二日酔い
俺は佐藤弘。
このありきたりな名前が大嫌いだ。なにしろ他人と被る。名字も名前も被りまくる。
年齢はけっこういい歳だ。アラフォーよりも上だ。しかし不思議と、自分がおっさんだと思ったことはない。しかし、ここ数年は体力が衰えてきたような身体が朽ちてきたような、正直そう感じている。
世代としては、国民的アイドルグループの、SportsとMusicとArtと、あとなんだっけ?プロポーション? がいい感じのグループだ。特にメンバーの一人が同い年で、俺のHEROだ。
仕事は会社員をしている。IT系の会社でエンジニアをやっている。いや、やっていたと言うべきか。
◇◇◇◇◇
目が覚めると牢屋の中にいた。見たことも入ったこともないが、鉄格子があるから多分、牢屋だ。
ひどい二日酔いだ。頭ががんがん痛む。身体を起こしてふと隣を見ると、猫が寝そべっていた。
「ペプ……? 本当にペプなのか?」
猫はすっと立ち上がり、つてててと近寄ってきて、俺の腿の上に乗り顎を舐め始める。
間違いない、ペプだ。
ペプは三年前に病気で死んだ。十三年間ペプともう一匹の兄弟猫と一緒に暮らしてきた。血統書はないがアメリカンショートヘアのオスだ。アメショーなのでアメリカっぽい名前ということで、コーラのブランドから名付けた。
「会いたかった……」
涙が出てくる。ペプをぎゅっと抱きしめ、手のひらで、何度も何度も撫でた毛の感触を確かめる。
「やっぱりペプだ……」
それはそうと、ここはどこなんだ?ペプと一緒って……天国なのか? 牢屋っぽいが……。
鉄格子の扉が少し開いているので、監禁されているわけではなさそうだ。
昨日は何してたっけ……同僚たちと飲んでて……思い出せない。
よくわからないが寝ることにする。とにかく頭が痛い。酔いもかなり残っている。スーツに皺ができるが、それはこの際どうでもよさそうだ。
ギィーー、と扉が開く音がしたので身体を起こす。男が入ってきた。ギョロ目だ。革でできた鎧のようなものを身につけている。腰には剣がぶら下がっている。ファンタジーだ。ファンタジーっぽい。
「目が覚めたようだな」
「……」
「お前さんは魔族を倒してもらうために異世界から召喚されたんだ。実力を見たいんでな、ちょっとつきあってくれ」
わけわからん。話が見えない。が、ファンタジーっぽい。
「……ここは?」
「郊外の魔術師ギルドさ」
「とりあえず水をくれないか?」
革袋を渡される。なんだこれ? ペットボトルとかグラスとかじゃないのか。
立ち上がって受け取り、中の水をこぼさないように飲む。
「いくぞ」
革袋は返さなくていいのか。ギョロ目は歩き出した。俺は置いてあった革のサンダルを履きペプを抱っこし、頭を左肩に乗せ急いでついて行く。
石造りの建物を出て、森に入る。二日酔いで頭が回っていないし、軽くパニックになっている俺には周りが見えていない。何が何だかわからないが、今のところ唯一の情報源になりそうなギョロ目に必死についていくしかない。
木々がまばらになったところでギョロ目が足を止めて言う。
「この辺でいいだろ。ちょっと先に行ってくれ」
そういえばギョロ目の名前を知らない。向こうも俺の名前を知らないんじゃないか? いったい何をさせたいんだ……?
「キシャーーーー!」
ペプが威嚇した。
振り向くと、ギョロ目が剣をまさに振り下ろすところだった。間一髪で避けた。よろめいて尻餅をついてしまった。ペプは降りて走っていった。ふたたび、ギョロ目が剣を振り下ろした。すると…… 剣が消えた。
ギョロ目はでかい目をさらに大きく開けてキョロキョロと見回しているが、どこにも剣はない。俺はこの隙に立ち上がった。
なんとかしなければ……しかし頭の中は真っ白だ。ギョロ目が短剣を抜いた。目が血走っている。その目が嫌だ。
突然どこからか砂が舞って、ギョロ目の顔にまとわりついた。目を押さえ、痛がっている。
「くそ! 卑怯な真似しやがって! どこだ!? どこにいる!?」
卑怯? っていうかお前、今俺を殺そうとしたよな?
頭に血が上る、と同時に温度がすっと下がる感覚。
俺はやつを両手で突き飛ばそうとしたが、手に力が入らない。肩から体当たりした。
――何か、殴るものはないか……?
俺の手の中に剣が現れた。さっき消えた、ギョロ目が持っていた剣のようだ。おそらく片手で扱う剣なんだろうが、重い。手が震えて落としそうになる。左手で右手の震えを止めるように握る。そして、立ち上がろうとするやつの首に、叩きつけた。固い何かに当たった感触。剣が手から離れる。やつは倒れ、そのまま動きを止めた。
——やったのか…… やっちまったのか…… 人を殺したのか…… 今更だけどこれって夢だよな。天国じゃなさそうだし。でもさっきちょっとは痛かったよな……
知らないうちその場に座って、放心していたようだ。ペプが俺の肩に登ろうとしているのに気づき、我に返る。
——逃げなきゃ。状況はわからないけど、こういうときはなんかヤバい……
俺は立ち上がり、一歩踏み出そうとしたが……
——死体! このままにしておくのはヤバい……しかしどうやって…… 重い!
すると、すっと死体が消えた。
——??? とにかくここから離れなきゃ……
ペプを抱いてもと来た方、が既にわからなくなっているが、逆方向と思える方へとにかく走る。
どのくらい走っただろう、左膝の力に抜けるような痛みを覚えて止まる。俺は健康からは遠い人間だ。健康になろうとしてランニングを始めたが、そのせいか逆に慢性的に左膝が痛くなって諦めたくらいだ。
——膝が痛いってことは、夢じゃないのか。
そんなことで確認したやついるか? 定番はほっぺをつねるだろ。自分で自分にツッコミを入れて、おかしさがこみ上げてきた。少し緊張がほぐれた。
大きめの木を見つけ、走ってきた方向と反対側に、誰も追いかけては来ないが隠れるように根元に座り息を整える。
——わけがわからない。何も考えたくない……
そしてそのまま、呼吸を落ち着けて、意識を失うように眠った。