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ストレリチア・ブルーム1 斎藤栞の案件

 たった一日だけ、わたしは脱いで先生のモデルになった。


 わたしが強引にお願いしたのだから、先生のモデルというのはおかしい気もするが。

 あれから三カ月が過ぎ、わたしはまた忙しい日々を送っている。小さな広告代理店に勤めながら、薄い後悔が積み上がっていく毎日が虚しい。


 手元にある二冊のスケッチブック。本来は水彩画用で、少し目が粗い紙質のマーメイド。

 二十七歳のわたしの身体、その全てが隅々まで描かれている。


 わたしは何もかも曝け出して、昼から夜遅くまで先生の部屋で二人っきり。

 押し掛けたのはわたしの方、先生がそれを描くのも初めてだ。

 先生は三十半ば、言わば働き盛りの男性。画家としての矜持は無論あるだろうが、今は廃業した身である。何かあっても別におかしくはない。

 そう淡い期待をしつつも、先生はわたしに指一本触れない確信があった。

 先生が深く傷付いている理由、それはわたしの葛藤と同じもの。


 わたしの葛藤、それは———





「斎藤さん、またため息ですか? 幸せ、逃げちゃいますよ」

「え? ああ、ごめん。そんなにわたし、ため息吐いてる?」


 声を掛けてきたのは、わたしの後ろに背を向けて座る後輩の田中君だ。

 わたしが初めて面倒を見た新人のうちの一人で、彼の右隣りに座る山下さんと三人でいくつか同じクライアントを担当している。

 二人はわたしの部下ではないが、ちょっとしたチームメイトだ。

 前々から田中君がわたしに好意を抱いていることは薄々感じている。わたしの変調に敏感なのはその所為だろう。と言うか、言い方に微かに棘。

 彼とは気紛れにプライベートで遊んだこともある。少しばかり罪悪感。

 ダメなお姉さんでごめんなさい。


「朝から三度目です。例の案件のことだけ、ですか?」


「だけ」に僅かに強調が入る。

 田中君がそう口にした直後、隣りの山下さんが左脚を伸ばして彼のオフィスチェアを蹴る。

 彼はわたしの変化には敏感だが、山下さんには鈍感なのだ。


「例の案件といえば、午後からお見えになる「ラウィ」ってどんな方なんですか?」


 助け舟に話題を変える山下さん。わたしはチェアごと後ろに振り向いて応答する。


「うーん、日本人とは聞いていたけど、大きい女の人……」


 ラウィ——— わたしにとっては曰くがある名前だ。

 フランスを拠点に海外で活動する映像作家で、同じ広告代理店であるわたし達の親会社が請け負ったT社の新型スマートフォン、そのキービジュアルを手掛けるクリエイターである。

 テレビCMやWEB広告で使用する動画などの主要宣材は既に撮影が終わっていて、元々計画に無かった紙媒体、カタログで使用するビジュアルを急遽弊社が請け負うことになった。

 要するに出演モデルの権利上の問題で流用が叶わず、わたし達の元へ降ってきたのだ。


 ラウィのクリエイティブを最も特徴付けているのがボディペインティングである。

 全裸もしくは半裸のダンサーに様々なボディペイントを施し、超広角レンズを用いたドローンでハイスピード撮影するというもの。

 元々はインスタグラマーとして注目を集め、その個性的なビジュアルセンスから企業のオファーを受けるようになった。本名では彫刻家としても活動しているらしい。


「インスタのご本人もペイントでベッタベタ。だからよく分からなくって。あれ、裸ですよね?」

「親会社で挨拶した時は普通に日本人だった。かなりバンカラな人だったかなあ」

「バンカラって、死語じゃないですか?」

「う………」


 田中君は仕事に戻っている。わたしからは顔が見えないが、恐らく憮然としているのだろう。

 山下さん、君が味方で良かった。愛してる。

 でも、遠回しにババア扱いは止めて欲しい。まだ二十七歳なんだけど。


「あのビジュアルは独特ですよね。サイケデリックとも違う。人があんな風に……」

「サイケデリックも古くない?」

「古くないですよ、音楽的には。ワタシ、元サブカル少女ですから」

「えっと……」


 人が人を離れる——— と言えばいいのだろうか。

 超広角レンズによって誇張された像とドローンが生み出す変則的なカメラアングル、ボディペイントで抽象化されたテーマと相まって、意味性の破壊と再構築をシームレスに繰り返すのだ。

 CGでも似た表現は可能だが、ライブアクションに拘ることで特別な価値を創出している。実際、ラウィの活動は現代芸術におけるインスタレーションにまで及ぶ。


 新型スマートフォンのメインコピーは「Passion and Power」。

 鮮やかなアクアブルー、重厚なミッドグレーをテーマにキービジュアルが既に撮影され、カタログ用に暖色系のテーマがラウィから提案されたが、昨日になって再考したいと連絡があった。

 わたし達はモデルやスタジオ手配の都合がある。彼女も話が通じないアーティスト様ではないが、彼女の意向は最大限に尊重して欲しいと顧客元のT社から希望されている。

 具体的な計画を詰め直すべく、ラウィ自身と打ち合わせを行うのが本日なのだ。


「でもワタシ、こんな大きなお仕事は初めて。緊張するなあ」

「わたしも初めて、お零れと言ったら身も蓋もないけど。メーカーに弊社を売り込む絶好のチャンスであるっ、頑張らなきゃね、山下一等兵っ」

「はいっ、鬼軍曹っ」

「お、鬼って……」


 談笑が気に障ったのか田中君が席を立った。それを目で追う山下さん。

 ちなみにわたしがアートディレクター、デザインも融通が利く社内で山下さんが担当する。

 田中君がわたしに棘があるのは、この案件でハブられた所為もあるだろう。親会社ありきとは言え、わたし達のような中小企業に大メーカーの発注が降りることは稀なのだ。

 拗ねる男の子も嫌いではないが、今のわたしはもう寄り道をする余裕がない。せっかくの可愛い味方も敵に回したくないし。

 ダメなお姉さんでホントごめんなさい。(二度目)


 そうこうしているうちに、わたしの席の内線が鳴った。


「あ、ご登場じゃないですか。ラウィさん」

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