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魔導検屍官ソフィア・レイアリングの巻き込まれ事件簿  作者: ミダ ワタル
File3:あなたの部屋はどんな部屋(全11話)
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第15話 あなたの部屋はどんな部屋(7)

「今日は大変な一日でしたね、レイアリングさん」


 グラハム夫人の侍女エヴァ・ポーロックが、蜂蜜入りのホットミルクをソフィアに差し出した。色々立て続けで、今日の夕方に出会ったばかりの人なのに、しばらく離れていて再会したような懐かしさを感じる。


「よく眠れますよ」

「ありがとうございます。ポーロックさん」

「奥様からお世話を仰せつかりました。私のことはエヴァとお呼びください」


 小ぶりのマグカップの温かさに、ソフィアはほっとした。ずいぶん気が張り詰めていたと自覚する。

 夫人の侍女に世話されるのは気が引けるものの、「あなた倒れたのですよ! 私の恩人なのに、二度も恐ろしい事件に巻き込まれて!」と、エヴァの勢いに負けた。

 大人しい控えめな人かと思ったら、侍女としてはかなりしっかりした人のようだ。


「レイアリングさんは、奥様のお話し相手(コンパニオン)で、伯爵家のお客様も同然ですから」

「なんだか張り切っているのね、エヴァ」

「ミルクを置いてもなかなか舐めてくれない、懐きそうで懐かない小さな子猫を見ている気分ですわ、奥様。ふかふかの寝床でよく眠ってくれるといいのですけど」


 青年といい、なぜソフィアを小さな動物扱いするのだろう。

 人間なのに……と、用意してもらったベッドの上で、彼女は両手に持ったマグカップを傾ける。甘くて熱々で美味しい。


「あら、手間をかけた甲斐があったようよ」


 くすくすとグラハム夫人が、ドレッサーの鏡越しにソフィアを見て笑う。

 夫人の客室の、使用人が控えるスペースにベッドを入れてもらい、ソフィアは今夜はそこで眠ることになっている。本来エヴァが使う場所だ。


「エヴァは仕事熱心過ぎて、わたくしの側ではゆっくり休めないのよ」


 それで二等客室を別に手配されている。本当にいい主人だ。

 

「すぐ下の階で、近い部屋が取れてよかったわ。行き来に歩かせては気の毒だもの」

「部屋を出てすぐの船員の階段が使えたらもっと近いみたいですよ。船の底から特別室までひと繋ぎですって」


 エヴァの言葉に、あの壁の継ぎ目とソフィアは思い出した。やっぱりあれは船員用通路の入り口なのだ。


「まあ、どうしてそんなことを知ってるの?」

「ホールに飾られた見取図の見方をサイモン子爵に教わって……本当にお気の毒に。私のような侍女にも気さくな方が、声を失うなんて」

「船医さんは、回復するって言ってました」


 レジナルドの遺体を見た時、船医から聞いたことをソフィアが伝えれば、エヴァはよかったと胸を撫で下ろした。


「レイアリングさんのお荷物運びましたけれど、ずいぶん少ないですね。本当にこちらで全部でしょうか?」

「はい」


 エヴァの言葉にソフィアは答える。平民の服の着替えとコンラートに子供の頃にもらった魔石で動く玩具くらいしかない。

 お金は首から下げていて、変身薬は最後の一本を船に乗る前に飲んでいる。


「トランク一つだけだなんて。ソフィア、着いたらどなたか頼る宛があるの?」

 

 グラハム夫人に尋ねられ、今度こそコンラートの居場所をとソフィアは頷く。

 さすがに夫人の部屋では邪魔は入らないはず、そう思ったのに――。


 ――イャァァ――ッ!! 来ないで、誰かっ! メイ……メイ!


「キャスリンさんの声です!」


 助けを呼ぶ悲鳴に、ソフィアはベッドの上のブランケットを寝巻きの上に羽織って、廊下へ出た。

 ガシャーンと、なにかが割れる派手な音がしてドアが開き、東洋風の絹のガウンを羽織ったキャスリンが飛び出てきて、様子を見に近づいたソフィアにすがりつく。


「ああああなた、助けてちょうだい! 蜂よっ……」

「蜂?」

「キャシー!」


 まだ青いドレス姿でメイが、隣の部屋から足を少し引きずって出てきた。

 自室の扉を閉め、ソフィアの足元で怯えるキャスリンに近づき抱き締めるが、彼女はさらに興奮気味に声を張り上げた。


「ああっ、メイっ! 助けてっ、蜂っ、蜂よ! 刺されて死にかけたことがあるのあなたは知ってるでしょう!」

「落ち着いて。冬の海の上よ、どうかしてるわ」

「羽音がしたの! もうなにがどうなってるの……レジーまで死んで……次はきっと私よ……ねえメイそうでしょっ」

「馬鹿なこと言わないで。ごめんなさい。彼女、色々あって少し神経過敏で……」


 ソフィアを気遣ったメイの言葉を、「違うわ!」とキャスリンが遮る。


「レジーも……アランの亡霊にっ」

「いい加減にして。もう夜も遅いのよ」


 サロンで見たのとは、印象がかなり違う二人にソフィアは驚く。

 足を悪くし女優を辞めた気弱なメイが、付き人として有名女優の世話になっているのかと思ったら、まるで逆に見える。


「部屋、部屋を変わってよ……あんな場所じゃ眠れないわっ」

「わかったから。私の部屋へ行きましょう。ね、落ち着いて」


 キャスリン・グレイの部屋が、開き放しのドアから見えた。

 翡翠色で統一され落ち着いた趣のグラハム夫人の部屋と違い、白い柱と赤い壁紙の豪奢な部屋で、花瓶が床に割れ、アクセサリーや化粧瓶などが床に散らばっている。

 彼女の取り乱し様がわかる酷い有様だ。奥で窓のカーテンが揺れている。

 不意にきらりと小さな光が床に(またた)き、ソフィアが目を()らせばダイヤモンドのピンだった。レジナルドのルビーのピンと同じデザイン。

 グラハム夫人の部屋に戻れば、夫人とエヴァからソフィアは叱られた。


「なにかあったらどうするの」

「奥様の仰る通りです。もうレディの歳で薄着で出るのもよくありませんよ」

「ごめんなさい」


 体が冷えていると夫人のガウンを着せられ、小さな暖炉の前のふかふかのソファに座らされる。


「それにしても、こんな夜更けになにを騒いでいたのかしら?」


 温め直したミルクをソフィアに渡し、エヴァが眉を(ひそ)める。

 キャスリンをよく思っていないようだ。


「部屋に蜂がいるって怖がってました。羽音が聞こえたそうで」

「冬の海で? 風か機械の音でしょうに。どうかしてますね」

「エヴァ、蜂は刺されて亡くなる人もいるのよ。困った方だけど、立て続けに恋人を亡くして……神経過敏になっても仕方ないわ」

「奥様は人が良過ぎますわ」


 眠気を誘うミルクの甘みにうとうとしつつ、夫人とエヴァの会話にそうだとソフィアは子供の頃を思い出した。

 王女宮の庭園でお茶していた時、コンラートが蜂を追い払って夫人と同じことを言った。ある人にとって一部の食べ物が毒のように作用することがある。蜂の毒もそれに似た症状を引き起こすと。キャスリンはそれだったのだろう。

 だが冬の海で蜂はどうかしている。しかしソフィアにすがりついた彼女は本当に怯えていた。それにさっきのはなにか……だめだ体がぽかぽかして眠い。

 ソフィアが目をこすると、エヴァがミルクのカップを持ってくれて、ベッドまで誘導される。


「……ありがとうございます」

「お疲れが出たのですよ」


 そうかもしれない。おやすみの挨拶もしないまま、ソフィアは深い眠りに落ちた。



 ◇◇◇◇◇



「おはよう、ソフィア。よく休めたかい?」

「おはようございます、グラハム様。はい、おかげさまで」


 ソフィアは顔を合わせたグラハム卿に挨拶した。

 一等客室専用の大階段を降りてすぐの食堂は広く、窓からの朝日に白いテーブルクロスがまぶしく、銀食器が輝いている。

 天窓と装飾が壮麗な大階段と合わせて、ルドルフシュタットの王宮に戻ったかと錯覚しそうになるが、そんなことあるはずもない。


「あの、実は……夫人のお話し相手(コンパニオン)を、よく知らずに承諾してしまって」

「ん?」

「エヴァから説明されて、少しびっくりしたようなの」


 おかしそうに笑うグラハム夫人に、笑い事じゃないのにとソフィアは思う。

 アルビオンに着くまでの臨時雇いのソフィアだが、本来は屋敷に住み込みで、しかも家人と同じ一室を与えられ、食事の同席も許されるという。

 ソフィアが夫人に連れられ、食堂に来ているのもそのためだ。

 ルドルフシュタットで、姉の元にいた行儀見習の令嬢達と変わらない。


「君は、我が家の名誉を守った恩人だ。それに貴族でなくとも、祖国を追われるまでは相応の待遇だったと聞いている」


 赤毛の青年だろう。ソフィアがルドルフシュタットの王女宮にいたと知っている。


「そんなお嬢さんが、一人で船にいるのを知らぬふりなどできるはずもない」

「そうよ。わたくし達には娘がいないし、その代わりを務めるとでも思って頂戴」


 あくまで船にいる間だけ、あまり意固地になるのも不審だ。

 夫妻の好意は素直に受け取ってお礼を言い、ソフィアは朝食の席についた。


「それより、あなた。ソフィアは海が初めてなんですよ。朝、窓からずっと外を見ていたのが可愛らしくて」

「ほう、それは私もその場にいたかった」

「ええと、海も見ていましたけど煙が……でも船はまだ動いてはないですね」

「半日はかかりそうだ。ボイラーの蒸気が漏れて、部品も腐食していたらしい」

「ボイラーが、部品が腐食ですか」

「昨晩は保ったが、暖房や湯に不便がでるだろう。ソフィアも、マーガレットも室内でも暖かくするんだよ」


 昨晩、船長から船の状況を聞いたのだろう。

 ソフィアとしては昨日の遺体や、サロンがどうなったかも知りたいが、和やかな朝食の席で話題にするのは(はばか)られた。


「おはよう、グラハム卿」 


 聞き覚えのある声に、ソフィアは朝食をとる手を止めた。ソフィア達のテーブルに挨拶に来た、赤毛の青年だった。

 滑らかな艶の最高級のウール地で仕立てた、明るい紺の三揃いを着ている。

 相変わらず実業家風でいるが、グラハム卿の青年を庇うような立ち回りを考え、かなり身分が高い人だろうとソフィアは推察していた。

 

「朝から物言いたげな顔だな、子リスのようなお嬢さんは」

「……おはようございます」


 また子リスって言った。そう思いながらもソフィアは挨拶を返した。

 彼の表情がやや暗く見えたからだ。


「どうかしましたか?」

「ああ、朝食の最中に申し訳ないが、用があってきた」

「わたしに?」

「そうだ、グラハム卿や船長とも話はついている」


 ソフィアはグラハム卿を見た。

 気の毒そうにソフィアを見る表情で、卿としては不本意とわかった。

 

「あなた」

「マーガレット、仕方ないんだ。魔術は魔術の素養がある者にしかわからない。この船にはソフィアしかいない」


 どちらにせよ赤毛の青年の助けを借りなければ、解けない不可解もある。

 ソフィアは了承した。だが魔術について過度に期待されても困る。


「でも魔術はほぼ独学です」

「構わん。子リスの知識でも必要だ」

「また子リスって言った」

 

 ソフィアがぼやけば、青年は軽く笑って、十五分後に迎えに来ると背を向けた。

 お皿に残る朝食を不作法にならない程度に急いで食べ終える。

 食堂にはゴッドフリーとダッドリーもいた。

 ゴッドフリーは、朝からそのビール樽体型を裏づける健啖家ぶりだった。食事しながらメモを書き、船員を呼び電報を指示している。新聞社主だけあって精力的だ。

 彼と反対にダッドリーは覇気がない。食欲がないのか不器用な手つきでのろのろとスープをスプーンで(すく)っている。

 演出家まで失えば、今後の公演はキャスリンがいても、彼が好んだ舞台とは違うものになるだろう。気落ちしても無理はない。

 赤毛の青年は、ソフィアに告げた時間通りに迎えに来た。


「グラハム様は、あなたに大人しくして欲しそうですけど」

「そうも言っていられなくなった」


 ソフィアを食堂から連れ出した、青年の苦々しい表情と言葉に嫌な予感がした。

 いや違う、朝からずっとだ。

 あの二人の姿をまだ見ていないのは、朝が遅いだけとソフィアは思いたかった。


「キャスリン・グレイが亡くなった」


 思わずぎゅっとソフィアは目を閉じ、手を握り合わせる。

 昨日眠らなかったらと、そう思わずにはいられなかった。

各話の登場人物。

・マーガレット・グラハム(グラハム夫人)

  アルビオン貴族、グラハム伯爵令息夫人

・アーサー・ウィリアム・グラハム(グラハム卿)

  アルビオン貴族、グラハム伯爵令息

・赤毛の青年

  一等客室専用サロンにいた乗客

・サイモン子爵

  魔法薬が混入した酒を飲み倒れた乗客

・キャスリン・グレイ[死亡]

  有名舞台女優

・メイ・アシュトン

  キャスリンの付き人、元舞台女優

・レジナルド・ブラウン [死亡]

  演出家、キャスリンの恋人

・チャールズ・ゴッドフリー

  新大陸の新聞社主

・ジョン・ダッドリー

  新大陸の画商

・アラン・ギルバート[死亡]

  劇作家、半年前に自殺している

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