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魔導検屍官ソフィア・レイアリングの巻き込まれ事件簿  作者: ミダ ワタル
File3:あなたの部屋はどんな部屋(全11話)
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第13話 あなたの部屋はどんな部屋(5)

「そんなっ! 困るわ、こっちにだって予定があるのよ!」

「大事な商談を明日控えている。さっさと動かすなりしてくれ」

「ほ、本当に……大丈夫よね……本当に、ただの故障……?」

「おいおい、実は船底に穴が空きましたとか勘弁してくれよ!」


 船が大きく揺れて間もなく、サロンにやってきた船長から蒸気機関のボイラーに故障が見つかり、安全確認と修繕のため緊急停止したことが告げられる。

 乗客が口々に勝手なことを言うなか、船長は船が停まったことで一部設備に不便は生じるが、努めて対応すると、若干ずれた曖昧な返答をした。


「あまりよい状況ではないようだ」

「致命的ではなさそうですが、時間はかかりそうですね」


 グラハム卿の言葉にソフィアは同調する。

 夫人が「そうなの?」と尋ね、ソフィアは頷いた。


「航行再開の時間には触れず、不便が生じると説明していましたから」

「二、三時間で済まないということだろう」

「まあ、わたくしだけお馬鹿さんみたい」

「この子が賢いだけだよ、マーガレット。私も長く海軍の船に乗った経験で察しただけだ。他の者もわかるまい」

「なら今夜も船の中ね。ソフィアのベッドを入れてもらってよかったわ」


 夫妻の会話を聞きながら、ソフィアはサロンの隅を見た。

 本を片手に肘掛け椅子に足を組み、赤毛の青年がいる。一人寛ぐようで、サロン全体を見渡せる席で人々の様子を見ている。

 そんな彼は船長の説明に文句をつける気はないようだ。

 

「あの人、何者でしょうか?」

「どなた?」

「あの隅の席にいる赤毛の……時折こちらを見ていて。医務室に運んでいただいたけれど、謎の紳士Xなんて名乗って怪し……」

「ん、んんっ!」

「グラハム様?」

「あのか……彼は怪しい人ではないよ、ソフィア」 

 

 奇妙な咳払いをして、赤毛の青年を庇ったグラハム卿にソフィアは少し驚いた。


「お知り合いですか?」

「わたくしも知らない方だわ」

「まあその、ちょっとした顔見知りで……だが人物は保証できる」


 グラハム卿の言葉に、ソフィアは首を小さく傾げる。

 ちょっとした顔見知りで、人物は保証できる?

 やはり色々と手広く事業を行い、社会的な信用のある実業家なのだろうか。


「今夜は、他にも気になる方々が集まっているわね」

「マーガレット、悪い癖だよ。ほどほどにしなさい」

「だけど、お仲間にしてはちぐはぐだもの」

「それぞれ関わりもありそうじゃないか。十日以上同じ船にいて、交流を深めてもおかしくない」

「あの……」

「あら、貴女も興味がある? ソフィア」 


 マーガレット、と軽く諌めるグラハム卿の様子が、ソフィアの会いたい人と重なった。

 近くまできているのに、なかなか辿り着けないもどかしさを覚える。

 しかし、この親切な人たちともう少しだけ一緒にいたい気持ちもあった。

 夫人の言葉に好奇心をくすぐられてもいる。


「すまないね。妻は少々、他人に興味を持ちすぎるところがあって……いずれ伯爵夫人だというのに、無防備というか無邪気というか、気が気じゃない。そんな少女のようなところも魅力的ではあるのだが」

「あなたこそ、ほどほどにしてくださいな」


 にこやかに淡々と返す夫人に、グラハム卿は黙った。夫婦の力関係を垣間見た気がする。

 ソフィアはなにも言わずに静かにお茶を飲んだ。

 だけど、ちぐはぐか……とソフィアが夫人が気にした人々へ、ちらりと目を移した時だった。

 

「――ねえ!」


 ソフィアの背後から椅子の背もたれを不躾につかみ、頭上から声が降ってきた。

 彼女が驚いて振り返れば、明るい金髪と凝った紫に深紅の縞が入ったドレスが視界を塞ぎ、お茶の香りがわからなくなるほど濃い香水の匂いがした。


「あなた、さっき手から水を出した子よねっ! 退屈してたの、もう一度やって頂戴よ」

「えっ、あのっ」

「いやだ、もしかしてあたしが誰だかわかってないの? キャスリン・グレイ。あたしの舞台は、リュテスでもロンデウムでもどこでも大成功したのに」


 舞台女優らしい。共和国や大帝国の首都で大成功ならきっと有名なのだろう。

 華のある美女だが、ブルーグレイの目つきが高慢で意地悪そうだった。

 船長の説明に「予定がある」と真っ先に食ってかかったのもこの人だ。

 

「いいじゃない、もう一度やってよ! あたしの知る劇場支配人を紹介してあげてもいいから!」


 紹介なんていらない。あの切迫した状況での魔術を見て、大道芸のように思う神経も理解できない。


「貴女、失礼ですよ!」

「あら、伯爵家のお二人を楽しませるために連れている子でしょう。違うの?」

「この子は妻の付添人だ。貴女が見たい魔術は、我が国の王立劇場を一日貸し切れる価値を持つが、それでもかね?」 


 アルビオンは魔術大国。魔術を扱う人の地位も高い。でもさすがにそれは言い過ぎだとソフィアは思う。しかし、諭すような口調で話すグラハム卿の、穏やかさは崩さない迫力に気圧されたらしくキャスリンは一歩引いた。


「はっ……冗談でしょ」 

「いや、そうでもない。特注で魔法薬調合を頼めば、バカみたいに大金がかかる」


 聞き覚えのある声にソフィアは眉間に皺を寄せた。いつの間に近づいてきたのか、あの赤毛の青年だ。


「なに、あなた」

「私ですか? 黄金の歌声を持つ女神と話す機会を待つ者です。お堅い伯爵家の方々に構うより、私とあちらで飲み物でも」

「あら、いいわよ」


 片手を胸に、歯が浮くような物言いでキャスリンを誘った青年に、ソフィアはありえないものを見た思いがした。

 気をよくしたキャスリンに手を差し出し、エスコートに背を向けがてら、ソフィアに赤毛の青年は片目をつぶってみせる。

 もしかして、助けてくれたのだろうか。


「大丈夫? ソフィア」

「はい」


 気遣ってくれたグラハム夫人にソフィアは頷いた。

 自分とはまったく異なる思考と価値観を持つ相手に、少しびっくりしただけだ。


「女優としては素晴らしいのに。あの方、乗船時から色々と目に余る態度で……付き人のお嬢さんも大変ね」

「付き人?」

「ええ、あちらに座っている、青いドレスを着た黒髪のお嬢さん。少し気弱そうな雰囲気の」


 グラハム夫人が目を向けた先、二つのローテーブルに分かれたソファ席に、三人の男女が思い思いの場所で過ごしている。

 夫人が言った、“ちぐはぐな”人たちだった。


「本当に故障かと、船の心配をされていた方ですね」

「いつも気の毒なくらいおどおどしているの。でも、二年前は彼女も舞台に立っていたみたい。たしか名前はメイ・アシュトン」

「どうして付き人に?」

「公演中の事故で足を悪くして引退したそうよ。女優仲間のキャスリンが気の毒に思って付き人に雇ったと話すのを聞いたわ」

「優しいところもあるんですね」


 自己中心的な女性に思えたのに少し意外だ。

 ソフィアは赤毛の青年と談笑しているキャスリンを見る。

 意外といえば、彼も。

 ソフィアにはあんなに尊大で失礼な赤毛の青年だったのに、守備範囲内の女性を楽しませることはできるらしい。


「人は一面ではわからないものだからね。たしかに色々と目に余るが、ただ我儘で高慢なだけの女優なら、実力があろうと名声は得られないだろう」


 舞台は一人では成り立たない世界だと話すグラハム卿に、「そうね」と夫人も相槌を打つ。


「ソフィアは歳はいくつだい?」

「十五です」

「では、まだ理解しづらいかな」

「はい」


 グラハム卿に素直に答える。ソフィアにはよくわからない。

 親切な人か、怖い人か、どちらでもない人。

 ソフィアにとって他者は、そのいずれかに分けられる。怖い人は、ソフィアの身近な人を真っ赤な血に染める。

 

「ソフィア?」


 グラハム夫人の声に、ソフィアは我に返った。

 そんな彼女の耳に「ハッ、自分に興味がある男にはすぐいい顔する」と苦々しくつぶやく男の声が強く響く。

 声が聞こえた方向へソフィアが視線を向ければ、ソファの背もたれに両肘を張り、不機嫌な様子でいる三十前後の男がいた。


「ああ、彼は演出家のレジナルド・ブラウンよ。キャスリンの恋人で、彼女と一緒に乗船するのを見たわ」


 グラハム夫人の説明を聞きながら、ソフィアはレジナルドを見る。

 茶色の髪と目で、着ている黒のテールコートと白いシャツは、遠目にも質の劣るものとわかる。グラハム卿と比べるまでもない。てらてらと安っぽい艶の襟に刺した、小粒のルビーのピンが唯一趣味のいいものだった。贈り物かもしれない。


「公演ではなく旅行みたいね。彼女はあの通り奔放でしょう。いつも彼は不機嫌そうでいるわ。元々の気性も荒い人みたいだけど」


 そのレジナルドを宥めるように、彼の向いに座る気弱なメイが話しかけている。

 彼を眺めていてソフィアは、メイが船長に訴えた船への心配を、「船底に穴は勘弁だ」とまぜっ返した人だと思い出した。


「険悪になりそうな二人の間に、付き人のメイが入ってどちらかを宥めるか、とりなしているの。でも、恋人同士の旅行に付き人も一緒なんて余程仲がいいのかしら」

「では、向こうの席にいる少し雰囲気の違う人は?」


 ソフィアはグラハム夫人に尋ねた。

 もう一つのローテーブルのソファ席を一人で陣取って、ビール樽を思わせる体型の灰色の髪の紳士がウィスキーを嗜んでいる。

 商談があるから船を動かせと、言っていた人だ。

 

「彼は新聞社主のチャールズ・ゴッドフリー。ゴッサムでは有名な高級紙を発行しているけれど、あまりいい噂を聞かないわ」

「新聞……」

「ゴッドフリー氏は慈善家として有名な一方で、貴族や資産家の弱みを色々と握って脅している黒い噂が絶えない人物だ。近づかない方がいい」


 それまで黙っていたグラハム卿が、夫人とソフィアの会話に入ってきた。

 グラハム夫妻の忠告にソフィアは頷いた。近づく用事もない。


「だめよ、レジー」

「うるさいっ」


 グラハム夫人が「あら」と(まばた)きする。

 レジナルドがソファから立ち上がり、苛立たしげにどこかへ向かおうとするのをメイが止めている。


「もしかして恋人を誘った彼のところへ」

「なっ、突っかかる気か……っ」


 ソフィアの言葉にグラハム卿が少し焦った声でつぶやく。卿が諍いを心配したのも無理はない。レジナルドが怒っているのは一目瞭然だった。

 とうとうメイまでが立ち上がり、彼の腕を掴んだが、はねのけられて彼の足元に膝をつく。

 足が悪いのは本当のようだ。


「っ、邪魔をするな!」


 気性が荒いは控えめな表現で、彼の足に手をかけて止めるメイを蹴り払ってレジナルドは歩き出す。

 かなり興奮している様子で、しかし向かったのは赤毛の青年ではなく、ゴッドフリーのところだった。


「なにかね?」

「しらっばくれるのもいい加減にしろっ!」

 

 苛々した様子で腿や腕を掻いて、レジナルドは重そうなビール樽体型のゴッドフリーに掴みかかる。


「お前の仕業なのはわかってるっ!」


 ジャケットの襟を掴まれ、揉み合うように抵抗して、ゴッドフリーはレジナルドを突き放した。


「なんの話だっ!」

「あんたがっアランの……げほっ……」


 突然、レジナルドは咳き込んだ。ヒーヒー息を引く音をさせ、激しく咳込み出す。


「……がっ……、がはッッ」

「お、おいどうした?!」

「レジー……?」


 ゴッドフリーとメイが口々に、レジナルドへ声をかける。

 二人に応じることなく、レジナルドは首から胸元を掻き毟り、最後は苦しげに胸を押さえ、背中から後ろに倒れた。


「レジー!」


 メイが慌てて四つ這いでレジナルドへ近づき、介抱しようと彼の肩を膝に寄せようとして、ひっと彼から身を離す。

 ゴトンと後頭部が床に落ち、レジナルドの横顔がソフィア達に向いた。

 蒼白にむくみ、目を剥いて事切れた、わずかな間で変わり果てた姿だった。

各話の登場人物。

・マーガレット・グラハム(グラハム夫人)

  アルビオン貴族、グラハム伯爵令息夫人

・アーサー・ウィリアム・グラハム(グラハム卿)

  アルビオン貴族、グラハム伯爵令息

・赤毛の青年

  一等客室専用サロンにいた乗客

・サイモン子爵

  魔法薬が混入した酒を飲み倒れた乗客

・キャスリン・グレイ

  有名舞台女優

・メイ・アシュトン

  キャスリンの付き人、元舞台女優

・レジナルド・ブラウン [死亡]

  演出家、キャスリンの恋人

・チャールズ・ゴッドフリー

  新大陸の新聞社主

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