8話 事件発生
連絡手段がある世界かない世界で、物語の難易度は変わる。
スマホがない生活がもうわからん。
犯罪調査の仕事か探偵の仕事がしたいです。推理小説を書くために。
「昼ごはん、なに食べる~?」
「なんでもいい」
「なんでもいいなら、なにも食うな」とディルは冷蔵庫を漁りながら言った。
「これ。これがいい」
「君ってさ、”これ”とか”あれ”とか”それ”が多いよね」とディルは表情を変えずに続けた。「君、この文字読める?」とディルはソーセージの入った袋を差し出す。
当然、ロナは文字が読めない。
そのような教育を受けていなかったからだ。
ロナはぽかーん、と口を開け、間抜けな表情をしていた。
「あ~やっぱそっか…教育受けてないでしょ」とディルは驚いた様子もなく、ただ遠くのニュースを語るような口調だった。
「何才? そんなこと聞いてもわからないか。何回、冬を超えたか、何度、季節が廻ったか。そういうのがわからない」
そういうのは寂しいな、とディルは心の中で呟く。
「何度も廻るものに意味なんてない」とロナは返す。
「そりゃそうか。ーーーー生で食うもんじゃないよ」
生でソーセージを口に含むロナにディルは呆れたように言った。
「吸血鬼は生でごはんを食べてた」
それは人のことだろう。吸血鬼は普通にパンやコメを食べることができる。
「あいつらの真似なんかしたら胃がモタない。生肉っていうのは本来、危険なんだ。どんな病原菌がいるかわからない。だから加熱して、病原菌を無効化する」
「そういうものなの」
「そう。そういうもの。ーーーー強くなりたいか…強いほうがいろいろ、便利だけど…」とディルは視線を上に向ける。ディルの糸目からは表情が読み取れない。ディルはドライな口調で続けた。
「勉強ができるほうがこの世界は有利だ」
できない人間は同時に不利で絶望的である、という皮肉を込めて、ディルは薄く嗤った。
多分これは自身に対する嘲笑。
「ーーーまぁ途中で誰か恨まれて殺されたり、吸血鬼に喰われない限りはね」
人生はなにがあるかわからないからねー、とディルはさらに皮肉な表情になって続けた。
「現在がうまくいってても、途中で挫折したり、再起不能になることだってあり得る。人生ってさ、そういう意味では残酷なほど平等だよね」
誰も不幸や不安から逃れられないという意味で。
「…」
ロナは妙に悲しく憂いの横顔を覗かせるディルに、目をぱちくりとする。
「誰のことを思い出してるの?」
尋ねたロナにディルは顔を向けて乾いた微笑みを浮かべた。
「自死した父親のことだよ」とディルは心の澱を天気の話でもするかのように言った。
★
「文字ってどうやって教えたらいいのかねー」とディルは肘をついて考え込んだ。
「学校に行けばいいんじゃないの?」
「そういうものだけどさぁ…。それ以前の問題があるんだよ、君」とディルは独り言にように言った。
「生活能力低くても、生活はできてるのに…」とロナはディルを上目使いで見ながら、本人に聞こえるか微妙な声音で囁いた。
当然、本人に聞こえています。
(なんか俺、悪口言われてるな…)
ディルの携帯が鳴った。
「あ~これは嫌な予感」とディルは応答する。
話し終えたディルは、悪徳で陽気な微笑みを浮かべた。
「事件だよ」とディルはロナに子供のような笑顔を向けた。
「いいね。退屈なんかしなくて。憂いなんて忘れさせてくれる」
★
ステファンは周囲に視線を走らせた。
爪を剥いたとき、周囲はぎょっと驚いた様を見せた。
だが…
(わかるんだよな、同類ってやつは)
誰もがきっと敵と味方を分類せずには、いられない。
仲間、味方、ライバル、敵、好き、嫌い。
無意識に好意的か悪意的か判断し分類するのは生き物の性だ。
俺は吸血鬼だが、どうやって同類を見分けるのか、わからない。
人間だってそうだろう。
なにが人間の特徴かはわからないが、骨格、体の部品の位置、構造の類似度で分類しているはずだ。
しかしながら吸血鬼と人間の見た目は似ている。中身も似ている。
解剖したことはないが、肌の上から見える骨、内臓。
体温も同じくらい(吸血鬼のほうがちょっと高い)。
すべてが酷似しているのだ。
(吸血鬼も人間も似た者同士なのに、なんだって仲良くできないんだか…)
考えすぎると今度は悲嘆に暮れて、変な感想が出てきてしまった。
(そんなこといったら、男女だってそうか)
(こんなに似ているのに仲良くできない…)
(いいや、仲はいいか。ただ対立することが多いだけで)
どうでもいいことばっかり考えてしまってるな、とステファンは自分自身にため息をついた。
(吸血鬼は慣れているのだ…)
人を殺すことや血を見ること。
普段は見れない服の下、口の中、胃の中を見ることに。
ステファンは視線を奔らせただけで勘づいた。
天然のペテン師でない限り、ステファンの洞察力を騙せはしないのだ。
「あとは適当に爪でも剥いてろ」と言い残し、椅子にふんぞり返った。
缶切りを渡された職員は戸惑いを浮かべ、涙ながらに無言で抗議したが、
ステファンの睨みに屈した。
「ひとりひとつ、爪を剥いてみればいい」
大丈夫さ、爪は生えてくるんだ、人でも吸血鬼でもな、とステファンは嗤った。
そして様子を見つつ、こっそりと移動し、ディルに電話をしたのだった。
★
「でも検討ついてるんでしょ?」とディルは片手をひらひらとさせながら、嫌みを言った。
「吸血鬼が誰かはな」
「公共データベースに権限で無理やりアクセスしたよ。2件が吸血鬼による喰い殺し、3件が打撲…人による殺人かな?ーー死体がまだある頃に言えば、僕が死亡日時を調べてやったのに…。ここの憲兵は調べないでしょ、そういうの」
「興味がなかったんだ。ただこんなことになっちまった…」
ディルはなんともいえない複雑な気持ちになった。
身近でこんなに殺人事件が起きてるのに、呑気なものだな、と。
「1件は喉を潰して…多分、これは勘だけど、生きたまま、腸を裂いている。2件目は首をはねている。睡眠中か睡眠薬を飲ませてやったんだろうね。喰い方が汚いわりには、首元は綺麗だーーー殺し方に統一性がない。同じ人物かはわからないけど。ーどちらにしても品性に欠けるね」
「周囲に俺が吸血鬼だということはバレちまった」
「あらら…それは大変」とディルは電話越しにけらけらと嗤った。「全員、殺すの? 口封じにために?」と挑発的に尋ねた。
「おまえが俺の再就職先を用意してくれるなら、生かしてやってもいい」
「そんなのさ、また同族殺しをやればいいじゃん」
「…………。あんな危ない商売、若いうちだけだ。俺はな、心身穏やかに働きたいんだ。おまえの兄妹とは違ってな」
「それは嫌みかな? それは僕の兄妹にいうべきでしょ?」
「あの二人に嫌みを言っても、つまらん。軽く流されるだけだ」
「それはごもっとも。ーーーー吸血鬼の候補がこの3人ね」
「それがな、そのうちのひとり、黒髪のマッシュのほう。こいつ、吸血鬼じゃなかった」
「ふ~ん…」
「俺が爪を剥いだときの反応が無関心すぎた。だからヤッてる側なのかと思ってたんだ」
「ほぅ…」
「だがやつの剥いだ爪は再生しない。あいつは吸血鬼じゃなかったんだ…」
「んじゃ、人殺しだね。人の死を見慣れてきたか、幼少期のトラウマ…暴力沙汰を目にしてきたか…まぁそんな推測、意味ないけどね。ここで5人も他人が死んでるわけでしょ? そのうち3件の死因は打撲。明らかに黒だねーーー調べるからさ、名前教えてよ」
「人の名前なんて入れが覚えてるわけねーだろ」
「それもそうか…」とディルは内心、この人はなんで周囲に興味がないのかな、と落胆交じりに返答した。
ステファンはちらりと視線を投げた。
例の男、吸血鬼のひとりが爪を剥ぐ出番だった。
「いいよ、自分でできるよ」と自分の爪を噛み切った。
わっ…と驚いた声があがり、今度は異質で異様な沈黙が場を包んだ。
「ほら。再生しました。俺は吸血鬼です」と爪を剥がした男が淡々とした口調で言った。
明らかに染めたとわかる2種類の髪色と、耳元で光を反射する金属類。指にはどくろのリング、手首にはきらきらと光る金属と目玉モチーフのオブジェクトのブレスレット。
「お、おまえ…!!」「吸血鬼だったのか…」「殺したのはおまえかっ…!!」
「うるせぇなぁ」と男は悪態をついて、ストレスでぼりぼりと頭を掻いた。
「人を殺すなんて誰でも簡単にできることなんだよ! 吸血鬼だから人を殺す? 吸血鬼だって人だって関係ないね」と腕を広げながら、不快に顔を歪めさせ、悪態は変わらず話を続ける。
「だいたい僕がこんな馬鹿なことするわけないでしょ? だいたい犯人なんて予想ついてるでしょ? 5人も殺されたんだ、この職場で」
喋る男の背後でゆっくりと銃を向ける人物。
吸血鬼の男は眼鏡をくいっ指であげると、ポケットに手を突っ込み、なにかを投げつけた。
銃を向けていた人物の頭に直撃した。
「人が喋ってんのに銃を向けるのはコミュニケーションとれない人の典型でしょ。人には決めつけるなっていうくせに、自分の悲惨さには無関心だよな。ーーーーだいたい気づいてる人もいるでしょ? 人を殺したあとの、まとわりついた血の匂い。すり違ったときに鼻孔に刺す腐臭を」
男がそう言い終わったとき。
一部の人がある人物に目を向けていた。
視線の中心の人物は、無表情に微笑みを浮かべ、視線を受け止めていた。