4話 最悪な再会
「兄さん…」とディルは呼応するように声をあげた。
白髪の男は手元のナイフを弄びながら続ける。
「依頼があってね。ここまで来たんだ。愚弟もいるとは驚きだね。まぁ僕はディルのことを血のつながった兄弟だと思ったことはないけどね」
ニヒルな笑みを浮かばせながら、ディルとゼロウの間に優美に着地した。そのままディルのほうへとずかずかと遠慮なく歩を進める。
ディルは苦々しく頬を硬直させ、思わず後ろへ歩を後退してしまう。
そんなディルを追い詰めるように白髪の男は帆のスピードを速めつつ、壁際に追い詰める。
耳元で白髪の男は囁く。
「僕を殺したいんだろ? 愚弟のディルには出来っこないけどね」
ディルが睨みつけるも、白髪の男はどこ吹く風だ。
そんな白髪の男が短く悲鳴をあげた。
次の瞬間には地面にひれ伏していた。
「似てるよ。おまえら。性格も口も悪く、お調子者で間抜けなところが」とゼロウの嫌みではなく、心底、残念なものに対して呆れたようにそう言った。
「もっと紅のギラギラした闇夜に光る眼が似てるとか、あるじゃん。華奢な体格や整った顎のラインだとか」と抗議するのは白髪の男である、ディルの兄だ。
「それ以上に残念なところが似てる」とゼロウはやはり吐き捨てた。
「…………僕を助けてくれたんですか…そのわりには嫌みが多いような…」
「そういう契約だからな」とディルを睨みつける。灰色の双眸からは感情が読み取れない。無機質だ。
「とどめはおまえが刺せ。俺は吸血鬼以外を殺す気はない」
ゼロウはディルに銃を渡す。
「…………え。復讐はあなたが代行してくれるんでしょ…」
ディルのセリフの最後のほうは掠れていた。
投げ渡された拳銃を真摯に見つめるディルの手は湿っていた。
「俺は殺し屋じゃない」
「軍人でしょ」
「元軍人だ。それにおまえは上官ですらない」
「いやぁ、僕、上司ですって」
「上司だと思ったことはないーーーー先延ばしにするな。考える時間は今まで十二分にあった。これ以上、おまえの本気じゃない契約に俺を巻き込むな」
ゼロウのまっすぐな眼差しがディルを射抜く。
この人はいつだってそうだ。まっすぐだ。迷いがない。
「本気だ。本気に決まってる。アイリスのせいで父さんは死を…選んだ…生きることをやめたんだ」
アイリスは鼻を鳴らした。意地悪く。
「生きるも死ぬも自分次第だ。決定権はいつでも自分にあるし、そうじゃなかったら、そうであるように努力すべきなんだ。愚弟は不満ばかりいうくせに、なんの努力も決断もしやしない」
僕だって本気だ。でも迷いはある。誰もが常に100パーセント満足のいく選択があるわけじゃないし。それでも一番マシでまともな選択がわかってても、それでも決断できるものじゃない。選択の数歩先は未知数で引き返せない虚しさや悔しさを何度も味わってきた。今回だって今だって、自分の選んだ最善の道ですら、結果は最悪かもしれない。その可能性は十二分にある。
だからこそ、ディルは迷う。しかしそれでも決断を避け続けるわけにはいかない。
ディルは震える手を必死でコントロールしながら銃口を向けた。
「弾を込めないと死なないぞ」とゼロウは言う。
「はぁっ!?」
「銃を手渡すときは弾丸を抜く。銃のルールだ。あと撃つ気がないのに用心金(引き金のこと)に指を入れるな。迂闊に発砲するなよ。基本的なルールだ」
「…そうだけど。そういうこと言ってる場合?」
というか弾入れといてくれよ、と口角を飛ばす。
「残念。時間切れよ。愚兄」
身体が後ろに引かれた。ディルは自身の頭部に柔らかい感触がした。
「久しぶり」と妖艶な声音が耳元でささやかれる。
「アイシャ…」
「銃を持つときはこう。ちゃんとした基本の持ち方もこうよ。ちゃんと照準を合わせる。もっと近づいたほうがいい。兄さんは下手なんだからゼロ距離で撃つのが確実。ねぇ、もっと近づいて。震えて足が踏み出せない? 相も変わらず子供ね」
「アイシャ…ふざけてるのか」
「ええ。あなたで遊ぶのは楽しいわ。大丈夫よ。遊んでるだけ。空なんだから」とアイシャは引き金を引きーーー
「弾丸が入っているかもしれないんだぞ」
引きかけたアイシャに、体をねじり対抗するディル。
ふわり、と無駄のない仕草で後方へ飛ぶ。手に持った銃を横頭部に当て、引き金を引いた。
「ほら。大丈夫でしょ」と妖艶な笑みをディルに向けた。
「死んだらどうするつもりだったんだ…」
「あら? わたしたちを殺したいんじゃないの? 死んでくれたらそれはラッキーじゃない?」とけらけらろ嗤う。
「ああ、そうだよ」とディルは喉の奥から素の声を乱暴に出した。「俺はお前らが嫌いだよ! 今すぐ死んでほしいほど憎いし、積年の恨みがあるよ。お前らが好き勝手に生きなければ、父さんは死ななかった」
視界の片隅でアイシャが呆れたように肩をすくめた。
でもな、とディルは続けた。
「誰かを殺すなんてお前らみたいなことが簡単にできるわけがないんだよ。現におまえらだって僕を殺せないじゃないか。疎ましいといいながら、その力がありながら、僕を殺さない」
「わたしたちはね、お金のない殺しはしないの。無償で働くなんてまっぴらなんだから」
でもね、とアイシャはディルのほうへと猫のように歩を進めた。
その所作は優美で無駄がなかった。
ディルが体をあとじさったときには手遅れだった。
ディルは羽交い絞めにされ、満月を視界に映した。満月を突き刺すように縦に一線する刃も。
「いつでも殺せるのよ? 殺すことはできなくても、手足をもいだり片目を潰すことはできる。ーーーわたしにも罪悪感はあるのよ。この程度で済むほどのね」
首に回された腕に力が込められる。
アイシャとディルの力差を考えれば、ディルの首が折れないほうが不思議だった。
アイシャは手加減をしていたのだ。
だからこそ、アイシャはディルの意識が失う寸前のばっちりなタイミングで腕を離した。
反射的に崩れ落ちるディルの身体。膝を地面に殴打し、嗚咽を漏らす。そのまま、ぐるりと仰向けになった。
ふざけんな、と喉の奥で悪態をつき、アイシャを見上げる。
アイシャはディルを心底、呆れた表情で見下ろしている。
なんて可愛げのない妹なんだ、とディルは悪癖をつく。
だがしかし。
でかい。
身長も胸もでかい女。
声に出したわけではないのに、なぜか蹴りを入れられた。
やはり可愛げのなさのほうが目立つ。
「ねぇ姉さん。ディルのことより僕を助けてよ。この姿勢辛いんだけど」
「さぁさっさとどきなさいよ」とアイシャが言うのと同時に、ゼロウはアイリスを押さえつけるのをやめた。あちこちの関節が変に曲がっているせいで立ち上がれない。おまけに身体の痺れが痛い。
「あの男、元軍人の〈ラスト・ミッション〉よ」とアイシャはアイリスの耳元で鋭く囁いた。アイリスがマスクの下で瞳を見開く。
「やり返すなんて面倒なことはやめなさい」と遠回しに伝える。
ラスト・ミッション。圧倒的な強さと理不尽さからついた異名。
アイリスは唇を尖らす。歯をくいしばったあと、となりの壁を乱暴に蹴った。白い髪を乱暴にかきあげて、がりがりと頭を掻いた。
「姉さんがそう言うんなら仕方がない。僕だって不毛な争いはしたくないからね。お前さえいなければ、愚弟をいじめることなんていつでもできる」
愚弟ことディルを横目で睨み、アイリスは背を向け、アイシャとともに立ち去った。アイシャは帰る途中、背を向けたまま、
「ディル。あなたのことは家族としては愛しているのよ。個人としてはみっともないし好きになる要素なんてないくらい嫌いだけど。」
ふと振り返り、整ったフェイスラインをあらわにして
「だからね、自分の手に余るラインは超えちゃいけないのよ」