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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蚊柱

作者: 空日

まったく、最悪な一日だった。

じっとりと浮き出る汗に嫌気がさしながらも、ペダルを漕ぐ足は止まらない。


思い浮かぶのは今日の部活のことだ。いったいぜんたい何を思って僕に指図してくるんだろう、あの馬鹿どもは。日常となってしまった口論が止まらなくなり、いつの間にか陽は落ちた。こんなにも暗い帰り道を通るのも何回目だろう。


……いらいらする。なんにもかんにも。

ああ、いっそすべてを無視してやろうか。そうだ。それがいい。奴らの意見なんて無視してしまえばいい。押し付けてきたのはあいつらだ。ならばせめて、好きなようにしてしまえ。決定としてしまえばいい。バカなことはさっさとそうしてしまえばよかった。


ならば、早く家に帰ろう。何を創ろうにも自転車に乗ったままでは集中できない。


漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。ペダルを漕ぐ。早く漕ぐ。だんだんと速度が上がる。

まだ漕ぐ。漕ぐ、漕ぐ。速くなりはせど景色は変わらない。


……なんだかいらついてくる。変わり映えのしない景色、いつもと同じ景色。暗くて暗くていらついてくる。灯りがある建物なんてものはない。田舎とはいえ、ちょこちょこ店はあるんだけれども、どこも明かりがついていない。


……こうまでして遅くなる原因は、明日からは取り除かれる。そう考えたらこのいらつきも治まると思ったけど、どうにも根深い。


暗いとどうにも気分が落ち込んでしまう。ならば、早く家に帰ろう。


ペダルを漕ぐ。重い足を何とか操り、速度を保つ。

相変わらずの景色だが、暗闇の中にかすかに田んぼが見えた。ということは、あと少しで家に着く。


そうして田んぼの横を通ろうとして、何かにぶつかった。

ぶつかったと言っても、大きなものではない。顔のあたりを飛び回るなにかだった。





ああ、虫か。


毎年恒例のうるさい奴ら。不快感だけはあいつらを上回る。


……まあいい。早く通り過ぎようか。

前方を柱のように飛びまわっているそれらを、体で押しつぶすように通る。そうしたほうが早いから。どうせこいつらは僕に何もできないんだから、早く通れるほうを行ったほうがいい。


しかしながら、これだけ集まると、プーンという音もとても大きく聞こえてくる。だけど、それももう少しで消える。さて、家に帰ったら何をしようか。


羽音がまだ聞こえる。ウソだろ?もう一つ群れがあったのかよ。さっさとどけ。早く通らせろ。


……まだ聞こえる。別に、今度は体になにかあたった感触もない。



耳の中にでも入ったか?自転車を停めて、耳の中に指を突っ込んでみる。

特になにかあるような気もしない。周囲を確認してみても、何もいない。暗くてよくわからないだけともいうが。


どうにも頭から離れない。その羽音が。取るに足らない小さな存在の羽ばたきだったはずなのに。どうして邪魔をしてくるんだ。


いい。もういい。さっさと家に帰るべきだ。途中で消えるだろ。

停めていた自転車をもう一度動かす。



まだ聞こえる。まだ聞こえる。まだ聞こえる。


まだ聞こえる。


まだ聞こえる。


まだ聞こえる。


まだ聞こえる。


……まだ聞こえる。


とっくに田んぼは抜けたのに。音が離れない。頭から離れない。離れてくれない。自然と力が強くなる。速度が上がる。速度が上がる。汗が背中を流れる。


気がおかしくなりそうだ。音がまだ聞こえる。羽音が、羽音が。なんでもないだろ。別に、なんでもないだろ?変なことをしたわけじゃない。ただ、飛び回っているところを邪魔しただけだ。相手は虫だ。何が悪い?


頭でどんなに考えても、離れてくれない。速度が上がる。ペダルを強く踏む。汗が服をじとりと濡らす。家に帰りたい。家に帰りたい。そうすれば解決するだろうから。解決するから。


家がたくさんある。住宅街だ。少しの明かりがある。安心できない。早く、家に。


自然と速度が上がる。火事場の馬鹿力というやつだ。いつにない速さで帰路をたどる。握りしめたこぶしの中に水気を感じる。気味の悪い羽音は、まだ離れない。


家が見えた。自宅だ。いつもよりも明るく見える。興奮した体を落ち着けようと額から汗が流れ出る。いまだ羽音は聞こえる。


自転車を停めて、鍵をかけようとした。乱れた呼吸を整えて、家に入ろうとして、手が血まみれなことに気が付いた。


シャツは真っ赤に染まり、ズボンはてらてらと赤黒く光っている。


その姿はまるで、誰かを殺した後のようで。


けほっと軽く、くしゃみをするように吐き出した血の塊には、透明な芋虫が這いまわっていた。


なんで……。


なんで


なんで


なんで


なんで


なんで


なんで


何もしてない。何もしてない。なんでこんなことになってる?いみがわからない。どうして?どうして?どうして?体の中に芋虫が?気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!


身体をかきむしる。衣服が邪魔だから脱ぎ捨てた。体中が血まみれだった。死んだ羽虫が肌に張り付いていた。かきむしってかきむしって。血が出ようともかきむしって。


止んでいた羽音がまた聞こえた。



頭の中がそれに支配される。意識が集中する。忘れるようにかきむしる。でも忘れられない。頭の中にそれがいる。羽音は何を望んでいる?懺悔?謝罪?何が欲しいんだ?


謝るから


謝るから


謝るから!


早く離れてくれ。安心できないんだ。なんでもするから。なんでもするから!


かきむしった傷口から血が滴り落ちる。そこから虫が這い出で来る。さらに肌をかきむしる。どんどん傷が増えてくる。どんどん虫が落ちてくる。


気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い


一匹の幼虫が、丸くなった。それから、ついで他の幼虫も、丸くなった。丸くなった丸くなった丸くなった。その形は、蛹のようだった。


羽音が聞こえた。頭の中じゃない。


目の前からだ。


蛹から、羽虫が飛び出してきた。


吐き出した血の塊から、したたり落ちた血液から、僕の傷口から。


その虫たちは、僕の前をくるくる回る。さっきみたように。


それは、柱のようだった。

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