トラウマ
着地してからすぐに森に入って姿を隠した。
リーゼロッテは憔悴して地面に座り込んだ。ほんの数分の飛行だったが、相当堪えたらしい。頰には涙の跡がある。
「……なんか……ごめんな……」
「……」
無理もない。この世界には飛行機もジェットコースターも無い。スカイダイビングもハンググライダーもバンジージャンプも無い。それらは俺もやったことがないが。擬似的にでも空を飛ぶ経験が無いのに、突然飛び上がり、そのあと自由落下したわけだ。俺も高所恐怖症なのでその恐怖はよく分かる。
もしかしたら、俺も危なかったように、リーゼロッテが粗相している可能性も考えたが、それには俺からは触れない方がいいと思い、考えないことにした。
俺はストレージハウスからペプを出した。ずっと気になっていた。と言ってもペプを逃がしてたのはほんの数時間だ。
「ペプはなんともないか? 魔族に襲われたり戦争になったりしていろいろ大変なんだぞ、人間の世界は」
ペプは戦争など関係なく寝ぼけ顔だ。俺の顎を舐め始めた。心なしかいつもより力強く、ザリザリする。
俺はリーゼロッテに冷たい水を渡した。こんなときは温かいお茶かなんかの方が良かっただろうが、元々コーヒー党ということもあって、お茶は用意していない。お湯も風呂桶で作ったものはあるが、飲料用はない。
しばらくそのまま、リーゼロッテの回復を待った。
「タクヤは何でも出来るとは思っていたけど、空を飛べるとは思ってなかったわ」
「何でもは出来ないさ。空を飛べることも最近知ったんだ」
「イグレヴ国の兵士が言ってたように、タクヤは本当は魔族なの?」
真顔で聞かれた。笑うところだったか。
「むしろ神の眷属らしい」
「そうなのね。だからペプちゃんもいつの間にか現れたのね」
「言ってなかったか? ペプは神の化身だ」
リーゼロッテが元気を出すかも知れないと思い、ペプを渡して触らせてあげた。ペプがリーゼロッテの顔を舐めようとしたのを見て、俺は涙の跡を拭くために濡れた手ぬぐいを渡した。気が利かないのは反省しなければ。
ペプのおかげか、リーゼロッテは少し落ち着いてきたようだ。
「そろそろ行くか」
「また飛ぶの?!」
「いや……歩いて行こうか……」
相当トラウマになったらしい……。
俺はいったん上空へ飛んで、敵兵がいないことを確認して、街道を歩いて行くことにした。フォートモーラーまでは何事もなく、敵にも冒険者にも商人にも会うことなく辿り着いた。
そのまま隠し階段を通って地下九階に降りた。ダンジョンの中に林がある不思議な場所だ。フロアの形は人工的な感じのする岩の壁で囲まれた長方形になっている。俺たちは入り口を出て右方面の部屋の角にキャンプを張ることにした。
木を十本ほど引っこ抜き、広場を作った。
「リーゼ、疲れただろう」
俺は気を使って、道場の二階でゲットしたベッドをストレージから出した。木の椅子やテントマットよりもこれが一番楽にくつろげるだろう。
「…………」
リーゼロッテは顔を真っ赤にして俯いていた。
「いや、違う、そういう意味じゃない、違います!」
失敗した……。俺は慌ててベッドをしまい、代わりに敷物を出した。
落ち着いて、周りを見回したが、モンスターの影は見えない。俺はストレージから出した石と薪で竈を作り、火を起こした。クンツたちが来たら煙で位置が分かるはず。
火に鍋を掛ける。豚骨出汁の猪鍋だ。お茶は無いけどスープはあった。匂いを嗅ぐと腹が減ってきたので、リーゼロッテとペプと一緒に火を囲んで食べた。
リーゼロッテはおそらく、空を飛んだショックで忘れていたと思うが、だんだんと今の状況を思い出してきたようで、食事中は笑顔を見せたものの、だんだん表情が暗くなった。
こういうときにかけてあげられる言葉が俺には分からない。ペプが自分からリーゼロッテに寄り添いに行った。ありがたい。
今日はダンジョンで、でかいワームを倒して、魔族ドラルに殺されかけて、幼女神姉妹と会って、リーゼロッテたちを助けて、またダンジョンにいる。長い一日だ。そろそろ日が暮れる時間か。ここは一日中、日が照っているが。
気になるのは戦争のことよりも、魔族ドラルが言っていた言葉だ。
『俺のダンジョンで殺してやる。一年以内に死にに来なければ魔界の王が現れるぞ』
一年以内にあんだけ強いやつよりも強くなって、キャッスルヒルパート最下層まで行って、ドラルが魔王を呼び出すのを阻止しなきゃいけないんだよな。きっついな。
でも、どうやら海水を流したことで、魔王を呼び出す召喚魔法陣を台無しにしたらしいので、結果オーライっぽい。海水を流してなければ、一年後よりずっと早く魔王が出てきたってことだろう。
——魔法陣って海水に弱いんだろうか……?
いろいろゆっくり考えて頭の中を整理したい。しかし、リーゼロッテがいるからかどうも落ち着かない。それもそうか、今はリーゼロッテの心のケアが最重要か。どうすればいいのか分からないけど。
「リーゼ、俺の隣に……」
勇気を出してそう言いかけた時、クンツたちがやってきた。
「姫、タクヤ殿、ご無事でしたか」
「ええ、四人とも無事なのね。よかったわ」
リーゼロッテの表情が少し明るくなった。
「タクヤ殿が空を飛べるのには驚きましたぞ。人が飛ぶのを見たのは初めてです」
「ねえタクヤ、あなたって人間なの?」
ゲルダが眉をめちゃめちゃ曲げて聞いてきた。
「当たり前だろ。人間だ。魔族とでも思ったのか?」
「怪しいわね」
「魔族は空を飛べないみたいだぞ。さっき戦ったやつは歩いて帰っていったし」
俺は魔族どころか神の眷属らしい。神が言ってたこともゆっくり考えたいが、今はやめておくか。
「腹が減っただろう。まずは食べてくれ」
俺は火にかけている鍋と、ストレージから出したパンを四人に勧めた。六人と一匹で火を囲み、落ち着いた形になった。だが、この人たちは今日、国を失った。その失意は俺には分かりそうもない。酒を飲める雰囲気ではない。
長い沈黙の後、俺から切り出した。
「なあ、この後……」
「取り返すわ! パパと国を取り返すの。タクヤ、手伝ってくれるわよね?」
リーゼロッテの言葉と目に力を感じる。
「もちろんだ」
即答した。その気持ちに嘘はないが……なんとなくもやもやする気持ちもある。しかし今は考えないようにする。
まずは国王を救うか。どこに囚われているのかさえ分かれば、ストレージ魔法を駆使すれば救出は難しくないだろう。最悪は敵兵を殲滅することになるが。
戦争には参加しない、そう言い切ったし、国がどうなろうと俺は俺の仕事ができれば関係ない。それも本心だが、親しい人が被害にあってるとなれば話は別だ。
それにリーゼロッテを逃がすためにイグレヴ王国にはっきりと敵対してしまった。何人か殺してる。知ったこっちゃないが。そもそもルスランと二回もやり合ってるから、間違いなく最初から敵だ。
この世界には写真は無いが、すでに人相書きが出回ってるかも知れない。なんとなく、テレビの時代劇で見た、江戸時代の墨と筆で書かれた似顔絵を思い浮かべた。そんな落書きじゃ絶対分からないだろ、子供心にそう思ったものだ。この世界でもああいうレベルだろうか? それならちょっと変装すれば余裕で誤魔化せる。
また暫く沈黙が続いたあと、カイが口を開いた。
「さっきクンツが、タクヤと姫だけ先に逃げろって言った時、俺は死んだかもなって思ったよ」
笑ってる。
「タクヤが魔法で敵を一掃してくれてなきゃヤバかったな」
「ワシはタクヤ殿が門の兵たちを蹴散らして行ってくれると考えてましたぞ。ワシら四人で殿を務めるつもりでした。まさか飛んでいくとは……」
クンツも笑いながら言った。イーヴォも声を出さずに笑ってる。ゲルダだけは真顔だ。
「ねえ、本当に魔族じゃないの? 空を飛ぶ魔法なんて聞いたことないわよ?」
「正確に言えば、飛んでるじゃなくて空中でジャンプしているんだ。ジャンプというか、自分自身を何度も放り投げている」
「……?」
ちゃんと説明したつもりだが、納得してもらえなかったようだ。カイがなだめるように言う。
「魔族だろうがなんだろうが、タクヤは姫と俺たちを助けてくれたし、今後も助けてくれるなら何だっていいだろう」
カイもテキトウなことを言う。魔族は頭にデカい羊みたいなツノが生えてるんだぞ。俺には無い。
また、ふっと沈黙が訪れた。空気が重い。酒を飲みたいが無理っぽい。真面目な話をするしかないか。
「リーゼは国王の救出と、王国の復興を目指す。俺も手伝うつもりだ。お前たちはどうする?」
護衛の四人に問いかけた。カイとクンツは当たり前のことを聞くなという顔をしている。
「参加しないのも自由だ。その場合、まとまった金を渡すつもりだ」
国王から預かった金がある。敵国に略奪されるくらいならと預かってきた金だが、元は国民の税金だ。俺が勝手に使っていい性質のものではないが、リーゼロッテが同意してくれれば、護衛たちに退職金を渡すくらいはいいだろう。
「アタシは……王様の救出まではやるわ。でも万が一、王様を助けられなかったときは……分からない……」
ゲルダが眉毛に力を込めて言った。イーヴォは無言で頷いている。
「明日、アタシとイーヴォで様子を見てくるわ」
「ワシとカイは姫の護衛を致しましょう。魔物もいますしな。どんなルートでイグレヴに見つかるとも限りません」
俺は……なるべく単独行動をしたい。シャワーを浴びたいし。
「俺も街の様子を見に行こう。冒険者ギルドやヨーギの街が気になる」
エミリーとフィリーネは無事だろうか? イグレヴ軍の目的はハロン王国の支配であるらしく、略奪は無いようだ。しかし、暴徒がいるかも知れない。バーも魔法道具屋も心配だ。レオのパーティはどうしたんだろうか。ヨーギと言ったが気になるのはエリース村だ。イグレヴ軍の手が伸びているだろうか?
状況によってはしばらく、一週間とか数週間とか、ここにいる事になるかも知れない。そういう準備はしておいた方がいい。
俺は、キャンプの傍らに、薪、樽に入れた水、飲料用の水が入った革袋、予備の剣と盾、布類、余っているローブなどの服、ベッドを三つ、他に必要になりそうなものをストレージから出した。
少し離れたところに棚と箪笥を出して目隠しにし、少し地面を掘って便器用の宝箱を設置した。男だけならこんな配慮は要らないんだが。
「なんでも出てくるのね……」
「タクヤ殿がいればここに住むこともできそうですな」
定住するわけには行かないが、他に行く宛もない。
「ここ以外でも問題はないな。なるべく早く落ち着く先を決めたい」
雨風は無いが、モンスターが出るしな……。
そして、出すかどうか迷っていたが、安全のためにやっぱり出すことにした。
「みんな、済まない、驚かないでくれ」
俺は骨のお友達を二体出した。全員が驚いている。リーゼロッテの顔が引きつっている。カイとクンツは剣を抜いた。イーヴォは何か小剣のようなものを投げようとした。ゲルダが叫ぶ。
「アンタ、やっぱ魔族なのね!」
——そこまで驚かなくても……
俺はみんなの前で、安全だとアピールするように、スケルトンに命令した。
「リーゼロッテを守れ。敵がいたら俺たちに教えろ」
スケルトンは顎をカクカク鳴らした後、キャンプを背にして護衛を始めた。
俺は念のためもう二体出した。
「スタンバイしてろ。あいつらのマナが切れたら交代しろ」
スケルトンたちは、やっぱり顎をカクカク鳴らしたあと、傍らで小さくなった。曖昧な命令をしたが、ちゃんと通じているようだ。
「不寝番は必要ない。寝よう」
俺は、リーゼロッテのベッドの前にベッドロールを敷いて寝っ転がった。ゲルダの訝しげな視線は気にしないようにした。
ペプに腕枕しながら、まず余っているマナを、頭の中でマジックアイテムとスケルトンにチャージした。そしてIDEを開いて、骨のお友達を増やす。お友達用のエンチャント武器も増やした。それでも余ったマナは、でかい水晶柱マナ電池にチャージして貯めた。
緊張が解けたのか一気に眠気が襲ってきて眠った。




