13話 吸血鬼のその後
「アイシャ..............................」
消え入りそうな意識の中で、ディルはうわごとを呟く。
「残念だったな」dgfd
返ってきた声はアイシャの妖艶な声とは程遠い、野太いものだった。
「アイシャに会いたい」
「…………」
その男は無表情のまま告げる。
「俺はアイシャじゃない。そいつはそもそも、おまえの復讐相手だ」
「殺してやりたくて会いたいんだよ」
「ほんとうにそうなのか?」とさしては興味がなさそうな問いだった。
ゼロウ・レクタールはため息をついた。
この男ディル・フロートテールの頭脳の明晰さとそこそこの戦闘能力には、そこらへんの人間よりは能力値が高いと尊敬するが、それ以上に残念だと思うところがある。
「おまえは本当に残念な奴だな。ディル・フロートテール」
焔が支配する部屋でゼロウは呟きを落とした。
★
「なんで僕、働かされるんですか? 怪我人ですよ」
休ませてくれ、とディルは悪態をついた。
焔の中からゼロウに救出され、そのまま吸血鬼を追うことになったのだ。
「いやぁ…見つかんないですねぇ」
「そんなわけがないだろ」
わざとらしくへらへらとした態度で弱音を吐けば、屹然とした態度で返される。
「おまえは本当に無能なのか?」
「それは能力を認めているんですか?」
「能力は人並みよりは高い。性格がメンドクサイくて残念なのは本当だ」
「僕はお茶目なんですよ」
「ゴマすりは得意だよな」
嫌みではないストレートな口ぶりだ。
「…………まぁともかく吸血鬼の家を捜索してみましょう」とディルは言った。
「ここらへんの地域は街頭カメラがないところも多いですね。あえてそういう地区を選んだのかな?」とディルは町を見上げた。
街は煌びやかなネオンの光で包まれていた。
まるで町自体が発光しているようだと、なんとなく思った。
★
クルシェ・リツコ。ひとり暮らし。職歴が途中までしかたどれない。
僕の感覚からすると、怪しい類に入るな、とディルは目を細めた。
「あの女、自分の家に帰るような奴じゃないですね」
「どこに帰るんだ?」
「そりゃ会社暮らしでしょ」
「そうか。俺もそうだったからな」
「あ~軍人の頃ねぇ。拘束時間、長くて僕だったら耐えられないなぁ」
「協調性もなく我慢もできず飽き性には耐えられないだろうな」
「…………ーーー男遊びに決まってるじゃないですか。男の家にいって、することしてたんでしょ」
「吸血鬼だから人を喰ってたんだろうな」とゼロウは言うが、その声は鋭く尖った怒りと憎悪が覗いていた。
「…………」
ディルは内心、思う。
(あ~この人、天然だ。知ってはいたけど、その年齢で天然もきついよぉ~)
だがディルはこういう見えてタフだ。
曲者たちとの付き合いの場数はこなしているため、そんなことでいちいち神経をすり減らすことはしない。
リツコの家は生活感がなかった。
最低限のもの。最低限の服。うっすらと埃が積まれた家具。半開きのカーテン。元栓を閉めたガス。
ゴミ袋すらない。
下着は数枚…。
トランクは3つ。
「どこ行ってんでしょうかねー。闇市じゃなきゃいいんですけどねー」
その先に言葉をディルは言わなかった。ふと軽い口が次を言いそうになるのを、寸前で止めた。
闇市には闇市のルールがある。
ルールを破ると厄介なことが起こる。あそこはあそこで、こことは違った曲者たちが多い。ここらへんの上層部はまだ穏便なのだ。腰は重いし、しがらみは多いが、血なまぐさいことは嫌いという、よくも悪くも、あそこよりは潔癖だ。歪んだ言い方をすれば平和的。
(吸血鬼を滅ぼすことを目標に掲げているレクタールさんからすれば、最悪な平和なんだろうけど)
ディルは糸目を開けた。紅の美しい瞳が覗いた。
闘わない。吸血鬼という害悪を放置した平和。ただ自分が喰われないことを祈り信じ、現実を見ない上で成り立っている平和だ。
(あ~問題はこの人なんだよな。闇市の人たちよりぶっ飛んでる、この人のほうが厄介なんけどね)
この男ゼロウ・レクタールは闇市だろうが関係なく吸血鬼を殺すだろう。
ラスト・ミッションに恐れるものはないのだ。彼は実際にものすごい桁の懸賞金がかけられている。
それで生き残っているということはそういうことなのだろう。
そういえば、とディルは思う。
(ステファンはなにしてるんだ?)
ステファンは吸血鬼だ。
当然のことながらステファンとゼロウは仲が悪い。
それはもはや殺し合いレベルの中の悪さだった。
ディルは迷ったが、興味のほうが勝ったので訊いてみることにした。
「ステファンには出会わなかったんですか?」
ギロリ、とその灰色の双眸で睨まれた。
「逃げたよ、あいつは」
「あ~そうですか…」
(ということは殺し合いになったのか。そしてステファンは逃げた、と)
ステファンさんも丸くなってたなぁ、とディルは思った。
ステファンも強い。そしてわりに合わない勝負もする。彼は冷静に見えて感情で生きている人間だ。ムカついたら平気で殴るし、自分のダメージを厭わない勝負をする。
昔の彼だったら逃げを選ばない人だったはずだ。
だからこそディルは関心してしまったのだ。
そしてゼロウ・レクタールにも及ぶ。
(この人も丸くなってくれないかなぁ~)
(年々尖ってく一方だよなぁ~)
ディルのへらへらとした表情の内で、そんなことを思った。
「おまえを助けなければ、あいつを逃すこともなかった」
「おっ。それは僕に対する嫌みですか?」
「俺が助けたかったんだよ。だから助けた」
「僕のこと嫌いな割には好きですよねー」
「必要だとは思う。おまえの代わりでマシな奴はいないからな」
「正直な人だよなぁー」とディルは後頭部を掻いた。
「気になるのは、この吸血鬼をストーカーしていた男」
クルシェ・リツコはモテる。ディルは一目見たときから、こいつは魔性だと直感した。
そしてそんなリツコの写真を何枚も持っていた男。
こいつはストーカーだ、とその好意の断片を一目見たとき、確信した。
「僕の邪推だと、吸血鬼の人喰いを見て見ぬふりした挙句、人殺しを助けた。ストーカーのほうがこの女が次に何をするのか、わかるんじゃないかと思います。追ってみましょう」
「そうだろうな」とゼロウはディルを見て、納得した表情をした。と同時にこの男を哀れだと思った。そんなことを思われていると当の本人は知らずに、きょとんとした顔をしている。
「ストーカーのほうがわかるかもしれん」
ゼロウは無機質に同意を示した。
★
「まるでお前の部屋みたいだな」
ゼロウは嫌みでもなく、そう思った。思ったことをそのまま言ってしまうのが、ゼロウだった。
ストーカーの部屋は、ストーカーらしく、その写真で埋め尽くされていた。
「気持ち悪いですねぇ~」
ゼロウの嫌みを聞こえないふりをして、ディルは思ったことを言った。
ディル自身の気持ち悪さにも気づかないふりをした。
「殺人衝動があるのかも。標本だ」
ディルは人の家だというのに、構わずに引き出しやクローゼットを漁っていく。
「ふ~ん…ねずみの標本ねぇ。趣味が小物だなぁ」
器用だな、とゼロウは感心したが、ディルとは違い無駄口が嫌いだった。
「この流れで行くと、人も標本にしそうですけどねぇ」
「なにが楽しいんだか」
ルンルンと語るディルを横目に、ゼロウはディルに対して呆れた表情を見せた。
何が楽しんだか、はディルに対して言ったセリフだったが、口数の少ないゼロウの真意を理解することはディルでさえ難しい。当然、他の人はもっと難しい。
「記念じゃないですか? 嬉しいでしょ? 金メダル貰ったりさ。ーーー僕にはわかんないけど」
「わかんないだろうな、無能な縁がないからな」
「あ?」
素で苛立ちを覚えてしまった。
「ん~この場所、見覚えあるな」とディルは写真を見て、ふと思う。
注意深く観察していると、だいたい検討がつく場所がいくつか見つかった。
(この町は意外と狭い)
ディルは紅の瞳を覗かせながら、そう思った。
「見当がついたか?」
ディルはきょとん、とした顔から、いつものにんまりとした皮肉交じりの笑みを浮かべて
「ええ。もちろん」と明るくニヒルに言ったのだった。
(この町は意外と狭い。逃げ場などないほどに)
そんなことを思いながら、ディルは外に出た。
照りつける朝日を手で遮りながら、糸目を見開いたのだった。