石の下からワラワラと
僕は牛乳を一口飲んで口の中を湿らせてから切り出す。
「では、ナニをもって異常とするのかな、という話」
口の中の牛乳のほのかな甘味をかみしめる。
なんとなく懐かしい気がした。
「何を受けての『では』なのかさっぱり分かりませんが」
「まあ良いじゃない。思っちゃったのだから仕方がない」
「そういうものですか」
テーブルの上はロクに清掃されていないらしく、醤油のシミのようなものが食器の底の形の通りに所々と残っている。
残留思念という言葉を思い出したが、どうしてそんな言葉が出てきたのかよく分からない。
「その基準は言語化して説明することがあまりにも困難だし、したがって定義することがほぼ不可能とも言えるわけですが、しかしながら主観的な物言いにおいて、或る人の或る言動を示しそれを正常だ異常だと評価することが可能な以上、その観測者の判断には何らかの選定評価が機能していると思うのです」
「選定評価」
「勿論それは一律に決定づけられた綺麗なラインではないでしょう。例えばヒトゴロシという行動を異常だと感じる気持ち、これは割と一般的ではありますが、一概に殺人行為とひとくくりにできる問題でもないわけで、営利目的、快楽殺人、防衛行動の果ての不可抗力、さまざまなアトリビュートが加味され、またその殺害する対象が自らに害をなす人、害を為し得る人、赤の他人、友人、恋人、家族などの違いによっても評価は変わってくるかもしれません」
「ヒトを死に至らしめる行為ひとつとっても無数の構成要素があるわけだね」
ボクはヒトをコロしたことがない。
この先もコロすつもりはないし、誰かをコロさなくては生きられないような状況になったら、いっそのこと死を選ぼうと思う。
ま、実際のところ、その時になってみないと分からないんだけど。
「また、一つの考えとして殺人行為は人間の本能であると考える人がいたとして、では殺人行為の果てに、カニバリズムやネクロフィリアなどの条件が付加された場合にはそれは別ですよ、という場合もあるでしょう。[殺人]プラス[カニバリズム]、または[殺人]プラス[ネクロフィリア]は正常だけど、[殺人]プラス[カニバリズム]プラス[ネクロフィリア]と重なったらそれは異常だ、という評価もあるでしょう」
「良く分からない評価ですね」
「君に共感できないだけで判断基準としては成立していると思います。もちろんボクも共感できませんが」
「なるほど」
本当はもっともっとグロテスクでエゲツナイ例えも浮かんだけれど、口にするのは憚られた。
ボクの中のなんらかの選定評価が機能したのだろう。
口の中に牛乳の味が残留していなければ、あるいは言葉にしていたかもしれない。
「定義することは難しい、でもどのような形かは分からないまでも、どこかに境界は存在する。評価する当人の認識し得るレベルにまで上がってきていないだけで、それは確かに存在すると思うのです。その境界の形やエリアの大きさ、三次元的に考えればその深度や高度などは人によって違うことでしょう。また、その人の評価ひとつとっても、時と場合によって変化していくことと思う」
「まあモノの価値観は流動的ですからね」
「正常と異常との間に、普遍的な条件としての境界が存在するか、というと、個人差があるが故に一律化はされませんし、平均をとって解決するような問題でもない以上、それはあり得ない、と思う。法律で定義されているのは正常と異常の境界ではありませんし」
「絶対条件は定義不可能と」
おそらくそれが一律で定義できたら、精神鑑定など必要なくなるだろう。
精神科医の仕事を減らさないためにも、その定義は存在しない方がいいのかもしれないと思った。
まあ嘘なんだけど。
「善悪の評価とも軸の違う問題でしょう。例えば路傍の石をどかしてワラワラ湧いてきたダンゴムシを5〜6匹捕まえてピーナッツ感覚でポリポリ頬張る人がいたとして、その行為をボクは正直なところ異常だと思うのですが、別にそれが悪だとは思いません。ダンゴムシ達に同情の念めいたものを感じないではありませんが、それを糾弾する権利は私にはないし」
「超キモい想像させますね」
「また別の例として、生シラス丼という食べ物が存在する。沢山のシラスがご飯の上に乗っているわけです。命の消費量的には先ほどのダンゴムシのそれに比べて圧倒的に多いそれを私は特に異常だとは思いません。シラス達に同情の念めいたものを感じないではありませんが、まあ別に異常でも何でもない、いたって普通の食べ物だと思います」
「私、好きですよ、生シラス丼」
生シラス丼、畳鰯、シジミのみそ汁あたりは見方によっては、ちょっとしたジェノサイドかもしれない。
食卓の上の大量虐殺。
美味しければ良いんだけど。
「では、ナニをもって異常としているのかな、という話」
「おや、ループしてる?」
「基本的に偏見で構成された基準なのだと思います。論理や倫理じゃない。合理性や損得勘定でもない。気持ち悪いかそうでないかということ。その人にとって、ちょっとキモいくらいならまあ正常、超キモければ異常、そんなところでしょう」
「そんなもんですか」
結局のところ、そんなものなのかもしれない。
「例えば、こうして大学の学食で牛乳を飲みながらたった一人でブツブツと対話形式でしゃべっている僕を、あそこに座っている女学生が先ほどから不審な目でチラチラ見ているけど、彼女の評価基準で僕はどっち側に属されるのかな」
「ちょっとキモいか、超キモいか」
「そう、それが問題だ」
むしろ、どちらに転んだとしてもキモいのだということ、そちらの方が問題な気がした。
そう呟こうかと思ったけれど、もう一口分の牛乳と一緒に飲み下してみた。