1・パソコン女
僕がそのクラブに参加することになったのは完全に巻き添えだった。いや、生贄といった方がいか。
高校の入学初日。
中学卒業直後に事情があって引っ越した結果、関東の公立高校に編入という形になっていた僕は、同じ中学の友達もおらず、それどころか引越し先に知り合いすらいなかったので、一人で登校しながらも高校で新しい友人を作ろうと胸を踊らせていた。
それまで地方の(具体的に挙げると怒られそうなので伏せておく)山間にポツンと隔離施設みたいに立っている小中に通っていた僕には、東京ではなくても関東の駅近くに立つ高校に通うことになって戸惑う事ばかりだった。
一番困ったのはみんなオシャレでスマートに見えること。特に女の子がみんな可愛く見えた。
地元の中学に一人、僕も憧れていた黒髪さらさらでしっかり者の黒川さんという美人はいたが、こっちの子はみんなそういう可愛さじゃなくてもっと垢抜けている。テレビやネットで見るアイドルみたいな手のかかったシャギシャギの髪をして、半分くらいの子は茶色に染めて、おまけに口紅やチークまでして目元もぱっちりで、僕には顔を合わせることすら難しい。
もちろん自分なんか相手にされないだろうなとは思っていたけれど、それでもこれからこう言う子たちが通う高校に自分も通うことになってワクワクしていた。
そう、せっかくの思ってもいなかった都会の高校生活なのだ。
僕は自分が派手でも地味でもないとわかっているけれど、田舎から出てきた冴えない男子だけれども、友達を作って仲間になってしまえばもしかしたらと自分なりにいろいろ調べて、髪もなけなしのこづかいで初めていく高い美容院で気まずい思いをしながら切ってもらって、楽しい高校生活のために全力を尽くして準備したのだ。
おかげで通学初日の電車の中は自分が浮いているとも感じずに、同じ制服をきた生徒が楽しそうに話していたり、一人で音楽を聞いているのを見て期待を昂らせていた。学校で友達を作れたら、明日にはあの中の誰かと電車で待ち合わせたりするかもしれない、なんて考えるとニヤニヤがこぼれそうになって、変に思われないように噛み殺すのが大変だった。
新幹線の乗り継ぎもあるハブ駅から五つ先の、学校以外は住宅や公園でできているような住宅街と小さな商店街があるだけの駅で降りて、そこから15分くらい、ぞろぞろと水牛の群れのように移動する同じ高校の生徒に混じって登校した。
教室に体を落ちつけて周りを見回す余裕もないまま、今日初めてあったばかりの担任に体育館に連れられていかれ、校長の挨拶から始まる長い入学式を過ごす。
なんとなくの都会の学校のイメージでもっとわちゃわちゃしたヤンチャな感じかなと思っていたが、意外にみんなまじめで隣の生徒と話す雰囲気でもなくて、仕方なく僕は前に座っている生徒の頭の色を分類して数えわけしながら残りの式を過ごした。
正直に言うと早く友達が欲しくて仕方がなかった。
だから式で黙っているのは苦痛だったし、隣の奴がもっとおしゃべりだったらよかったのと思っていたくらいだ。
ようやく教室に戻ってきて席に腰を落ち着けて、先生がやってくるまで周りの生徒とお喋りをしだすタイミング。
待ちに待ったそのタイミングで、僕は罠に嵌ってしまったのだ。
僕の席は教室の後ろの方で、窓側に近い席だった。席順は名前順というわけでも男子女子わけという感じでもないバラバラだった。みんな思い思いに近くの生徒に声をかけ初めていたので僕も後ろの子に話しかけようとなんとなく思っていた時、
「なあ、君」
と女子の声が近くでした。
僕はそれが自分に向けられたものだとは思わなかった。まあ、モテない男子ならわかると思うが、女子に自分が呼ばれたと勘違いして心臓が勝手にドキドキすることはよくあっても、それが実際にそうであることはゼロなので、そして自分が勘違いしている現場を人に見られて笑われた経験を誰しもが苦く刻んでいるもので、いつの間にかそういう女子の呼びかけには無意識に耳を閉ざすようになる。
だからその声は、最初は耳に入ってもなんの感情も起こさずに脳をすり抜けていた。
「なあ、君だよ君。そこの銀縁メガネの君」
そう言う声が聞こえてようやく僕の意識はその声を認識した。あたりを見回してもメガネの子は僕くらいだった。みんなコンタクトレンズなのだろうか?そんなことを思っているとさらに声が続く。
「メガネは君しかいないだろう?目だけじゃなく耳も悪いのか?」
と暴言が飛んできてムッとした僕は声のする隣の席をようやくまっすぐに見た。
意外なことにそこには誰も座っていなかった。代わりにノートパソコンが一台置いてあって、画面がこちらを向いている。
「は?」
僕は意味が分からなくて間抜けな声をだしてしまった。どうやら声はそのパソコンから聞こえているようなのだ。
「は、じゃないよ。お〜い、きこえてるか〜、ちゃんと現実とWi-Fi繋がってる?君?」
きつめのジョーク。ムカついて睨みつける僕。画面をよく見ると、ZOOMが起動していてそこに女の子が手を振っていた。
「お、やっと気がついた」
そう言ってにっこり笑う顔は可愛かった。
これが僕の夢の高校生活を何もかもひっくり返すことになる、取り返しのつかない罠にハマった瞬間だった。
「え?俺?てゆうか君はなに?」
悪口を言われたことなどすっかり忘れて、俺、などと普段言わない一人称で思わずカッコつけて、画面に映った女の子に僕はドギマギしながら答えた。
モテない男の悲しさで、相手がちょっと可愛ければもうそれだけで他のことは目に入らなくなってしまう。正直、その時は嬉しかったくらいだった。話しかけられて。
実際彼女はかなり可愛かった。それに化粧をしておらず、黒髪を片側だけおさげにしたあんまり洗練されてない感じなのもとっつきやすかった。もしかしたらちょっと唇にはカラーリップをつけていたかもしれないけれど、ナチュラルに小顔で顎も細くて鼻もスッと通っていて肌も白くて、モデルでもできそうな美人だった。
ただ笑っているとき以外の目つきが異常にきつい。
女の子は僕の言葉に吹き出して、
「普通に話して?ね?漫画じゃねえんだから」
と蔑んだ目で言った。心に刺さるようなことを平気でこいつは。僕の彼女の見た目に感じた想いが急速に冷めていく。
「あ、ああ。で何?本当に」
「君、悪いんだけどパソコンの向きをもう少し黒板に向けてくれ。この角度じゃ授業が受けられないから。今のうちに調整をしておきたいんだよ」
「は?授業?」
僕は懲りずに気の抜けた声を出す。意味がわからないことだらけで頭がついていかないのだ。
「いいから頼む。君のとぼけた顔を一時間見ててもしかたないんだよ」
眉を寄せてそう言ってから彼女はにっこり笑う。
「君は私の顔を1日中でも見ていたいかもしれないけど」
思わず顔が赤くなった。なんだこいつ、と心の中で悪態をつく。僕は答えずにパソコンをぐるりと回す。
「ああ、逆逆。インカメラで見てるから、モニターを教卓側に。後ろの子と顔を見合わせてても仕方ない。そうそう、ああもう少し左、いや逆。よし、いいね。ありがとう」
「どういたしまして」
僕はパソコン女からようやく解放されて、後ろの子と話そうと思って振り返ったその時、教室に先生がやってきてしまった。
くそ。でも次の休み時間には。とその時は思っていた。だが甘かったのだ。