趣味についての雑感
オーディオが趣味のひとつです。
いまとなっては、すっかり廃れてしまいましたが、1960年代から70年代にかけては、テレビほどの普及率はないにしても「家庭に1台」の割合も高く、趣味としては普遍性のあるものだったようです。
ライフスタイルが多様化し、音楽が選択肢のひとつになった頃に、音楽ソフトのデジタル化によって装置のほうも「軽い、薄い、短い、小さい」の軽薄短小化が進み、持ち運べる、何かをしながら聴けるラジカセ、携帯音楽プレーヤー、そしてスマホへと転換していったようです。
音楽を聴くための「手段」である「オーディオ機器」に拘りを持つことや「音楽」だけではなく、「こんな音で聴きたい」というように、その大元の「音」に拘りを持つことが趣味のオーディオの定義かと思います。
そういう意味で、先に挙げた携帯音楽プレーヤーや(もしかすると、これも死語に近いかもしれませんが)システムコンポなどの延長線上にあります。
イヤーホンやヘッドホンはオーディオと認めないとおっしゃるマニアの方も少なくはありませんが、個人的には「装置や音の良し悪しに拘れば、皆、オーディオ趣味」だと思っています。
オーディオシシステムの価格と聞いて、どれくらいの額を思い浮かべられるでしょうか。
携帯音楽プレーヤーだと10万円前後は高級品かと思います。システムコンポだと15万円超から20万円位になれば、かなり高級な商品のように思います。
実際、それで十分に音楽は楽しめますし、特に感性や音楽体験が豊かな方々は脳内補正をかけて、実際の音よりもさらに素敵な音をお聴きになられていたりします。
音楽体験が豊かな方は目指すべきものがはっきりした方です。あのグループのライブの音を、どこそこホールで聴くクラシックのあの響きを家で再現したい。そういう気持ちが芽生えることは、誰しもがあることです。
それを脳内変換ではなく、実際にやってしまおうと実行に移す方が「オーディオマニア」と呼ばれる存在だったりします。
オーディオをプレーヤー、アンプ、スピーカーなどの単品で購入してシステムを組み始めると、とりあえずマニアの入り口です。どこまで沼にはまるかは、その人のキャパと経済力、金銭感覚しだいです。
アンプにしたところで、1台にまとまったものもある反面、音色を調整するコントロールアンプ、周波数帯域ごとのエネルギー量を調整するイコライザーアンプ、スピーカーを鳴らすために電気信号を増幅するパワーアンプに機能が分割され、それぞれに単独で販売され、システムコンポ1台分をはるかに超える価格がつけられていることも少なくありません。
スピーカーシステム(一般的に木製などの箱に電気信号を音に変換するスピーカーユニットが埋め込まれたもの)も高価な輸入品の中には家1軒分の価格をつけられたものもあります。また、余裕をもってスピーカーを鳴らすために高音、中音、低音域など周波数帯域を分割して担当するスピーカーユニットのそれぞれを、それぞれ別のパワーアンプ(スピーカーユニットが3つならアンプも3台。モノラルなら6台。)で鳴らす方もいらっしゃいます。
また違った意味で「高価なパーツ」はオーディオシステムを設置し、音楽を聴くための部屋なのですが、こちらについても上を見ればきりがありません。オーディオ評論家さんの中には住むためではなく聴くために、鉄筋コンクリート製の専用の家を建てた方もいらっしゃいますので、こちらの沼もシステムほどのすそ野の広がりや人気はありませんが、静かに深いものがあります。
その中に自身を位置づけると、マニアの入り口付近でウロウロしている状態かなと思います。「沼に足を突っ込めないけれど、でも沼の景色が好きなのも確か」という感じでしょうか。
相対的に音楽に対するイメージが貧困で、沼に映し出す「得も言われぬ音楽体験」というものはありません。ですから、深みにはまらずに済んでいるのかもしれませんが。
コストについても、「これ以上、お金をかけても仕方ないよな」という常識的な思考を超越するほどの執着はありません。できるだけ安く良いものをという常識的な価値観です。非常識なのは、安さの基準と良いものの値段の基準が、やや緩いくらいです。
ですから、ちょっと淋しく、わりと冷静にオーディオ趣味の世界を見ていることもできます。
というわけで、SNSのサークルのようなものにも席を置かせていただいています。
なんといっても、全盛期が1970年代から80年代のオーディオ趣味、それなりに高齢の方が多く、人生哲学やオーディオ趣味に関する考え方が出来上がった方もいらっしゃいます。ですから、ご自分の正解を他人に押し付けてこられる方も皆無ではありません。人生の余裕の証として、美しい伴侶を自慢するように機器を自慢する方もいらっしゃいます。
なんとなく、嫌な感じがする世界であることも事実です。でも、社会的には大人ぶった生き方をしているであろう人たちが、子どものように、ちょっと抑制をなくしてまで、趣味に没頭する姿は微笑ましくもあります。
最近まで死語になっていたような気がしますが「(昔懐かしいレコードを聴く)アナログオーディオ」や「LP」なども、少しずつ若い方々が懐古趣味的に興味を持ち始められて復活し、その縁で、私が所属するSNSのようなところに参加されることもあります。大人げない世界の中で結果的にスポイルされなければいいなあと心配することもあるのですが、そこは不思議に大人の世界で、皆、若い方には優しいのです。お互いに張り合っていても、そこは一致しています。
特に、「教えてください」モードの若い方々には、教えたくてうずうずしているのが良くわかります。
ということで、このオーディオ趣味の世界も、以前と比べると、また、賑やかになってきつつあります
不満は、当たり前の話ですが、趣味人口が減少して市場が縮小、そのために新製品の種類が少なく、価格が高いということです。
車と同じように、趣味性の高い海外製品は高価で、しかも日本への輸入品となると、その価格にさらに上乗せがあります。これも輸入車と同じ構造です。
相対的に国内の中古市場は、古き良き時代の製品を求めて高騰しています。特に、団塊の世代の方々がリタイアされたあと、懐かしい趣味に復帰するという流れの中で中古オーディオと中古レコードは価格相場が高止まりしたままです。
私のように、細いけれども、切れ目なく関わっているものからすると、値段が上がって迷惑なのも本音なのですが、それは公には言えないことです。何より、この趣味の世界が一時的にしろ、活気を取り戻していること嬉しいことですから。
本とオーディオは趣味として馴染むような気がします。読み手と聴き手、どちらも、それぞれに追体験をするのでしょうが、その追体験のときの裁量の余地が大きいように思うのです。文字を追うのが苦痛な小説や雑音にしか聞こえない音楽(これは個人的な嗜好の問題です)もあれば、その逆もあります。
受け身でありながら、その中に求めるものを探していく能動性もあります。
自分で文字を編んでみようとされるような創造意欲の高い方であれば、聴く音楽や音の「楽しめる幅」もなおさらに期待できる気がします。もちろん、コストに関しては、(身近に図書館もありますし)圧倒的に読書のほうが安価ですが。
大音量で鳴らすことだけがオーディオ趣味ではありません。静かな部屋の中に浮かび上がる吐息と濡れた唇、聴こえてくるボーカルの奥の、そういったものを、あなたも体感してみませんか。聴くことも、読むことと同じくらいに官能的な体験です。
どうでもいい内容に終始しました。すみません。お読みいただき、ありがとうございます。