12話 とある吸血鬼の心情
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多分、自分が一番、好きなんだと思います。
ちやほやされている自分がダイスキなんだと思います。
どうしてって言われてもわかりませんけれど、気持ちいいのは確かじゃないですか。
多分、自分が関与できない認識があって。
すごくいい夢を見ていた気がする。
気持ちのいい夢から目覚めたときは、いつも口が血で満たされていた。
なんでかは知りません。
鏡の中の自分を見たとき、どうしてわたしはこんなに醜いのだろうと思いました。
それでも、会社にいって男を捕まえて、愛想で顔を覆えば、ちやほやされて、相手が気づかぬ間に相手の心を支配している。
多分それが気持ちいい。自分の醜さを優越感で隠せるところ。ちゃんと理想の自分でいられている自分に安心する。だからね、決めていたの。もし。
もし。ほんとうの自分に気づかれてしまったら、全員ーーーー
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そう。全員ーーー
「死刑ね」
手が無自覚に顔へと伸びた。
顔にヒビが入っている。感触がデコボコしている。
吸血鬼の再生能力は無限ではない。それは一般的な治癒と同じで、肌をすりむけば綺麗に元通りになる保証などないのと同じことだ。吸血鬼も例外ではないのだ。
「死刑よ」
あの男の顔が脳裏に思い浮かんだ。
憎たらしいほどの薄ら笑い。感情がある意味うかがえない糸目。
手を握りしめたら血が垂れた。唇を強く噛んだら血の味かした。
陽の光が当たる。
夜が明けるのだ。
光にリツコは目を細めた。
「…しまったわ」
その声は乾いていた。絶望のあまりに。
身体の力が抜け、膝と手のひらを地面につけた。
水たまりに自分の姿が映る。
顔が縦に裂けている。今にも血肉が蠢き、再生の兆しを見せているのはわかる。
けれど。
器官が複雑であるほどに、再生に時間は要する。
さらにいえば。
「再生できなくなっちゃうのに…」
喉の奥が渇いた音を立てる。
ポタリ、と涙が垂れ堕ちた。
吸血鬼は夜の生き物だ。活気がつくのは夜。血肉を求めるのも夜。再生が進むのも夜。
一滴の涙につられて、パラパラと雨のように、目尻から雫が零れ落ちた。
「ごめんね、リツ」
ごめん。ごめんなさい。でもきっと、この思いは届かない。
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気づいたときには血に濡れている。
記憶も感触も全部。
そういうことが毎日のようにあったから、なにも思わなかったの。
本当よ。
だって太陽が昇ることに疑惑を感じる?
夜の星は綺麗ね。でもなんでそうなのかなんて誰も考えないでしょ? 考える人もいるけどね。
わたしは学者じゃないから考えない。
興味もないしねー。
記憶が全くないなんていうのはウソよ。
おぼろげだけど記憶がある。でもない記憶もある。
「血生臭い…」
自分が誰かなんて考えない。自分が何者かなんて考えない。
わたしは吸血鬼でもグールでもない。
切った肌はすぐには治らない。
人を食べたい欲求はない。
普通の人間。
普通のOL。
普通の女。
普通がなにかはわからないけどね。
ただ祈っている。
誰もが無意識に恐れて怒って祈るように。
「今日も昨日と同じ一日でありますように」
だってないんだもの。
変わりたい願望も変えたい願望も、抜け出したい願望もない。
ただいつもと同じ日々の中で安心していたい。
いつもと同じ日々なんてない。
まっ昼間のオフィス。
銃を手にした上司がいる。
ここ立て続けに吸血鬼による殺人が起きているらしい。
「…………」
まぁ身に覚えがないわけじゃないけど。
リツコは髪をくるくると指先で弄んだ。
立て続けに起きている人食いによる殺人。
憲兵も動かない今、人食いを特定しようと躍起になったのだ。
人食いを見分ける方法は簡単だ。
人食いである吸血鬼やグール(ここらへんの区別は曖昧)は再生能力が異常に高い。
切り裂いた傷はあっという間に完治する。
肌の傷くらいだったら、ただの人間でもすぐに簡単に完治する人もいるけど。
吸血鬼やグールは違う。
切り落とした手や腕でさえ、1分後には完治してしまえるのだ。
リツコは瞼を下した。
(わたしは吸血鬼じゃない…)
(そう)
「くだらない」
(昼はね)
(夜は別物なの)
「リツコは夜になると吸血鬼になる。彼女は現に3人もの人を喰った」
わたしのストーカーがいたのだ。
バレないかと思ったのか? バレていないのかと思ったのか?
バレてないわけがないとは思ってたわよ。
リツコは髪を退屈そうに弄んだ。
バレててもおかしくないとは思ってたわよ。
でもね、わたしは今日もいつもと同じ日常の続きだと信じて疑わずに生きてきた。
だからね、それなりにショックなの。
★
「…………痛い」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…!!!!
痛みがひどすぎる。
拳を力いっぱいに地べたに殴りつけた。
それでも引き裂かれた痛みを紛らわすことなどできない。
痛みは増えていく一方だ。
痛みで涙が出る。
それ以上に胸に湧き上がる思いはーーーー
「殺してやる」
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる
胸の中で殺意が渦を巻いている。
止められない加速していく感情。
それとは正反対に頭は冷静さを取り戻す。
夢の中のもうひとりの自分が受けた罰だったら、それだけだったらいい。
でも。
今、わたしはこんなにも痛い。傷をついている。
夢の中のわたしがしたことは罪だろう。食べるために何人もの人を殺したのだ。
これは罪に対する罰だ。
だけどね。
「これはわたしの罰じゃない」
(だってわたしには)
「罪のーーーーがないから」
だから。
「殺してやる」
奪われたもの以上を奪い返してやる。
いつもと同じ日々を求めている。
失ったそれはもう返ってこないかもしれない。
でもね。
人生は合理性じゃないからね。
やってみようと思うの。
とある吸血鬼の気持ち 完。
次も続きます。