アナログ少年とログネェ先輩
学校という空間、それも高校ともなれば。
その時間が来た瞬間に、世界は一変する。
それはいつか?
放課後だ!
夕暮れなんかまったく迫る気配もない、まだまだお昼だよみたいな空気のまま、担任の適当な報告を最後にホームルームが終わり、クラスは解散となった。
「おわったおわった」「かえろーぜ」「ばいびー」「またね~」「俺部活だわ」「塾行くのやだなぁ」「更新された動画みた?」「最近ドラマつまんねーよな」「おいカレーパン半額だってよ!」
などなど、途端に声が溢れていく。
青春だなぁ、なんて思わない。
これが日常だから、思っている暇なんて無い。
僕は教室から飛び出した。おちおち教室でみんなの動向をモノローグで語っている場合ではないのだ。やれやれ系の主人公なんて今さら流行しない。もちろん、僕は僕の物語を生きている主役なわけだから、そう思うけど。
まぁ、学園異能バトルやら、異世界転生やら。
そんな稀有な人生は歩めそうにも走れそうにもない。
残念ながら、この世に起こる不思議なことは怪奇現象がせいぜいであり、クリスマスにサンタクロースが許される程度のファンタジーだ。
突然空から女の子が降ってくる希望はあるけれど、それを受け止める腕力なんて通常の人間には無い。
「おっと」
そんな心境こそが、やれやれ系主人公だった。危ない危ない。僕はどっちかっていうと熱血系が好みであり、成れるモノなら俺TUEEEEがいい。
うん。
というわけで、僕は文字通り飛んでいく勢いで廊下をダッシュする。
なぜか?
そんな理由は簡単だ。
待ちきれないから、だ!
廊下を走り、みんなの間をすり抜けていく。ええい邪魔だ! と叫ぶわけにはいかない。そんなことをすれば、明日に向けられる視線は冷たいものになってしまう。生徒間の友情ポイントは高いほうが有利だ。それこそ、カースト制度に影響する。いじめられて人生を無為にするわけにはいかない。
「ごめん」
と、一応叫びながら仲良く廊下を歩く女子の間をスリ抜けた。そのまま階段を飛び降りるように駆け抜けると、いわゆる特別教室が並ぶ校舎へ向かって加速する。
その目的地は美術部の隣。いわゆる美術準備室、と呼ばれる教室だが放課後に限ってその教室名は変更される。
その名も『漫画創作部』!
まぁ、いわゆる美術部とはすこし違ったお絵かきをする部活だ。それなりの人数が所属しているらしく、放課後は自分の作品を作り続けている。でも顧問の先生の姿を見たことがないので、パソコンやタブレットで遊んでいる部員もいるくらいには、ゆるい部活だった。
「ログネェ先輩!」
そんな漫画創作部の窓を、スパーン! とガラスが割れかねない勢いで僕は開くと、その中に絶対に居ると核心を持っている先輩の名前を叫んだ。
「……相変わらず騒がしいなぁ、君は。そんなに声を出さなくても充分に聞こえているよ。それとも君は大声を出すことで個性を主張する芸人を目指しているのかい? あの席はなかなか空かないから、せめて雛壇芸人を目指すほうが懸命だ」
そんな風に僕をたしなめたのが、ログネェ先輩だ。
漫画創作部で一番の変人として部屋の隅に鎮座する三年の先輩であり、僕が急いで教室を飛び出した理由でもある。
「いや、もしも目指すのなら雛壇じゃなくてMCがいいです。あっ、ごめんなさい」
隅っこで作業を始めていた先輩で訴える。
黙れ、と。
そのサラリと長く黒い髪に整った顔立ち。いわゆる『深窓の令嬢』みたいな雰囲気をかもしだしているが、その瞳は勝気だ。冷たい印象と熱い印象を同時に思い浮かぶが、天秤が傾くのは熱血系だ。
細い手足は痩せすぎではなく、美人の尺度にバッチリ合致し、儚さの中にも強さを感じさせる。ただし、指だけはボロボロだった。これが彼女の誇りである漫画を書き続けてきた勲章でもあるらしい。
そう、ログネェ先輩はいわゆる美人だ!
クラスの中でもナンバーワン。
いやいや、学校一の超美人! と、称える人も少なくない。もしも漫画だったら確実にファン倶楽部ができているはず。アイドルと比べても、まぁ勝てるだろう、ってぐらいの本気の美人なのだ。
そんな先輩が、僕に向かって『鉛筆』を突きつけた。
「その有り余る若いエネルギーを声で消費するのはやめたまえよ、少年。ただし、情欲にして放出した報告はいらないから勘違いするなよ」
「あ、はい」
よろしい、とログネェ先輩は鉛筆を再び僕から紙へと戻した。
鉛筆。
そう、鉛筆!
鉛筆なのだ!
このデジタル主流の世の中で、彼女は鉛筆を使っている。いちいち削ったり間違えたら消しゴムで消さないといけない、などという恐ろしくも面倒で素晴らしい作業を、しかも漫画というもっとも修正が厳しい作業で続けている、稀有でレアで、ちょっぴりおかしいログネェ先輩なのだ!
そう、ログネェ。
このログネェという名前も、それが由来する。
つまり、僕と先輩の間で交わされたこんな会話が元になっていた。
「ちょっといいですか、アナログ先輩!」
「なんだいなんだい、その呼び方。女の子に向かってアナログとは失礼極まりないじゃないか、アナログ君」
「いや、先輩が僕のことをアナログと呼びますので、僕も親しみを込めてアナログ先輩と呼ばせて頂こうかと」
「せめてもうちょっとオシャレにしておくれよ」
「じゃぁ、グロアナ先輩」
と言ったらスケッチブック(と呼ばれる、絵を描く紙をつづったノートみたいな物が昔からあったのだ!)で叩かれた。わりと痛い。
まぁ、グロアナではさすがに失礼か……
「いててて。じゃぁ、ログナァ先輩で」
「う~ん、キャラクター設定的にはもう一声かな。ログという響きは悪くないので、ナアを一音さげて、お姉さん的なネェというのはどうかな少年。ログ姉さんだ」
「おー、さすがログネェパイセン! ハンパねーッス!」
とまぁ、そんな会話を経て、僕は先輩のことをログネェ先輩と呼ぶことになった。
おっと、そんなことはどうでもいい。
ここまで急いできた意味を早く、はやく、はやくはやく!
「せ、先輩、出来てますか!?」
「大声を出すなと言っているだろう。次、もしも大声を出したら君との仲をリセットする。分かったかい? よし、では会話を戻そう。うむ。問題なくできているよ。まったく君も好きだねぇ~」
そう言ってカバンから取り出したのは、一枚の紙。すこし分厚い紙で、ちょっぴり丁寧に先輩はそれを僕に手渡す。
もちろん僕は、その紙に手を伸ばす。
けれども慎重に、だ。
この一枚は貴重なもの。データと違って、汚れてしまう可能性がある。できるならばゴム手袋を装着して受け取りたいところだが、残念ながら手元にない。
「おぉ~!」
震える手で受け取り、そこに描かれた絵を、アナログの絵を確認した!
「すげぇ……」
その紙に描かれていたのは、ひとりのキャラクターだ。アニメ的、漫画的なデザインであり、目が大きく、髪も空色をしている。そんな髪をツインテールにしており、美人というよりも可愛さをこれでもかとアピールしていた。
胸は大きく、かといって太っているわけではない。がっちりくびれた腰のラインに加えておへそが見えるほどに露出していた。
まるで漫画やアニメのヒロインみたいな、そんな可愛い女の子がポーズを決めていた。右手の人差し指を反るようにして右のほっぺに当てている。左手は腰に当てており、どうやら先輩が独自に考案したらしい、かわいいポーズだった。
「君は相当に好きなんだな、彼女が」
「大好きですよ! 雪ノ原月夜っ!」
僕はできるだけ小さな声で叫んだ。
これが叫ばずにはいらないのだ。
雪ノ原月夜。
ゆきのはら、つくよ。
彼女は、いわゆる『バーチャルゆーちゅーばー』っていうやつだ。
動画サイトに投稿しているバーチャルアイドル的な存在であり、ファンの数も多い。元気娘で、自由奔放。みんなに元気をわかてくれるVチューバーとして日々活動している。
もちろん、彼女の他にも男性女性、大人から子供まで、現在は有りとあらゆるVチューバーが活動しており、彼女もそんな中のひとり。でも、僕は彼女のビジュアルを含めて応援しているのだ。
なにより、とっても元気でかわいらしい彼女が好きだから。
「うむ。私も雪ノ原クンは好きだね。元気がイイ。私には無い部分が多いからな」
どちらかというと清楚で静かで大人しい感じのログネェ先輩。確かに月夜と比べると、いろいろと正反対に思えた。
「でも先輩には絵の腕があるじゃないですか。あと、ほらココ」
僕は先輩が描いてくれた絵の一部分を示す。そこは月夜のツインテールでもある髪を結っているリボン部分。本来なら白のリボンなのだが、先輩が描いてくれた絵では星のアクセサリーになっていた。つまり、デザインのアレンジだ。
「この星のマークの飾り、いいじゃないですか! これはこれで可愛い!」
「これはこれで、とはヒドイなぁ。私なりのアレンジなんだけど」
「いやぁ、だって公式とは違う部分ですからねぇ」
ファンとしては譲れない部分というものもある。しかし、僕はログネェ先輩のファンでもあるので、このデザインを否定するつもりはない。どちらも素晴らしい!
「ふむ。そう言われてしまうと私にはどうしようもない」
と、先輩は苦笑する。
「あえて解決をするというのなら、雪ノ原クンに伝えてデザインを採用してもらうことだな」
「あ、いいですね! 写真にとって月夜さんに送っていいですか?」
Vチューバーへの連絡方法はいろいろとある。メールアドレスはあるし、公式ツイッターもあるし、Vチューバー同士の大きなイベントでは、姿は見せないけれど本人がその場にいたりする。
そんなイベントで先輩の絵を渡すことは不可能ではない。
けれど――
ぶんぶんぶんぶん、と先輩は首を横にふった。
「やめてくれたまえアナログ少年。なんなら穴黒少年とこれから君を呼んだってイイ。それぐらいに、それだけはやめてくれ」
「あ、穴黒少年と呼ぶのをやめてくれるのなら、僕もやめておきます。そして、部屋の額縁に入れて一生の宝物にしておきます」
それならば問題はない。と、先輩は息を吐いた。
「先輩の絵、めっちゃ上手いのに。もったいないなぁ。月夜さんも見たら喜ぶと思うんですけど?」
ツイッターなどでは、ファンの投稿するファンアートに本人が『いいね』をしたりリツイートしたりする文化もある。応援のひとつの形、というやつだ。
もちろん本人は見せちゃダメな絵もある。
僕は全力で我慢している。なにせ、ほら、まだ十六歳だから。うん。あと二年、我慢します。
「それはあくまで二次創作だ。私の夢は二次ではなく、第一次生産者になりたいのだよ。そこを理解してくれたまえ、少年」
「じゃぁ、デジタルで作画したらどうですか? もうアナログ原稿なんて受け付けてる出版社、いないですよね」
「どうにも苦手でね~。デジタル」
ログネェ先輩は肩をすくめる。もっとも、僕という人間もアナログ好き。授業中のノートをわざわざ紙のノートにシャープペンシルで取る、という趣味全開の行動をするぐらいには、アナログ好き。それで中学の先生を困らせてしまったが、高校の先生も困らせている。まぁほどほどにしないとイケナイなぁ、とは思っているけどね。
「まぁ、アナログ派同士、仲良くしようではないか。アナログ少年よ」
「そうですね、ログネェ先輩」
という訳で。
念願の『雪ノ原月夜』のアナログ絵をゲットした僕は、意気揚々と自分の教室に戻るのだった。
なにせ、僕は漫画創作部でもなんでもなく、ただの帰宅部なのだから。
「さぁ、今日は生放送の日だ!」
それに雪ノ原月夜のVチューブ放送があるので、部活なんてやってる暇がないからね!