優しいのには、理由がある
古ぼけた旧校舎の隅にあるベンチに座り、サンドウィッチを食べる。
いつもなら膝の上に座るネコを撫でるところだけど、今日はいない。
食べ終わって手荷物をまとめる。することはないけど、立ち上がる気にはなれなかった。
ここは人がいなくて、私の唯一の居場所だ。でもだからといってずっとここにいる訳にもいかない。これまで一つの授業も休まなかったし、残り一年もそうするつもりだ。
「ようし、戻ろ」
さすがにもう行かないと授業に遅れてしまう。呟いて腰を上げた。
寂れた庭を抜けて、校舎に戻ってくると段々と人が増えてくる。
廊下の先、不自然な人だかりに、足が止まった。廊下を塞ぐように、しかもお昼休みももうすぐ終わるというのに生徒が集まっている。
嫌な予感がして、別の道を通って回り道をしようと思った。面倒ごとは避けたい。来た道を戻るために一歩踏み出したけど、遅かった。
「おい」
背後からかけられた声に振り向けば、予想通りの人物が立っていた。
「おい、何度も呼ばせるな」
そこにはエリオット・ドルワがいる。王太子らしく華やかな姿は、目がチカチカする。話し方は傲慢だし、キザな態度は苦手だ。
その隣には女の子の姿がある。目をうるうるとさせて長身の彼を見上げる様子は、誰が見てもいじらしくて、可愛らし……く見える。彼女——ジル・フドレンス侯爵令嬢と目が合うと、蛇にでも睨まれたかのように震え、殿下に体を寄せた。
彼女を受け止めた殿下の顔は緩みきっている。愛おしくて仕方がないというように抱きしめる殿下の袖を、ジル様は控えめに引いた。殿下はハッとして、凛々しい表情を作ってから言う。
「またジルに嫌がらせをしたようだな」
すっかり聞き飽きた彼の言葉には、まったく身に覚えがない。どんな話かなと、諦めた気持ちで続きを待つ。
「ジルを階段から突き落とすとは……!下手をすれば、命を失うかもしれないのだぞ?」
殿下の言葉に、周囲で見守っている生徒たちがざわついた。
また彼女と目が合った。目には蔑むような色が滲んでいる。私は彼女に嫌われているようなのだ。
私は黙った。何を言っても無駄だからだ。殿下から始まるこの問答が私には終わらせられないと、嫌というほど理解している。
「何か言ったらどうなんだ。おまえは謝罪のひとつも言えないのか!」
殿下の言葉に従って、頭を下げた。もう少し待ってから、この後に顔を上げて「申し訳ございません」と言う——これがいつもの流れだ。でも今日は、違うことが起きた。
「これは一体、なんの騒ぎですか?」
軽やかな声が響き、一瞬で空気が変わった。喧騒が静まり、誰もが彼に視線を向ける。
「は、ハバード様」
「やあエリオット君」
エリオット・ドルワ殿下をそんなふうに馴れ馴れしく呼ぶことができるのは、彼だけだ。
我が国とは比べ物にならない国力を持つ帝国の貴族で、留学生としてやって来た彼——アスラン・ハバード様。留学とは名ばかりで、実際は情報収集のためじゃないかというのは有名な話だ。にっこりと人好きのする笑みを浮かべているけど、目は笑っていない。
「も、申し訳ありません……」
「謝るのは私ではなく、グレイ嬢にするべきでは?」
「こ、これにですか?……——っ、す、すまなかったな」
「……いえ」
殿下は私に謝る気はなさそうだったけど、ハバード様にひと睨みされただけで、すっかり萎縮している。
それにハバード様はどうやら、私のような貧乏貴族まで把握しているらしい。彼は優秀だと有名だから、きっと他国の貴族名鑑もすぐに覚えてしまうんだろう。涙目で縮こまる我が国の殿下が、情けなくて仕方ない。
沈黙が落ちたところに、人垣の奥からこちらを伺っていた先生たちがぞろぞろとやって来る。
私のすぐ後ろで、ハバード様は先生と話し込んでいる。この騒ぎを止めに入った訳だし、事情を説明しているんだろう。
彼は小麦色の肌に黒髪の短髪で、帝国らしく勇ましい顔立ちだ。柔和で優しげな男性が好まれる我が国とは正反対である。
しばらくして先生たちの声が響き、教室に戻るように促される。曲がり角を曲がるところで、ハバード様が立っていた。すれ違いざま会釈をする。彼の視線を感じて、冷や汗が止まらない。手を煩わせてしまったことで、不興を買ってしまったんだろうか。
***
「いるかな〜いるかな〜」
お昼休み、私は今日も旧校舎のベンチに向かっている。昨日はネコに会えなかった。今日は会えるだろうか。
——いた。白ネコと、ハバード様が。
「なんで?!」
小声で叫ぶという器用なことをした。
彼は帝国からの留学生だし、警護のこともあって、昼食はほとんど個室で食べていると聞いたことがある。いろんな意味で、ここにいるべき人ではない。きょろきょろと辺りを見渡しても人の気配はない。でもまさか、私に感じ取れないだけで、護衛はたくさんいるはずだ。
ベンチに横になる彼のお腹の上で、ネコは気持ちよさそうに眠っている。ネコが落ちないようにと手を添えている彼の目は閉じているから、彼も一緒に眠っているのかもしれない。
「……いいなあ」
ネコと一緒に眠れるなんて羨ましい。木陰から見守りながらついぼやいていた。
すると、ピクリとネコの耳が揺れる。彼のお腹の上で縦に伸びて、私と目が合った。私の独り言で起こしてしまったみたいだ。
ネコが彼の上から下りると、チリンと鈴の音が鳴った。この前まではなかったはずの首輪がついていたのだ。静かな空間にその音は響いて、ハバード様が身じろぎをする。
「まっまずい」
こんなにチリンチリン鳴っていたら彼はもうすぐにでも起きてしまうだろう。
学園での私の評判は良くない。あんなふうに殿下に人前であれこれ言われれば、私と仲良くしようとしてくれる人はいなくなる。私の話を聞いてくれる人がいないので、否定もできずじまい。
それに昨日は私たちの騒ぎをハバード様はわざわざ止めに来た。今ここで会ったら、お叱りの言葉をもらってもおかしくない。留学生にまでも叱られたら、ますます惨めな気持ちになる。そんな思いをするのは嫌だった。
今日は違うところで食べよう。今すぐにここを離れよう。そう思って、来た道を戻った。
でも困ったことに、私が歩くほど、チリンチリンと音がする。ネコがついて来ているのだ。可愛いけど、今じゃない。私から構うと逃げる癖に、こういう時はしつこくついてくるなんて……。
嬉しいけど、困る。どうにかして離れてもらえないかと歩き回る。
「っわあ!」
そうやって同じところをぐるぐるとしていたら、浮き出た木の足でつまずいた。ネコは心配そうに下から私を覗き込む。
その時、長い影が私たちを覆った。私がしゃがんでいるのと、ちょうど逆光になっているのが災いして、とても怖い。
「……大丈夫か?」
「ひぇ」
***
「痛むところはないか?」
「はい。大丈夫です」
緊張でかちこちの私の脳内は、ぐるぐると回っていた。
さっきはすぐに私を抱えて、ベンチまで戻ると、汚れてしまった制服の裾をさっと魔法で綺麗にしてくれた。初めて間近で見る魔法に身を乗り出してしまったのを、こほんと咳払いされて、ものすごく恥ずかしい思いをした。
怪我はないかと確認した後は、こうして横並びに座っている。ネコは私の膝の上でのんきにゴロゴロと喉を鳴らしていた。
沈黙が落ちる。
「私、戻ります。ご迷惑をおかけしました」
深々とお辞儀をして、席を立とうとした。
「待ってくれ。グレイ嬢が良ければ、少し話をしたい」
「話、ですか」
「そう。ランの話を」
「ラン?」
「この子の名前。私の従魔なんだ」
話、と言われて、昨日の騒ぎについてかと思ったら違った。拍子抜けしていたところに、従魔という単語が通り抜けていった。
——帝国では、爵位を継ぐ者は自分の選んだ生き物と契約を結ぶ。従魔は主が亡くなるまで寄り添い、心の拠りどころとなるのだ。高等魔法まで広く普及している帝国だからできる儀式である。
私はそんな大事な従魔に、なんてことを……。
「も、申し訳ありませんでした!」
「どうして謝るんだ」
「そっその、ハバード様の従魔とは知らず、あれこれしていましたので……」
「……あれこれ?」
彼の声が一段低くなった。ゴクリと唾を飲み込む。
「撫でたり、す、吸ったり……」
「吸う?」
「すみませ——」
半泣きで頭を下げると、頭上からくすくすと上品な笑いが落ちてくる。
「随分と、可愛がってくれているんだな。どうりでこんなに懐いている訳だ」
ハバード様が、ランに付けられた首輪の鈴を鳴らす。魔法をまとっているようで、不思議な淡い光が漂っている。
「ランが昼休みにだけ、姿を見せなくなった。最初は数回だったけどほぼ毎日になっていって……何かに巻き込まれているのかと思ったんだ。それで守りの首輪を付けて待っていたら、君が来た」
「そうなのですね……。知らなかったとはいえ、すみません」
「ランとはどう仲良くなったんだ?」
「落ち込んでいる時に、励ましてくれたんです」
——ランと出会った頃の私は、殿下に絡まれるようになった時だった。
運良く学園に入学できたけど、同級生とは家格が離れていて居心地が悪い。ひっそりと、知識だけを領地に持ち帰ろう——そう考えていた頃の、突然のできごとだった。
殿下に人前で責められるようになってからは、誰も私に近づかなくなってしまった。先生は変わりなく話してくれるけど、友人ができないのはどうしようもなく寂しい。それにこれからのことを考えては不安になっていた。
やっと見つけた落ち着ける場所、旧校舎のベンチを見つけて座った時、気持ちが溢れ出るように涙が止まらなくなった。ただ泣いていた時に、ネコ——ランが足元に来て、にゃあと、ただ一声だけど鳴いてくれたのだ。
そんなことを思い返していると、ハバード様が眉間に皺を寄せた。
「落ち込んだっていうのは、殿下たちのことか」
「はい……突然のことで、混乱もしていて……。でも今は平気です。もう自然現象のようなものだと考えることにしましたから」
耐えていれば波は過ぎて穏やかになる。この調子で残り一年過ごせばいいだけだ。
「グレイ嬢は強いな」
「そうでしょうか?」
「もし良ければ、なんだが」
「?」
「いや、違うな」
「え?」
「セシリア・グレイ嬢。私と友人になろう」
「……えっと?」
***
「おはようございます。ハバード様」
「アスランと。私たちは友人なんだ。そんな他人行儀ではいけない」
「アスラン様……あの?」
「どうした?セシリア」
「なぜ隣を歩くのですか」
「友人だからな」
お昼休みに教室を出ると、すぐにアスラン様がやってきた。当然のように隣を歩いている。昨日の友人宣言は本気だったらしい。
「おい!」
「げっ」
いつもより早歩きで歩いていたら、前方から殿下が来た。思わず口に出してしまったのをアスラン様は聞いていたようで小さく笑っている。
「エリオット君。私の友人に、何か?」
「——えっ、あ、ああ。その……」
珍しく、殿下はモゴモゴと口を動かすだけだ。アスラン様の前では好き勝手できないらしい。
……もしかして、こうするためにアスラン様は私と友人になってくれたんだろうか。殿下とは大違いの、優しい人だ。
その頃殿下はというと、冷や汗をダラダラとかいていた。
「っあ!急用を思い出した……ので、失礼する!」
殿下はすたこらと来た道を戻っていった。
今までの二年間は何だったのかと叫びたいくらいに、殿下は何もすることなくいなくなった。友人一人いるだけでこんなに変わるなんて。
「すごいですね。こんなにも効果があるなんて」
「そうらしいな。まったく、まるでガキだな」
「ガ……?」
汚い言葉が聞こえた気がして聞き返す。にっこりとした笑みが返ってくるだけだった。
ベンチに座る。三人がけのものなので余裕があるはずなのに、みっちりとしていた。真ん中にランがいるからだ。ネコは体温が高いので、ちょっと熱い。
「アスラン様」
「どうした?」
「ありがとうございます」
「ただ隣を歩いただけだ。お礼はもう必要ない」
彼が聞き飽きたという顔をするので、大人しく頷いた。
「大体なんなんだアレは。幼稚すぎる」
「アレって言わないでください」
「別にいいだろ。名前を呼ぶ価値もない」
すぐ近くの茂みが揺れた。やっぱり彼の護衛は、私にわからないだけで近くにいるらしい。
「正直私にも、わかりません。殿下はジル様が好きみたいですね。あ、でもそもそもは、ジル様が殿下のことを好きで、そんな彼女に殿下が惚れこんでいる……という感じですけど」
「あの女か。睨む顔は怖いけどな」
「気づいていたんですか?」
「当たり前だ」
「……そうですか」
「でもそれが、セシリアと何の関係があるんだ」
「うーん、そうなんですよね……。嫌われるようなことをした覚えもないし、そもそも関わったことがなかったというか」
「話したことはあったのか?」
「いいえ。正直、名前と顔が一致したのはつい最近です」
「そうか。それは、妙だな」
アスラン様はそう言って、考え始めた。
今のうちにとサンドウィッチを手に取る。話を聞いている間に食べては失礼な気がして、タイミングを窺っていた。
あと一切れになったところで、彼はため息をついた。
「まあいい、使うか」
***
アスラン様と”友人”になってからは殿下に絡まれることがなくなり、以前よりも穏やかに過ごせるようになった。
何より、アスラン様と話すのは楽しい。帝国出身の彼から聞く話はどれも新鮮だ。ランという可愛いネコとも戯れながら、ゆったりと日々を過ごしていた。
そうして二ヶ月が過ぎた時——ベンチに座るアスラン様の顔は険しかった。
「どうしたんですか?」
「今日、すべてを終わらせるつもりだ。陛下の許しも得た」
「……そう、なんですね」
アスラン様がこの日のために準備をしているのは知っていた。殿下たちとのことに、けじめをつける日が来たのだ。時が過ぎて、薄れてはいるけど……大勢の前で責められて、怒鳴られた記憶は消えてはくれなかった。またあの日々が戻ってきたら——そう思ってしまう自分がいる。
私たち学生はホールへと集められた。
呼ばれた殿下とジル様が壇上に上がる。それにアスラン様が続いた。学生たちはいったい何が始まるのかと、固唾を飲んで見守っている。
ジル様は不安そうに、胸元で手を握りしめていた。
その後ホールの壇上、中央の椅子に座らされたジル様は、アスラン様と問答するうちに俯いてしまった。
「——っは」
「ジル!」
海の底から上がってきたように顔を上げたジル様に、殿下がすかさず駆け寄った。背に添えるように伸ばされた手を、ジル様は——払った。静かな空間に、ぺちん、と情けない音が落ちる。殿下は驚いて目を見開いているが、彼女もまた、驚いているようだった。
「えっなんでっ」
ジル様は手を抱え込む。彼女の顔色は悪くなっていった。殿下は払われた手と彼女を見比べている。
「最悪、何が起きてるの?こんなイベント知らないんだけどっ。——口が勝手に!なんで!」
「フドレンス嬢。私の質問に答えてほしい」
混乱し始めた彼女に構わず、アスラン様は彼女へと近づいて笑いかける。返事を聞くことなく、質問が始まった。
「あなたは、セシリア・グレイから嫌がらせを受けたことがあるか?」
「っないわ」
彼女の口から出たはっきりとした否定の言葉に、みな顔を見合わせた。あんなに騒いでいたのだから無理もない。
慌てたように顔を見合わせる人もいた。殿下たちがそうだからと、私に強く当たってきていた人たちだ。出ようとするのを先生たちに止められている。
「では、どうして日常的に嫌がらせを受けていると嘘をついた?」
「私に絡んで来ないからっフラグも立たないし、仕方ないから、虐められてるってことにしたの。王子は泣けば、何でも信じてくれたわ。正直狙いは違ったけど、とりあえず王子を攻略してもいいかなって」
この場にいるみなが、唖然としている様子だった。なぜならジル様の話が、ちっともわからないからだ。聞いたことのない単語を交えて饒舌に話す様には、恐怖すら覚える。
「……ジル・フドレンス。君は、何の罪もないセシリア・グレイに言いがかりをつけて巻き込み、殿下を欺いたんだ。この罪の重さがわかるか?」
「罪……?そもそも、言いがかりじゃないわ!本当なら、シナリオでは……セシリアがすべてやることなの!セシリアが私を虐めなかったから、こうするしかなかったの!私は何も悪くない……!悪役令嬢のくせに、虐めてこないセシリアが悪いのよっ!」
「……まったく、話にならん」
アスラン様は振り返り、一点を見つめる。その先にいるのは、陛下だった。
「——連れて行け」
厳かな声が響く。陛下はホールの二階にいた。距離があるというのに、腹の底に響くようだ。奥に控える王妃は、こめかみを手で押さえて今にも倒れそうだった。
「ち、父上っ、待ってください。話を——」
殿下の声は無視され、壇上の二人の元に兵が向かっていく。
「っ嫌、離して!私はヒロインなのよ!私が主人公なのっ」
抵抗するジル様とは対照的に、殿下は俯いたまま連れられていった。
バタンと扉が閉まって二人の姿が完全に見えなくなると、私はその場に座り込んだ。強ばっていた気持ちごと、緩んでしまったようだ。
「セシリア!」
「あ、アスラン様……」
駆け寄ってきた彼の手を借りて、近くの椅子に座る。
いつの間にか周囲の生徒はまばらになっていた。彼がさっき解散させたという。二人の動向に意識が向いていて気づかなかった。
温かくて、柔らかな感触が足をくすぐる。ランだ。二人と一匹、並んで座っているうちに気持ちが落ち着いてきた。
「アスラン様、ありがとうございました。私……っ」
彼の顔を見上げて、お礼を言って……学園でのことを思い返して、涙が溢れてきた。ずっと、ずっと不安だった。誰にも相談できず、酷い言葉を浴びせられて落ち込んでも、慰めてくれる人はいなかった。一人でただ、嵐が過ぎ去るのを待つしかないと思っていた。ただ膝を抱えて、耐えるだけ。
そんな時に突然アスラン様が現れて、私を守ってくれた。私の初めての友人。尊敬できて、頼りになる大切な人だ。
「辛かったよな」
ぽんぽんとあやす様に背中を叩いてくれるから、止まるどころか溢れてくる。
スンスンと鼻を鳴らす程度に落ち着いた頃には、ホールには私たち以外誰もいなかった。
「す、すみません」
「こういうのは我慢しないほうがいい。だから謝ることはない」
「はい……」
アスラン様の隣で体温を感じながら、心の片隅に「寂しい」と思う自分がいる。彼が私の友人である必要はなくなってしまった。
***
「——セシリア、ここにいたのか」
中庭の端に座ってサンドウィッチを食べていたら、聞き慣れた声がした。
「……アスラン様」
「今日はデザートを持ってきた。前に食べてみたいって言ってただろ?」
袋には鮮やかな黄色の果物が入っている。帝国でしか採れないものだ。確かに言ったけれど……自分で食べられるからとフォークを取り返す。
「ああ、そうだ。次の週末、街に行かないか?ブレスレットを見に行こう」
「ええ?」
「早めに行くべきだと聞いた。人気のデザインがあるらしいな」
「そうですけど……」
来月末には卒業パーティーがある。この学園には、女子生徒はパートナーの男子生徒にブレスレットを贈ってもらうという風習があった。アスラン様はどうやら私に選んでくれるつもりらしい。
夏ぐらいに、アスラン様がパートナーになろうと言ってくれた。でもそれは友人としての励ましの一つというか、彼なりの冗談として受け止めていた。こんな話、もう忘れていると思っていたのに。
「なんだ、忘れていたのか」
「いえ、違いますけど。あの、その……」
言葉の続きを待って、私の顔を覗き込んでくる。真っ直ぐに見つめられるのは苦手だ。私も同じ方向に顔ごと向ける。
「……殿下も、ジル様も、もういません」
「そうだな。退学にさせた」
「さ、させたって……」
二人は陛下直々に処分を言い渡され、学園を退学になった。殿下は継承権を失い、ジル様は療養の必要があるとかで、最北端の領地に住むことになったそうだ。その処分を決める会議には、もちろんアスラン様も参加した。我が国は帝国に逆らえる立場にないので、彼が「させた」と言っても過言ではない。
あの日ジル様にかけたという、”自白術”も帝国の皇帝に許可を得て発動したものだった。
——騒動はもう解決した。
となれば、私たちの関係も終わるはず。アスラン様は私を殿下から守るために友人のふりをしていたのだから。そう思って、旧校舎のベンチには次第に近づかなくなった。学園で白い目を向けられることが減ったので、行けるところが増えたというのもある。
それなのにこうして、アスラン様は私を探しに来るのだ。今までと同じように接してくるのが不思議だった。
「もう大丈夫ですよ」
「大丈夫?何の話だ」
「こういう、友人のふりです」
アスラン様はパチパチと瞬きをした後、首を傾げた。
「私は最初から、ふりのつもりはない」
「へ?」
「まあ、結果的にアレが近寄らなくなったが、私はセシリアと仲良くなりたいと思って、友人になってもらったんだ」
「そ、そうなんですか」
「休日には出かけるし、来月の卒業パーティーだって、パートナーだろ?」
「はい。そうです……」
凄みを感じて、慌ててうんうんと頷く。
「でも、本当によかったんですか?」
「……どういう意味だ」
「えっ、その、気持ちはすごくありがたいですけど、アスラン様をパートナーにしたい女子は他にもたくさんいますよ?……ほら、あの方とか」
ちょうど向こうの通路を歩く、女子生徒がそうだと教える。でも彼はちらりと見ただけですぐに視線を戻してしまった。
「私はセシリアがいい」
ストレートな言葉に、目が泳ぐ。
「そっ、そうですか。私も、アスラン様がパートナーで嬉しいです。気が楽というか、友人なのでっ」
「私も、セシリアがパートナーで嬉しい」
彼はそう言って、にっこりと笑う。いつもの黒い笑顔ではない、優しい笑みだ。
最近のアスラン様は、こうやって私を真っ直ぐに見つめてくる。不快ではないけど、落ち着かないというか、なんというか。
***
「まあ……」
卒業パーティーの日。入場してきた男女に、みなが感嘆の声を漏らす。お互いの色をまとい、身を寄せ合う姿は誰もが憧れる恋人そのものだ。
「……何だか目立っていませんか」
「セシリアが綺麗だからだろ」
「な……っ」
セシリアを見つめるアスランの瞳に映る思いに、彼女だけがまだ、気づいていない。
合理的で冷酷な印象すら与えるアスラン・ハバード。彼が優しいのには、理由がある。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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