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魔導検屍官ソフィア・レイアリングの巻き込まれ事件簿  作者: ミダ ワタル
File2:誰にでも秘密がある(全7話)
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第2話 誰にでも秘密がある(1)

「こんばんは。悪い人たちに追われていてね。少しの間、(かくま)ってくれないかな」


 突然、窓辺に現れた青年に少女は声を上げるのも忘れ、ぽかんとして目を見開いた。

 だって少女の部屋はとても高い場所にある。


「塔の上のお姫様」


 青年は、窓からふわりと少女の部屋に降りた。

 ふかふかの絨毯(じゅうたん)が敷いてあるにしても、音のない、軽やかな着地だった。


「……魔法使い」


 床に膝立ちでいた少女はぽつりとつぶやく。

 青年は黒髪で暗い夜空色の服を着ていた。闇色のマントを羽織り、本の挿絵の魔法使いに似ている。

 読み古してぼろぼろになった子供向けの本は、悪い魔法使いに(とら)われたお姫様を勇敢な騎士が救うお話だ。

 でも少女は、お姫様や騎士よりも、魔法使いが好きだった。


「魔法使いは、話していいの?」


 青年が離れた窓辺から、明るい月の光が室内を再び照らす。

 少女を見た青年が、なにかに気がついたようにはっと息をのんだが、その理由を少女はその時はまだ知らなかった。


「みんな話してはいけないの。お花や小鳥やお喋りする人形は出せる?」


 床の本を見下ろす青年に少女は尋ねる。

 魔法使いはお姫様のために色々なものを出した。お姫様は怖いと言って、魔法使いを嫌ったけれど。騎士も魔法使いを悪者と決めつけていた。

 少女は本のお話は好きではなかった。

 けれど本には、少女が見たことがない外の世界のことが書いてある。


「……そうか。囚われのお姫様だね。話せるよ。もっと素敵なものもある」


 青年は身を屈めて少女と目線を合わせた。

 じっと少女を見つめる紫色の瞳がとても綺麗だと、少女は思った。


「君、魔力があるね。ほんの少しだけど。琥珀(こはく)の瞳に金が沈んでいるのは……魅了かな。でもこれもごく弱い。君を世話する人は優しい?」


 こくりと少女は頷いた。少女と話さないし、出入りの時にドアに必ず鍵をかけるけれど、優しく丁寧に世話はしてくれる。


「みりょうってなに?」

「うーん、十人中七人くらいは君を見て軽い好感を持つ。でも同情程度で危険を犯し助けるまではしないかな。あとは君に悪意や害意を持つ人の気が変わったり、()がれたり……そちらの方がいまは有用かもね」


 青年は部屋をぐるりと見回して、少女の顔へと視線を戻した。


「でも君かわいいし、普通の人はどちらで好感持つかなあ。僕には効かない。魔力が多いからね。おかげで時々(いじ)められてね……王家が手を差し伸べてくれなければ、とっくに死んでいたかも。君と出会うこともなく」


 こんなにたくさん少女に話す大人は初めてだ。

 浴びた言葉の半分も理解しないまま、少女は青年の顔を見つめる。


「また来ていい? 僕はコンラート・フォン・シュタウヘン。僕が見つけたお姫様」


 にっこりとまた青年は微笑んだ。現実感のない夢みたいだ。

 そう、これは夢、と急に冷静な意識が流れ込む。

 月明かりになにもかもが白くぼやけて――ソフィアは夢から目を覚ました。



 ◇◇◇◇◇


 

 もう十年も前の出来事だ。

 何故そんな夢を見たのか、ソフィアは目が覚めてすぐにわかった。

 ベッドから身を起こし、手に取った髪の一筋に目を落とす。

 栗色の髪が白銀に色を変えて、月の光のような輝きを放っている。

 榛色(ヘーゼル)の瞳も琥珀色に戻っているだろう。

 彼女の師、大魔導師コンラートが作る特別な魔法薬の効き目は三ヶ月。

 効き目が切れる前に飲むのを忘れていた。潜在意識からの警告に違いない。


「薬、まだあったかな……」


 あればチェストにしまってある。

 ソフィアがベッドを出ようした時、トントントンとノックの音がした。


「おはよう、フィフィ」


 ドア越しに聞こえた声と同時に細く開いた隙間から、黒衣に白ローブを羽織るコンラートが立っているのが見えた。

 オレンジ色の液体が入った、魔法薬の瓶をのせた銀盆を持っている。


「そろそろ効果が切れる頃と思ってね。前に渡した分は使ったはずだよ」


 だからって、寝起きの女の子の部屋にやってくるのはどうなんだろう。

 しかし、夢と同じ微笑みを見せる、艶やかな黒髪と紫の瞳が綺麗なソフィアの師匠にそんな意識はまるでないに違いない。


「入るよ」


 ソフィアが頷くと遠慮する様子もなく、コンラートは彼女のベッドの側までやってきて、どういうわけか洗練された動作で(ひざまず)く。

 床に白ローブの裾を広げ、彼は銀盆を恭しくソフィアに捧げた。


「薬をお持ちしました。ゾフィー・シャルロッテ・フォン・グンダール=ルドルフシュタット王女殿下」


 ソフィアの心臓がドクンと脈打つ。

 唐突に耳を打った、ソフィアの本当の名前と身分と敬称だった。

 ぱちぱち(まばた)きすれば、顔を上げたコンラートがふふっと笑む。


「僕のお姫様」


 師ではない、ソフィアを可愛がってくれた三人の兄や姉と同じ眼差し。

 もうこの世にはいない。

 国ごとソフィアは家族を失った。大陸東部の大国に侵略され滅びた国、ルドルフシュタットの王族で生き残っているのはソフィアだけ。


「待って、やっぱりもう少しだけ。半年ぶりに見る姿だ」


 薬の瓶を手に取ろうとしたソフィアを、コンラートが止める。


「……レディの寝起きです」

「飲むのは顔を拭いて、髪を編んでからでも遅くはないよ」


 コンラートは立ち上がり、銀盆をベッドから少し離れたティーテーブルに置いた。

 そうして部屋を出ていったと思ったら、ほかほかの蒸しタオルを持ってきた。

 気がつけば、ソフィアは顔や首や手を心地よく拭われて、小さなドレッサーの前に腰掛けていた。

 髪を手入れされ、いまは器用な手がすいすい彼女の髪を編んでいる。

 おそるべき手際だ。大魔導師はベテラン侍女の真似事までできる。


「せっかくだから可愛くしよう。今日は街へ旅行の買い物に出るだろう?」


 グラハム伯爵家に納品した魔法薬その他代金、事件の検屍(けんし)報酬も得たソフィアは、休暇も兼ねてのんびり素材採集の旅行を計画した。

 するとコンラートまで「なら僕も休むかな。ひとまず三ヶ月くらい」と、本当に魔術学校の講義他諸々の仕事予定を全部なしにした。

 近頃、皆、人をあてにしすぎだからいい機会だ、と涼しい顔で。

 

「はあ……レディか。あの小さなフィフィが。気になる人ができても、僕が認められる人でないといけないよ。フィフィを裏切らず、大切にできて、権力に屈しない力と苦労させない資力は最低条件。あとは師匠の僕と対等に話せることかな」

「本気で、言ってる……?」

「もちろん。さあ出来た」


 鏡に映るソフィアは王女だった頃のようだ。

 ソフィアが王女として過ごしたのは、八歳から十四歳までのたった六年。

 銀髪琥珀目の王族の色も、王家を示す名前も、喜ぶ人はもういないのに、どこにも捨てられない厄介な荷物のように思える。


「自分の姿を忘れないようにね。君の誕生を待ち望み、いなくなったことを悲しんで、再会を心から喜び、君の幸せを願った人たちがいる」


 落ち着いたトーンで話すコンラートの声を聞きながらソフィアは鏡を見つめ、ぼんやりと父や兄姉達が繰り返していた言葉を思い出す。


『ゾフィーはこの先、誰よりも幸せになるべきだから――』

 

 生まれてすぐ母親と共に誘拐され、八歳まで囚われていたから、これから幸せいっぱいでないとと言っていた。

 悪くなる一方の情勢に「末の王女は病死した」と偽装し、隣国に嫁いだ姉のもとへ秘密裏にソフィアを避難させた時も。

 その姉にまで、粛清の手が及んで逃がされた時も。

 

「ゲルマニア帝国の粛清は他国の非難をとても呼んだからね。あと数年もすれば、君が生きていると知っても、いまさらだと知らぬふりをするよ」


 ソフィアから離れたコンラートが、薬の瓶をとって渡してくれる。

 薬を飲んで鏡を見れば、祖国を逃れ、世界の四分の一を領土とする大帝国アルビオンに亡命した平民ソフィア・レイアリングの姿があった。


「ゾフィーもソフィアも可愛らしさは同じだね。髪を結った者の腕もいいし当然か」


 満足げに言った大魔術師と、ソフィアは鏡ごしに笑い合う。

 どうして本の物語では、魔法使いは悪者で、お姫様は彼を嫌ったのだろう。

 都合の悪いものは剣で斬ってしまう騎士より、ずっといいとソフィアは思うのに。



◇◇◇◇◇



「フィフィ、それよりこの旅行鞄の方が軽くて丈夫だよ」

「んー、でもそっちはちょっと高い……」

「使い勝手が悪いと結局使わなくなる。最初に一番大きな物を買うのかい? 荷物持ちは構わないけど考えては欲しいね」


 服や小物をいくつか見立てるつもりで通りを案内したら、真っ先に鞄である。

 コンラートは、彼の言葉が半分も耳に入っていない様子のソフィアに嘆息する。

 とはいえ、楽しそうでいるのを邪魔したくもない。

 仕方なく彼は店主らしき男に近づいた。市街地を見下ろす、丘の上の家まで購入品を届けてもらえないか尋ねる。目立つ白ローブを黒マントに替えた意味がない。

 名刺を渡せば、案の定、店主はわかりやすく喜色満面に相好を崩した。

 平民の上等店だから当然の反応だった。


「そりゃあもう! 大魔導師様のお頼みならよろこんで! もっとよいものもお出しできますよ。ですが私共のような既製品の店でよろしいのですか?」

「弟子が買って使うので、お構いなく」


 この国で、生活環境の向上や産業発展に寄与する、魔術職の地位は高い。

 法律家や医師、官僚、学者などと並ぶ、教養と収入があるとされている上に、コンラートは政府顧問も務め、魔術分野の助言を与える大魔導師と有名だ。

 弟子でも顧客になってくれるなら、といったところだろう。


「あの愛らしいお嬢さんがお弟子さんとはねえ。魔術師ですか?」

「魔導師です。まだ見習いで学生同然ですよ」

 

 魔導師は研究者として、魔術師は技術者として、社会や人に魔術を提供する。

 ちなみに大魔導師という職はない。

 コンラートが魔導師で、特別稀な成功者なためついた通称だ。

 元ルドルフシュタット貴族。侯爵家の三男だったのも知られているが、帝国併合前に家とは法的にも縁を切った。いまはアルビオンに単身移住し帰化した平民だ。


「面倒見がよろしいですねえ。お弟子さんの買い物に付き合うなんて」

「若い女性を一人歩きさせるには、首都は少々物騒だからね」

「ええ、まったく。博物館で爆弾騒ぎとか、切り裂き魔とか立て続けに……世も末ですよ。爆弾騒ぎはいたずらだったからよかったものの、大変な人だかりで……」


 話好きな店主で、大衆紙が書き立てる事件をあれこれとコンラートに語りだす。平民の上等店だから喜ぶ客も多いのだろう。

 聞き流していたら、ようやく気に入りを選び出したソフィアが声を上げた。


「これがいいかも!」

「フィフィ、見せて。君は買い物初心者だ」


 旅行鞄を買い、洋品店などで夏向けの既製服や小物を買い足す。

 結局コンラートは、どの店でも買った品物を家に届けてもらうことにした。

 おかげでソフィアの手を引いて歩ける。

 少し浮かれた様子は危なかっしいが、年相応でほっとする。

 子供の時間、少女らしい時間を、あまりに多くソフィアは奪われている。


「あとは中級魔石とよく使う薬草をいくつかと、採集道具と……」

「素材や道具なら分けてあげるのに」

「だめですっ、きちんと自分で(まかな)うのっ」


 ソフィアが挙げたものは比較的安価な素材や道具だ。しかしそれなりに贅沢な旅支度の買い物と同等以上の出費になる。魔術職が貴族的とされる理由の一つだ。

 

「弟子が立派で誇らしいよ。フィフィ、慌てなくても店は消えない」

「だって……」

「フィフィ!」


 急に足を早めたソフィアをコンラートが注意し、彼女が振り返る。

 その時、すぐ脇の路地から現れた黒い影が、ゆらりとソフィアに向かって倒れる。

 ほとんど反射的に握っていた手を強く引いて、コンラートは彼女を庇った。


 キャ――ッ!


 どさっと、人が倒れた重い音と同時に往来に複数の悲鳴が上がる。

 黒い影は、血まみれになった女性の遺体だった。

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