第17話 あなたの部屋はどんな部屋(9)
ボー――。
海上で一昼夜の停泊を余儀なくされた蒸気客船が、航行の汽笛を鳴り響かせる。
「船も再び動くようだ。さあ、望み通り関係者を集めてやったぞ。子リスよ!」
船の一室に集められた紳士淑女を前に立つ小柄な少女に、赤毛の、身なりのいい実業家風の青年が声をかける。
肘掛け椅子で足を組む彼の言葉に応じて、栗色の髪に榛色の瞳をした行儀見習いのような少女――ソフィアは人々を見渡した。
サロンのテーブルをつなげて作った、大きなテーブル席に関係者が揃っている。
「ちょっと……あ、あなた本当に何者なの? どうしてあたしがこんな場所、こ、この人のことなら謝ったじゃない……」
二等客室での威勢のよさはどこへ消えたのか、右端の席でスカーフを盗まれたクレア・テイラーが震える声で訴えて、左隣のエヴァを指す。
「まあ、このお嬢さんだったの?」
エヴァの左にいるグラハム夫人が驚いて、さらに左に座るグラハム卿と顔を見合わせる。伯爵家の人々は、この船の出来事に直接関わってはいない。だが影響しているため呼んでもらった。
「儂は暇ではないのだがね」
関係者を集めた中央に、新聞社主のゴッドフリーが不機嫌も露わにふんぞり返っている。つくづく真ん中が好きな人だ。用心深い彼は、貴族も混じる場でそれ以上の文句は言わず周囲をうかがっている。
「一体、なにを始めるつもりでしょうか」
「護衛をつけると言って、どうしてこの人の側に……」
ゴッドフリーの右隣に画商のダッドリー、左隣に女優の付き人をするメイ・アシュトン。あとはテーブルの左端へ向い、船長、船医、少年のボーイの順で、人々は半円を描いて座っている。
「どうした、子リスよ。貴様の好きにするといい」
「その呼び方はやめてください」
テーブルの左端から少し離れて、赤毛の青年。
一人だけ見物人の体で、別の椅子を用意し、偉そうにしている。
青年以外は、この娘が何用だといった表情だ。
そんな彼等にソフィアは一呼吸して、静かに告げた。
「この事件は――とても複雑に見えますが、一つ一つはとても単純です。そのことをこれから説明し、皆さんと確認するためにお集まりいただきました」
「馬鹿馬鹿しいっ!」
ソフィアの言葉に、ゴッドフリーが真っ先に席を立とうと声を荒げた。
「魔術師かなにか知らんが、こんな小娘になにがわかる!!」
「座りたまえ、チャールズ・ゴッドフリー。後ろに控える、貴殿らにつけた者達が飾りとでも思うかね」
「せ、船長として……このお二人に従うよう皆様に要請します」
「だそうだ。逆らうのは得策と思えんが」
「ぐッ……なんなんだっ!」
青年と船長の言葉に、その恰幅のいい全身で不服を表現しながらゴッドフリーは座り直した。彼が先陣切って反発してくれたおかげで、この場にいる全員、勝手に席を立てない了解がされたらしい。静かになってソフィアは再び口を開く。
「正確には集まれない方もいます。客室で休んでいるサイモン子爵。彼はこのサロンで危険な魔法薬が混入した食前酒を飲み、危うく命を落とすところでした」
えっ、と小さくクレア・テイラーが声を上げた。
「それから、演出家レジナルド・ブラウンさんと有名女優キャスリン・グレイさん。お二人共、何者かの手によって毒で亡くなっています」
「な、なによそれ……どういうことよ……っ」
どうやら、船内の情報統制はされていたようだ。
エヴァは、彼女を盗人扱いした少女に腕を掴んで助けを求められて困った顔をしたが、この場に放り込まれた少女を気の毒に思ってか、そっと指先で肩を撫でた。
「ええと、テイラーさんは……とりあえず静かにしていただけると助かります」
「レイアリングさんの言うことを聞きましょう、ね」
エヴァがとりなし、こくんとクレアは頷いた。案外すんなり謝った時も思ったが、少し物言いがきついだけで素直な人のようだ。ソフィアは事件関係者に向き直った。
「では、続けます。特に座席は指定してないのですが……いつもゴッドフリー氏は真ん中を陣取っていますね。一連の事件の中心人物らしく。なにしろ第一容疑者です」
「なっ、馬鹿を言うなッ!!」
集まった人々がどよめき、ダンとテーブルに拳を振り下ろしてゴッドフリーは激昂したが、ソフィアは怯まず真っ直ぐに彼を見つめた。
「ゴッドフリー氏はサイモン子爵と争っていました。劇作家アラン・ギルバートの自殺の原因と彼の遺稿を巡って」
「その話なら奴に大金を払って、片はついてる! こいつらも知っていることだ!」
憤慨しながらゴッドフリーが反論する。
こいつらとは、ダッドリーやメイのことだろう。
「あんた、子爵様と異母兄弟のアランのことを、出鱈目に新聞に書き立てると脅しておいて!」
「うるさい! 互いに署名した示談書もある」
「……仲裁人まで買収して、子爵様を黙らせただけじゃないっ」
子爵の訴えを取り下げるのに悪どいことをやったようだ。人を脅す噂がある人だけはあるが、ゴッドフリーの人間性にソフィアは興味はない。
「示談はしてもサイモン子爵は納得していなかった。むしろ強硬な姿勢に疑念すら抱き、一方で遺稿の行方も気になった。だからアランさんの名前で、彼を含む親交の深い人達に手紙出した。弟さんの身に起きた真実を知りたくて」
まあっ、とグラハム夫人が驚く。
「それは聞いていないぞ、子リスよ。手紙が子爵の仕業と何故断言できる?」
ソフィアを子リスと呼び続ける赤毛の青年にむっとしながら、たしかに手紙のことは言ってなかったとソフィアは思い至る。
でも、少し考えればわかることだ。気がついている人もいる。
「自分含めて、六人全員に高額な一等客室の乗船券ですよ。そんなことする人は貴族の子爵様以外にいません。示談金もあるならなおさらです」
たしかにと、ダッドリーがつぶやく。
「手紙の文面は、“真実と隠されたものを明らかにする”。アランさんの関係者なら、彼が亡くなった理由と行方不明の遺稿のことだと思います。そうですよね?」
ソフィアがゴッドフリーに尋ねれば、ふんっと彼は鼻を鳴らした。
一応、肯定のつもりらしい。気にせずソフィアは説明を続ける。
「ですが、この文章が思いがけない悪意を引き出すことになります」
「思いがけない……悪意……」
メイが弱々しくつぶやく。胸の内で考えるのはキャスリンとレジナルドことだろう。
「メイさんはこう考えていましたよね? ゴッドフリー氏がアランさんの遺稿を奪おうとして手紙を出したのではと」
「そ、それは……レジーがそう言って、あなたも見ていたでしょう!? レジーがこの人に突っかかっていくのをっ!」
「はい。でも手紙は子爵が出したものです」
「まったく、とんだ言いがかりだった!」
ソフィアの言葉にゴッドフリーが同調すれば、メイの顔がかっと怒りで紅潮する。
「あ、あなたは……っ」
「その言い方はないだろう、ゴッドフリーさん!」
震え声で非難するメイを、ダッドリー氏が援護する。
「大体、アランをいいように使って……僕も彼らの舞台を愛する者として胸を痛めていた。彼に新作を急かしながら、引っ張り回して!」
「だからなんだ。後援者も増えた、あんたよりずっと大口のな」
「自分の利益のためだろう! 追及してくる子爵が面倒で、毒を盛ったのじゃないのか!? 慈善家ぶる裏で恐喝王と呼ばれる悪人がしそうなことだ」
頭に血が上ったダッドリーの言葉に、「違う!」とゴッドフリーは一喝した。
「はっ、殺しなど最も不経済かつ非効率極まりない。愚か者のすることだ!」
「……ゴッドフリー氏の信条はともかく、ダッドリー氏と同じことを子爵様も思ったんです。だから倒れた時に彼は犯人と思う人の手がかりを口にした」
――……ら……羅針……ば、ん……。
「羅針盤。子爵はそう言いました。わたしとこちらの……謎の紳士Xさんが聞いています」
ふっ、とグラハム卿が口元に手を添えて軽く吹き出し、集められた人々も困惑の表情で赤毛の青年を見る。
腕を組んで顔を顰めた青年に、人を子リスと呼ぶお返しだとソフィアは少しばかり溜飲を下げる。
「羅針盤は方位を知るための器具です。四つの方角の頭文字、北は“N”、東は“E”、西は“W”、南は“S”……と並べれば、新聞社が扱うものを示す言葉になります」
ニュース、情報、報道を意味する言葉だ。
はっと、ゴッドフリーが息をのみ、周囲に向けて首を横に振った。
「違う! それは奴の思い込みだ!」
「でも自分に都合よくアランさんを扱って、彼から契約の破棄を持ちかけられても不思議じゃないです。それに子爵様が倒れた時にサロンにいた。でなければ、わたしを“魔術師”だと言いません」
「っ、それは……っ!」
「次に、亡くなったレジナルドさんの首には毒針が刺さっていました。彼が倒れる直前、揉み合っていたのは」
「あ、あなただわ……チャールズ・ゴッドフリー……」
メイの声に、サロンにいる人々の視線が一斉にゴッドフリーに注がれる。
この人は気弱そうでいて、ここぞと言う時はしっかりと自分の声を周囲に聞かせるなとソフィアは思う。
ゴッドフリーは「違う」と繰り返すが、その声はずいぶん弱いものとなっていた。
「そして今朝遺体が発見されたキャスリンさんですが……彼女はあの晩、部屋をメイさんと取り替えていました。部屋に蜂がいると怯えて」
「ええ、ええそうです! 彼女ひどく怯えて部屋を変わりました!」
「蜂だと、冬の海の上で?」
「羽音が聞こえたと言ったのよ」
ゴッドフリーの言葉に、彼と同じことをキャスリンに言ったメイが言い返す。
「……そうよ、彼女は私の代わりに殺されたんです……だってアランさんの遺稿は私の手元にあって、この船にも持ってきていました! 手紙の内容が内容でしたから」
「キャスリンさんの遺体を調べに、メイさんの部屋に入りましたが、遺稿なんてなかったですよ」
ソフィアの言葉に、そんなっとメイが両手で口を覆う。そして涙で濡れた黒い瞳できっとゴッドフリー氏を睨みつけた。
「あなたがっ……奪ったのねっ! そのためにキャシーを殺して! レジーもあなたが私の持つ遺稿を奪う気だって……それをはっきりさせるって、あなたに!」
「知らん! 大体、なんでお前みたいな奴があれを!」
「メイさんがアランさんとお友達なのは、彼と契約を結んでいたあなたも知っているはずです」
「き、キャスリンならともかくっ、他の女どもなんか知るかっ!」
普段は人を脅している側が、明らかに狼狽えながら喚きたてるのを聞きながら、ソフィアはドレスのポケットに手を入れ、白い結晶の粉が入った小瓶を取り出した。
親指と人差し指で挟んで持てる、小さい瓶。
「これが、ゴッドフリーさんの部屋から見つかりました。洗面台の端の化粧瓶に紛れ込ませるなんていい隠し方です。ちょっと見には気づきません」
「……それは?」
ダッドリーが恐る恐るといった様子で尋ね、ソフィアは答える。
「蜂毒を乾燥させたものです。船医さんから聞きましたが、未開の地では吹き矢の毒に使われるものだそうですよ」
ソフィアの言葉に、わっとメイが泣き出す。
いま、誰もがゴッドフリーが犯人だと確信した表情で彼を見つめている。
「陰謀だっ! そんな毒は知らん! 大体いつ部屋に入った!?」
「あなた方が朝食や船員から事情を聞かれている間です」
耳がどうかなりそうな声を張り上げて叫んだゴッドフリーに、顔を顰めながらソフィアは答える。
「ところで、この毒がゴッドフリー氏のものであろうとなかろうと、蜂毒です。遺体となった二人は毒針で刺された。その程度の量で人が死ぬと思いますか?」
「いや、毒性だけで考えれば致死量じゃない」
船医が答える。これ以上とない保証だ。
「で、でもっ……キャシーは一度蜂に刺されて死にかけたんです。レジーも息が詰まって大変だったって」
「そうですね。そういった蜂が危険な人もいます。ですが、亡くなった二人がそうだと知っているのは、この中であなただけです」
ソフィアの言葉に、ゴッドフリーへの疑惑が渦巻いていたサロンの空気が、すっと凪いだ。
「えっ……?」
表情が抜け落ちたメイ・アシュトンの声が、しんと静かなサロンに小さく響く。
「ゴッドフリー氏は犯人ではありません。むしろ最も遠いと言えます。もし次の被害者が出るとしたら、間違いなくあらゆる罪を被せられる“役”の彼でしょうから」
「そのために関係者全員につけた護衛であり、見張りだ」
赤毛の青年が言い放った言葉に、もう一人表情を変えた人がいたのをソフィアは見逃さなかった。
各話の登場人物。
・マーガレット・グラハム(グラハム夫人)
アルビオン貴族、グラハム伯爵令息夫人
・アーサー・ウィリアム・グラハム(グラハム卿)
アルビオン貴族、グラハム伯爵令息
・赤毛の青年
一等客室専用サロンにいた乗客
・サイモン子爵
魔法薬が混入した酒を飲み倒れた乗客
・キャスリン・グレイ[死亡]
有名舞台女優
・メイ・アシュトン
キャスリンの付き人、元舞台女優
・レジナルド・ブラウン [死亡]
演出家、キャスリンの恋人
・チャールズ・ゴッドフリー
新大陸の新聞社主
・ジョン・ダッドリー
新大陸の画商
・アラン・ギルバート[死亡]
劇作家、半年前に自殺している