後編
1
巨大な骸骨騎士は、どこまでも少年を追い続けた。
食事をしている時も、風呂に入っている時も、宿で睡眠を取っている時も。何をしていても骸骨騎士が追跡を止めることはなく、少年の神経は疲弊していく。
骸骨騎士が休みなく追跡を続けていることがわかる理由。それは、角笛と一緒に渡された地図にあった。
地図はこの国の国境だけを示した簡素なものだった。その中に、黄色と赤色で塗られた三角形が一つずつ記されており、少年はこれが、自分と骸骨騎士を表すものだと理解した。赤色が少年で、黄色が骸骨騎士。魔術か何かでできているのだろう。双方が移動すれば、この三角形も移動するのだ。
それによってわかった骸骨騎士の習性は三つ。
平面なら移動速度は一定で、少年の小走りと同程度。
少年の足跡を辿るのではなく、どんな障害物があろうと直線距離で少年を追跡している。
この怪物は、決して止まらない。
これにより少年は、どうすれば骸骨騎士に追いつかれずにやり過ごせるのかを理解し、ただただ逃げるだけの日々を送ることとなった。
町に立ち寄る時はあらかじめ馬車などを利用して、骸骨騎士と大きく距離を取ってから食事や睡眠を取る。それでも止まっている間は骸骨騎士との距離を詰められてしまう為、長居はできない。それは同時に、町の住民を危険に晒すことにもなり、よっぽどのことがない限りは人里に降りず、森林や山岳地帯を移動するよう心がけていた。
だが、そんな生活を七カ月ほど続けた少年の心は、もう限界だった。
――何も気にせずゆっくりと食事を取りたい。
――何も気にせずゆっくりと風呂に入りたい。
――何も気にせずゆっくりと眠りたい。
――家に、帰りたい。
そのどれもが、今のままでは絶対に叶わない。
――そうして現在に至り、大広場から立ち去った少年の胸の内には、一つの決意が灯っていた。
国を出て、アイツと決別できる方法があるか、探してみようと。
2
この七か月間、少年はただ逃げていたわけではない。骸骨騎士を、何らかの方法で倒す、もしくは追われないようにする方法を探し続けていた。
探っていたことは二つ。
一つは、自分に角笛と地図を買わせたあの露天商を捕まえること。
そしてもう一つは、これらについて詳しい者の見解を聞くこと。
少年はできる限りのことをした。しかし有力な情報に辿り着くことはなく、この国は調べつくしてしまった。だからもう国を出るしかなくなったのだ。もしかしたら国外までは追ってはこないかもしれない、という淡い期待も兼ねて。だがそんなものは希望的観測でしかない。
先ほど少年が発った町は国の北西に位置しており、あと半日もあれば隣国との国境が近い。そこに小さな村があることを、騒がれる前に飯屋で聞くことができたのは幸運だった。
時刻は昼過ぎ。骸骨騎士がここに来るにはまだ時間があるが、徒歩では距離を詰められてしまう。走らなければいけなかった。
「……?」
体力は使うが命には代えられない。そう思い少年が走り出そうとしたところで、背後から何かが近づいてくる音がした。振り返るとそれは馬車で、何者かが少年に向かって手を振っているのも見えた。
馬車は少年のところまで来ると追い越すことはなく、速度を合わせてきた。
「ねえ、ちょっと!」
少年に手を振っていたのは女だった。年齢は少年と同じか、少し上くらいに見えた。どうやら少年を呼び止めたいらしいが、記憶を辿っても少年にはこの女に見覚えがない。
立ち止まるわけにはいかず、少し走るスピードを緩めながら少年は女に、
「急いでいるんだ」
「あなた〝災厄の子〟でしょう?」
あまり聞きたくない言葉が、女の口から飛び出した。
「わざわざそんなことを訊きに来るなんて、相当なもの好き――」
「お願い! うちの村を救ってくれない!?」
「――はぁ?」
少年は思わず気の抜けた声を出してしまった。
自分が〝災厄の子〟かを確かめてきたかと思ったら、今度は村を救ってくれなどと、何を言っているんだこの女は。むしろ救ってほしいのは僕の方だ、と心の中で悪態をついた。
「悪いが変人の相手をしている暇は」
「大きいガイコツに追われてるんでしょ? とりあえず乗る?」
女は馬車の荷台を指差して言った。
「……乗せてくれるのか?」
少年には、少しでも生存確率を上げる上での優先順位があった。
一に水。
二に食料。
三に睡眠。
そして四は、骸骨騎士と距離を取ることができる、足だった。
「この先の、私の村までだけどね」
行先など関係ない。とにかくあの化け物との距離を置けるなら、
「……頼む」
喜んで乗り込む以外の選択肢は存在しなかった。
3
女は村に向かう間、彼女の村が抱えている問題を少年に伝えた。
女の村の付近には、百年前の戦争で放たれた魔獣が一頭だけ処理されず、未だにあの森の中にいるらしい。住民はそんな魔獣に怯え、ただでさえ少ない人口が他所に移住し更に減少。まさに風前の灯火だった。
「そんなもの一般人の僕にじゃなく、国の勇者様にでも頼めばいい」
「ただの一般人はあんなのに追いかけ回されたりしないでしょ。報酬は弾むよ? うちのお祖父ちゃん村長だから」
「話を進めるな。僕は体術や剣術、魔術に秀でた才能があるわけでもないのに、なぜ僕にそんな話を聞かせるんだ」
少年の至極真っ当な疑問に、女はしばらく返答をためらった。
「……私、一回だけあなたのガイコツを見たことあるの」
「少なくとも僕のではない」
「茶化さないでっ!」
「うわっ、前を見ろ前を!」
女は馬の手綱を握りながら頬を膨らますと、少年に振り返って言った。
「ガイコツの怪物が来る前には、必ず〝災厄の子〟と呼ばれる一人の少年がいる……実際にめちゃくちゃにされた町を見た時ね……凄いと思った」
「……凄い、だと?」
「おかしいわよね、町のことなんて私には眼中になくて……ただとにかく、これなら私の村は救われるんじゃないかって、そう思ってしまったの」
女の言葉には自嘲の色があった。
「これならって……まさか」
少年は徐々に、この女の考えを理解してきた。女は白状したように一つ息を吐くと、
「――そう。私はあれに、魔獣を倒して貰おうって考えてる」
4
女の村を見た少年の第一印象は、これが村なのか、ということだった。
十軒ほどの家屋と馬小屋が二棟。家に関してはどれもが廃墟のようで、人の住めそうなものは三軒ほどだけ。村というより、集落と言った方が正しい。
少年が生まれた村もちっぽけな自覚はあったが、ここはそれよりも小さく、そしてとにかく陰鬱な空気が充満していた。だが驚いたことに、ここは本来少年が目指していた国境の村だったのだ。ここまで馬車で来られたことは幸運だった。
「みんな、ただいま!」
女が明るく声を張ると、続々と数人の住民が姿を現した。少年が聞いた話だと、この村の主な収入源は機織りで、女は定期的に織った布を売りに行っているのだという。
「ああ、おかえり……いつも町まで行ってもらって済まないねえ」
そう言うのは年を食った老人。女に歩み寄る足取りはおぼつかず、今にも転んでしまいそうだった。
「お祖父ちゃん! 足悪いんだから出て来なくてもいいのに!」
どうやらこの老爺が女の祖父であり、村長らしい。
「……おや、このお方は」
村長は女には柔和な表情を向けたが、少年の存在に気付くと目つきが変わる。
「町で会ったんだけど、魔獣をやっつけて貰おうと思って」
「いや、僕は」
その途端だった。
「ほ、本当か!? このような少年に何かができるとも思えんが……可愛い孫娘が連れてきたのだ、信頼に足る人物なのだろう!」
淀んでいた村長の瞳に光が差した。村長の感嘆に、周りの住民も喜びの声を上げる。
「僕、は――」
少年は困惑していた。この困惑は、引き受けたわけでもないのに自分が魔獣を討伐する流れになってしまっていることに対してのものだ。
だが、もう一つの困惑もあった。旅を始めて一年、このような視線は初めてだった。この数か月、人々から避けられ続けてきた少年にとって、羨望にも似た、そして一縷の望みに縋る人間の眼差しが自分に向けられていることに、体の中で何かが燃え出す感覚を覚えたのだ。そして、
「……成功する保証はないからな」
女を見ずに、そう言った。
5
女が言う魔獣はこの村から西の森林地帯に潜んでおり、国境の関所に向かうにはその森を越えなければいけない。通常、国境の村や町は二つの国を行き来する人間で栄えているものだが、恐らく魔獣の噂を耳にして、ここの関所を避けているのだろう。
「関所は機能しているのか?」
少年は女の家に招かれると、出された茶を前に村の周辺について訊いていた。
「うーん、一応それぞれの国の兵士が一人二人はいるみたいだけど、わざわざ危険な森を通って国を越えようとするもの好きなんて、私は見たことないかな」
少年にここから引き返して別の関所に向かう時間の余裕はない。魔獣の森を抜けるしかなかった。そんなところで女は、思案する少年にふと尋ねた。
「ところでさあ、ガイコツはいつ来るの?」
「馬車のお陰で距離は取れたから、明日の早朝くらいだと思う」
「なら良かった。こんなところだけど、ゆっくりしてね」
女は微笑んで言った。荒廃した集落の、お世辞にも裕福そうには見えない家には似合わない、華やかな笑顔だった。
この旅に『逃げる』以外の目的ができたのは初めてだった。今回は骸骨騎士をぎりぎりのところまで引きつける。普段の生活とは違い、焦りはなかった。今の少年の心を占めているのは『役に立ちたい』という気持ちだった。
「……なあ、あんたはこれからも、この村で生きていくのか?」
「魔獣をやっつけたいって言ってるんだから当たり前じゃない。なんで?」
「いや、ここにずっといるよりは、みんなでどこかに移住した方がいいんじゃないかって――」
言いながら少年は自分が間違ったことを言ったと思った。それができるのなら、魔獣が放たれてからこの百年の間に、とっくに移住をしているはずではないか。できない理由があるのだ。
「たはは。ま、そうだよね」
痛いところを突かれてしまった、と女は苦笑した。そして続けて、
「……うん、別に使命感があって住んでるわけじゃないけどね、ただなんとなく、帰る場所がないのは寂しいかな、なんて」
「帰る場所? 誰のだ?」
「君みたいな人のだよ。君にもあるでしょ、帰る場所」
「あ……」
魔獣に怯え、泣く泣くこの地を離れた者。この少年のように旅に出た者。皆が帰ってくるかはわからない。訪れた地で一生を過ごすかもしれない。でも、この女はそれらの為に留まり続けていると言うのだ。
「変でしょ?」
「……いや、変なんかじゃない。でもあんたはそんな人生に悔いはないのか? だから、僕は旅に出ることにしたんだ」
「そしたら怪物に追われる羽目になったと」
「それはまあ、そうだけど……」
それでも、色々な場所を訪れ、色々な人に出会えたことも事実だ。
「旅ねえ。私はここと隣町しか知らないけど、どんなことがあったの?」
少年はこれまでの旅の話をした。思えばこの一年は、辛いことの方が多くて気が沈みがちだったが、こうして他人に話をしてみると、案外大したことはないのかもしれないと思った。それよりもこの女が自分の話に心を躍らせたり、はらはらと緊張した面持ちになることが面白くて、柄にもなく饒舌になってしまった。
少年は女と日が暮れるまで話し続け、ささやかな夕飯をご馳走になり、温かい風呂に入ってから床についた。
泥のように眠れたのは、久しぶりのことだった。
6
東の空から朝日が見えようとしていた頃、そこには同時に暗雲が掛かっているのも見えた。晴れ間と曇天が混在する、異様な朝の光景だった。
あの暗雲の真下に、骸骨騎士がいる。
「来たの?」
「ああ、森に行こう。馬車は出せるか?」
「もちろん」
少年は暗雲を見つめると、魔獣の潜む森林地帯へと動き出した。巨大な山脈を背負ったその森は村から確認できるほどに近く、そして広大だった。
「ところで! 魔獣はすぐに見つかるのか!?」
少年は前方で馬を走らせる女に声を張った。
「言い伝えだと森に入った瞬間に襲われるみたいだから、多分大丈夫!」
「それはそれで物騒だな!」
少年は森に入る手前で馬車を止めるよう伝え、そこからは自分の足で移動した。さすがに女をこの博打に付き合わせることはできない。まあ、発案は彼女なのだが。
馬車が米粒ほどの小ささに見えるくらいまで来たところで、少年は森に背を向けた。そして深く深呼吸をしてから、前を見た。
すぐそこに、骸骨騎士の姿がいた。しばらくはうまく逃げていたこともあり、あれをここまで近くで見たのは、少年が角笛を吹いたあの日以来となる。
次第に聞こえる足音と、それに伴い揺れる大地。
「……はあッ……はあッ……くそ!」
もう恐れるものかと思っていたが、本能はそれを許さない。少年の膝は早くも笑っていた。
だが少年は誓ったのだ。たまには逃走を忘れ、誰かの役に立つと。
「動けええええ!」
両の太ももに、思い切り張り手を入れた。少年は近づく骸骨騎士に回れ右をすると、一気に森の中に入った。
――あ――あ――ああああ――!
すると体の中心に向かって沈み込む、野太い獣の咆哮が耳をつんざいた。瞬間、森中の鳥が一斉に空に向かって飛び去っていく。十中八九、例の魔獣のものだろう。
少年はそれを合図に再度回れ右をし、来た道を戻っていく。森を抜けると、骸骨騎士との距離は更に縮まっていた。
背後から迫る魔獣と、前方から歩み寄る骸骨騎士。どこにでもいる普通の少年は、二体の異形に挟み撃ちに遭った。
それこそが、女が提案した作戦だった。
――ああああああああああああ!
木々をなぎ倒し、魔獣が姿を現す。骸骨騎士よりかは小さいが、暗い臙脂色の体躯に、六本の脚を持った猛禽類のようなその姿は魔獣と呼ぶに相応しい。
魔獣は少年を発見するなり、その鋭い牙を向けたのだが、目の前には自分よりも巨大な異形の姿があった。当然魔獣は少年から目を離すと、骸骨騎士に向かって突進していった。
女と少年の博打は、ここからが本番だった。要は、骸骨騎士が魔獣に対して攻撃をするのか、それだけが気がかりだった。
しかし、そんなものは二人の全くの杞憂。
――ぎゃおおおおおおう……!
一捻り、以外に言葉が見当たらなかった。
骸骨騎士は右手の大剣で魔獣の首を縦に一振り。そして背中の斧を取り出し、更に胴を断ち切った。三分割された魔獣は小さく痙攣しながら、その場で息絶えたのだった。
「やった……やった……!」
遠くの方で、女の歓喜に震える声が聞こえる。少年も一緒に喜びを分かち合いたかったが、そんな暇もない。
そう。少年は、また逃走に暮れなければいけない。
「……は……あはは……!」
魔獣を秒殺してしまうような力を目の当たりにして、普通なら少年の恐怖は増大しているはずだった。しかし少年は笑っていた。
――このバケモンは、役に立つかもしれない。そう思うと笑えて仕方がなかった。用途は、彼にしかわからないが。
少年は森に向かって走る。魔獣が消えた今、国境を脅かすものは何もない。国を出るのだ。
「ちょっと! きみ~~~~!」
その時、少年の背後から声がした。馬車に乗った女が追いかけてきたのである。
「あんた、なんで……! さっさと村長に報告してきたらいい!」
「私! 君と旅がしたい!」
女の瞳には涙が溜まっていた。
「はあ!?」
「昨日あんな面白い話聞かされて、こうして更に面白いもの見せられたら、ついていきたくなっちゃうでしょ!」
「村はどうするんだよ! それに、僕についてきたって良いことなんて一つもないからな!」
「もう魔獣はいないんだから、あとはお爺ちゃんたちがどうにかしてくれる! 説得してくる!」
「……ああもう! 好きにしろ! 僕は先に行くからな!」
少年は走る。ひたすらに走る。きっとこれから先も、ずっと逃げ続けるのだろう。彼の未来は、決して明るいものではなかった。それがわかっていても少年は走らなければいけない。立ち止まったその時が、彼の死に際なのだから。
〝災厄の子〟と呼ばれ恐れられる少年がいた。
これは世界を巻き込みながら逃げ続ける、一人の少年の物語。
読んできただきありがとうございました。
短編は慣れておらず、足早な展開になっていたらすいません。
楽しんでいただけたら嬉しいです。