道香サイド 8
ずっと欲しかった言葉だった。
態度ではハッキリと分かっていたことだけど、やっぱり言葉で欲しかった。
なのに、なのに……、あのタイミングじゃないでしょー!!!
勢いでビンタして、店を出て家に帰る。
もう、今日は鍵もかけて絶対家に入れてやんない!何度チャイムを鳴らそうが、絶対出てやんないんだからー!
……と、意気込んでたら、チャイムはおろか、電話もメールすら来ないまま、朝になってしまった。
朝から頭が働かない。
翔が、怒った私をこんなにほっとくことがなかったから、怒ってるのはこっちなのに、翔が逆に怒ってるんじゃないかと不安になってきた。
そうだよね、すぐに憎まれ口を言って、すぐに暴力振るうような女なんて、いくら好きになってもそろそろ見限られてもおかしくない。
虚ろな顔で仕事をしていたら、沙良ちゃんに心配された。
沙良ちゃんには心配かけてばっかりだわ。
何度も翔にメールしてみようかと携帯を取り出すものの、なんて打てばいいのかわからない。
代わりに理人にメールして、話を聞いてもらえないかと今晩の約束を取り付けてしまった。
「えーっ!宇梶さん、昨日の夜、神沢さんと飲んだんですか!?」
昼休憩の後、給湯室の近くを通りかかったら聞こえてきた、黄色い悲鳴に足を止めてしまった。
昨日の夜って……。
「そうなの。思いきって連絡してみたらすぐに来てくれて……」
いつもより弾んだ声で話す宇梶さんは、嬉しそうだ。立ち聞きするつもりはなかったけど、足が動かない……。
あの後?あの後に二人で会ってたの?だから私の所に来なかったの?
「今は彼女はいないって言ってたから……」
「えー!そうなんだ!神沢さんならとっかえひっかえいそうな感じなのにー。なら、チャンスじゃないですか!宇梶さん、頑張っちゃえー」
企画の後輩の子がキャッキャと騒いで、宇梶さんもまんざらでもなさそうだ。
確かに「彼女」じゃない。
翔が、いつ誰と会おうと文句言える立場じゃない。
ずっと、その立場を空席にして待っててくれてるのに、そこにいつまでもグズグズして座らないのは、私だ。
そこに、別の誰かが……、宇梶さんが座る?
想像して、身震いする。
――― ……嫌だ。
翔の隣に、私じゃない違う女がいる、ということを想像したら、心がものすごい拒否反応を示す。なのに、思ってしまった。いつもしなやかにたおやかに物事に対応する宇梶さんなら、人気者の翔の隣にいても、翔の友人知人に柔軟に対応出来そう……。
「変な顔してるぞ」
突然ほっぺをぶにっとつままれた。
見ると瀬名くんが不機嫌そうな顔で私をつまんでる。
「いひゃい。離して」
「隠してるから、こうなるんだろ」
あ、瀬名くんも今の会話を聞いていたのか。隠してる、っていうか、付き合ってないっていうか……。
「そもそも彼女いるのに、他の女と二人で飲みに行くか?」
いや、だから付き合ってないんだってば。言えないので黙っていたら、ふいに伸びてきた手でグイッと頭ごと抱えられた。紺色のスーツの肩に頭が着く。翔に抱きしめられると胸板あたりに顔がつくから、肩だと顔が近い。
「っ!離して、ちょっ、ここ廊下……!」
焦って押し返そうとするも瀬名くんは離してくれない。
「そんな顔するくらいなら、やめとけ」
耳元で言われた。
翔以外で、そんな近くで声を聞くことなんてなくて、ビクっとしてしまう。
違う声、違う香り、違う温もり……。
どん!とやっと突き放した時に、瀬名くんの後ろにびっくり顔した宇梶さんが見えた。
*****
その後の仕事は何をしたんだか、よく覚えてない。幸いにも出張の報告書の下書きとか、雑務が多かったから、これが重要な案件や企画提案とかじゃなくて良かった。
理人と、お互いに知っているバーで待ち合わせたものの、彼が来るまでにかなり飲んでしまった。これが、飲まずにいられるか!
だってあの後、宇梶さんは私達に向かってこう言ったのだ。
「痴話喧嘩は勤務外にお願いしますね」
カッと頭に血が登った。
だけど、何も言えるわけもなく、瀬名くんをグイッと突き放してその場を離れた。
女が1人でバーのカウンターで飲んでると、男性からの目線が刺さる。
テーブル席のサラリーマンの集団がチラチラこちらをを見ているのが分かる。悪かったわね、女が1人で管巻いて。
「もう、いいかげん捕まってやれよ」
呆れたように理人に言われる。理人には毎度毎度、二人の仲がこじれるとそれぞれの話を聞いてもらっている。それも段々嫌がられてるのはわかってるんだけど。
「他の女とくっついてもいいのか?」
「…………やだ」
理人が暗に宇梶さんのことを指していることに気づいた。昨日のことを聞いたのか、勘のいい理人のことだから、こないだの一緒に仕事した時に既に気付いていたのか―――。
迎えに翔を呼んだ、という。
もう!同じマンションなんだから理人が送ってくれればいいじゃん!と文句を言ったら、用事がある、とあっさり言われた。日向さんに会いに行く、と。
日向さんが羨ましい。
理人は、今まで見たこともないくらい日向さんには直球に執着してる。別人かと思うくらいの豹変っぷりにあきれるやら、感心するやら……。
「粘着されたい……」
と呟いたら、理人に驚かれた。勘違いしてる、とまで言われたけど、理人ほど分かりやすく粘着された覚えはないんだけど……。
「でも、本命はずっとお前だろ」
理人はあっさり言ってのけた。端から見ててもそうなの?本当に?本当に私はずっと本命なの?
酔いの回った頭では考えられなかった。
でも、このあとスパンと酔いが覚めることになる。