シスター(2)
(どうしてこんなことになっちゃったんだろう……)
考えても分かるわけがない。しばらく何もできずにじっとしていると、暗闇からささやき声が聞こえた。
「おい、大丈夫か?」
目を凝らして暗がりを見たが、何も見えない。
「怖がらなくていい。おまえ、魔術師ギルドから逃げてきたんだろ? なら、俺は味方だ」
「……誰?」
「俺はリカルドっていうんだ。訳あって魔術師ギルドを見張ってた」
暗がりから男が顔を出した。ぼんやりとしか見えないが、クラウディアより少し年上のようだ。フード付きのローブを着ている。
「追手がくるかも知れない。移動したほうがいい」
クラウディアは手を引かれて森の中を歩いた。何度も躓きながらながら歩き、停まっていた馬車の荷台に乗せられた。馬車は、月明かりのない夜道を松明の光だけを頼りに進む。
(これから……どうなるんだろう?)
クラウディアの心の中は不安でいっぱいだった。しかし、元の世界に戻りたいとはこれっぽっちも思わなかった。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
リカルドは街道から離れて馬車を停めた。
「まだ名前を聞いてなかったな。あんた、名前は?」
「クラウディア……」
「そうか。なあ、クラウディア。召喚について何か知ってるか?」
「わからない……でも、あたしを召喚したってあの男が……」
「ビンゴ! やっぱあんたが召喚者か!」
この世界では召喚魔法で呼びだされた者が召喚者と呼ばれている。
「召喚者って何……?」
「あんたは特別なスキルを持ってるってんで別の世界からこの世界に無理やり連れて来られたのさ。あいつらは魔族を倒すためなんて言っちゃいるが、ホントのところは戦力さ」
「戦力?」
「このハロン王国はお隣のイグレヴ王国に睨まれててな。今にも戦争になりそうなんだ。だから特別なスキルを持つ人間を召喚して集めてるってわけだ。ま、隣の国ってのは俺の国なんだけどな……俺はその召喚ってやつを探るために魔術師ギルドを見張ってたのさ」
「でも……あたし、特別な力なんてないわ……」
そう言ってふと気がついた。さっき、ルーカスに襲われた時に出た火柱。もしかしてあれが特別なスキルってやつなのかも知れないと。
「何か気づいたって顔してるな?」
「あたし……火を出せるのかも……」
「火って……魔法が使えるってことか?」
「魔法……って何?」
「魔法を知らないのか? あんたがいた世界には魔法はなかったのか? 魔法って手から火を出したり物を冷たくしたりするやつだよ。あんたを召喚したのも魔法だよ。俺にはどんな仕組みなのかわかんないけど。火を出すくらいの魔法はこの世界じゃ珍しくないぜ。俺にはできないけどな」
(魔法が使えるから召喚されたのかな……? でも、あの女の子——神様?——がスキルをくれるって言ってた。神様が魔法をくれたんじゃないのかな……? 魔法の他に何かあるのかな……? あたし、なんの取り柄もないのに)
「俺の国、イグレヴにはさ、魔法大学があるんだ。才能があるなら通ってみるといい」
「でも……」
(どうやって生きていけばいいのかもわからないのに大学なんて……)
「心配すんなって。夜が明けたら俺の国に連れてってやるよ。そんで、俺のボスに紹介してやるから。今後のことはそれからゆっくり考えればいいよ」
「……」
「心配すんなって。ただ、ちょっとだけ、召喚ってやつの話を聞かせてくれないか? あと、あんたの魔法のこととかさ」
夜明け前に馬車を出し、その日の夕方に港町に着いた。そして数日後にほイグレヴ王国の都市、セリムに着いたのだった。
セリムはおよそ二十メートルの高さの壁に囲まれた城塞都市である。出入りの緩いシンシアとは違い、衛兵が城門で人の出入りを管理し、入市税を徴収する。夜間は門が閉じられる。
「なんとか間に合ったな」
リカルドは、市民や証人たちの行列の脇を通り、立っていた衛兵に声をかけ、ポケットから何かを取り出して見せた。
「銀行の者です」
「よし、通れ」
クラウディアを乗せた馬車は行列を尻目に門を抜け、市街に入った。
リカルドの目的地は市街の中心部の、一際目立つ三階建ての屋敷だった。屋敷というより宮殿と呼んだほうがしっくりくる。イグレヴ王国最大手のマニル銀行のセリム支店である。
玄関前は馬車が何台も停まれるほどの広いロータリーになっている。リカルドは屋敷の裏の厩舎の前で馬車を停めた。
リカルドとクラウディアは、執事に案内され、頭取と対面した。
「頭取、召喚者を連れてきました」
「ご苦労でしたね。シスターさんでしたね。お話は聞いていますよ。長旅でお疲れでしょう。ゆっくりしてください」
クラウディアは促されて、革張りのソファに座った。腰が深く沈む。クラウディアのいた世界は、呼びだされたこの世界よりも発展している。当然のことながらこの世界のものよりもずっと座り心地のいいスプリング入りのソファもあったが、修道院には無かったので、クラウディアにとっては初めての経験だった。
「私はヴラドと言います。マニル銀行の頭取をしています。マニル銀行っていうのはイグレヴで一番大きいんですよ」
クラウディアは、「頭取」という言葉を知らなかった。一番偉い人だと教わったのは後日のことだ。
「早速ですが、あなたのことを聞かせてください」
「…………」
「そんな固くならなくていいって。俺に話してくれたことをそのまま話せばいいから」
リカルドに促されて、クラウディアは元の世界で修道女として働いていたこと、気がついたらなぜか魔術師ギルドにいたこと、ルーカスに襲われて火を放って逃げたことを話した。話しているうちにだんだんと緊張は解れてきた。
ただし、神様に会った話はしなかった。なぜか、隠しておいたほうがいいと思った。元の世界では、神様に会ったなんて言うと正気を疑われる。教会の人間でさえそうだ。
「なるほど、よく分かりました。無理やりこの世界に連れて来られて、さぞ辛いことでしょう。ハロン王国というのはどうやら良くないことを企んでいる様です。この街、セリムって言うんですけどね、ハロン王国のお隣みたいなものなんです。だから不安で不安で……どうでしょうシスターさん、隣の国が何を計画しているのか探るのを手伝ってもらえませんか? その代わりシスターさんの生活は私が保証します」
「手伝うって、何をすればいいの?」
「まずはゆっくりして、こちらの世界に慣れてください。元の世界には帰れないって魔術師から言われたんでしたよね? 辛いでしょうが、ここも住めば都です。落ち着いたら、シスターさんは何ができるのか教えてください。魔法が使えるとのことですが、どんな魔法が使えるか試してみましょう。才能があれば魔法大学に通うといいでしょう。聞いた話ですが、どうやら召喚者はみんな魔法に長けているらしいのです。クラウディアさんも魔法で何ができるのか、興味ありませんか?」
クラウディアは宮殿の一室を与えられた。数日間は、宮殿付きのメイドに街を案内されたり、この世界について講義を受けたりした。クラウディアはイグレヴ語の字が読めないため、重点的に勉強することになった。
なお、イグレヴ語とハロン王国で話されている言葉は方言程度の違いしかなく、字は全く同じである。クラウディアは神様に与えられた謎の翻訳システムのおかげで、特に意識することなく両方の言葉を話すことができた。
日を追うごとにクラウディアは明るくなった。クラウディアは生来は朗らかで快活な性格であった。育った環境が特殊であったのだ。神の下僕としての生活を強いられ、おおよそ人間らしい感情や表現を抑圧されていたのである。この世界に来て、元の世界に戻らなくてもいいと言われ、彼女の持つ本来の生色を一足飛びに取り戻していった。
二週間後、クラウディアは魔法学の家庭教師と会い、ヴラドと一緒に宮殿の中庭で魔法の実演をすることとなった。
「シスターさん、あなたの魔法の才能が知りたいんです。まずは火を出してみてください」
「やってみるわ」
クラウディアはあの時以来、火を出していない。出す必要もなかった。出るかどうか不安はあったが、出そうと念じると簡単に、思った通りの場所に出た。
炎は幅一メートル半、高さ二メートルの壁を作り、十秒ほど燃え続けた。庭の芝生は焼け焦げた。家庭教師は腰を抜かして座り込んでいた。
「そんな……無詠唱でこれほどの火を……」
ヴラドが家庭教師を立ち上がらせながら聞いた。
「これはすごいことなのですか? 強力だというのは私でも分かるのですが、あまり詳しくないもので、どのくらいすごいことか分からないんです」
家庭教師は二、三回深呼吸をしてから説明した。
「無詠唱で魔法が使える人は今のこの国にはいません。人間が無詠唱の魔法を使えたという記録がありません。エルフやハイエルフの伝承でなら聞いたことがあります」
「ほほう、そんなにすごいことですか」
「次に、今のファイアウォールという魔法は難易度が高く、マナの消費が大きいのです。唱えられるのは大学教員か教授くらいでしょう。もちろん詠唱して、です。一度見たことがありますが、三秒ほどで消えました。それが十秒以上も続くとは……」
家庭教師は畏怖を込めた視線でクラウディアを見つめた。
実のところイグレヴ、というよりこの大陸
の人間に伝えられているファイアウォール魔法の詠唱句は非常に無駄が多い。そのため無駄に難易度と消費マナが増しているのである。これはファイアウォールのみではなく、ファイアボールより上位の魔法全てに言えることであった。
「シスターさん、他の魔法はできますか?」
「知らないわ」
はっきりと即答したシスターに、ヴラドと家庭教師は面食らった。
「では、あと何回くらいファイアウォールを作れますか?」
「やってみるわ」
クラウディアは一帯に十数個の炎の壁を作り、マナを使いすぎて卒倒した。




