第19話 あなたの部屋はどんな部屋(11)※完結
メイ・アシュトンは通常なら拘束され、個室に隔離される。
だが、もうあと一、二時間でアルビオンに到着する見込みで、逃亡や抵抗の意思も見られないと、手錠をかけるだけになった。
赤毛の青年の判断だ。
場が落ち着いたところで、ソフィアは集められた人々に中指で「三」を示した。
「三つ目の事件です」
「ようやくか。誰だ犯人は」
「最も冷酷かつ危険な人物です」
ゴッドフリーがソフィアを急かすが、まだその名を口にはできない。
「子爵と確執もなく、恨みもない。ただ目的の邪魔になると排除するため、危険な魔法薬を飲ませた。問題は、子爵が何故邪魔と思われたかです。手紙はありますか?」
ソフィアが赤毛の青年へと視線を移せば、それを合図に彼は上着から手紙を取り出し、関係者に見えるように掲げた。
「アラン・ギルバートの名で子爵が出した手紙だ。キャスリン・グレイの遺留品だが、文面は皆同じと生前の彼女から聞いている」
赤毛の青年が、文章を読み上げる。
「“真実と隠されたものを明らかにする”」
「子爵の思い込みによる、アランの自殺が儂にあり遺稿を探すための文言だ」
「そうです。ゴッドフリー氏が言った通りのことを関係者なら考えます。でも先程メイさんは言いませんでしたか?」
――劇作家がまだ推敲していた原稿よ!
「アランさんは書き上げた原稿を他者に渡し、意見をもらおうとしていた」
「……おい待て、だとしたら」
ゴッドフリーがつぶやき、メイを見た。
「奴は本当にそのつもりで、お前に渡したのか?」
「そうよ。亡くなる前日の夕方に。少し引っかかったけど……酔って衝動的に首吊りなんて、この業界珍しくないもの」
メイが落ち着き払った様子で、ゴッドフリーの問いかけに応じる。気弱そうな雰囲気はなくなり、いまが本来の彼女なのだろう。
「誰のせいか、疲れた顔もしていたし」
「あの時期は執筆に専念させていた。金を産む邪魔はせん!」
「どちらにせよ守銭奴に変わりないわ」
「……儂も妙だとは思った。追い込まれて馬鹿やる類は大体わかる。奴はそっち側ではないと踏んでた」
ゴッドフリーが考え込む表情を見せる。
そんな彼が少々意外にソフィアには思えたが、「追い込まれて馬鹿やる類」といった彼独特の分類には妙な説得力がある。
「サイモン子爵も感じるものがあった。だからなにが起きたか探ろうとした。その直感は正しいです。アラン・ギルバートは自ら命を絶ったのではなく、他殺です」
サロンが人々の動揺ににわかにどよめく。
「犯人は手紙の意味を誤解したんです。手紙が子爵の仕業だとすぐに気がつき、アランさんが知った犯人の秘密を明るみにすると思った。弟の無念を晴らすために」
船に乗った犯人は驚いたはずだ、自分以外にも手紙を受け取った者がいて。
「船にいた他の誰がどこまでなにを知っているかわからない。ならまとめて始末すればいい。丁度それが出来るものも手元にあると犯人は考えたんです」
「あの魔法薬を、全員に盛るつもりだったのか!?」
ゴッドフリーの怒りの声に、ソフィアは「いいえ」と答えた。
「もっと簡単で残忍な方法です。この船もろとも沈める。脱出の時間も計って、ボイラーに爆薬となる魔法薬を仕掛けようとした」
爆薬……っ!? テーブル席の右端で善良なるグラハム夫人、侍女のエヴァとクレア・テイラーが身を寄せ合う。
「あの魔法薬は毒薬ではなく、別の用途を持つものです。持ち運ぶ状態では魔力の作用で安定し、容器の封を切ると安定が崩れ、油と強く反応し爆発を引き起こす」
ソフィアは移動し、赤毛の青年の前に立った。
「その危険物の行方を追っていた」
「そうだ。違法魔法薬が植民地経由で新大陸に流出した情報が入った。演出家兼座長のレジナルド・ブラウンは劇団を隠れ蓑に反帝国組織と関わっていた疑いがある。だが悪名高いゴッドフリーまで現れその線も出てきた、果ては殺人だ」
「どいつもこいつも人をなんだと思ってる!」
「悪党に変わりないだろう」
ソフィアはもう一度、集められた全員を見回して告げた。
「誰が犯人かはすぐわかります。皆さん、手袋をとってください」
手本を示すように、ソフィアは彼女の手袋を外し、テーブルにおいて手の平と手の甲をひらひらとさせてみせる。
人々は互いを見ながら、そろそろと手袋を外した。一人を除いて。
「ダッドリーさん、どうしましたか?」
「ッ、くそ……っ」
「拘束してください! 胸ポケットですっ!」
彼が、上着の胸元に手を入れたと同時に、ソフィアが叫ぶ。
グラハム夫人達が悲鳴を上げ、ダッドリーの隣にいたグラハム卿が、彼の腕をとってテーブルに体を押さえつけ拘束した。あっという間の出来事だ。
控えていた船員達が、ゴッドフリーやメイを押しのけてダッドリーを囲い込み、服の中を探って液体の入ったガラス容器を取り出した。
「ありました!」
「ぐっ……ガァあああああっ!!」
荒れ狂った獣のような声を上げて、ダッドリーが抵抗するが、数人がかりではなす術もない。グラハム卿が、彼の手袋を外せば指先に焼け爛れた痕があった。
中和剤も持っていたのだろうが、手当が遅れたのだろう。
テーブルに押さえつけられたままのダッドリーをソフィアは見下ろした。
「昨日、メイさんを床から助け起こすのに、あなたは手を差し出さずに肩に掴まれと言った。彼女を宥める時も手の平で肩を叩き、今朝の朝食はスープだけ。パンを千切れないほど指先を痛めている」
ソフィアは、クレアへ視線を移した。
「いまから約二十時間ほど前、二等客室で盗難騒ぎがありました。そちらのクレア・テイラーさんのスカーフだけが失くなった。おかしな盗難事件です。これは犯人の失敗であると同時に、子爵殺害の決定的な動機にもなりました」
なんだそれはと、赤毛の青年がつぶやく。
船の爆破と盗難騒ぎと子爵の殺害未遂がひと繋がりなんて、ちょっと考えづらい。
ソフィア自身も半信半疑だった。
メイの復讐という余分な事件があり、ボイラーの故障の状況を確認するまでは。
「公演に出資し、各地の舞台を追っていた。ゴッサム、リュテス、ロンデウム、他の大陸都市……仕事を兼ねて。絵だけではない別のものを売り、仕入れる。運ぶ時は舞台の小道具などに紛れ込ませた」
「劇団を隠れ蓑にしていたのはレジナルド・ブラウンではなく……」
「この人です。画商のジョン・ダッドリー。長年の熱心なファンで出資者。メイさんとの気安い様子から、楽屋にも自由に出入りできたでしょう」
それをアランに気づかれた。
劇作家で一歩引いた位置から公演に関わっていたから、気がついたのだろう。
「おそらくアランさんは次回作を書き上げ、原稿をメイさんに渡した翌日にダッドリー氏と会って問いただし殺された。ゴッドフリー氏との契約に悩んでと見せかけて」
うまく自殺で処理されたと思ったら、子爵から手紙が届いた。
そしてこの船に乗った。
「蒸気漏れを起こしたボイラーの位置を船長さんに確認しました。わたしがいた二等客室を出てすぐの、船員用階段を降りたボイラーです。あなたは船員を装い魔法薬を仕掛けようとした」
けれど、軽微な蒸気漏れがその時すでに起きていた。
ダッドリーが仕掛けを設置しようとしたのを、船が阻むように高圧蒸気が漏れた。
「あなたは魔法薬の入ったガラス容器を取り落とし、割ってしまったんです。急いで拭き取らなければいけない。でも機械油などがついた布は薬液が反応して危険です」
だから急いで調達した。一番近い三等客室に綺麗な布がある気はしない。一等客室は個室で鍵がついていて使用人もいる。
「だから二等客室の階に出て、たまたま近い部屋が無人で入った。目につくトランクがあり、新しい絹のスカーフがあった。それを取って戻る時にエヴァ・ポーロックさんとぶつかりかけた」
「まさか……あの時の船員さん!?」
エヴァが声を上げる。彼女はグラハム夫人の侍女だ。
「ダッドリー氏は思ったはずです。一等客室を使う夫人付きの侍女が何故ここに? 彼女は子爵とホールで船の見取図も見ていた。きっと子爵の差金に違いない! 子爵だけでも先に始末しなければ!」
エヴァがただ仕事熱心な侍女で、夫人がいては休めない性格で二等客室を手配されていたとは知らずに。子爵とはただ会話していただけだ。
「ですがその前に魔法薬の始末です。慌てて拭いて、ガラス片も片付けようとして薬液とガラス片で指を傷つけた。あの薬液は直に触れると激しい炎症を起こします」
「それで、この指なのか……」
グラハム卿が、ダッドリーの手を見ながら言った。
「はい。金属に付着すれば腐食させる。部品の腐食は薬液がはねてのことです」
「グッ……ゥッ」
恐ろしい形相でソフィアを睨みつけながらダッドリーが唸る。
手の痛みを我慢する必要がなくなったのもあるだろう。
「ゴッドフリーさんの部屋に隠した魔法薬はすべて無効化しました。子爵で一度中和剤を調合し、今回は原液もありましたから」
おそらくは関係者の部屋を調べていた時、入れ違いに入って隠した。
心配だったのは、魔法薬をいくつ持っているのかわからなかったことだ。彼自身が持っていたら危険だ。持ち物検査では、「知らない」「拾った」などと言い逃れされる恐れもある。
「意図的に使うところを押さえるため、この人に協力してもらいました」
ソフィアは赤毛の青年へ顔を向ければ、彼は顰めっ面で両手を投げ出した。
「警戒しろというだけで肝心な誰かを言わないから、手配に苦労した」
「悟られたら危険だったので」
そしてソフィアは少年のボーイに尋ねる。
「子爵が倒れた時、この人もあの場所にいましたか?」
「いました! 倒れた子爵様の前に飲み物をテーブルに運んだ人です!」
「よく覚えていた少年! あとは我々の仕事だ。そこの恐喝王も一緒に来てもらえ」
「何故、儂が!! 犯罪者はこいつらだろう!」
「殺人こそやっていないが、参考人としてじっくり話を聞こうではないか」
ははははっ、と心底愉快そうに高笑いする赤毛の青年は放置して、ソフィアは船長にぺこりと頭を下げた。
「これが、この船で起きていた出来事です」
「素晴らしい、レディ!」
船長が賞賛の声を上げささやかな拍手まで受けて、ソフィアははにかんだ。
その後、船を一通り案内して見せてもらい、高らかな汽笛と共に客船はアルビオンの港に到着した。
「親切にしていただいて、ありがとうございました」
「首都まで送ってあげたいけれど、一度領地に戻る予定なの」
「これを。落ち着いたらぜひ首都の屋敷を訪ねてほしい」
一等客室専用の降り場へ向かうグラハム夫妻に、ソフィアは挨拶した。
グラハム卿は直筆でいつでも客人と扱うことを書いた名刺をくれた。
そうだと、ソフィアは何度も邪魔された質問をようやく口にする。
「あの、首都に大魔導師様がいると聞きました。グラハム様はご存知ですか?」
「大魔導師……ああ彼か」
「その、どこに――」
「なんだ子リスよ。貴様、奴の知り合いか?」
ぐいっと襟を引っ張られて、なにっとソフィアが振り返れば赤毛の青年がいた。
船員を数人引き連れている。
「奴なら丘の上に住んでいるぞ。“丘の上の大魔導師”と言えばいい。ではな、子リスよ! また近いうち会おう!」
「会いたくないです!」
言い返したソフィアに愉快そうに笑いながら、青年は船員達と船を降りていった。
「あ、グラハム様っ!」
ソフィアがグラハム夫妻を探せば、彼らはもう地上で豆粒みたいになっていた。
人混みから「殿下!」と呼ぶ声と騒がしい笑い声が聞こえてきたが、唯一のコンラートの手がかりになる人々と離れ、ソフィアはそれどころではなかった。
◇◇◇◇◇
ガタン、ゴトンと進む列車の外は陰鬱な天気だ。霧がとても濃い。
「――というわけで、客船の事件はなんとか解決しました。変装していたエドワード殿下に師匠の居所をきちんと聞くのを邪魔されて、船を降りたんです」
両手で顔を覆って、ソフィアは俯いた。
色々言いたいことがあるのを堪えて話を聞いていたコンラートは、ソフィアの様子にどうしたのかと思う。
「わたしが船を降りてすぐ悪い人に騙されて、無一文で見知らぬ村に置いていかれたのはエドワード殿下のせいですーっ!!」
「え?」
「途中でおかしいって気がついて……荷物全部渡したら近くの村で勘弁してやるって言われて仕方なく、うぅっ……」
ぐすぐすと泣き出したソフィアに、コンラートはなにも言えなくなった。
魅了の力が働いて、悪人が気まぐれを起こしたようだが、危険な店かどこかへ売られかけていたのではないだろうか。無一文はそのためかとコンラートは納得した。
どうやって首都まで辿り着いたのか。そちらの方が客船の事件よりも気になる。
「フィフィ……その」
どう慰めたものか、コンラートがソフィアに声をかけようとした時。
キイイイイ――っと、耳をつんざくようなブレーキ音と共に列車が急停止する。
「……なに?」
びっくりして泣き止んだソフィアが顔を上げた。
じわじわとコンラートの中で嫌な予感が湧き上がってくる。
コンコンとコンパートメントの個室のドアを叩く音がした。
――大魔導師様がこちらに乗ってらっしゃると……お力をお借りしたく。
聞こえなかったことにしたい。だが。
「師匠、困っているみたいですよ?」
ソフィアの底に金を沈めた榛色の瞳に見つめられ、そう言われたら、ドアを開けざるを得ない。話を終えたら昼食のはずだったが。
食堂車はいましばらくお預けになりそうだった。
<あなたの部屋はどんな部屋・完>
ここまでお読みいただきありがとございました!
ソフィアの初めての事件でした。こちらでこのエピソードは完結です。
お楽しみいただけたら幸いです。
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各話の登場人物。
・マーガレット・グラハム(グラハム夫人)
アルビオン貴族、グラハム伯爵令息夫人
・アーサー・ウィリアム・グラハム(グラハム卿)
アルビオン貴族、グラハム伯爵令息
・赤毛の青年
一等客室専用サロンにいた乗客
・サイモン子爵
魔法薬が混入した酒を飲み倒れた乗客
・キャスリン・グレイ[死亡]
有名舞台女優
・メイ・アシュトン
キャスリンの付き人、元舞台女優
・レジナルド・ブラウン [死亡]
演出家、キャスリンの恋人
・チャールズ・ゴッドフリー
新大陸の新聞社主
・ジョン・ダッドリー
新大陸の画商
・アラン・ギルバート[死亡]
劇作家、半年前に自殺している
・エヴァ・ポーロック
グラハム伯爵家の使用人
・クレア・テイラー
新大陸で成功している商会の娘