先輩、私じゃダメですか。
最近、よく話すようになった人がいる。
「せーんぱい。今日もやっぱりここにいたぁ〜」
先輩。2個上。高校3年生。
少し日焼けしてて、それはきっと、サッカー部に入っているからだと思う。
「天気、めちゃよくないですか? 快晴すぎ! こんだけ晴れてると、日焼け止めの意味無さそうで萎えます〜」
でも別にそんなに目立つタイプってわけじゃなくて、目立つ人と友達だよねっていう認識をされてるようなタイプだと思う。
彼女なし。
いつも屋上でご飯を食べている。
もちろん、今日も。
「うるさいな。何なの、お前。最近毎日来てるけどさ。……もしかして暇なの?」
「はぁ〜!? 暇なわけないんですけど?? 先輩と一緒にしないでくださーい!」
私は、さも心外だと訴えるように頬を膨らませて先輩を見下ろした。
「先輩ってば、私の人気知らないんですかー? 今日もラブレター10枚ぐらい下駄箱に入ってたんですよ。もう捨てましたけど」
「……はぁ」
「そんな人気者の桃ちゃんとご飯食べれるって、先輩ってば世界1の幸せ者ー! ひゅー!」
「黙れ、還れ」
「あれ、なんか漢字おかしくないですか? 桃、悲しいです。泣いちゃいそう〜」
そう言って、私は当然のように先輩の隣に座って微笑みかける。
それでも先輩はこちらをチラリとも見ないで黙々と中庭を眺めている。
私は、先輩のそんな態度が心地良くて、目を閉じて風を感じた。
私、加賀谷桃は、かわいい。
自分でそんなこと言うの、どうなの?って思われるかもしれないけど、本当にかわいいんだから仕方ない。
という、自覚せざるを得なかった。
小さい時から、かわいいかわいい言われて育ってきたし、欲しいものはなんでも買ってもらえたし。学校に通うようになってからは、さらに顕著にそれを感じるようになった。
でも、飛び抜けてかわいいと、学校生活ってかなり生きづらい。
友達の好きな人をとったとかどうとかで嫌われて、すぐにいじめられたりする。
友達なんてできなかったし、毎日いじめられるし、寄ってくるのは顔目当ての男ばかりで、一時期は完全に病んでいた。
そこから考えて考えて、可愛くても人に嫌われないようにと考えた結果、私はキャラを作って生活することにし始めた。
かわいいって自分のことを自覚している、いじめられない強いキャラを。
かわいいねって言われたら、「そーなんだよねー」って言って、私の好きな人とったって責められたら、「仕方ないよねぇ。ごめんね、かわいくて」って言って、「好きです」って告白されたら、「出直してきてね」って言って。
このストロングスタイルな方法が案外うまくいった。いってしまった。
こんなことを3ヶ月ぐらい続けると、面倒ごとはなくなっていったのだ。私ってば天才。見事、問題解決である。
ただし、それに比例するように私に関わる人は減っていき、私に関わる人は、顔に釣られた一部の男だけになっていったというデメリットも背負うことになったけど。
勿論私も女の子の友達が欲しかった。放課後カフェでココアを飲んで、恋バナをするような友達が欲しかったとも。しかし、こんなキツいキャラのやつに近づく女の子がいるはずもなく。
『友達? 何それ美味しいの』と素で言えてしまうような寂しい学校生活が幕を開けたのである。
いいもんいいもん、寂しくなんてないもん。
なんて、所詮強がりだ。
そうやって何回も思い込むようにしたし、私は死ぬ気で勉強していい大学いくし、とかいろいろ思ったけど、やっぱり寂しいものは寂しい。
そもそも私、そんなキャラじゃないし。
『圧倒的にかわいくて我儘な加賀谷桃』は私の中で作ったキャラクターであって、ほんとにそんなこと思ってるわけじゃないし。
そこまで徹底出来たら楽だっただろうけど、『素の私』は誰とも話さない学校生活に、限界を感じていたのである。
クラスの中で、なんでもないようにぼっちでお弁当を食べるのもとうとう限界だと、ある日思い切って屋上でご飯を食べようと屋上へ向かったけど、やっぱり鍵がかかっていて入れなかった。むり。しんどい。
だからってまた教室に戻ってご飯広げるのもしんどい。
そう思って、屋上に続く階段に座ってご飯を食べていると、後ろからガチャ、という音がした。
その音に驚いて振り返ってみると先輩がいて、屋上の鍵を持っていた理由を問い詰めてみたのだ。
すると、前に先生から掃除のためにと屋上の鍵を渡されたが、返却しそびれて有効活用しているだけであって、盗んではいないのだと弁明された。それはそれでどうなのだろう。普通は返す。
しかし、そのときの私にはまさに渡りに船な事件だった。そのため、その口止め料として、私も屋上でご飯を食べる許可をもぎ取ったわけである。
その日から、屋上の鍵は屋上の手前の階段に置いてある荷物の中に隠されるようになり、共同所有となったのだった。
最初は、私たちの距離は遠かった。屋上を半分に分けて、反対の方向を向いてご飯を食べていた。
しかし、私が箸を忘れたときに先輩に声をかけたのをきっかけになんだかんだ話すようになった。それから2月経った今では、私たちがご飯を並んで食べるのは当然のことになっている。
だってこの先輩、とても居心地がいい。
私に無闇に干渉してこないし、おしゃべりでもないし、だからといってつまらないわけでもなく、なんだかんだ優しい先輩の隣が、私にはとても居心地がよかった。
それに、先輩は絶対に私のことを好きにならないから。
「先輩、今日も焼きそばパンですか? どんだけ好きなんですか、それ」
「……別に俺が何食べてたっていいだろ。そっちだっていつもおんなじような弁当じゃねーか」
「はい? 私のは毎日中身が変わってるし、栄養たっぷりですけど? てか、先輩って毎日同じことするのが好きなんですか?? また今日もお姉ちゃんのこと覗き見して」
中庭を、中庭で友達とご飯を食べているお姉ちゃんを指さしながらそう言った途端、先輩はあからさまに慌てて焼きそばパンを口から吹き出した。分かりやすすぎる。
「……ッは〜〜??? 覗き見じゃないんですけどー?? 俺には中庭を見る権利もないってことですか!?」
「めちゃめちゃ必死じゃないですかー? ま、簡単にお姉ちゃんは渡しませんけど」
「べ、別にお前に許しをもらう必要はないと思うんですけど???」
「うわ、先輩必死〜。語尾どうしちゃったんですか」
私がそう指摘すると、先輩は私から顔を背けた。最早、お姉ちゃんを見ていたと自白しているようなものである。
すると、私の生やさしい視線に不服そうな顔をしていた先輩は、私から目を逸らして中庭が見た。どうやら、誤魔化すことは諦めたらしい。
「……別に、見てるだけなんだからいいだろ」
「それはそうなんですけどね。で、今日はお姉ちゃんと何回話せたんでしたっけ?」
「……まだ今日は続くから明言はできないだろ!」
「ふふっ、0回って正直に言えばいいのに」
「目は! 目は3回あってるんだよ!!」
「先輩の哀れな妄想か、暑さで幻覚でも見たか、もしくは気のせいじゃないですか?」
「どれだけ俺を疑ってるんだよ! 気のせいじゃねーよ! 絶対俺の方見てたもん!!」
「はいはい、そうだといいですねー?」
にやにやと笑って先輩をみると、見事に顔が真っ赤になっていた。
こうやって先輩をからかうのが私が学校にくる1番の楽しみかもしれない、と考えて、卵焼きを一口かじる。
もうお分かりだろうけど、先輩は、私の姉である加賀谷桜にベタ惚れなのである。
お姉ちゃんは、私ほどじゃないけどかわいいし、私よりも優しくておっとりしてるし、お姉ちゃんに惚れる男はいっぱいいる。
とは言っても、お姉ちゃんに今まで彼氏ができたことはない。
お姉ちゃんはあんまり恋愛とかに興味ないみたいで、初恋がまだだというのもあるが、私がブロックしているからである。
お姉ちゃんは騙されやすく、純粋で、本当に優しい人なのだ。私のような面倒臭い妹を持ってそうとう苦労しただろうに、私のことを嫌わずに今でも仲良くしてくれる。
そんなお姉ちゃんのことが、私は大好きだ。
だから、お姉ちゃんには幸せになってもらいたい。変な男には引っかからないで欲しい。
そんな思いから、お姉ちゃんのことが好きな男を調べ、お姉ちゃんに相応しいかをチェックし、私のおめがねに叶わなかった場合はブロックすると決めている。
しかし、そんなに難しい条件ではないのだ。
まず第一に、私のことを好きにならないこと。
私は、自分の顔が与える影響を自覚している。これが原因でお姉ちゃんが悲しむようなことがあってはならない。てゆーか、私がお姉ちゃんに嫌われたくないから、というのが大きいかもしれない。
そして第二に、性格が破綻していないこと。
浮気をするような人や、金使いが荒い人、暴力癖があるような人をお姉ちゃんに近づけるわけにはいかないからだ。お姉ちゃんは純粋なので、困ってるとか言われたらすぐにお金を貸しちゃいそうだから。
1ヶ月前に、駅で困っている人がいるから壺を買って支援してあげてもいいかと連絡が来たことは記憶に新しい。百歩譲っても、普通は壺の時点で詐欺に気付く。
だから、最初に先輩がお姉ちゃんを好きだと分かったときは、大成功だと思った。
先輩は私のことを好きにならないし、性格もまぁマシだし。見事に条件通過してるし。
仕方ない。先輩にならお姉ちゃんを任せるのもやぶさかではない。
私も先輩のこと、嫌いじゃないし。
そう思って、2人は同じクラスだし、まぁいずれ上手くいくでしょ、と見守っていたのだが、おかしいな、全然そんな兆しがない。
きっと多分絶対、それは先輩は奥手すぎて、お姉ちゃんにあまりアタックしていかないせいだ。
していることは、こうやって屋上からお姉ちゃんを眺めているだけ。流石に奥手すぎて手を貸したくなってくる。
「ねーえ、先輩。協力してあげましょうか。私、優しいので、お姉ちゃんに紹介してあげてもいいし、ダブルデートに誘ってあげてもいいですよ」
「…………いや、別に必要ない。自分で努力してみるから大丈夫だ」
「えー、今、めっちゃ考えてたじゃないですか。それに、先輩の努力とやらをまだ見せてもらったことないんですけど」
「これからどんどん見せてくんだよ!!」
「あは。本当ですか? 何年後かわかんないけど、楽しみにしときますねー」
先輩は、私に協力も頼んでこない。
だからまだお姉ちゃんと先輩はただのクラスメイトなだけなんだよって思ったりもするけど、そんなところも嫌いじゃなかった。
それに、この関係が変わらないことへの変な安心感もあったりして。
今日もまたそんな話をして、私は退屈な教室に戻り、授業を受けて家に帰った。
事件が起きたのは、その1週間後のことだった。
いつも通り家に帰ると、お姉ちゃんが正座して私の部屋にいた。意味がわからない。
「えーと、お姉ちゃん。急にどうしたの?」
「……実はですね、桃に相談があります」
「はい、なんでしょう」
お姉ちゃんがこんなに改まって相談にくるなんて滅多にない。余程真剣なことなのだろうか。
私は荷物をおろし、お姉ちゃんの向かい側に同じく正座をして座ると、お姉ちゃんが言いづらそうに口を開いた。
「……えーと、桃のクラスの田中くんっているじゃない?」
「……田中くん? 田中駿くんのこと??」
同じクラスの田中駿は、1年生にしてサッカー部のエースで顔もよく、人気がある。いつも女子に騒がれている彼ならお姉ちゃんが知っていてもおかしくないなぁ、と思ったのだが、お姉ちゃんは首を振って、
「いや、田中亮介くんのことなんだけど……」
と答えた。
「田中亮介!? え、あの図書委員の?」
「そうそう、私と同じ日が担当なんだけどね?」
びっくりして頭が上手く回らない。
なぜなら田中亮介は、私と同じクラスなのにも関わらず、知っている情報がほとんどないような地味なクラスメイトだったからだ。
唯一私が知っている情報は、図書委員であることと、帰宅部であることの2つだけだった。
教室でもいつも本を読んでいるような、まさに教室片隅系の男子だから、うちのクラスで『田中』といえばほぼ全員が田中駿の方をイメージするだろうに。
「そっか、お姉ちゃんも図書委員なんだっけ。でも、何の役にも立てなくて申し訳ないんだけどね? 私も田中亮介くんについてはあんまり詳しくないかも……」
と、泣く泣くお姉ちゃんに言ったところ、お姉ちゃんはあからさまに残念そうな顔をした。
「そ、そっか、そうだよね。じゃあごめんね!!」
と、顔を真っ赤にして言ったきり、慌てて部屋を出て行こうとするので、抱きついて捕まえて無理やり話を聞く。
無駄に長い話をされたので、その話の内容を整理して一言で言うと、どうやらお姉ちゃんは田中亮介に恋をしてしまったらしい。
同じ図書委員として仕事をしたり、帰りが一緒になって、一緒に下校したりしているうちに、彼の優しさに気づいて一気に惚れてしまったそうだ。まるで少女漫画みたいな話じゃないか。
しかも、今週末に遊園地デートをするというのだから、展開が早すぎて意味がわからない。前言撤回。流石の少女漫画でもここまで上手くいかない。
そんなことになっているならば、もっと早く相談してくれたらよかったのに、とも思ったが、それを言ったところで今更どうしようもない。時間は待ってはくれないのだ。
そこまで話を聞いて、私の頭に浮かんだのは先輩のことだった。
昼休みのたびにお姉ちゃんを見ている先輩。目を合わせることでさえ出来ないぐらい、お姉ちゃんを好きな先輩。ずっとお姉ちゃんを想い続けている先輩。
そうだ。先輩のことは、どうなるのだろう。どうしよう。
先輩はあんなにお姉ちゃんのことが好きなのに。
お姉ちゃんに話を聞いた次の日から、私は早速田中亮介の素行調査を始めた。何せ、初デートは1週間後。残された時間は少ない。
しかし、幸にも同じクラスだということもあり、情報はすぐに集まった。
私の期待に反して、調べれば調べるほど、田中亮介はいい人だという証拠がボロボロと出てくる。
曰く、困っていたときに係を代わってもらったとか。真面目で課題を忘れているところを見たことが無いだとか。
そしてさらに、今までに付き合った彼女もいないそうだ。これならお姉ちゃんを元カノ問題に巻き込むことはないし、彼の友達にさりげなく私の印象を聞いてもらったら、かわいいとは思うけれど世界が違いすぎて怖い人だと思っている、とのことで安心出来る。
それに、実は家柄もいいらしい。なんと甲斐性まである。姉の交際相手にするなら、まさに完璧じゃないか。
この調査結果を、私の調査を毎日ビクビクしながら待っていたお姉ちゃんに伝えると、
「ね、亮介くんって本当にいい人だったでしょ? 今回は桃が心配することないって言ったじゃん! ね、明日のデートの服選んでくれない? めいっぱいオシャレして行きたいんだ……!!」
と、嬉しそうな顔で笑っていた。
「あ、うん、そうだね……」
対照的に、私は曖昧に笑うことしか出来なかった。
だって、本当は田中亮介が悪い人で、お姉ちゃんの交際相手に相応しく無い人物であることを望んでいただなんて口が裂けても言えないし。
目の前で笑うお姉ちゃんは幸せそうだ。田中亮介もいい人みたいだし、2人に問題はない。
でも、それなら先輩のことはどうしよう。先輩はこのことを知らないはずだ。
どうする、伝える? 誰に、何を?
お姉ちゃんに、あなたのことをずっと好きな人がいるから、明日は行かないでって?
先輩に、明日お姉ちゃんがデートしちゃうから、邪魔しに行かないとって??
そんなのおかしくて、もう手遅れだってことに気がついてるのに、私は必死で頭を働かせて先輩とお姉ちゃんの未来を探した。
だってきっと、先輩の方がお姉ちゃんのことを好きだよ。お姉ちゃんは少しも気付いてなくても、ずっとずっと先輩はお姉ちゃんのことを見てたんだよ?
そういや今日も、先輩は屋上からお姉ちゃんを見てたな。お姉ちゃんの、笑ったときにできる笑窪が好きだとか、気持ち悪いこと言ってたな。
そんなことを思い出すと、まるで走馬灯のように、先輩がお姉ちゃんのことを眺めている時の優しげな横顔が頭によぎる。先輩の、お姉ちゃんのことを語る、優しい声が頭に響く。
私は、先輩の連絡先が入っているスマホを取り出した。
どうしよう、やっぱり先輩に連絡してーー
その瞬間、先輩と私の思い出が、私の頭の中の、お姉ちゃんを見つめる先輩の記憶を塗り替えた。
先輩の、私の目を見てくしゃりと笑う顔が思い浮かんだ。
先輩と、ふざけたように言い合ったことが思い浮かんだ。
先輩と毎日お昼ご飯を食べた日々が、頭によぎった。
だから私は、喉まできていた言葉を飲み込んで。
[先輩]と宛先の表示されたスマホを机の上に置いて、お姉ちゃんに
「じゃあ、私のとっておきの服を貸してあげちゃう! ヘアメイクも私に任せてよ!」
と、笑いかける。
……だって、お姉ちゃんは先輩の気持ちなんて知らないはずなんだから、わざわざ今伝えて混乱させることもないよね。
第一、お姉ちゃんが人を好きだと言ったのは初めてだし、そのお姉ちゃんの意思を尊重すべきだ。
先輩は、私に協力しなくていいって言ってたし。先輩よりもお姉ちゃんの方が大事だし?
だから、私がこのことをお姉ちゃんと先輩に伝えなかったのに他意はない。
いっさい、ないはずだ。
「桃ってばめっちゃ頼りになる! 本当にありがとう。私、頑張るね!!」
私は、そう言って嬉しそうに笑うお姉ちゃんから目を背けたくて、服を選ぶ振りをして後ろを向いた。心臓が、ドクドクと音を立てて鳴っている。
どうしよう。今の私、どんな顔してる?
他意なんて一切ないはずなのに、どうして心がこんなに痛いのか、分からなかった。
結果から言うと、お姉ちゃんと田中亮介の初デートは大成功した。
あまりに惚気られて飽きたから端折るけれど、帰りに観覧車の頂上で田中亮介に告白されて、付き合いだしたらしい。ベタすぎて砂糖を吐きそうだ。
勿論、人気者だったお姉ちゃんが、教室片隅系で地味男子代表である田中亮介と付き合いだしたことはすぐに広まった。
うちのクラスでも相当噂になっていたし、普段は話しかけてこない、噂好きの女の子までもが真相を確かめたいと私に話しかけてきた始末である。
そしてお姉ちゃんは、お昼休みは友達ではなく彼氏である田中亮介と食べるようになった。お姉ちゃん曰く、これが青春だそうだ。
だから、屋上から見えるいつもの中庭の風景から、お姉ちゃんの姿だけが消えた。
いつもの屋上からも、先輩の姿が消えた。
1人で食べるご飯は何にも美味しくなくて、美味しいはずの卵焼きの味がしない。ご飯を食べているだけなのに、ボロボロと生暖かい雫が頬を伝う。
私、いつからこんなに弱くなっちゃったの。
教室で1人でご飯を食べることは、全然平気だったのに。あの時とは比にならないぐらい、悲しくて苦しくて、食べたもの全てを吐き出しそうだ。
屋上へ行ったら苦しいし、もう先輩はいない。頭では理解しているはずなのに、私は昼休みに屋上へ通うことがやめられなかった。
だって先輩に会えないから、会いたいから、先輩と過ごしたいから、過ごしたいのに。
「ッ、今更気づくとか、遅すぎでしょ……」
その理由に気がついたのが今だなんて、本当に馬鹿みたいだ。
私が屋上へ来ていたのは、教室で食べるのがしんどいからではなく、先輩と食べるために来ていたんだ。綺麗な中庭の風景を楽しんでいたのではなくて、中庭を眺める先輩の優しい顔が好きだったんだ。
こんな簡単なことに気づくのに、1週間かかった。それも、先輩を失ってから。
もう、遅いのに。私が全部壊したから、手遅れなのに。
やっぱりあのとき、先輩に連絡をしていればよかった。お姉ちゃんに、嘘の田中亮介の情報を渡せばよかった。彼女がいるとか、素行が悪いとか。
でも、そうすることが何故か嫌だった。
私は、込み上げる涙を強引に袖で拭って、また卵焼きを一口かじった。甘いはずの卵焼きなのに、目から落ちてくる水のせいで、しょっぱい。
「ッ、美味しくない……」
何故か、なんてまた逃げて。
その理由なんて、もうとっくにわかってるくせに。
それから2週間たって、先輩はようやく屋上に現れた。
何故か先輩を見るだけで泣きそうになったけど、私はいつもの私に近づくように、無理やり口角を上げて先輩に近づいた。
「わ、先輩! 久しぶりじゃないですか。どこでご飯食べてたんですか?」
「……別に、どこだっていいだろ」
「そうですね。聞いといてあれですけど、私もそんなに興味なかったです」
そう言って、いつも通りにすとんと先輩の横に腰を下ろす。
「……今日も焼きそばパンなんですか? 栄養偏りすぎてウケますね」
「………」
「髪の毛、めっちゃ跳ねてますよ。寝坊したんですか?」
「………」
「そういや、そろそろテストですね。勉強進んでますか?」
何を話しかけても、先輩はこっちを見ない。顔すら上げずに、何処を見ているのか分からないような濁った瞳を伏せて、黙々と焼きそばパンを食べ続けている。
「……先輩、泣いてるんですか?」
まるで私の問いに肯定するように、かすかに嗚咽する声が聞こえ、アスファルトの上に何個か染みができた。
だから、私は必死に、先輩の涙が止まるようにって祈りながら先輩の背中をさすった。
私のせいだ。私のせいだ。
私のせいでしょ。
先輩、ごめんなさい。
また、馬鹿みたいな話しましょうよ。
中身のない話でいいんです。
また、お前馬鹿かって、うるさいって言ってくださいよ。
ね、先輩。私がお姉ちゃんの代わりに、ずっと隣に居ますから。お姉ちゃんみたいに、いなくなったりしませんから。
あれから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。嗚咽を漏らす先輩が焼きそばパンを食べ終わった頃にキーンコーンと、予鈴の音が鳴った。
先輩はそれを合図に、食べかけの焼きそばパンを持って立ち上がる。
私は、これを逃したらもう2度と会えない気がして、先輩のブレザーの裾を握って話しかけた。
「先輩、明日からも屋上来てくださいよ。私1人でご飯食べるの、想像以上に悲しかったんですからね?」
「……別に俺じゃなくてもいいだろ。お前と一緒に食べたいやつ、いっぱいいるだろうしさ」
誰だっていいわけじゃないに決まってる。だって、私がここに食べに来てたのは、先輩がいるからなのに。
「……ッ、私は、先輩と食べたいんですよぉ」
「俺と食べてどうするんだよ。それとも何。お前、もしかして俺のこと好きなの?」
先輩が冷めた目をして私を振り返った。
まるで軽蔑するような、刺すような視線だ。
そりゃあ、恋愛相談をしていた相手が邪魔をして、こんなこと言い出したらそう思うし、軽蔑するだろうなって思う。
それに、失恋相手の妹になんてもう会いたくないだろうな。それでも私は、まだまだ会いたい。これからも会いたい。
「違いますよぉ。なんで私が先輩のこと好きなんですか? 自意識過剰すぎです」
違う、好きなわけじゃない。
だって私は、私のことを好きにならない先輩のことが好きだ。
この好きは恋愛の好きじゃないでしょ。
そうだよね? 違うよね。
好きじゃないから、勘違いしないでよ。好きじゃないから、そばにいてよ。いなくならないでよ。
いつまでも先輩が私にふり向かなくても、それだっていい。無理にこっちを見てくれなんて言わないから。
離れたくない、そばにいて、寂しい、ずっとこのままでいいから。
ドロドロした執着が、先輩にまとわりつく。
冷めた目でこっちを見ないで、私、これ以上何も望んでないのに。
この苦しい気持ちが、切ない気持ちが、恋じゃないなら、なんなの?
この苦しい感情につける名前を、私は恋以外に知らないのに。
ずるい私は、にっこりと笑って先輩に手を伸ばした。
「ただ、可哀想な先輩を慰めてあげようと思ったんです。ねぇ、先輩。私、今ならお買い得なんですよ」
まるで安い紙切れを手放すように。
そう言って先輩の手を握った私は、どんな顔をしてたのかな。
わからないけど、あの先輩が姉じゃなくて私を見てる。
ただそれだけで気持ちよかったの。それしか望んでなかったの。
だから、ずっとあなたのそばにいるし、あなたを傷つけることはしませんから。
私に手を、伸ばしてよ。
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