭建ての馬車は出迎えの意と共に、ブランドル家の威を示す意図も感じる。
「……お互い不可抗力ってやつですかね」
「そのようだ」
「えっ? え?」
急に同調しはじめた左右の二人を、ソフィアは顔を上向けたまま交互に見る。
そんな彼女が左手に持っていた旅行鞄を、コンラートがすいっと取り上げた。
「そうだね、フィフィの言う通り」
「待たせるのはよくないですな。ご婦人も、ご遺体も――」
レストラードが歩きだす。
ブランドルコートという駅に、大半の人間は一生降り立つ用はないだろう。
しかし、そこには地域の雇用を支える大工場があり、事業に出資する名家ブランドル一族の屋敷がある。
◇◇◇◇◇
「ブランドル家の工場で人が亡くなっただなんて、そんな……」
「その様子では、やはり事件の知らせを受けて駆けつけたわけではないようですな」
ロビンの反応を見て、彼女の隣に腰掛けるレストラードがつぶやく。
四人乗りの馬車の中、御者台を背にしてロビンとレストラードは座っていた。
ソフィアとコンラートは進行方向へ顔が向く側に。ロビンに招かれた客の位置だ。
挨拶と自己紹介もそこそこに、州警察の要請でレストラードが首都から地方へ派遣された理由を話したところであった。
「まあ格好からして、そうではなさそうですが」
レストラードはロビンの装いを見てつぶやく。
流行りの型の柔らかい紫色のドレスと帽子は、弔問の格好ではない。
「一体……どなたが亡くなったんですか?」
「州警察の刑事の話では、ロバート・クックという元工員だそうです。本当に亡くなったかはなんともですが」
「それは、どういうことでしょうか?」
レストラードの濁すような言い回しが気にかかったらしい。
ロビンが尋ね、彼は渋面を見せてため息をついた。
「実は、州警察で聞いた話がさっぱり要領を得ない。遺体はないが遺体の跡はある、亡くなる瞬間を見た者も複数人いて、死人がいるのは確実と……」
「どういった状況かな、警部」
コンラートの質問に、レストラードはさらに顔を顰めて「どうもこうも」と面倒そうに答える。
「直接見ても、目撃者から聞いてもないのになんとも言えませんな。自殺か他殺かもわからない、奇怪な事件ではあるようですが」
「担当刑事と一緒ではなく、警部一人なのもそのため?」
ソフィアの言葉に「まったく無責任な話です」と、レストラードは憤慨しだした。
要請を受けてここまで出向いたレストラードに対し、州警察の対応がひどかったのは彼の話しで十分察せられた。
「手に負えないから呼んだ。地域の巡査は好きにしていいから任せる、と」
「丸投げですね」
「他人事のように仰いますがね、“ヤードきっての怪奇専門の警部なら”と言われましたよ、検視官」
腕組みして窓の外へとそっぽを向くレストラードに、ソフィアはコンラートのローブの袖を小さく引っ張った。
「警部がなにか拗ねてる……」
「フィフィの指名もあって、何度も事件を解決しているからね」
ソフィアは大半の事件をレストラードと解決している。
魔術が関係するものもそうでないものもあるが、大抵は怪事件として新聞で報じられることが多い。直近であれば、“裏通りの黒魔術事件”といった具合に。
「“専門”と内部で認識されるに申し分のない実績だ」
「……でも、警部は一番まともに話を聞いてくれる人だから」
「怪事件はフィフィのせいじゃない。警部だってわかっているよ」
ひそひそとソフィアがコンラートが囁き合っていると、はーっとなにか諦めたように深く長いため息をレストラードは吐き出した。
「いいですよ。検屍官が解決した事件はヤードの手柄だ。おまけに政府から手当も出て家内も喜ぶ。いいことづくめです」
「実際に犯人を検挙しているのは警部達だ。手柄は正当な取り分だよ」
ソフィアもうんうんと頷いた。コンラートの言う通り、実際に犯人を捕まえるのはレストラードだ。
それに経歴を偽り、正体を隠している以上、あまり表に出たくない。
「と、失礼。話が脇道にそれましたな、ミス・ブランドル」
軽く咳払いをして、レストラードは再びロビンに話しかけた。
彼女を見る黒い目は、抜け目のない刑事の眼差しである。
事件が起きてすぐ、ブランドルの屋敷に向かうロビンに不審を抱いている。
ソフィアも警部の立場なら仕方ないとは思うが、列車の中でもコンラートに警戒された彼女が不憫だ。
「事件を知らないなら、貴女は何故ブランドルの屋敷へ? ブランドルの一員のようだが、州警察の資料に貴女の名前はなかった」
ロビンの依頼で付き添っている、ソフィアとコンラートは事情を知っているが、本人に無断でレストラードに説明するのはためらわれる。
事は少々複雑で慎重を要する。
「それは……生まれた時から外国にいて、この国に着いたのは二日前ですから」
「外国?」
「ブランドル家のお屋敷を訪ねるのも初めてです。母が亡くなる直前までアルビオンに親類がいることすら知らず……それも大地主の大変なお金持ちだなんて」
ロビンはうつむき、膝に乗せたハンドバッグの上でレースの手袋の指を組み合わせる。レストラードはふむと小さく唸ると、胡乱気にソフィアとコンラートを見た。
「それでこの二人と一緒とは。事情がおありのようですな」
「お二人には、私が無理を言ってお願いしました。怖くて……」
「怖い? どういうことです?」
肩を震わせ、ロビンは表情を曇らせた。
被っている帽子のせいで余計に翳りが深く見える。
しかし、レストラードは質問を止めるつもりはないらしい。
職務熱心な人だけれど、本当に彼女が気の毒だ。
ソフィアが彼を止めようと考えた時、「警部」とコンラートが声をかけた。
「初対面、刑事というだけでも緊張するはず。親族の家で起きた災難を聞かされ、動揺する女性に、そう矢継ぎ早に質問を重ねるのは気の毒だ」
「生憎、それが商売です。大魔導師殿のように常に紳士的とはいかん。代わりに説明いただけるのなら止しますよ」
コンラートがロビンへと目を向ければ、彼女は小さく頷いた。
事情を話しても構わない合図だった。
「僕らが乗っていた列車が止まったことは、警部の耳に?」
「州警察の庁舎にいましたからね、聞いてますよ。昼過ぎに駅舎から入電があった。刑事も向かってる。線路妨害なんて悪質が過ぎますからな」
「であれば話は早い。列車は黒い人影によって停車した」
「黒い人影?」
フィフィ説明をと、師の指示にソフィアは頷く。
レストラードに、霧に映った黒い人影の怪の話を手短かに話す。
食堂車で囲まれた時、コンラートが人々にした簡潔な説明に加えて、霧に映る人影が生み出された仕組みについても解説をする。
「なるほど、それで影……脱線事故などにならずなによりでしたな。それとミス・ブランドルにどんな関係が?」
レストラードが訝しむ声に、「そこからは私が……」とロビンが低く少し掠れた声音でつぶやくと、ハンドバックから三通の手紙を取り出した。




