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第20話 影しかない男(1)

 【月曜日・午前:ブランドル家-邸内】


 ブランドル家は爵位はないが、土地にその名を冠する程度には名家であった。

 四五〇〇エーカーの所領は、何万エーカーと領地を持つ貴族には及ばずとも、小領主として裕福に暮らすには十分なものである。

 当主は地域に奉仕し、一族から官職を担う人材を送り出す。

 つまるところ、大帝国アルビオンでごくありふれた、地主階級(ジェントリ)の家であった。


「――だが、二代前の爺様が()をみるに(びん)な人物だったのでな」


 大柄でいて神経質そうに痩せた体を椅子に深く預け、左手に葉巻を(くゆ)らせながら話す。当代のブランドル家当主リチャードは、青灰色の濁った瞳を細めた。

 光加減で金髪にも見える薄茶色の髪をぴったりと撫でつけ、乱れのない服装には名士たる男の自負心と几帳面さが滲み出ているようだった。

 

「悪く言えば卑しい商売っけだ。毛織、製鉄、蒸気機関、鉄道……あらゆるものに財産を賭け、そして勝った!」


 富を掴み取ったとばかりに右手を握り込み、リチャードは執務室に響き渡るような笑い声を立てた。愉快そうだが、彼に仕える秘書のデイビッドはわかっていた。

 この話をする主人は、大抵不機嫌を抑え込んでいる。

 

「父親は、“高貴さを捨てた”と蔑まれる肩身の狭さを儂に語ったが、どの口が言うのだか。町に二つ、荒地に一つ、計三つもの寮付きの工場を領内に建てたのは父だ」


 ブランドル家がこの田舎の地に雇用を生み、領民の生活を向上させ、地域ひいては国家の発展に貢献しているのは事実である。

 結局のところ、新しい形の“高貴なる義務”を果たす名士として、地域の王のごとく君臨し、貴族を凌ぐ富を得るようになった。


「金の力で男爵の娘を娶り、息子の儂には子爵の娘を許嫁に与えた。愛想も面白みもない女だが、まあいれば便利だ。中央の社交界で“挨拶”ができる。何事もまずはそこからだ……デイビッド、お前に任せた新しい工場の具合は?」

 

 口をきいてもいい合図に、デイビッドは機敏に反応した。

 稼働したばかりの大工場の生産力、もたらされる利益の見込みを、淀みなく出資者(オーナー)であるリチャードに報告する。


「新動力炉との連結にいささか問題はあるものの、さしたる問題ではないです」

「いささか!? さしたる!? 一体どっちだっ! 問題があるならさっさと業者に直させろ、もちろん無償でだ!」

「しかし、魔石動力炉には首都の技師が……いえ、そうします」


 ぎろりと睨みつけられて、デイビッドは反論の言葉を途中で飲み込んだ。

 それに怒りを募らせ興奮させるのは、主人の健康にもよくなかった。

 領主たる重圧と、若い頃の働きが祟ってなのか、リチャードはまだ五十なのに心臓を悪くしている。髪もこめかみ付近の色が抜けていた。


「……薬を」

「いちいち尋ねず持って来いっ!」


 フロックコートの胸元を大きく上下させ、動悸の発作が出始めているリチャードを気遣ったつもりが怒鳴られる。

 だが、この程度の理不尽は常のことで、デイビッドは気にもしていなかった。

 若者らしく薄茶色の髪を短く整え、灰色の目をした姿が写る、ガラス扉がついた棚から錠剤の瓶を取り出し、苛立つ主人のもとへ運ぶ。

 リチャードはおぼつかない手つきで錠剤を口に含み、しばらく間をおいて深呼吸した。発作と共に荒ぶっていた気分も鎮まったらしい。

 急に少しばかり哀れっぽい調子になり、リチャードはデイビッドに話しかけた。


「デイビッド……お前に当たる気はなかった。儂を苛立たせることが多いのだ」

「お察しします」


 デイビッドは心得たものだった。

 リチャードの秘書として彼の面倒を見て、事業を手伝っている。

 あれは秘書ではない、いくらでもこき使える奴隷さと、デイビッドを揶揄(やゆ)する者もいるがわかっていない。奴隷は所有物だ、尊厳も選択肢もない。

 デイビッドは己の意思で仕えている。

 子供の頃からブランドル家の雑用をして賃金をもらい、リチャードの学資支援があったから、デイビッドは貧しく酷い境遇から抜け出せた。


「週末、金曜の夜は空いているか?」

「もちろんです」


 デイビッドは従順に答えた。新工場を軌道に乗せる、初めて任された大仕事。

 遊んでいる暇はない。

 

「なら夕食に来い。我が家のディナーだ」

「そんな。旦那様やご家族の方々と同じ席につくなんて畏れ多い」

「儂が来いと言ってる。お前にはブランドルの事業を任せてる。世が世なら領主の側近、資格は十分。違うか?」


 秘書だろうと工場監督者だろうと、使用人の一人に過ぎない。

 デイビッドが食事の席に呼ばれたことなど、過去一度もない。


「得心のいかない顔だな。いい、否定するな。お前は賢しい。実は客が来る、弟デニスの忘れ形見だ」

「デニス様の!?」


 デイビッドも直接は知らない。

 だが、ブランドル家を出奔した、リチャードの弟の話は有名だった。

 屋敷から数百ポンドを持ち出し、隣街で知り合った女性と駆け落ちした。

 先代当主は連れ戻そうとデニスを探したが見つからず、疲弊と失意で体調を崩し亡くなった。後を継いだリチャードが失踪届を出し、死亡宣告されている。


「国内くまなく探して見つからんはずだ……アウストラリアに渡り、二年も経たず女と生まれた子を捨て、鉱山事故で死んでいた」

「そうでしたか……最近わかったのですか?」

「いいや、実は数年前に病気で先が短いと女から手紙が届いてな。結婚の書類や出生証明書などと一緒に。調べてすべて事実だった」


 そして女も死んだ。死ぬ前に親族のことを伝えるから力になってほしいと、リチャードに手紙を送り付けてきたという。


「なんて図々しい」

「だが子に罪はない。最初の手紙で支援しようとしたが断られてる。遺される者を案じてのことだ。家族の一員に迎える気でいるが、話さねばならんこともある」


 リチャードは少々横暴な面もあるが、一族や領民に対して情に厚い、昔ながらの領主気質でもあった。デイビッド自身その恩恵を受けている。


「奥様には」

「もちろん話してる。了承したさ。“歓迎しますわ”と」

「慈悲深い方です」

「気位が高いだけさ」


 他のブランドル家の人々はどうだろうと、デイビッドは胸の内でひとりごちる。

 切り分けられる、黄金色のパイの大きさが変わるのだ。

 突然の新しい家族。それも一族に泥を塗り出奔した親族の子だ。大歓迎とはいかないだろう。

 

「弁護士も呼んだ。きっと楽しい夕食になる、デイビッド」


 リチャードが、本当の機嫌がよい笑みを見せる。

 これほど気が重い夕食の招待があるだろうかと、デイビッドは嘆息した。

 彼の人生を大きく変える、恐ろしい一週間の始まりであった。



 ◇◇◇◇◇



 【木曜日・正午前:特急列車内】


 「お、恐ろしいっ……黒い影がっ! 俺は化け物を()いたっ!!」


 案内された機関室の床で膝を抱えて、列車の運転士がぶるぶる震えている。

 車掌はため息をつき、困惑し切った顔でソフィアとコンラートを振り返った。


「この有様でして」


 ソフィアはコンラートと顔を見合わせる。

 休暇を満喫すべく、ソフィア達は首都ロンデウムから湖水地方に向かう特急列車に乗っていた。

 コンラートも開発に関わる、魔石動力炉を補助動力に搭載した最新型の列車は、立ちこめる霧の中で突然急停止した。車掌がコンパートメントにやってきて大魔導師コンラートに助力を請い、いまこの状況である。

 しかし黒い影の化け物とは、一体どういうことなのだろう。

  

「黒い人影が、線路に……霧で、気づいた時には間に合わなかった! ぶつかる直前に……ふ、膨れ上がってっ……壁みたいな大男にッ!」


 声を上げて床に伏し、頭を抱えて怯える運転士に車掌は肩を落とした。

 コンラートが紫色の目を訝しげに細め、車掌に尋ねる。


「外の確認は?」

「もちろん、停車してすぐ手分けして車体と周囲を調べました」


 ソフィア達のところにやってきた、この車掌も奇妙だった。

 彼はコンラートに列車が黒い人影を轢いたと打ち明けた。

 人を、ではなく。()()を、轢いたのだと。


「幸い、人や動物と衝突した形跡はなく。第一、線路には侵入防止の柵もある」

「う、嘘じゃないっ……! 見たんだ!」


 運転士の男が叫び、手を組み合わせ神に祈る。敬虔な人のようだ。


「なるほど。僕のところにいらした理由がわかりました」

「はい。この様子では、とても彼の見間違いとも思えず……」


 機関室にいた他の者達は計器の確認や石炭をくべていて、衝突時に外を見ていたのは運転台にいた運転士だけだった。

 しかし、彼らも「なにかとぶつかったのはたしか」と証言した。


「僕たちがいることは、客室係にでも聞いてかい?」

「左様です。車両点検の間にお知恵をお借りできればと、ええはい」


 恐縮しながら、「本当にどういうことやら」と車掌は己の額を撫でる。

 たしかに運転士の怯える様子は普通じゃない。


「衝突の仕方で車両に巻き込まれず、うまくはね飛ばされたら……車両に目立つ痕跡がないは、稀ですがなくはないですよ」


 ソフィアが可能性を考えながら言えば、車掌がぎょっとした顔で彼女を見た。

 しかし構わず、彼女は車掌に説明を続ける。

 その場合、車両に小さな血痕しか付着せず、他の汚れに紛れて気付かないはあり得る。


「はね上げられた勢いで手足が()じ切れることもありますから、戻って衝突地点付近の線路脇を探すと散って……」

「フィフィ」


 コンラートにたしなめられ、ソフィアは黙る。

 陰惨な遺体の話に、車掌は顔色を悪くしていた。


「そのお嬢さんは一体……お、お弟子さんと仰ってましたが……」

「失敬。弟子とは別にある種の専門家なもので」

「専門家?」


 ローブの肩をコンラートに軽く押し出されて、ソフィアは一束ねに編んだ栗色の髪を揺らして車掌に近づくと、ローブの裏につけている徽章(きしょう)を見せた。


「せ、政府紋章……!」

「嘱託の検屍官、です」

「検屍官!? こんな若いお嬢さんがっ!?」


 腰を抜かしそうに驚いた車掌に「また子供だと思われてた」と、ソフィアは榛色(ヘーゼル)の目を不満げに細める。小柄なためか十五歳前後に見られる。

 十八の成年になっても大人と扱われないのは不服だ。


「フィフィ、例の魔法薬を持ってきていたね」

「はい。あっ、血液反応で生き物と衝突したかわかりますね!」


 偶然の産物で出来た魔法薬は、血液の成分に反応して薄暗い場所で光る。

 いま首都警察(ヤード)の捜査で利用できるように、使用に関する法整備を進めているところだ。


「この薄暗さなら使えると思います」


 雨は降っていないが空は鉛色の雲が垂れ込めて、夜明け前のような薄暗さだ。

 霧が白い(もや)のように漂い視界を悪くしている。

 車掌と怯える運転士をなだめ、彼らと一緒にソフィア達は線路に降りる。

 結果を言えば、魔法薬は反応しなかった。

 代わりに、機関車両左右にある標識灯の右側に、細い木材の欠片が引っかかっていたのを見つける。


「黒い紙が貼りついてます」

「興味深いね」


 線路の真ん中に立ち、コンラートが車両から少し離れてつぶやく。

 霧が漂う中、左右の標識灯の光が帯となり、その間に立つ黒髪で黒衣に白ローブの師の姿は朧げな薄い影のようだった。ソフィアは、「あっ」と声を上げる。

 運転士の言葉は、嘘でも見間違いでもない。

 

「この列車は、まさに人影を轢いたのだろう」

「はい」


 師の言葉に、ソフィアは頷いた。


お読みいただきありがとうございます。File4の事件、開幕です。


所領の広さについては、概ねこんな感じです。

 ・1エーカー≒約4046.86平方m(約1224坪)

 ・4,500エーカー≒約18,210,854平方m≒約18.21平方km(約5,508,783坪)

ブランドル家の所領は、大体、東京23区で新宿区(18.22平方km)くらいの広さになります。


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