お姉ちゃんは何でもできるっ! 【得意なもの:家事と勉強 / 無理なもの:ゲーム】
夜の八時。隣の部屋から突然、大きな泣き声が聞こえてきた。
勉強中だった〈稲田 日女香〉はペンを落とし、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「隼くんっ、どうしたの!」
部屋に飛び込むと、部屋の真ん中に座る男の子が。
目を赤く、お姉ちゃん、と涙声をあげた。名前は〈稲田 隼〉と言う、日女香の弟。年は七歳、日女香とは十歳も離れている。
ただごとではない。
日女香は慌てて弟の傍に寄った。
「怖いのでもいた? どこか痛いの? 誰かにいじめられたの?」
姉は矢継ぎ早に訊ねる。
しかし隼は、どれも違う、と振った。
じゃあ何を――と言いかけ、止まった。その下・手元の方から、軽妙な音楽が聞こえてくる。
「……ゲーム?」
隼は頷いた。
小さな手に、携帯ゲーム機が握られている。
「勝て、なぃ゛……っ」
「え?」
馬鹿にされた。絞り出すような声をあげると、再び目に涙を浮かばせた。
「よしよし……大丈夫、大丈夫」
日女香は弟を優しく抱きしめ、その肩をぽんぽんと優しく叩く。
「詳しく、お姉ちゃんに説明してもらえる?」
穏やかにな口調で語りかけると、隼は途切れ途切れに何が起こったか話す。……が、日女香はゲームそのものを知らないため、弟の話している内容がまるで分からない。
理解できた部分だけを要約してみると、こうであった。
――何者かが弟をコテンパンにやっつけ、その上、侮辱した
悔しい、と胸の中で気持ちを吐露する。
許せない、と日女香は怒りの気持ちが燃え始めた。
「お姉ちゃんに任せて!」
「え……?」
隼は顔を上げ、姉を見た。
その顔は凜々しく、そして自信に満ちている。
「お姉ちゃんがそいつに、やり返してやるから」
日女香は学年上位、運動も人並みにこなす。
顔立ちは、垂れ目で古風な美人顔。学校ではファンも多くいる。
掃除・炊事・洗濯、家事はどれを取っても完璧で、家庭的である。
……だが、彼女には唯一の欠点があった。
「ホント! お姉ちゃん、ゲーム出来たんだ!」
「もちろんよっ! 今日は遅いから、明日やってあげるわね」
「うんっ!」
泣きっ面から破顔に変える隼。それに日女香は、ふふっと目尻を下げた。
――明日香は弟に対して激甘。いい恰好をしようと見栄を張り、何でも『出来る』と言ってしまうのである。
(ゲームなんて、ちょっとボタンを叩くだけでしょ)
彼女はこれまで一度も、ゲームをしたことがない。
◇
翌朝。和風な玄関にて、日女香はローファーに足を入れたまま、様子を窺っていた。
黒いランドセルを背負い、元気よく飛び出した隼を見送ったのは先ほどのこと。履いた靴をそっと脱いで、上がり框に立つ。
「あら、どうしたの日女香」
「ちょっと忘れ物して」
リビングから出てきた母に告げ、すぐ隣の階段を上がってゆく。
階段を上がってすぐ、左手に日女香の部屋が。しかしそこには入らず、奥の隼の部屋へと向かう。
周囲を見渡し、ごちゃっと片付いていない学習机に目を向けた。
(これが、隼くんがやっていたゲーム機ね)
角丸四角形の携帯ゲーム機が一台。
周りの様子を窺いつつ、そっとカバンの中に忍ばせる。
(確かプールの日だから、帰ってくるのは18時くらい。17時30分に戻ればOKね。――待ってなさい、隼をいじめる卑怯者たち)
拳を構えると、日女香は弟の部屋を後にした。
学校では日女香は優等生である。
この日もいつもと同じように、午前中にやった英語と古典の小テストを満点で終え、友達と席を並べて弁当を食べる。
昼休みは本を読むか、午前中のノートを読み返すか。
しかしこの日は違い……日女香はカバンを手に、こそこそと旧校舎の方へと向かっていた。
(校則違反だけど……)
旧校舎の裏。コンクリート部分に腰掛け、カバンからゲーム機を取りだした。
はぁ、と胸を押さえながら一息。
銀色の角丸四角形。真ん中には縦6センチ、横13センチほどの真っ黒な液晶がある。
「まずは、敵を知らないとね」
弟がやっているように、両手でしっかりと握った。
「……」
腕を伸ばしたまま。
ちょっと角度を変えて、モニターを太陽に反射させてみる。
「……あれ?」
日女香は首を傾げた。
「隼くんは確かこうしてやってたけど」
なんで何も出てこないの、と身体ごとゲーム機を傾けた。
電源の入れ方すら知らないのである。
うん? うん? と、身体を奇妙に動かし続ける日女香。そこに現れる、おっと目を瞠った男子生徒に気付いていなかった。
「……なにやってんだ?」
「ふぇっ!?」
ゲーム機を落としそうになり、日女香は慌てて背中に隠した。
「え、ええ、えぇっとこれはその……っ!」
「お前って確か、稲田だよな」
え、と日女香は男子を見た。
「えぇっと、佐波くん……だったっけ?」
おう、と返事をする。
同じクラスの〈佐波 衛二〉とフルネームを思い出すまで、少し時間を要す。
背が高く、顔は高校二年にして出来上がってるかと思うくらい強面。ニヤりと悪辣な笑みを浮かべる姿に、冷たいものを感じずにはいられなかった。
「優等生でも、裏ではワルいことすんだな」
「えっ!? い、いやこの、それは……!?」
「いーんだって。それ〈FILA〉だろ? 何のゲームやってんだ」
「え、えっと何も……?」
「今更しらばっくれるなって」
そう言って、土を踏み鳴らしながら近づいてくる。
カツアゲとはこんな気持ちか。
日女香は恐怖を感じつつも、もしかしたら、と胸に期待を抱いた。
「あの、これどうやったら出来ます、か……?」
「……は?」
そろそろとゲーム機を取りだした日女香に、佐波は眉を上げた。
「上の電源ボタン押せばいいだろ」
確かめてみると、左端に丸いそれらしきものがあった。
円に縦棒を差したようなマークがついている。
「……押したら爆発したりしない?」
「するか!?」
日女香がそっとボタンを押せば、耳に新しい軽妙な音楽が流れ出した。
「わっ、出た!」
「その音楽はあれが、【MISSION:SAND STORM】の砂漠マップだな。おう、何の武器使ってんだ? ライフルか? スナイパーライフルか?」
急にテンションが上がった佐波に、日女香は、え、え、と困惑する。
画面を見れば、黄色い砂の世界に、両手で黒い銃を握る手が表示されている。
「えっと……黒くて小さいの?」
「殆どの武器が黒れぇよっ」
馬鹿か、と言いながら、佐波は日女香の横に腰を落とす。
「――何でマシンガンなんだよ。ここスナイパーがわんさかいんだろ」
「そう、言われても……」
画面を見ていると、いつの間にか画面が赤く染まっていた。
と、思えば、すぐにヘリコプターが飛び立ち、同じ砂漠に戻る。ひゅんひゅんと音がし、血痕が散ったかと思うと、また画面が赤染まった。
「……死刑執行を見守るゲーム?」
「動かせよ!?」
「ど、どうやって?」
貸せ、とゲーム機を引ったくられ、そのまま操作する佐波。
何やら『取り逃しまくり』や『スキル無茶苦茶』と悪態をついているが、日女香にはよく分からない。
すぐにファンファーレが鳴って、何となく達成したことだけ分かった。
「お前ならねェかもしれないが、カレシのゲームなんざ勝手にやったら怒られっぞ」
「か、彼氏じゃなくて弟の、です」
「姉の特権か。弟が面白そうだからやってみた、ってか?」
「いえ、その……練習もかねて?」
練習、と頓狂な声で訝る佐波に、日女香は経緯を説明した。
「――んなもん、泣く間があったら練習しろボケ、とひっぱ叩けばいいだろ」
「だ、ダメよっ! 隼くんにそんなことしたら!」
「操作どころか電源すら入れられないくせに、安請け合いすれば、余計に恥かくだけだろうが」
「う……ま、まあやり方さえ分かったら簡単な、はず?」
ならやってみろ、と言われゲーム機を渡された。
画面には銃を構えた兵士の姿があり、『しゅん』と名前が書かれている。
佐波がやっていたようにボタンを押してみれば、○のボタンで決定、×でキャンセル、□で店のようなもの、△で色々な設定ができると判明。
STARTの文字を押せば、先ほどの場所に。見よう見まねで左のスティックを倒せば、弟の名をしたキャラクターが動くとも分かった。
「ほら、簡単じゃな――」
広い場所に出た直後、カーン、と音が鳴り、空を見上げていた。
「そこスナイパーいっぞ」
「いやああ!? 隼くんが、隼くんが死んじゃったっ!? なんで、なんであんないい子を……う、うぅ……」
「お前まで泣いてどーすんだよ」
ボケ、と悪態づく佐波である。
何度やっても、可愛い弟の名をした兵士は倒れ、その度に目を赤くしてゆく。
――無理だ
二十回ほど死に、悟った。
「隼くん、ごめん……。お姉ちゃんは……お姉ちゃんは無力よ……」
「当たりめーだろ。何もしたことがない奴がいきなり、【MISSION:SAND STORM】ができっかよ。別ゲーでSSSランク取った俺ですら、最初は苦労したんだぜ」
え、と顔を上げると、横でサクサクとプレイする佐波の姿があった。
「佐波くん、それ上手なの?」
「おう。この前、ランカーマッチに出てやった」
それがどれほど凄いか分からないが、自信に満ちた表情で何となく理解した。
日女香はじっと佐波の顔を覗き込む。
喧嘩っ早くて、時どき職員室に呼び出されている。おっかないと思っていたけれど、人は見かけによらないものだ。
「……なんか失礼なこと考えてねぇか?」
むず痒そうにする佐波に、日女香はずいと迫った。
「佐波くん、お願いっ!」
これしかない。
姉の沽券は、ゲーム機を握るその手にかかっている、と――。
◇
「お姉ちゃんっ、お姉ちゃんっ」
母親と共に帰ってきた隼は、パタパタと音を立てて日女香の部屋に飛び込んできた。
中には制服姿の日女香が一人。
客室から運び込んできた、小さな液晶テレビとそれに繋がる黒い箱が一つ。
「わあっ、〈ステーブル5〉だ!」
「隼くんお帰り。どう、凄いでしょ?」
持ってたんだ、と目を輝かせる隼。
日女香はよく知らないが、それは隼が持っていた携帯ゲーム機・〈FILA〉と同メーカーから出ている、最新の据え置き機であった。
テレビで携帯ゲームが出来るもの、と姉は認識した。
「これから隼くんの仇とってあげる」
「やったあっ、お姉ちゃんお願い!」
「任せときなさい。それでえぇっと……? ――え、昨日の鯖? 昨日はシチューだったけど、え、違う?」
「……お姉ちゃん、何言ってるの?」
あ、と慌てて取り繕う日女香。
「え、えぇっと、『昨日の鯖はどこ』って……」
「あー、と昨日は確か〈フリードリヒ〉にいたよ」
「いいでしょ好きなとこでやっても――」
右耳に手をやりながら顔を横に、文句を言う。
「って、ごめんごめん、フリーなんとかってとこね」
「……お姉ちゃん、耳に何かつけてる?」
「えっ?」
日女香の右耳にはインカムがついていた。
「ちょ、ちょっとゲームには必須なのよ」
「あ、そっか! ボイスチャットで情報伝え合うって大事だもんね!」
「そうそうっ、ボイスちょっと大事っ!」
あはは、と乾いた笑いする日女香は、チラりと真後ろのクローゼットを見た。
木製の横格子。その中には、
『さっさと始めて終わらせろボケ』
と、悪態づく、制服姿の佐波の姿があった。
――お願い、私の代わりにゲームで敵討ちしてっ
密やかな人気のある日女香である。
彼女の家、その部屋に上がったと言えば不良仲間に自慢できるだろう。どこぞの勇者みたいにタンスを漁り、スマホで下着の写真でも撮れば、かなり稼げそうだ――などと、邪な考えで応じた。
だが……目論みとは大きく違っていた。
まず、家は一目で分かる裕福な一軒家。
そして、その娘の部屋はとても品に満ちている。
住む世界が違う。タンスを漁れば、本気で警察に捕まりそうな気がした。
――これをつけて、クローゼットに隠れて
そう言って、インカムを渡す。
両親のだと言うが、何に使っているのか。
日女香の考えはこうだった。
自分はしているフリだけ、ゲームは隠れている佐波が操作する。
指示はインカムを通じて。いわゆる傀儡である。
『早くやれ』
佐波の音声が日女香に届く。
女の匂いが濃いクローゼットの中。冬物の制服のスカートが顔にかかり、落ち着かないのだ。
「じゃあ、よしやるわよ――電源、電源……?」
これも佐波の指示を受け、迷いながらボタンを押す。
ゲームの選択。使用するデータの選択。
隼は画面に見入っているため、コントローラーをまるで動かさない姉に気付いていない。
画面に【MISSION:SAND STORM】のロゴが現れ、軽快な音楽が流れ始めた。
「よおし、やっつけていくわよーっ」
テレビに映るのは、ジャングルのような戦場だった。
(敵味方のチームに分かれ、激しい銃撃戦を繰り広げてゆくルールかしら?)
画面の右隅上・左隅上に、それぞれメンバー名が表示された欄が。
左側の光りが、ふっ、ふっと消えてゆくのを見て、こちらが優勢ね、と明日香は得意満面に頷く。
「ああ、味方が弱い……」
え、と顔を向けた。
見てるチームが逆だったようだ。
敵味方十六名。改めて確認すると、こちらは残り四名に対し、相手はまだ二名しか消えていなかった。
(ゆっくりノロノロ歩いているから、味方やられてるんじゃないの?)
だが、それに対する絶望めいたものは、画面から伝わっていなかった。
壁裏に隠れている敵を撃ち仕留めたかと思うと、そこから一気に動き出す。
「――うわぁぁーッ、お姉ちゃん凄いッ!」
銃口が光り、カンッ、カンッ、カンッと相手の頭を撃ち抜く。
表示されるマークと名前らしきものは、それを倒したと告げるものか。
援護に駆けつけた者もまた、弟の分身とも言えるキャラが左右に動きながら手早く倒す。続けて銃を下げたと思うと、丸いものを構え、投げる。ひと息を置いて、マークが表示された。
「ろ、六人抜きっ!?」
「え? 二人どこで倒したの?」
相手の表示が一気に半分までに減っている。
隼は興奮を隠せない様子だった。
「ねぇ、どうやったらこんなに上手くなるのっ、お姉ちゃん!」
「え、えぇっと、そうね……上手くなるには練習かしら。お姉ちゃんぐらいになると、これぐらい楽勝だけどね」
200時間かかったっつーの、との声が耳に届く。
佐波の活躍著しく、勝負はこちらは二名を残す逆転勝ち。これが勢いとなったのか、続く第二戦目、三戦目もこちらが圧勝となった。
だが、やはり狭い隙間から覗きながらのゲームは難しいのか。続けて二戦は『見えねえ』と、ミスしてやられてしまう。フルセット七戦、4-3でこちらの勝利となった。
「39キルって、お姉ちゃんってやっぱすごいや……っ」
羨望の眼差しを向ける隼に、日女香は、
「でしょー?」
えっへん、と鼻を高々と天に向ける。
学校で見る姿とまるでちげーな、と驚く声が耳に届いた。
『レート上がったからよ。次か、その次くらいに多分当たるぜ』
レート、と聞き返すと、隼は顔を俯かせた。
「0.4ってやっぱり低いよね……。全然上手くなれなくて……」
「あ、ああっ、そんなことはないわよっ! えぇっとなになに――『ストーリーをクリアするのに簡単な武器を使うからヘタレ』――そんなこと言わないで――『使うから強くならない』の。『ちゃんと丁寧なプレーを心がけたら上手くなれるぞ』――じゃなくて、わっ!」
「ストーリー……そ、そっか、今度やってみる!」
ストーリーか、と目に力を込める弟の姿。
成長したい意欲が垣間見られて、日女香はたまらず抱きつく。
『おい。甘やかしてねーで、次の相手にそのイジメた奴がいるかどうか聞け』
え、と画面を見れば、次の試合のスタンバイが始まっていたらしい。
隼に声をかけてみると、んーとしばらくテレビを凝視し、
「あっ」
と声をあげ、一点を指差した。
「こいつっ、この何とか魚っての!」
「えぇっと、〈雑魚卸し業者〉――?」
変な名前ね、と明日香が言う横で、
『あー……』
と、佐波が納得した声をあげた。
「知ってるの?」
「え、だから昨日――」
『知ってるつーか……まぁ、初心者狩りってやつだ。まだ始めて日のない奴とかを狩って、怒る姿を面白がって眺める陰気なプレイヤーだよ』
「酷いっ! そんなの許せないっ!」
「だからお姉ちゃんが今日――」
『まぁ、あれなら本気でやってやっか』
姉を案じた目を向ける隼。
何だと分かっていない日女香は、大丈夫よ、と応える。その横の画面では、スナイパーライフルと呼ばれる銃を装備していた。
『このとこ調子乗ってっから、ボコってやらねえとな』
何のことか。聞くよりも早く、試合は始まる。
どこかの航空基地のような場所。こちらのメンバーは、ヘリポートから一斉に走り出した。
「ここいきなりスナイパーの撃ち合いするよね」
へぇ、と他人事の声をあげる。
隼のキャラクターである兵士は、どこか一点に向かって目指しているらしい。一気に室内を通り抜け、また外へ。近くの階段を昇った。
広い直線道が眼下に。そう思った直後――十字のマークが画面を埋めたかと思うと、大きな銃声が轟いたのだ。
「ふわっ!?」
日女香が驚く。
画面はズシャーン、ズシャーン、ズシャーン、と立て続けに。
十字のマークが出ては発砲。十字が出ては発砲。合間に小さな銃を出しているように見えるが、何をやっているのかまるで不明だった。
しかし、発砲のたびに敵を倒せているらしい。
「お、お姉ちゃん、クイックチェンジとクイックショットすご、うま……っ!」
どうやっているの、と言われ、とにかく無茶苦茶にコントローラーを操作する。
無線のコントローラーだが、日女香が握るのは電源が入っていない。
クイックチェンジやショットとは何か。
とりあえず武器を忙しく切り替えている、ことでいいだろう。
「あっという間に五人倒せたわ。さて次は――」
画面は急に空を向いていた。
あ、と声を上げたのは隼だ。遅れて『くそ』と苛立った佐波の声がした。
やっとそこで、やられた、と気付いた。
『ここからじゃ細かいとこ見えねーよ。音も聞こえねーし』
「そ、そうは言われても……」
倒したキャラ名は、〈雑魚卸し業者〉と表示されている。
「うわーっ、あいつだぁっ!」
何か個人にメッセージを送っているらしい。
左隅にカチッ、カチッと文章が表示される。
【ざこおつーww おまえ、へたくそすぎww】
【がんばって、ボクをたおしにきてねぇーwww】
これを逐一送っているのだろう、
【〈雑魚卸し業者〉って奴から煽られた】
【こっちもきた】
と、味方の憤るメッセージが表示されてゆく。
「ひっどーっ! こんなの性根腐ったことするのがいるのっ!」
「昨日、こいつから何度も言われたんだ……」
「こんな陰気なの、親からろくに躾けを受けてないんだわ」
インカムから咽せる声が聞こえてきた。
日女香も悔しくてならない。〈雑魚卸し業者〉との人物はそうとう上手らしく、勝負は相手チームの勝ち。ずば抜けたスコアを飾っていた。
『チッ! しゃーねー、アイツを倒すことだけに集中すっか』
佐波が言うと、次の試合が始まるなり単独で駆けだした。
どこに向かっているのか。
すぐ近くの詰め所らしき建物に入り、そこから出ると同時に。
「あっ!」「あっ!」
隼と日女香。
銃声が轟くや、二人の驚き声が重なった。
〈雑魚卸し業者〉
相手を倒した時に表示されるマークの下に、その名が出ていたのである。
「な、なんでいるって分かったの!?」
「お姉ちゃん、だから撃ったんじゃ……?」
いやその、と言い繕う姉に、
『動きがワンパだからよ』
と、佐波が説明した。
――倒すことだけに集中する
敵陣に単騎突撃したのか、もう一人倒す間に他から撃たれ、やられていた。
味方は【しょうさんGJ!】とメッセージを送ってくるのと同時に、
【必死ww 倒せてよかったね〜ww】
と、倒しても〈雑魚卸し業者〉は煽ってきた。
「ホント、これだけで育ちの悪さが分かるわ」
『ン゛ン゛――ッ』
咳払いする佐波。
試合はいい勝負で、最後の一騎打ちでこちらが辛勝となった。
第三戦、四戦、五戦……。
佐波はそれを倒すことに集中。始まるなり敵陣に飛び込み、狙撃する。
日女香は驚きを隠せなかった。
場所を変え、動きを変えてくるも、まるで考えを読んでいるかのように、的確に倒してゆくのだ。
【まぐれのくせに調子に乗んなよ雑魚】
相手のメッセージも余裕のないものに。
胸がすく思いだった。
試合は三勝三敗のフルセットに持ち込まれた最終戦。
今回、佐波は前にゆかず。慎重に歩を進め、敵を倒していた。
しかしその中に〈雑魚卸し業者〉の名はなく。
誰かに倒されたの、と日女香は画面を検めるも、それはしっかりと表示されたままだった。
「待ち構えてるの?」
「き、緊張するね……」
『だろーな。慎重っつーより、ビビりだが』
こちらも慎重に。
小さな銃を構えて室内を探索してゆく。
敵味方は数を減らし、残るは二名ずつの静かな時間が流れ始める。
30秒ほど過ぎた頃。遠くで静寂を破る銃声が鳴り、双方一名ずつ名前が消えた。
『よし、仕掛けっか』
建物から出た佐波は、急に発砲。
敵がいたのかと思いきや、ただ何もないところを撃っただけ。
すぐに建物内へと引き返した。
「何をしてるの?」
と、隼。
日女香も「さあ?」と、小首を傾げた。
――しかし、その直後である。
壁裏に立った弟の分身は、武器を小さな銃からナイフに持ち替えたかと思うや、
「え?」
「ええええっ!?」
タイミングを合わせて、ヒュッとひと突き。
血しぶきが飛んだかと思うと、敵・〈雑魚卸し業者〉が床に突っ伏していたのである。
『いよっしゃ! ざまぁみやがれってんだ!』
佐波の声が耳にキンと響いた。
【ナイフwwww】
【草生えたww】
【雑魚卸したったww】
【これは草】
【読んでたの?】
これには仲間も狂喜乱舞。
ゲーム内で『作戦は成功だ』と流れるのだが、誰も聞いていない。
相手からの罵倒も何もなく画面は暗転して、戻った。
「凄いやっ、お姉ちゃん本当にすごいやっ!」
「そ、そう? まぁ、うんそうよねっ、お姉ちゃんなんだし」
弟の目は、冬の夜空に輝く星空の如く。
あまりに眩しすぎるので、日女香は目を逸らしながら、よく分からない理論で誤魔化した。
悔しさを晴らせたのが、よほど嬉しかったのだろう。隼は日女香に抱きつくと、未だ興奮が冷めない様子で、あれがよかった、これがよかった、と振り返り続けた。
しばらくそうしていると、部屋にノックの音がした。
「――ちょっと二人とも、ご飯よ」
二人は返事をする。
あ、と日女香はクローゼットに目を向けるも、
「お姉ちゃん、いこっ!」
「えっ、ちょっ、ちょっと隼くん!?」
おかず一個あげる、と弟に手を引かれ、意識を置いたまま部屋をあとに。
ゲーム画面が光ったままのテレビ――その正面のクローゼットが、そっと開いた。
◇
翌朝。日女香は教室に入るとすぐ、ぐるりと見渡した。
確か、と窓際の一番後ろへ。そこには背が高く、厳めしい顔の男子が座っている。
それを認めると、日女香は小走りで駆け寄る。
「佐波くん」
その姿に、教室中が少しざわついた。
「き、昨日はごめんなさいっ」
「まさか、リアル脱出ゲームまでやらされるとは思わなかったよ」
頬杖をつきながら声低く。
昨夜――置いて行かれた佐波は、稲田宅から脱出するミッションを課せられた。
玄関か、それとも窓か。
前者は、一家が揃っているであろうリビングを通らねばならない。
しかし後者は、飛び降りれば警備会社が来るような、不穏な空気漂う隣家だ。それを警告するかのように、塀の上に蹲っていた猫がひと鳴きした。
「お前のヘタレな弟の部屋から、横のダクトつたって脱出できたけどよ」
「隼くんをヘタレって言わないで。――と、これ、その……」
日女香はカバンから、赤いリボンに結ばれた白い包みを取り出した。
クッキーだと分かる。ほのかに芳ばしい匂いが、男の鼻腔をくすぐった。
「口に合うかだけど、昨日のお礼とお詫びに……」
「ふん」
これじゃ足りねえ、とふてぶてしく受け取り、不躾にリボンを解く。
星型のそれを一つ口に放り込めば、おっ、と目を瞠った。
「……まぁ、いいだろ。弟にゲームしてるの見せてやったの、思い出せたしよ」
「え、佐波くんって弟さん、いたの?」
「ああ。三つ下の、クソ生意気なのがな」
そうなんだ、と言うと、日女香はモジモジと「あのさ」と切り出す。
「何とかクイーンズ、ってゲーム、知ってる?」
「クイーンズ……って、あの横スクロールゲーか?」
「よ、よく分からないけど、隼くんは今度、それクリアできないって言ってきて……」
クッキーが入った袋を持ったまま。
佐波は音をたてて、椅子から立ち上がった。
「え、ちょっと!?」
「あれは初心者でもクリアできるからよ」
頑張れよ、何でもできるお姉ちゃん。
ざわめく教室を出ようとする佐波に、日女香は慌てて追いかけるのだった。