ドキドキ
俺はリリーを鎧に指を引っかけてしっかり掴んだ。そのまま長い時間流されたような気がしたが、おそらくは数十秒くらいだったはずだ。
水面から顔を出しても容赦なく水が口に入ってきた。呼吸が苦しい。このままでは溺れる。すると突然空中に放り出され、落下して、そして滝壺に沈んだ。
暗闇の水の中、死ぬかも知れないシチュエーション。俺は冷静に、ストレージから光る石ころを出した。光が沈んでいくのとは反対方向に泳ぎ、水面から頭を出して空気を吸うことが出来た。遠くにリアルヒカリゴケが見える。
――アクセル!
リリーを抱きかかえて、自分の身体を陸地に飛ばす。
「ゲホッ!ゲホゴホッ!」
リリーも無事だ。水を飲んだようだが溺れてはいない。俺はしばらく仰向けに寝て呼吸を整える。
「タクヤ、ありがとう、助かったわ」
リリーが無事でよかった。俺は光る石ころを数個、その辺に放り投げて明るくした。するとそこには、美人がいた。
「リリー、いやリーゼロッテ、ネズミはどうした?」
「あら……? 壊れたわ……」
アーティファクトの指輪を岩にぶつけて壊してしまったらしい。宝石を回しても、もう変身はできなかった。手から血が出ているので、ヒール水を飲ませた。
「さて、ひとまずここを出ようか」
周りを見回すとそこは広い洞窟だ。俺たちが落ちてきた滝は二十メートルほどの高さがある。野球場ほど広い空間に流れ落ちた激流は、川というよりも池のように広がって、緩やかに下流へ流れている。
下流の方へは川に沿って岸を歩いていける。おそらくそっちの方がダンジョンの下層に繋がっているんだろう。だが今は帰り道を見つけることが先決だ。
洞窟の気温はかなり低い。濡れた身体が体温を奪っていく。
「リーゼロッテ、これを」
俺はストレージから電気毛布を出した。もちろん電気ではなく魔力で暖まる。小刻みに震えているので、売るつもりだった猫のオブジェのカイロも渡した。
「いろ、いろ、持って、いる、のね」
顎がガクガクしている。いったん身体を温めてからじゃないと歩けないか。猫のオブジェはなんの助けにもならないようだ。
俺は石と薪でたき火を作り、火のそばに敷物を敷いた。リーゼロッテに大きめの乾いた布を渡した。俺もコートを脱ぎ、腕当て、脛当て、ブーツを外した。布で身体を拭いた。リーゼロッテがいなきゃ風呂に入ってるんだが……。
リーゼロッテも鎧を外し、服を脱いで電気毛布一枚だけになった。服を火の側に置いて乾かしている。俺は気をきかせて後ろを向く。その間にリーゼロッテが身体を拭いた。
――微妙な空気になった……
美人が、いや、アラフィフの俺にとっては娘のような年齢だから美少女と言ってもいいだろう、洞窟にほぼ裸で二人きり、めちゃめちゃ意識してしまう。
俺には妻がいる。いかん。いかんいかん。とにかくいかん。
「あた、ため、て」
リーゼロッテが俺の隣に座った。いい匂いがする。
毛布の合わせ目から、リーゼロッテの形のよい胸がちらりと見えてしまった。俺の体温が上がった。リーゼロッテが距離を詰めた。俺は……。
理由は分からないが好かれているのには気付いていた。だから、いいと思った。リーゼロッテは抵抗せず、俺を受け入れた。
こっちの世界に来て肉体が若返った。それに伴って精神も若返った気がする。それはいい訳だと分かっている。結果は結果だ……。
頭の中にエミリーの顔が浮かんだ。シスターの顔も。しかし、間違いなく今、俺の腕の中にいる女の子が、ペプの次に愛おしいと思った。不思議と妻の顔は浮かばなかった……。
◇◇◇◇◇
滝は岩の裂け目から流れ出ている。川縁があれば梯子をかけるかアクセルでひょいと登って上流に行けたのに、別の道を探さなきゃいけない。滝から壁沿いに沿って、光る石ころを放りながら歩いて探すと、壁に洞窟の裂け目があった。光る石ころを飛ばすと遠くまで飛んでいった。道になっている。
裂け目を歩いて行くとだんだん広く明るくなってきた。光る石ころの光を淡く反射している何かがある。近づいていくとそこには、水晶が洞窟いっぱいに生えていた。
「綺麗……」
正直言ってリーゼロッテの方が綺麗だと思う。今はそれは置いといて、洞窟の地面、壁、天井から、俺の足くらいの太さの白乳色の水晶の柱が、何本もあらゆる方向から真っ直ぐ伸びていて光を乱反射している。白く輝く柱の神々しさが、建設された当時のパルテノン神殿はこんな感じだったのだろうと想像させた。たぶん違うけど。
しかし問題は、水晶が道を塞いでいて通れないことだ。
「折るか」
邪魔な柱をプロテクションをエンチャントしたツルハシで叩き折る。折った水晶をストレージに吸い込みながら道を作っていけばオッケーだった。洞窟は緩やかに上へ向かっている。
洞窟を抜けると、クンツがいた。その後ろにはカイがいる。
「姫様、タクヤ殿、ご無事で」
「ごめんなさい、心配をかけたわ」
このタイミングでペプをストレージから出した。
「ペプ、大変だったよ。死ぬかと思った」
「ナア」
ペプは寝ていたようだが、俺の顎を舐め始めた。カイが満面の笑顔で言う。
「姫を助けてくれたことに礼を言う。ありがとう。それにしても、よくこの水晶洞窟を通ってこれたな」
「ああ、結構簡単に折れた」
エミリーがロングメイスを渡してくれた。
「もう、心配しましたよ」
「ああ、ちょっとやばかったな」
作ったばかりのお気に入りのロングメイスがあってほっとした。水に飛び込む時に置いてきたらしい。川に流されてなくてよかった。
「下層に続く道がわかった。だが今日は一度帰ろうか」
サポーターたちと合流する前にリーゼロッテに外套をかぶせた。そういやこの人たち、兜を被らないな。俺もそうだけど。危険だろ。今度からはリーゼロッテは兜を被って欲しい。
俺たちは、荷物が重くて死にそうなサポーターを助けながら、隠し階段を使って地上に出て、真っ直ぐに冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドに着いた時は昼前だった。キャンプは一回しかしなかったが、二日経っていたようだ。サポーターには三日分の料金を払った。更に銀貨三枚ずつ渡して、リーゼロッテのことは口止めをした。
「タクヤさん、あの方、王女様ですよねー?」
受子ちゃんには速攻バレた。
戦利品の精算をして、ギルドホールのテーブルで分配をした。なかなかいいお値段になった。俺一人のときの方が稼ぎが多いけど。
パーティ解散だ。リーゼロッテと目があった。
「どうだ、満足したか?」
「まだよ。でも一度帰るわ。パパが心配してるはずだし」
「そうか。いい思い出ができたな」
「何よそれ、またすぐ行くわよ」
あとから考えると、軽口を言ったつもりだが捉えようによってはいやらしいセリフだと思った。
別れ際にカイとクンツから、リーゼロッテを助けたことでもう一度礼を言われ、解散になった。
ギルドを出る前にマンティコアの件がどうなったか確認する。
「アーベルさんのパーティが討伐しましたー」
無事に討伐できたとのことなので安心した。ブームを継続するために、大イノシシにファイアショットのマジックスタッフを懸賞にかけた。ドリルの牙と引換えだ。
「エミリーさんー、チャージのお仕事が溜まってますー」
エミリーはギルドの奥へ連れていかれた。
「ペプ、久しぶりのフリータイムだ」
「ナア」
今のうちに一人でダンジョンに潜れば誰も付いてこないだろう。できれば数日は戦闘準備とスパーリングに集中したいんだが。ダンジョンの中でやろうか。
それはそうと、今日一日はゆっくり過ごす。とりあえず風呂に入りたい。川で流されてからそのままだ。
街の北門を出ですぐ森でハウスに入り、すぐに風呂に浸かった。
風呂上りにリクライニングチェアーに寝そべりながらIDEを開く。理力のコードを眺めてみる。昨日のマジックミサイル改マークツー、いや、マークトゥーはえげつない威力だった。マジックミサイルに混ぜるだけで威力が倍増だ。消費マナもそんなに大きくない。
ファイアショットなどにも混ぜよう。マジックミサイル改マークトゥーのマジックアロー部分にも混ぜようか。いや、そうすると貫通してしまわないだろうか? 貫通して遥か遠くの方で爆発してもただのマジックアローと同じだ。試してみるしかないか。二種類作っておく。同様に素のマジックミサイルやファイアボールなどにも混ぜて試してみよう。ダンジョンで撃ちまくってやる。
もう一度、理力のコードを見てみる。
『理力っていうのは、単純に言うと物を動かす力ね』
それって、シュートとか……? シュートのコードを見てみる。力点の確定——方向と威力の設定——発射、というブロックに分かれている。発射のコードは確かに理力と同系統のものだと分かる。
ふと、スケルトンのコードも見てみる。複数あるコードの中で、スケルトンの動作に関係すると思われるコードを開く。長く、複雑で理解できないが、ところどころ理力のコードが混ざっている。
——つまり、こいつらの動作原理って理力……?
筋肉が無いのに関節から先の骨が動く、その原理がどうやら理力によるものらしい。
長くIDEに集中していると目がチカチカしてくる。俺はIDEを閉じた。ペプが俺の顎を舐めている。ペプの前足の肉球に俺の親指の腹をあててぷにぷにする。至福の時が流れる。
その後、森でスパーをした。その間にブイヨンを煮込んで、別のスケルトンに木の猫のオブジェを作らせた。新しい魔法の仕込みをして、寝た。
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