第14話 あなたの部屋はどんな部屋(6)
「レジー……! なにっ、なんなのよこれは……っ!!」
飲み物のグラスを取り落とし、黄金の歌声とはかけ離れた金切り声で女優のキャスリン・グレイが叫ぶ。
彼女の隣りにいた赤毛の青年は、落ちついた歩みでレジナルド・ブラウンへ近づくと屈んで首に触れ、顔を顰めた。
「亡くなっている」
「あ……あ、あなたが……っ」
青年の言葉に、まだ床に座り込んでいたメイ・アシュトンが震えながらゴッドフリーを指差す。
レジナルドが息絶える直前に揉み合っていた彼は、勢いよく首を横に振った。
「違う……私じゃない!」
人を脅していると噂の新聞社主チャールズ・ゴッドフリーは、身に降りかかった疑いを否定する。
「嘘よっ! だって、あの手紙もあなたの仕業なんでしょう! レジーがさっきそう言って……っ」
「あんただったのか、ゴッドフリーさん」
少し離れた場所から、新たな男が現れた。中肉中背でこれと特徴のない、ゴッドフリーと同年代の褐色の髪と目をした中年男だった。
「言いがかりだっ!」
ゴッドフリーが怒鳴り、赤毛の青年は立ち上がると、サロンの隅で呆然と成り行きを眺めている船員へ声をかける。
「なにをしている。早く船長と船医に知らせろ!」
赤毛の青年の指示に、はっと己の役目を思い出して船員は駆け出していった。
中年男がメイへと近づき、「さ、僕の肩に掴まって」と彼女を立たせる。
「ダッドリーさん、レジーが……」
メイはダッドリーと呼んだ中年男に泣きながらすがりつき、そんな彼女の震える肩を中年男は手の平で軽く叩いて慰める。
少し気が落ち着いたらしい。メイは中年男から身を離した。
赤毛の青年は、レジナルドの遺体と周囲の人物を順に見た。
「事情はあとで聞く。疑われたくない者はサロンから出るな!」
「若造がっ、何様のつもりだっ!」
最も疑いの目を向けられているゴッドフリーが、赤毛の青年に食ってかかる。
一連の成り行きをテーブル席で見ていたソフィアは、ゴッドフリーの言葉には内心頷けるもののよくない状況だと思う。
死者への動揺、場を仕切る青年への疑念や不服にサロンがざわついている。船長が来ても正当に不満を訴える先となるだけだ。
「どうしてこんなことに……」
ソフィアの目の前でグラハム卿が嘆息し、席から立ち上がった。
「あなた?」
「グラハム様?」
「深刻な事態に居合わせた以上、放置するわけにもいかない」
グラハム卿を見上げたソフィアと夫人にそう言って、彼は赤毛の青年のところへ移動した。
「失礼。彼に指示されるのが不満なら、私が引き継ぎましょう」
「あんたは……」
ゴッドフリーがたじろぐ様子を見せ、グラハム卿はよく通る声でサロンに全体に聞こえるように告げた。
「私はアーサー・ウィリアム・グラハム。海軍大尉だ。船長の指示があるまで、この場は私に預からせていただきたい。よろしいですね?」
「ハッ、大帝国の伯爵家と女王陛下の艦隊じゃ、頷くしかない!」
グラハム卿の援護に、赤毛の青年がパンッと大きく両手を打った。
「ではグラハム卿。早速だが、被害者の……」
「貴方も、例外ではない。大人しくしていただけますね?」
あっという間に場を収め、青年を静かにさせたグラハム卿に、ソフィアは感服した。テーブル席から拍手したいくらいだ。
「グラハム様、格好いいですね!」
ソフィアの言葉にグラハム夫人は、子供の頃から正義感の強い人なのとはにかむ。
船長と船医が駆けつけてグラハム卿が状況を説明し、サロンの客はレジナルドの関係者を残して解放された。ソフィアは夫人に尋ねる。
「メイ・アシュトンを支えたあの人は誰ですか?」
「ジョン・ダッドリー氏ね。画商で、画家以外の芸術家も支援しているの。パトロンと言えば、あなたが助けたサイモン子爵も……」
――冗談じゃないわ! 死人の手紙で集められただけでも気味が悪いのに!
ヒステリックな声と共に、テーブルになにか叩きつける音がした。
キャスリン・グレイだ。音は彼女の小さなバッグだった。
サロン中央。大きなテーブルを二つの長椅子で挟んだ席で、船長とグラハム卿が関係者に事情を聞いていた。
一方の長椅子に、興奮状態のキャスリンと彼女を宥めるメイ。もう一方に、新聞社主ゴッドフリーが中央を陣取り、隅に寄り居心地悪そうに画商ダッドリーが座る。
「手紙って、先程もメイ・アシュトンが言ってましたね」
「二ヶ月前。彼等の元に、劇作家アラン・ギルバートの名で手紙が届き、この船の乗船券が同封されていた。キャスリン嬢は一等客室だから乗ったそうだ」
ソフィアに答える声に彼女が後ろをふり仰げば、赤毛の青年が立っていてグラハム夫人に会釈した。
「こちらのテーブルのレディ達は、勇敢かつ好奇心旺盛のようだ」
「あら」
「先ほどは失礼しました。レディ・グラハム」
「構いませんわ。それよりアラン・ギルバートですって?」
「ええ。レディは、彼等に随分と注目されていたようだ」
「一緒に船旅を楽しむお仲間にしては、“ちぐはぐ”でしょう。気になってしまって」
ちぐはぐ……たしかにとソフィアは、青年と夫人の会話を聞きながら考える。
女優に付き人、演出家まではわかるが、新聞社主に画商。おそらく魔法薬で倒れた子爵も。同じ船旅の仲間には思えない組み合わせである。
「でもそうよ! アラン・ギルバート! 言われてみたらあの方達ってそうだわ。でも二ヶ月前はおかしいわね……彼が自殺したのは半年も前なのに」
「え?」
不穏な言葉に驚いたソフィアに、グラハム夫人はアランについて説明してくれた。
「アランはキャスリンの前の恋人よ。彼の書いた舞台で彼女は名声を得たの。当然、アランも劇作家として評価されたわ」
そのアランを支援するパトロンがサイモン子爵だった。また戯曲の出版権や上演権の管理を契約していたのがゴッドフリーである。
サイモン子爵とゴッドフリーは、アランのことでひどく揉めていたらしい。
「ゴッドフリー氏がアランを不当に扱い、自殺に追い込んだと子爵が訴えてね」
「横取りされた、支援作家の作品権利を取り返すためか」
「いいえ、そうではないの。元々子爵がゴッドフリー氏にアランを紹介して、急に有名になったアランが作家として才能に専念できるように、諸々の管理を頼んだの」
「けれど契約は、適正に行われなかったのですね?」
ソフィアがそう言えば、ええとグラハム夫人は頷いた。
ゴッドフリーは新聞社と己の利益のため、アランを社交界や所有する新聞社主催の集まりにひっぱり回し、新作の執筆を強要した。
「支援していた作家とはいえ、ご自分と直接関係しないことで訴えるなんて、子爵はいい人なんですね」
「実は、アランは相続の際に存在がわかった子爵の異母弟なのよ。遺産のことで釘を刺すために会ったらアランにそのつもりはなく、彼の才能に子爵が惹かれたの」
生まれ育ちが異なる半分血の繋がった兄弟は、良好な関係を築いた。
社交界では知る人は知る程度の話らしい。
「普通にいい話って、人の興味をあまり引かないから」
レジナルドとメイは、アランの友人の劇団仲間だ。
画商のダッドリー氏は彼等の舞台の熱心なファンで、公演の際は出資もし、新大陸だけでなく各国での上演も追いかけている。
「仕事で大陸間を行き来し、商談の話題にもなるから、きっと趣味と実益も兼ねてね」
「本当に、全員劇作家の方と繋がっていますね」
「キャスリンがレジナルドと恋愛関係になったのは、アランが亡くなってか?」
「ええ、傷心の彼女を支えてという噂ね。噂といえば、アランは亡くなる前に新作を遺したらしいのだけど、誰の手元にもないそうなの」
ゴッドフリーと子爵が揉めたのも、最初はそのことが発端だったらしい。
「ゴッドフリー氏は子爵が隠し持っていると考えて、子爵を追及したら逆に訴えられてしまったのよ」
「ずいぶんと楽しい旅仲間だ」
赤毛の青年が肩をすくめる。それにしても。
「すごく、お詳しいですね……グラハム夫人」
「あら、噂話は淑女の嗜みよ」
なるほど。グラハム卿がほどほどにと諌めるのもわかる気がする。
穏やかで気品ある貴族夫人の、意外な一面をソフィアは見た。
「実に感服すべき情報収集能力だ、レディ」
赤毛の青年にふふっと笑いながらも、グラハム夫人はすっと眼差しを厳しいものにした。
「それでこの子にどんな御用かしら? まさか遺体を見ろと仰らないでしょうね?」
「夕方の一件との関連もある。彼女の知見をお借りしたい」
「まだ十五歳の少女ですよ」
毅然と対応するグラハム夫人に、「あのっ」とソフィアは声をかけた。
サイモン子爵と同じように苦しみ倒れたレジナルドだが、彼の周囲に魔力は感じなかった。そもそも魔法薬の出所も不明だ。
「ソフィア……無理しなくていいのよ」
「大丈夫です。気になりますし」
「では、お手をどうぞ」
赤毛の青年が手を差し出したが、ソフィアはそっぽを向いて一人で立ち上がった。彼の手とは反対側からすたすたと歩き、レジナルドの遺体へと向かう。
「礼儀も愛想もない子リスだ……エスコートを無視されるなど初めてだぞ」
「……手紙の内容はなんですか?」
身長差で青年に簡単に追いつかれ、むすっとしながらソフィアは尋ねた。
キャスリン・グレイを口説くためではなく、話を聞き出すために彼は近づいた。
ソフィアを助けたのではなく、そのきっかけにされたのだ。
グラハム夫人の彼等への関心を知っていたのは、彼もまた“ちぐはぐ”な人々に注目していたために他ならない。
「わざと外して話しましたよね」
「犯人に繋がるかもしれん、“真実と隠されたものを明らかにする”と書かれていた」
「アランの自殺原因と遺稿のありかと、きっと関係者は考えますね」
「明らかにそう考える者は、ここにはいないがな」
たしかに子爵は、彼の客室で起き上がれる状態ではない。
レジナルドの遺体に側まできて、ソフィアは屈んだ。検屍を終えたらしい船医が突然やってきた少女にぎょっとして、赤毛の青年を迷惑そうに見る。
「この子は貴方が医務室に運んだ……」
「子爵殿の恩人だ。私が許可した」
「まさか」
「その後、子爵様の容態はいかがですか? 成分は不明ですが、吐き出したものは魔力が打ち消されていたので、化学的な対処で大丈夫とは思いますけど」
ソフィアの言葉に船医が絶句する。
だが、青年が連れてきたことに納得はしたらしい。
「……本当に君が? いまのところ落ち着いてる。声も元通りは微妙だが回復はするだろう」
「そうですか。この人は?」
「おそらく毒による心臓麻痺だ。首筋にこれが」
船医がハンカチに包んでいたものをソフィアと青年に見せる。
小さな羽のついた針だった。ソフィアはレジナルドの首を見た。
「これを首に刺せるとしたら、やはり揉み合ったあの男か?」
「胸も苦しそうでしたが、それより急激な呼吸困難に見えましたけど……」
「私の判断が間違いだとでも?」
「そういったわけでは」
“ちぐはぐ”だと、ソフィアは胸の内でつぶやいた。
脅しにもとれる文面の手紙は、幻の遺稿と乗船券を餌にしたようにも思える。
集められた六人の内、二人が薬物で倒れた。
一人は未遂で、一人は死亡。でも同じ薬物ではない。
それに何故死んだのがレジナルドなんだろう。
子爵が残した言葉の意味もいまならわかるが、ソフィアには納得がいかない。
「ソフィア、ここでなにをしているのかな? 貴方も大人しくするはずでは?」
柔らかくも威厳ある声に、びくんとソフィアは背筋を伸ばした。
彼女の隣にいる赤毛の青年と一緒に、ゆっくりと後ろを振り返る。
「ぐ、グラハム様。その……気になって……」
「夕方の件との関連をっ、考慮せねばならんだろう!」
「なるほど。ソフィアは妻と部屋で休みなさい。貴方とは少々お話を」
優しいのに怖い。ソフィアは大人しくグラハム卿の言葉に従った。
各話の登場人物。
・マーガレット・グラハム(グラハム夫人)
アルビオン貴族、グラハム伯爵令息夫人
・アーサー・ウィリアム・グラハム(グラハム卿)
アルビオン貴族、グラハム伯爵令息
・赤毛の青年
一等客室専用サロンにいた乗客
・サイモン子爵
魔法薬が混入した酒を飲み倒れた乗客
・キャスリン・グレイ
有名舞台女優
・メイ・アシュトン
キャスリンの付き人、元舞台女優
・レジナルド・ブラウン [死亡]
演出家、キャスリンの恋人
・チャールズ・ゴッドフリー
新大陸の新聞社主
・ジョン・ダッドリー
新大陸の画商
・アラン・ギルバート[死亡]
劇作家。半年前に自殺している。