退職金
テーブルに酒は蒸留酒であるジンとウイスキーをデキャンタで二種類ずつ用意した。念のためエールも一本置いておく。
ロックアイスと水も用意した。水源地のおいしい水だ。俺にしか用意できないだろう。特別だ。
道場とフライターク邸でゲットしたガラスのグラスも並べた。
食事はパン、スープ、フルーツ、ステーキを並べた。ステーキに関しては、ウサギとイノシシの他に奮発して牛を出した。みんなにはなるべく牛以外から食べて欲しい。俺は貧乏性でややケチだと自覚している。
護衛のスケルトンもマナが満タンのやつに交代した。準備万端だ。
酒盛りをセッティングすると、メンツが続々と集まってきた。また俺が全部準備する事になったが、飲み会の幹事は悪い気がしない。
「ねえみんな、聞いてほしいことがあります」
いざ飲み始めようとした時に、ゲルダが言った。何か宣言しようとしている。
「あの、アタシ……アタシたち、辞めようと思います。いえ、辞めることに決めました」
沈黙……。カイは、まあしょうがないなと言う顔を、クンツは、そう言うかも知れないと思ってた、という顔をしている。リーゼロッテは無表情だ。
「アタシは、ずっと国王陛下に仕えてきました。それがこんなことになって……リーゼロッテ殿下に仕えるのが嫌なわけではないの……ただ……気持ちがなくなってしまったの……」
泣きだした。気の強い女性だが、こういう話のときは感情が抑えきれないのだろう。男でも泣くか。
イーヴォはゲルダに同意して軽く頷いて、やや下を向いて黙っている。無口すぎるだろ。
これに関しては、俺は何も言えることがない、彼女らが今までどれだけ貢献してきたのか、どんな気持ちで責任を果たしてきたのか、俺は何も知らない。
「わかったわ」
リーゼロッテが、こう言われることを予想していたかのようにすっぱり言い切った。実際、予想していたのかも知れない。
「今まで長い間、よく私の父に仕えてくれました。次期国王として礼を言わせて下さい。本当にありがとうございました」
まるで自分の部下と別れるように、リーゼロッテは目に涙を浮かべながら、ゆっくり、背筋をぴんと伸ばして、礼を言って、深く頭を下げた。
なぜか退職金の額をリーゼロッテに聞かれたので、よく分からないけど年齢からすると十年から二十年くらい務めたのかなと考えて、一人金貨二百枚でどうかと提案したら、なんかみんな納得な顔をしていたので、そう決まった。なぜ俺に振った……。
最後に一緒に飲もうと誘ったが、これから先の計画は知らないほうがいいと言って、ダンジョンを去っていった。
去り際に水入り革袋や保存食や外套など、必要そうな物を渡した。これから夜になるのにゲルダたちはダンジョンの隠し階段を上っていった。
結局一度もイーヴォの声を聞くことはなかった。元の世界で、職場に新しく参加した派遣さんが、初日からいなくなるまでの二ヶ月ずっとマスクをしていて、オフィスの誰も顔を知らなかったことを思い出した。
見送った俺の肩にクンツが手を置いて言った。
「彼らは孤児だったのを国王に拾われましてな。まだ国王が王子だった頃の話です。初代国王を必死に説得しましてな、絶対役に立たせるからと。姫のことも相当可愛がってましたが、国王への思いが強いのでしょうな」
ガキの頃からなのか……退職金ちょっと足りなかったかな……。まあ、俺の元の世界の基準で考えてもしょうがないが。
「タクヤどのがご遺体を取り戻していただいたことで心を決めたようです。安心したのでしょう」
まあ、葬儀と埋葬はいつできるか分からないからな……このダンジョンに埋めてよければすぐできるんだが……。
「さ、気を取り直して飲みましょうぞ」
クンツが言いたいことを言ってくれて助かった。部外者感の強い俺が言えることではない。
リーゼロッテ、クンツ、カイ、俺、ペプの四人と一匹になった。長ーいテーブルの端の五分の一で宴会をする。リーゼロッテはお誕生日席、俺はその隣、クンツがその逆の隣りでカイが俺の正面に座っている。残りの五分の四はペプが独占だ。
俺は街の状況などを報告しようとしたが……。
「取り返すわ。パパの、パパとあたしたちの国は絶対取り返すの」
世間話から入らずに、リーゼロッテが高らかに会議のテーマを宣言した。いや、言い放ったに近い。
「でも、どうすればいいの……?」
生まれた時から王女だったリーゼロッテには、国を獲るということが分からないのかも知れない。まあ、王家ですらない平民の俺にも当然わからないが。
「俺がいた世界の……俺が生まれ育った国では、国とは王のものではなく、全ての国民のものだった」
何を言っていいか分からなくて、とんでもないことを喋り始めてしまった。
「政治は、全ての国民が参加する選挙によって選ばれた政治家が担う」
ほんの一言しゃべっただけなのに、リーゼロッテがぽかんとしている。
「国民は法律によって統治されている。法律は選挙で国民の信任を得た議員が議会を開いて決める。意見が分かれた場合は議論を尽くしたうえで、最終的に多数決で決める。つまり、国の支配者は法で、リーダーは民主的に決められる」
選挙とか民主的、なんて言葉は謎翻訳システムではどんな風に伝わってるんだろう……?
「国や民には、王は必要ないんだ。民は王様が誰かなんて関係ない。誰かが支配しなくても、人々の中からリーダーが生まれ、うまくやっていく」
社会制度が絶対王政の世界の人にこんな話をしても通じなさそうだ……。
「リーゼは、国を取り戻して統治したいのか?」
「…………」
「国王の仇をとって恨みを晴らしたいのなら、奴らの司令官を殺せばいい。敵を片っ端から殺せばいい」
「…………」
「俺はリーゼに幸せになって欲しい。国を支配しなくても幸せにはなれる。金に困ることはないだろうしな。しかし、リーゼの幸せのために国が必要なのか、イグレヴをこの世界から無くしたいのか、本当にそれがリーゼに必要なことなら俺は手伝う」
「…………」
「あくまで手伝うだけだ。やるならリーゼが立ち上がらなければいけない」
「…………わからないの……どうすればいいのか……」
なんとなくリーゼロッテは、自分でも何をしたいのかわかってなさそうなのでこんな話をした。第一王位継承権を持つ王女だが、どうも国が若いせいなのか、帝王学を学んでいないらしい。いや、もちろん俺は帝王学ってのが何なのかよく知らないんだけど。
「まあ、焦って国を取り返しても、一年後には魔王が出てきて世界が滅びるけどな」
「ぶっ!」
カイが酒を噴き出した。正面に座ってる俺にちょっとかかった。俯いて泣きそうだったリーゼロッテが、顔を上げてまたきょとんとした。
「え? どういうこと?」
「あれ? 言ってなかったか? 北門広場で追い返した魔族が、魔王が召喚されるまであと一年だから、その前にダンジョンに挑戦しに来いって捨て台詞を吐いて帰っていったんだ」
一部の表現がやや正確性に欠けているのはしょうがない。
「そういう訳で、俺としてはイグレヴに構ってる暇は無く、すぐにでもキャッスルヒルパートを攻略してあの魔族を倒したいんだが……」
「ちょっとタクヤ、それ本当なの?!」
「こんなことで嘘をつくわけないだろう」
「……ちょっと……国どころの話じゃないじゃない……」
あれ……なんかちょっとおかしな話をしてしまったか……でも事実だし……。
「うむ、実はそうなんだ。だがリーゼの幸せも優先したい」
まあ、正直この状況は困ってる。
「ふむ、難しい局面ですな。国を取るか世界を取るか……」
だんだんクンツのことが分かってきた。すでに酔っている。
「クッニを取ればクッニと一緒に世界が滅ぶ、世界を取れば敵国を助けることになる。難しい問題ですな」
クンツはデキャンタからグラスに酒を注ぎながら言った。リーゼロッテのことばかり見ていたので、クンツがどれだけ飲んだか分からない。しかし、飲み始めてまだ三十分も経ってないぞ……あ……デキャンタが空になった……。俺は代わりのデキャンタを出した。
「タクヤ……両方は無理なの……?」
「無理とは言わないが……今のままでは魔族に勝てそうもない。強くならないと。時間が惜しい」
「…………」
沈黙……。
クンツはニコニコしながらジンを口に運んでる。カイは、何か決心した顔でリーゼロッテを見ている。
俺がコップのウイスキーを飲み干して、三杯目を作ったら、リーゼロッテが突然立ち上がった。
「決めたわ! あたしはタクヤを手伝う!」
「え?」
「魔族を倒すのを手伝うわ。その後でハロン王国を取り返すの。できれば同時にしたいけど……まず、魔族を倒して魔王が来るのを止めるわ」
「え?」
「なんなら、魔王が出てもやっつけてやるわよ。クンツもカイも手伝ってくれるわよね?」
「もちろんですぞヒッメ様」
「もとよりそのつもりでしたよ」
クンツとカイも同意しやがった。そういうことは望んでいなかった。ダンジョンには一人で潜りたいのに……めんどくせえ……。
「だけど姫、もっと強くならなければいけません」
カイの目が厳しい。
「このままじゃタクヤの足手まといです。それに、さっきタクヤが言ったことはもっともです。国を取り戻すには姫自身でやらないといけない。そのために姫はもっと強くならなければなりません」
足手まとい、いい言葉だ。夜は一人で寝たい。
「姫にはご自身を守る剣術を教えてきました。しかしこれからは、人を倒す剣を覚えなければなりません。その上、タクヤの手伝いをするのなら魔物を倒す剣術も必要です」
「分かったわ。強くなる!」
「決まりですね」
「決まったようですな。乾杯!」
待て、なんか軽いぞ……乾杯と言われれば乾杯するけども……。
「明日からガシガシ鍛えますぞ。ヒッメ様、覚悟してくだされ。今日のところはとことん飲みましょうぞ」
そんなんでいいのか……。
その後は楽しい飲み会だった。俺は魔族との戦いの話やダンジョンの昆虫の話をした。クンツとカイは武勇伝を披露し、くだらない茶々を入れ、馬鹿話をした。リーゼロッテは寝ているペプに絡んで嫌がられた。
なんにせよ、リーゼロッテの元気が戻ったようでよかった。ということにしておく。




