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第21話 影しかない男(2)

「人影を()いた、とは。どういうことです?」


 線路脇から車掌が尋ねる。

 霧が立ち込める中、真正面から列車を見上げたままコンラートが答えた。


「仕組みは影絵に似たものかな。自然現象としては少々珍しい。犯人もそこまで意図してはいなかっただろうね。フィフィ、手のものを使って説明できるかい?」


 ソフィアを見た彼に「はい」と答え、手にしていた木片を車掌に見せた。

 太さは、大人の人差し指くらい。

 細い木材が折れたような木片は、運転士が見た人影の残骸だった。


「これが、人影を作ったものです」

「人影を作った?」

「はい。細い木材で作った枠に、人の形に切った黒い紙を貼ったものだと思います。それを線路に置いたか投げ込んだ」

「なんですと!?」


 ソフィアは、標識灯の光の帯の中へ木片を入れる。


「この霧です。列車が近づいて、人影が突然現れたと見えても仕方ありません」

「けしからん悪戯だっ! 一歩間違えれば大事故になる犯罪ですっ!」


 車掌が怒るのはもっともだった。

 列車を止めるだけでも問題だが、脱線など起こせば大惨事になる。

 法的にも線路に物を置くのは犯罪である。

 けれど、ソフィアとコンラートに求められているのは、その追及ではない。


「ブレーキをかけても列車はすぐには止まりません。衝突の寸前、速度を落とした列車の標識灯の光と紙人形が並び、その影が立ち込めた霧の層に大写しになった」


 こんなふうにと、ソフィアは木片を持っていない手を光の帯に差し込む。

 霧でやや拡散した光に照らされる木片の影が、(おぼろ)に広がってソフィアの手のひらに映った。


「衝突後、紙人形は木枠ごとバラバラに。“なにかとぶつかった”のはこのためです。この霧の中、ブレーキをかけられるほど手前で気がつくなんて。運転士さんはかなり注意深くて目がいい方ですね!」

「私共の運転士は優秀ですので……しかしそんなことが起きていたとは」


 ソフィアが運転士を誉めれば、怯えていた彼に呆れていた車掌は取り繕うようにつぶやいて額を撫でさする。


「じゃあ、俺が見たのは化け物じゃない……」

「霧が濃すぎず薄すぎず、光の強さや位置などの条件。天候による薄暗さも重なり生じた現象を、運転台にいた貴方は目撃した。化け物でもなんでもないよ」

「よかった。呪われるのじゃないかと」


 コンラートの言葉に、運転士が深く安堵の息をつく。

 列車を止めた黒い影はこれで解決した。だが悪戯にしても悪質だ。

 ソフィアと同様の思いをコンラートも抱いたようで、彼は車掌に忠告した。


「悪質な妨害行為だ。鉄道警察だけでなく州警察にも届けるのがいいだろうね」

「そうします。さすがは政府顧問を務める賢者と名高い方だ。お弟子さんも、ありがとうございます!」


 コンラートとソフィアに何度もぺこぺこと頭を下げて車掌は感謝を示すと、気を取り直したように胸を張り、再出発へ向けた作業指示を出す。

 ソフィア達も彼等のコンパートメントのある車両へと戻った。

 

「失礼、お嬢さん」


 車両に戻ってすぐ、通路の入口でブルーの作業着の肩がぶつかりソフィアはよろけた。コンラートが手を添えて支えてくれたおかげで、通路の窓に衝突せずに済んだ。


「ありがとう、師匠」

「狭いからね。気をつけて」


 一等車両に作業服の人も出入りしたりするのだなと思った、ソフィアの疑問はすぐ解消した。

 車両端のコンパートメントのドアをノックし、車輪の点検で水漏れが見つかり客席に支障ないか確認に来たと、乗客に告げる声が聞こえたからだ。

 作業員は大きな工具鞄を持っていた。


「水漏れなんてあるんですね」

「食堂車もあるからね。昼食をとりに行こうか。宣伝によるとなかなか美味しいらしいよ」


 コンラートの言葉を聞いて、ソフィアは榛色(ヘーゼル)の瞳を輝かせ、満面の笑みで頷いた。



 ◇◇◇◇◇



 食堂車は、急停止した列車の話で持ちきりだった。

 すでにコンラートのことも、車掌の依頼で原因を調査したことも広まっていて、テーブルに着いた途端にわらわらと寄ってきた乗客達から質問攻めにあった。


「窓の外から、僕たちが車掌と列車を調べているのを見ていたんだろう」


 コンラートは慣れたもので、簡潔に線路妨害について説明し、じきに列車も動くと伝えた。説明を聞いた乗客達は車掌と同じく憤り、あるいはなんてことをと慄いた。

 皆一様に列車が停まった以上の実害はなかった幸運に安堵し、やがて各々の席や車両に戻っていった。


「説明もなく待つのは不安が募るものだ。原因は注意喚起も兼ねて公表されるだろうから、隠すことでもないしね」


 そう言って、コンラートはソフィアに軽く微笑んだ。

 日頃、魔術学校で群がる学生達からの質問に対応しているだけはある。

 乗客達が引いていくのに、ものの十分もかからなかったと思う。


「夫婦や家族連れのような人が多いですね」

「夏の休暇期間だからね。僕たちみたいな旅行客が多そうだ。フィフィ、魚と肉どちらにする? 魚は川鱒(カワマス)のムニエルで、肉は仔羊のソテーだって」

「魚がいい!」


 テーブルに注文を取りにきた給仕から、メニューを聞いて尋ねたコンラートにソフィアは答える。

 注文を終えるたとほぼ同時に、コンラートの言葉通りに列車が動き出した。

 食堂車は楽しげな雰囲気に包まれる。

 だからだろうか、隅のテーブルに一人物憂げな様子で着いた女性に、ふとソフィアは目を引きつけられた。

 しかし、最初のスープの皿を持ってきた、にこやかな給仕係に気がそれた。


「当列車自慢のコンソメ・スープです」


 きらきら輝く澄んだ味わいのスープに、一瞬気になった女性客のことも、悪質な線路妨害の悪戯のこともすっかり忘れて、ソフィアは昼食を楽しんだ。



 ◇◇◇◇◇



「あの……すみません。少しお話し、よろしいでしょうか?」


 食後のお茶に差し掛かった頃。

 ソフィア達のテーブルに近づき、遠慮がちに話しかけてきた女性はロビン・ブランドルと名乗った。食事前に見かけた、一人物憂げな様子でいた女性だ。

 青灰色の瞳が印象的で、慎ましやかな首の詰まったレース襟の柔らかい紫(ライラック)色をしたドレスがよく似合っている。

 薄茶色の髪を編み込み、レースに覆われた手にハンドバッグを持っていた。

 すらりと背が高く、淑やかでいてどこか中性的な魅力がある。

 

「どうぞ、よければこちらの席に。僕は……」

「新聞で見て存じ上げてます。他の乗客の方々も噂されていましたし。大魔導師コンラート・フォン・シュタウヘン卿」

「ええ。しかし、卿でもなければ、フォンもないですよ。たしかに元侯爵家の者ですが、法的に家から独立もし、アルビオンに帰化した平民です」


 そう畏まらずと、コンラートは時折見せる外向けの態度で穏やかに言って、ソフィアの隣の席をすすめた。

 紳士だから、旅の会話にやってきた女性を立たせたままにはしない。


「彼女は、弟子のソフィア」

「こんにちは。ソフィア・レイアリングです」

「こんにちは……ロビン・ブランドルです」


 戸惑いながら彼女――ロビンは、弟子と紹介されたソフィアともきちんと挨拶を交わし、失礼しますと断って隣に座った。礼儀正しい人だ。

 ロビンが戸惑っているのは、コンラートの言葉のせいだろう。

 この国に帰化する前に、彼は侯爵家と法的に離別した。アルビオンの登録上の名はコンラート・シュタウヘンで、フォンのつく貴族姓ではない。

 

「あの……シュタウヘン卿ではなく、大魔導師様とお呼びした方が?」

「お好きにどうぞ。ミス・ブランドル」


 ソフィアにとっては、亡国ルドルフシュタットにいた時から、コンラートはコンラートで魔術の師匠だ。けれど他の人はそうじゃない。

 本人からやんわりと否定されたら、「卿」と呼ぶのは躊躇われる。


「師匠は面倒がってますけど、社交界ではシュタウヘン卿って呼ばれているし、一般の人からは大魔導士様って呼ばれているから、なんでもいいと思いますよ」

「フィフィ、なんでもいいはないんじゃないかな」

「師匠だって、新聞の記載を訂正するのも面倒って、自分で言ってましたよね?」


 上流社会は、爵位と共に由緒ある血筋に敬意を払う。

 国に貢献する大魔術師でもあるコンラートの出自を社交界は尊重し、それに倣って新聞も貴族姓の旧名で書くか、併記している。

 そんなわけで、いまもほぼ貴族も同然な扱いだ。ただ一般庶民は貴族のように儀礼的な呼び方に慣れないため「大魔導師様」と呼ぶ人が多かった。

 

「せめて外国から来た人には、誤解がないようにと思っただけだよ」 

「外国?」


 ソフィアが首をを傾げたと同時に、ロビンが驚いたように息を呑む。


「どうしてお分かりに?」

「失礼ながら、首都で流行りの装いなのに、僕についての言葉は明らかに、最近伝聞で知った人のそれです。髪も一日二日で灼けた感じじゃない」 


 ソフィアは小柄な彼女より、頭一つ分近く上にあるロビンの顔を見上げた。

 編み込まれた髪をよく見れば、たしかにコンラートの言う通り、日に灼けている。


「驚きました、仰る通りです。アウストラリアから来ました。肌は赤くなる質で移動の間に薄れましたが、髪は……そうですね」

「ヒンディアかと思ったら、ずいぶんと遠い」


 アルビオン最大の植民地の予想が外れ、驚くコンラートは穏やかではあったが、ロビンに不審を抱いているとわかった。


「師匠、初対面なのに」

「そう。初対面なのに、僕たちと旅のお喋りをしたいわけではなさそうだ」


 だからって、蒸気船で一ヶ月以上かかる王領植民地からきて、一人で物憂げな様子でいる女性にその態度はあんまりだ。

 心細げなロビンに、知らずソフィアは過去の自分を重ねていた。

 国ごと家族を失い、逃亡する途中で触れた小さな親切に、少しずつ絶望から立ち直っていった。話くらい聞いてあげてもいいのにと思う。

 

「師匠、ブランドルさんに失礼です。聞いてほしい話があるんですよ」

「失礼は承知だよ。でもねフィフィ、話を聞いからでは君の場合遅いだろう?」

「え、わたしのせい?」

「あ、あの! いいんですっ! 魔導師の方ならと、不躾に話しかけたこちらがいけなかったのですからっ」


 慌ててソフィアとコンラートの間を取りなそうとするロビンに、少し間を置いて、はあっと諦めたように彼はため息を吐いた。


「お話しだけ聞きましょう、ミス・ブランドル……ブランドル、その名前どこかで」


 ソフィアも、そういえば最近なにかでと考え、「あっ新聞」と両手を打つ。


「師匠が読んでた、コンパートメントにあった地方紙に載ってました! 『ブランドルコートの大工場始動』って」

「ああ、それだ。ということは、貴女はブランドル家の?」

「はい、母の話が本当であれば……。でも、それだけなのに……っ」

「えっと……ブランドルさん?」


 コンラートの質問に曖昧な返答をしたロビンは、次の瞬間、わっと両手で顔を覆って急に取り乱した姿を見せた。

 さすがのコンラートも気まずそうに、ソフィアもどうしたのかとおろおろする。

 数分ほど経って、ロビンは落ち着いたとばかりにソフィア達に失態を詫びた。


「……申し訳ありません。その、色々あって、少し参ってしまっていて……」

「一体、なにがあったのですか?」


 尋ねたソフィアに、ロビンは彼女の身の上と、彼女を悩ませる奇妙で恐ろしい出来事を話し始めた。

 列車を止めた原因がなにかの符牒にも思える、ロビンの話にソフィアは眉をひそめ、コンラートも看過できないといった態度へと変化していく。


「――どうかお願いです。私と一緒にブランドル家に付き添っていただけないでしょうか! あたし怖くて……“影が”……とても無関係には思えないんです!」


 明らかに恐怖し、普段の言葉遣いが混じる切実な依頼を無視することなど、ソフィア達にはとてもできないことであった。

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