トイレの王様
とある国の王様は、民衆に深く敬われ、慕われていた。
だがある日、その王様が「う~ん」と唸り、実に悩ましげな表情を浮かべていた。重く沈んだ顔には、いつもの威厳がない。その様子を見た忠実な臣下が、心配そうに声をかけた。
「王様、いかがなされましたか? どこかお身体の具合でも……?」
王様はゆっくりと首を横に振り、ぽつりと答えた。
「この前、街に出ただろう」
「ええ、護衛を従えて少しばかり歩かれましたな。民衆が手を振り、大層喜んでおりました」
臣下はそのときの光景を思い出し、頬を緩ませて、うんうんと頷いた。
「そのとき、民の声がちらと耳に入ったのだ」
「ほう、どのような?」
「『王様は偉大だが、糞は普通にするだろう』と」
「なっ……それは何とも下品で無礼な……!」
「ああ、違う。あれに悪意はなかった。それよりも、余はその言葉に妙に納得したのだ」
王様は腕を組み、重々しく頷いた。
「王たるもの、どんなときも威厳を失ってはならぬ。風呂場は広々としており、侍女たちが身を清めてくれる。食卓には豪華な料理と調度品が並び、余の一挙手一投足には格式がある。しかし、トイレは……普通だ。もちろん、民家よりは立派だが“王のトイレ”としては凡庸すぎる」
「は、はあ……まあ、確かにおっしゃる通りかもしれませんが……」
「つまり、これは……問題だ。ああ、由々しき問題だぞ」
「そう、ですかね……。では、新たに作り直させましょうか?」
「そうだな……ああ、そうだ。今すぐ腕の経つ職人を呼べ。王にふさわしい、威厳あるトイレを作るのだ!」
話が進むにつれ、王様は熱を帯び、そう命じた。すぐさま各地から名のある職人たちが呼び集められ、費用に糸目はつけず、技術の粋を尽くした結果――王にふさわしい、かつてない壮麗なトイレが完成した。
それは城内でも屈指の広さを誇る一室だった。天井は高く、天窓から柔らかな光が差し込む。床には深紅の絨毯が敷かれ、壁は純白の大理石。三段の階段をのぼった先に鎮座するのは、まばゆい輝きを放つ純金の便器。その背後には、まるで水平線から昇る太陽と燃え盛る炎のような巨大な黄金の装飾が広がり、いくつもの大きな宝石が蜘蛛の眼のように埋め込まれていた。
王様はその仕上がりに大いに満足し、職人たちに惜しみない褒美を与えた。そしてこの新たな“王のトイレ”の完成を国中に布告したのである。
以降、王様は以前にも増して頻繁にトイレへ赴くようになった。
やがて――
「王様、他国の使者が到着し、謁見の間にてお待ちしておりますが……」
「ここへ通せ」
「……承知いたしました」
王様はトイレに入り浸るようになり、とうとう執務室としても使い始めた。使者を迎えるときでさえ、堂々とズボンを下ろし、黄金の便器に腰を掛けたまま応対するのであった。
むろん、前代未聞。常識外れも甚だしい。国辱的な行為であり、嘲笑の的になるかと思われた。
だが、実際には使者たちは誰一人として笑うことができなかった。そのあまりの威厳にみな圧倒され、自然と膝をつき、言葉を失ったのだ。
考えてもみれば当然である。用を足すという、本来ならば隙だらけの行為を、一国の王が一片の恥じらいもなく堂々と行っているのだ。これは並々ならぬ自信と支配力の表れに他ならない。生物としてお前は下だと宣告されたようなものである。
もし王様の態度に少しでも動揺や照れがあれば、結果はまた違ったであろう。しかし、王様は揺るぎなかった。
使者たちは国に戻ると口々に「あの国を敵に回すのは得策ではない」と語った。
臣下たちもまた、王様の絶対的な威光を目の当たりにし、謀反を企むなど思いもしなかった。こうして王様の国はますます繁栄し、民衆は王様を『トイレの王様』と称えた。王様は満足したのであった。
だが、やがて王様は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
死因は『便秘』だった。