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短編集

私の大好きなおばあちゃん

作者: 月見里さん

この作品はフィクションです。

実在の人物、団体とは関係ありません。


 私にはおばあちゃんがいます。

 大好きで、たまにお菓子をくれて、会えば手を握ってくれる優しいおばあちゃんがいます。


 そのおばあちゃんは、私と血の繋がりはありません。

 私は介護職員で、おばあちゃんは利用者様。

 そんな関係です。


 でも、私にとって大好きなおばあちゃん。

 もう一人の大切なおばあちゃんなんです。


 そんなおばあちゃんとの出会いはいつも突然でした。

 えぇ、待機者名簿から相談員が面談して、施設への入所が決まっていく。だから、いつも突然なんです。

 私たちの目の前へ、数枚のプリントされた情報が出されます。

「今度、新しく入られるAさんのだから、目を通しておいてね」


 そこには今までどんな病気に罹ったのかの既往歴。

 決定能力や判断能力が無くなった時、誰に連絡するのかの連絡先や関係図。

 現在、どんな病気を抱えていて、どんな治療薬を使用しているかの薬品名。

 生まれはどこで、働いていた場所は、旦那さんや奥さんといった配偶者との出会いが簡単に記されていて、どこの病院を転々としてきたか、が書かれていました。


 これが非常に大事になってくるんですが、アテにならない事もある。

 社会福祉の基本理念として

 1.個人の尊厳の保持

 2.利用者の自立支援

 3.福祉の権利性の確立

 が、あり。利用者の自立支援、ひいては個人の尊厳の保持に繋がる為、今までの生活に近い形のサービスを提供する。

 それが介護福祉士には求められているのです。


 じゃあ、なんであまりアテにならないのかと言えば『そこに書かれていない情報が本人の口から飛び出す』事があるのです。

 もしくは『歩けないと書かれているが、介助の仕方次第で歩く事が出来る』のがあるんです。


 そんな代物ですが、私も仕事がありますので忙殺されながらも目を通します。

 しっかりと、時間を掛けて情報収集(アセスメント)するのは大体、夜勤の体位変換が終わった時に。


 そこには女性である事。数人のお子さんを出産したという事。そして、先に旦那様が亡くなった事。

 身体状況としては半身麻痺。

 吃逆もあって、なかなか話すのが難しい。

 車椅子を使用して、リハビリをしているが歩く事は困難。


 そんな情報もあって、更にはその利用者様が施設を利用している時のケアプラン(施設の生活を有意義にする為の計画です。食事・排泄・入浴なども含まれます)も付随しています。


 このプランは最初なので仮組みの場合がほとんどなんですが、私が働いている施設のケアマネージャー(ケアプランをご本人、もしくはご家族と一緒に決めていく人です)さんはとても親身にプランを練ってくれているので、不安なんて微塵もありません。

 多分、この通りにすれば問題ないだろうと目を通すと――


 ――歩行訓練を本人へ促し、付き添いをする。


 え、歩けるの?

 そう思いながら、施設の夜は更けていき、その利用者様の入所日となりました。


 さぁ、どんな人なんだろう。

 もしかして、口うるさい人だったりしないだろうか。

 もしくは、優しい人だろうか。

 そんな希望的観測や、憶測を脳内に浮かばせながら、食事介助を終え、激動のトイレ介助を済ませる。

 ここら辺で、新規利用者様の事はほぼ忘れて、大部分を介助へ集中させます。


 実は、朝昼夕の食事介助。15時のおやつ介助。居室への移動、車椅子や便座等々への移乗介助よりも、このトイレ介助のバタバタが介護福祉士らしいなとも思えるのです。


 実は施設によって方針が変わるのは言わずもがな。

 それは利用者様の排泄や介助の質も変わります。


 積極的にオシメ外し(トイレでの排泄を主体にする)をする施設もありますし、本人の負担軽減の為にオシメをする所もあります。

 ただ、私個人の考えとしてはトイレの方がいいわけです。

 慣れていますし、排尿したまま横になっていたくないとも思うわけです。


 だからこそ、私の働いている施設はオシメ外しを積極的にしているわけで、それに伴ってトイレ介助が激動となるわけです。

 一言で言えば、大変です。

 二言にすれば、私もこれでいい。

 それに、このトイレ介助がきっかけで少しでも歩けるようになった人を知っている。

 だから、何かその人の出来なかった事が出来るようになればいい。


 そう思って、様々な技術を使うわけです。

 介護者の腰に負担軽減となるトランス技術などなど。


 技術向上の場所でもあるし、利用者様との他愛のないコミュニケーションの場所にもなるし、他職員との情報共有の場所にもなるんです。


 そして、決まって新規利用者様が施設に来るのもこの時間なわけです。


 そこには大量の荷物を抱えたケアマネージャーと、車椅子にちょこんと乗った、可愛らしいおばあ様。

「お先にどうぞ」のケアマネージャーの一言で、右足を忙しなく漕いで車椅子を進める姿。

 歩き慣れた、その様子。決して早いわけでもない。

 かといって遅いわけでもない。

 ゆっくりとした歩行スピードに、私の視線は囚われました。


 え、歩けるやん。

 私は確信した。あれだけしっかりと地面を蹴れるなら、立位は問題ないだろう。

 上半身の動きも足に合わせて前後に揺れる。

 それだけでバランス感覚は充分にある。

 職員の付き添いは必要だろうが、リハビリとしての歩行訓練はさして問題にはならない。

 見てわかる程、その方は素敵な人でした。


 それからはあっという間の出来事です。

 とりあえず、仕事の合間にその方の元へ行き、挨拶をします。

 事前の情報通り、半身麻痺もあってか喋るのが苦手な様子。でも、『頑張って伝えたい』そんな気持ちが熱く伝わる程でした。


 これからよろしくお願いします。と頭を下げればAさんもゆっくりと、私よりも頭を下げてくださいます。

 もう私は虜です。


 ▼▼▼


 数週間後。

 様々な介助の中、Aさんがどれほどリハビリを頑張ってきたのか、その片鱗を目撃することになるわけです。


 まず食事は自力。何も介助は必要ない。

 私達介護福祉士がお皿の入れ替えだったり、口元へスプーンを運ぶこともなく、自分で食べてお茶もぐびぐびと飲まれるんです。

 

 片手しか使えないのにです。半身麻痺で喋るのが難しいならば、舌の動きも満足いかない場合もあるでしょう。

 それでもAさんは、食事でむせることは一度もなく。お茶を誤嚥(ごえん)する事も無いのです。


 私だったら、ここまで自分で出来るか怪しいところです。多分、私なら早々に諦めていた事でしょう。

 それでもAさんは、出来ることを精一杯行い、更にはその事を自慢するわけでも、誇るわけでもない。


 この姿に私はメロメロです。

 しかも、トイレ介助では手すりを持って、自力での立つ事ができるんですよね。

 しかもしかも、それが数秒とかではなく数分単位で。

 ふらつきもしない。確かで安心する程のバランス感覚。

 私たち介助者がズボン、おパンツを下ろすだけでいいだけなんです。


 麻痺のある方で、これだけの下肢筋力があるのは凄まじい努力の賜物だと思います。

 歳を重ねれば筋力は衰えていきますし、関節の可動域も狭くなっていきます。

 なにより、ありとあらゆるところが痛み、動かすのが苦痛になることもあるわけです。

 重度の糖尿病になり、下肢の切断を余儀なくされたり。高血圧で脳内出血が引き起こされ、麻痺が残る可能性もあるわけです。


 心臓に疾患を抱えれば、過激な運動もできなくなりますし、息も上がりやすくなる。

 その中でも、Aさんはしっかりと。立つこともできるわけです。

 ただでさえ、低頭な私は更に地面へ頭を擦り付けるくらいにとんでもない事でして、それから私は努力家のAさんとのリハビリ生活が始まります。


 実はAさん。数分以上の立位だけでなく、およそ10メートルの距離を歩く事が出来るんですよね。

 手すりを持ちながらですが、私達介助者は傍で転ばないように見守るだけ。

 ただそれだけで、本人はスイスイ手すりのある廊下を往復する。

 途中に手すりがなくても関係なし。持たずに歩けるんです。


 この出来事を目撃した私は目ん玉飛び出すくらいに驚き、大きな声で「凄い!!!」と言ったことを覚えています。

 もちろん、そのリハビリが終わると「あなたのおかげ。ありがとう」と言うくらい心遣いのある人。

 

 共に過ごし、ヒノキのお風呂にも一緒に入るくらい仲良くなって、「あなたは、私の孫みたいなものじゃ」と嬉しい言葉を掛けてくれた頃。

 およそ、2年間の付き合いが終わりを告げます。

 出会いが突然ならば、別れも突然でしょう。


 私は鬱病になり、自殺寸前まで追い込まれた後、上司からの「しっかり休んで、それから決めましょう」の温かい言葉を受け、退職する事となりました。

 その事は職員だけでなく、利用者様へも届きます。

 はい。Aさんにも届いたわけです。


 症状も落ち着き、職場に置いていた物品を袋に詰めていき、お世話になった人へ挨拶していく最中。

 Aさんは私の姿を見つけると急いで駆け寄ってきます。

 今にも泣き出しそうな表情で。

 真っ赤な瞳にしながら。

 私の袖を掴んで言います。


「おらんく、なるん?」


 はい。すみません。

 もう一緒に歩く事も、お風呂で話す事も、消灯時間の後、二人で夜風に当たることも、お祭りに行くことも、お菓子を食べに行くこともなくなるんです。

 もう、できなくなるんです。

 したいけど、こころがついていかないんです。


 それをポツポツと、小雨のように唇が紡ぐとAさんは号泣です。

 さながら、ゲリラ豪雨のように。涙でくしゃくしゃになって、私に抱きつけば服がしっとりとするくらい。


「また、また」


 はい。また、会いましょう。

 また来ますよ。

 また来ますから、元気で。

 風邪ひかないように。

 リハビリも忘れないように。


 そのやり取りを3回。繰り返すと、落ち着いたAさんへ私は背中を向け、潤んだ瞳を隠すように俯いて後にしました。


 

 それから、数ヶ月後。

 治療も安定期に入った私は、今日も会いに行く。

 泣き虫で、努力家の、もう一人のおばあちゃんの元へ。

読んでいただきありがとうございます。

そして、この作品を読み、何か心にくるものがあれば嬉しいです。


ブクマ、評価ポイント、いいねなど。面白ければお願いします。

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