道香サイド 15
「翔さん!」
にこやかに微笑みながら、小走りで駆け寄ってくる宇梶さんは、いかにも待ち合わせにちょっと遅れてきたような素振りだった。
その向こう側を見れば、宇梶さんとよく一緒にいる企画2部の後輩の子達が、キャアキャアしている。翔が宇梶さんに会いに来た……と思っているらしい。
やれやれ……。
なんかもう、めんどくさくなってきた。
柔らかな美しい笑顔で、宇梶さんは翔しか見ないで言った。
「来てくれたんですね」
「じゃあ、失礼します」
翔はさっさと出入口の自動ドアに向かおうとした。
「神沢さん!」
そこに、また新しい声がかかった。
振りかえると、企画1部の安藤部長だった。
「安藤さん。前の企画ではありがとうございました」
翔が仕事モードで対応する。
「いえ、こちらこそありがとうございました。あの冊子は社長も大変気に入って、今あちこちに配ってる所です。それで……、今日は何か……?」
「いえ、ちょっと私用がありましたので」
オブラートに包んだ言い方をしたのを、部長は翔と宇梶さんを交互に見て、完全に勘違いした。
「そうでしたか。ああ、丁度良かった。ご連絡しようと思っていたんですよ」
翔の所との仕事はもう終わったはず……、と思っていたら、部長はおもむろに封筒を翔に渡した。
会社の社名が入ったものでも茶封筒でもなく、ちょっと厚地のいい紙の白い洋封筒を、翔は開けて中を出した。
「まだ社外には大々的に発表してなくて、一部のものしか知らないことなんですが、この度「創立60周年記念式典」を開くことになりまして。取引先や社外の方々もご招待していて、是非、神沢さんにも来て頂きたく」
部長はニコニコしながら説明した。封筒の中身はその招待状だった。
実は私も宇梶さんも知っている。企画2部がメインで動いている企画で、例の冊子は企業1部がメインの制作だった。とはいえ、完全に分業してたわけではないので、こちらを宇梶さんや他の2部の人もやってたし、記念式典に私も関わってる。
翔がチラリとこっちを見た。
「そうでしたか。是非前向きに検討します」
ニッコリと営業スマイルを部長に向けたら、くるりとこちらを向いた。
「じゃあ、帰りに迎えに来る」
「えっ……」
反論も周りへのフォローも入れられないまま、翔は「失礼します」と部長に言いながら帰ってしまった。
部長が不思議そうに私に聞いた。
「三枝さん、神沢さんとまだ仕事で何かあったっけ?」
「い、いえ……、あの……」
言い淀むのは、斜め後ろの宇梶さんから不穏な空気が押し寄せて来るからだ。
「あっ、もう昼休み終わりますね、戻りまーす」
と、強引ながらもそそくさとその場を去った。
帰りは絶対社外で待ち合わせにしよう……。
*****
「じゃあ、これから忙しくなるのか?」
「うん……。式典まであと2ヶ月で、メインの進行は私のいる1部じゃなくて、2部がやってるんだけど、こっちはこっちでまた別の企画があって……」
「言えないなら言わなくていいぞ。企業秘密だろ?」
今日は二人であまり来ない街の中華料理屋さんに来ている。突如現れる宇梶さんに二人とも疲れてきて、なるべく鉢合わせない所にした。
「で?道香はそのパーティーに俺に来て欲しくない、と」
エビチリを平らげて、ジャスミンティーを飲みながら翔がズバリと言ってきた。
なんで当ててきたかな。
なんて返そうか考えてたら翔に先に言われた。
「ほら、言えよ。そーゆー約束だろ」
小籠包をかじりながら、上目遣いで促された。
ちゃんと付き合うことになって、二人で色々話し合い、いくつかの約束をした。
これもその内の1つ。
一人で考えすぎて溜め込みがちな私は、気になったことや言いたいことを翔にちゃんと言うこと。
翔は、私の言いたいことや気持ちを大抵分かってるけど、ちゃんと口に出して言うことが大事だという。それは私もよく分かる、分かってるので、なるべく言うようにしてる最中なのだ。
「翔は……、それでなくても目立つのに、ああいう華やかな場ではなんでかそれが更に磨きがかかって、すぐ中心人物になるじゃん……。そうすると美人でキレイな女の人がワラワラワラワラ集まってきて、満更でもない翔はご丁寧に彼女達に対応して、鼻の下伸ばして……」
「ちょ、ちょっと待った。お前、そんなこと考えてたのか……」
ごぼっ、とジャスミンティーをむせながら翔が止めた。
「でも、翔の仕事柄、今回みたいないろんな業種が集まるパーティーは絶好の営業のチャンスだって分かってるから、ゼヒ、サンカシテクダサイ」
「そんな仏頂面でカタコトで言われても」
翔はクックッと笑ってる。
「行くよ。道香のドレスアップ見たいしな」
「しないよ?」
あっさり言ったら、ビックリされた。
「なんで!?」
「だって主催者だよ?しかも企画の担当だよ?来場者を案内したり、ホスト側だからブラックスーツにするつもり……って、なんでそんなにガックリしてるの?」
「……。また、大学のミスコンの時みたいな、綺麗に着飾った道香が見たい」
ニッコリ笑いながら色気を放つ、という器用なことした。顔が熱い。
「無理無理!今回は特に無理!!」
「特に?」
「えーと、色々あるのよ……」
「ふーん。残念」
たらふく中華を食べて、二人で私のマンションに帰った。
平日は翔はほぼ私のマンションに帰ってくるつもりらしい。
もう、床に来客用の布団を引いてない。翔が私のベッドにもぐり込んで来るからだ。それでなくても翔は体が大きいのに、こんなシングルベッドに二人なんて狭すぎる。
「明日、理人が教授から聞いてきた話を聞くから、帰りは遅くなる」
「今日、言ってたやつね」
今、理人のミューズ、日向さんになかなかやっかいな問題が起こっていて、理人はもちろんのこと、その危険人物と引き合わせてしまった罪悪感と、更に事務所ごと巻き込まれて翔も奔走してるのを知ってる。
今日はあの昼休みの後、要が仕事でうちの会社に来て、そこに理人と日向さんが合流して、例の危険人物について話していたのだ。
「でもあの……、私、完全に部外者じゃない?今日はまあ、要の都合だったけど、一緒に聞いてしまっていいの?」
「まあ……、関係ないっちゃあ、関係ないけど。お前、あの状態の理人、気にならない?」
「なる!!」
思わず即答した。
「だって、今日も凄かった!理人、日向さんにベッタリで一時も離さないの。表情だって今まで見たこともない柔らかくて甘い……」
「道香もして欲しいの?」
ブワッと体じゅうが熱くなった。
「そっ、そーゆーことじゃなくて!……っ!ちょ!どこ触ってんのよ!!」
後ろから抱き締めていた翔の手が、意味を持って動き出した。
「道香も、柔らかくて甘い……」
「……翔、また追い出すよ……」
低く呟いたら止まった。
確かに激変した理人も気になるけど、日向さんも心配。理人がくっついてることで紛れてたけど、やっぱりどこか不安そうで不安定だった。
「大丈夫……。理人は日向さんを離さないと思うよ」
後ろから囁かれる声は、想定を語っているのに確信を持っていた。




