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二章 それぞれの思い

 めぼしい就職先を探し、斡旋所を覗いて回っていた辰彦がその人物と出会ったのは、ちょうど正午を十分ほどまわった頃だった。

「辰彦?」

 交差点で人とすれ違い様、驚いたように声をかけられて、早足で歩いていた辰彦は振り返った。ずば抜けた長身である辰彦と、ほぼ同じ身長の若者が不思議そうな目でこちらを見ている。縁のない眼鏡をかけた怜悧なその容貌を見て、辰彦は破顔した。

「都筑!」

 名前を呼ばれた若者は、軽く笑って首を傾げた。知的な雰囲気に相応しく、あらゆる学科で学年トップの成績を誇る都筑は、人づきあいこそ淡泊なものの、これで意外と情に厚い。辰彦とは小学校時分にガチバトルをやって以来、気の置けない幼なじみ兼親友である。

「なにをやっているんだ? こんなところで。おまえ、大学はどうした?」

 呆れたように言う相手に、辰彦も呆気にとられた顔で言った。

「おまえはどうなんだよ、都筑。こんな時分にこんなところで……」

 言いかけた言葉が尻すぼみになったのは、彼が両手に持つ異様に大きなビニール袋が目に入ったからだ。どう見ても近くのスーパーの……

「買い物袋……?」

「弁当だ」

 袋から覗く品をチラと見て、なるほど、と辰彦は納得した。これからのことで頭がいっぱいで、そういえば昼食のことを忘れていた。大きい物事ばかり考えていると、ごくごく目先のことを見失うらしい。

「昼飯かぁ」

「やらんぞ」

 顔に似合わずケチくさいことを言って、都筑はニッと笑った。その買い物袋の中には、「これが一人分か?!」と驚かずにはいられないほどの大量の食料が入っている。彼は食べる量も学年首席だった。

「あ、やべ。赤になる」

 ふと点滅する青信号を見て、二人揃って慌てて走った。なんとか赤になる前に渡りきって、辰彦は「ありゃ?」と横を見る。

「都筑。大学はあっちだろ?」

「そうだが?」

 渡りきった車道の向こうを指さす辰彦に、都筑はあっさりと答えた。

「昼からの講義はサボる」

「おいおい」

「後でいくらでも取り返しがつく。明日も同じ抗議があるし」

「あ、なるほど」

 なんとなく納得してから、いいのかそれで? と辰彦は首をひねった。その辰彦を見て、都筑が苦笑めいたものを口元に浮かべる。

「そういうお前は? 今朝から川口が探してたぞ。もしかして、学校に行っていないのか?」

「え? 川口、俺のこと探してんの?」

 川口というのは、都筑と辰彦の共通の幼なじみだった。周囲が驚くほど可愛い少女なのだが、むしろその凶暴さの方が驚嘆に値する。一度暴れ出すと手がつけられないため、一同からは密かに「ベビーゴジラ」の名を捧げられている。ゴジラがベビーなのは、可哀想なほど小柄で童顔なせいだ。

「やっべぇ……昨日の飲み会のことかなぁ」

怒らせると恐い幼なじみを思いだして、辰彦はげっそりとした顔になった。都筑は軽く笑う。

「だろうな。おまえ、来なかっただろう?」

「ん〜……あぁ……まぁ」

 歯切れ悪く答えて、辰彦は視線を泳がせた。都筑は微妙な表情で、困り顔の辰彦を見る。俺は嫌々行ったのに、という顔だった。

「まぁ、ちょっといろいろあって……。都筑は行ったんだ?」

「……川口に家まで誘いに来られたからな」

「……あいかわらず川口に弱いな、おまえ。なんか弱みでもあんの?」

 素朴な疑問を感じて言った辰彦に、都筑はなぜかひどく微妙な表情をした。どこか呆れさえ含んだその表情に、辰彦は首を傾げる。

(おや?)

「俺のことはいい。それより、おまえだろう? 問題は。……川口、怒ってたぞ」

「……すごく?」

「すごく」

 深く頷いた都筑に、辰彦は唸った。

「うぅ〜……いや、あれは……行けなかったというか行かなかったというか……」

「まぁ、そのあたりは川口に言えよ」

 苦笑して、都筑は軽く腕組みをした。辰彦はさらに唸る。

 見た目は可憐極まりないが、アレは凶暴な野生生物だ。下手な言い訳でもしようものなら、問答無用で鉄拳が飛ぶ。辰彦は無い脳みそを絞るのを止めた。

「都筑。知恵貸してくれ」

 苦心顔の辰彦に、学年首席は苦笑した。

「あとで返せよ」  



 昼の公園は、近くの会社員達の憩いの場となっていた。なんとか空いているベンチを確保しながら、都筑は軽く嘆息をついて焼きそばパンを頬ばっている辰彦を見た。

「そのまま話した方がいいんじゃないか?」

 それが辰彦の話を聞いた都筑の答えだった。対川口への助言なのだが、あっさりとした言葉に、辰彦はもぐもぐと口を動かす。

「食べてから喋れよ」

 口いっぱいすぎて音声の出ない辰彦に、都筑が頭痛を覚えたように額を押さえた。ちなみに辰彦が頬ばっているのは、都筑の弁当の一つだったりする。

 音をたてて呑み込んで、辰彦は言った。

「なんつーか、あいつに喋ると気ぃ遣わしそうでさ……。人が大変だと、自分も一緒に大変な目にあおうとするだろ? 巻き込みたくないじゃないか」

「まぁ、確かに」

 小柄な熱血女の顔を思い出して、都筑も微苦笑を浮かべた。知ったが最後、「あたしも手伝う!」と東奔西走しだす姿が難なく想像できて、都筑としては笑うしかない。

「だが、どうせいつかはバレることだ。ここで下手な嘘をつくのもどうかと思うが?」

「……まぁな」

 嘆息をついて、辰彦は残りのパンを口に放り込んだ。

 幼なじみの友情はありがたいが、できればこんなことに巻き込みたくない。せめて都筑のように平然と受け止めれる相手なら、辰彦も平気で相談できるのだが。

「しかし、おまえのところが……そんなことになってたなんてな」

 呟いて、都筑は顔を曇らせた。辰彦も顔を曇らせる。ややあって、わずかに微苦笑を浮かべて言った。

「ま。なんとかなるさ」

「……だが、大変だろう? 俺達で何か手伝えることはないのか?」

「ん〜」

 唸って、辰彦はさらに微苦笑を深める。

「まぁ、なにかあったら頼みに行くさ。今はまだ……どうしていいか、俺もよくわかってないしな」

「……そうか」

 辰彦の返事に、都筑も嘆息をついた。少しだけ沈黙が続く。都筑にしても、何をどう言っていいのかわからないのだろう。何かを言いかけ、ややあって口を噤む気配を感じて、辰彦は丸まりかけていた背を伸ばした。

 何気なく見上げた空は、涙が出そうなほどいつも通りだ。

「なんていうかさ、案外あっけないもんなんだよな……日常が破綻するのって」

「……うん?」

「唐突すぎて、実感わかないんだ……情けないことに。まだ、朝起きたら全部夢だったんじゃないか、って……そんな都合の良いこと考えたりするし」

 都筑は辰彦の目を見てから、ちょっと笑った。

「夢だったらよかったんだがな……」

「まぁな」

 それこそ夢だとわかっている。だから苦笑しながら言うしかない。

「大学は、たぶん……辞めることになると思う。親父のほうから話しがいくだろうから、それまでに就職先探さないとな。……進路の先生達にもあたってみたんだけど、なかなかいいのがなくてなぁ……」

 それでなくても不況のせいで、大量の大学卒業生があぶれているのだ。就職戦線は激しくなるいっぽうで、せっかく大企業が門を開いても、入れるのは専門職を身につけた即戦力のみとかなり厳しい。

 辰彦と同じく難しい顔で唸ってから、都筑はふと顔を上げた。

「おじさん達はどうしたんだ?」

「親父達なら、親戚のところで住み込みで働いてる。俺のほうはとりあえず、自分の食い扶持だけはなんとかしてくれってさ」

「じゃあ、借金とかは親父さん達ががんばって返すってことか」

「……借金?」

 きょとんとした顔の辰彦に、都筑は目を丸くする。

「? ないのか? 全部返せてるのか?」

「……いや……」

 都筑の声に、辰彦は声を小さくした。表情がすっぽり落ちてしまっている様子に、都筑のほうが驚いて腰を浮かせた。

「お、おい、辰彦……?」

「……俺……」

 表情と一緒に血の気まで下がっていくのか、見る見る顔が白くなる。

「そういや……借金のことなんて……考えてなかった……」

 辰彦の両親の会社は、中小企業とはいえそれなりに大きかった。あれだけの会社が倒産したのだから、家屋敷を売り払ったぐらいで全てが収まるはずがない。

「……会社倒産したら、だいたいどれぐらいの借金ができるのかな」

「規模にも……よるだろうが……」

 言いながら、都筑は(しまった)と思った。いらないことを言ったのだと気づいたのだ。

 辰彦は生まれながらの長男格だった。一人っ子で「長男」というのもおかしいが、年下の面倒をよくみていたし、都筑の妹からして実兄よりも辰彦の方を「兄」と見て懐いてる節がある。責任感も強く、親の信頼もあつい。

 だからこそ、都筑はてっきり何もかも全部聞いていると思ったのだ。もしその中で自分達でできることがあるなら、何か提案してほしいと思って……

(早まった……!)

 そうは思うが、言ってしまった言葉は取り消せない。

「……おまえに言ってない、ってことは、借金なんてないのかもしれないな。だとしたら、当面の問題はおまえの就職先だな」

 都筑にしてはできるだけ明るく話題を変えたつもりだったが、辰彦はどっぷり考えに没頭していた。困り果てて、都筑は後ろ頭を掻く。

「なぁ、辰彦。なんなら、おじさん達の所を見に行って来るか? 俺もつきあうが」

「いいのか?……てか、大学の抗議サボったのってまさか」

「幼なじみの誼だ」

 皆まで言わせず、都筑は軽く肩をすくめるようにして笑った。

「言ったろ? できることはいくらでも手伝うさ」

 言って立ちあがった都筑に、辰彦は軽く困惑し、なんとも言えない気持ちで立ちあがった。何か妙にくすぐったいような気がする。

 ほんのわずか些細なことでも、こうして他の誰かがいてくてることがひどく嬉しかった。


   ※ ※ ※  

 

 辰彦の両親が世話になっている米崎氏の家は、辰彦の通う大学から電車で一時間ほどの場所にあった。

 店は商店街が軒を並べる一画にある。昼という時刻もあり、店はなかなかに賑わっていた。電車から徒歩で来た辰彦達は、ちょうど店で慣れない接客をしている両親を見つけて何故か慌てて隠れる。別に隠れる必要はないのだが、こっそり様子を見に来た手前、どうも見つかるのはまずい気がしてとっさに隠れてしまったのだ。

「八百屋?」

「あぁ、それと、あそこの魚屋と肉屋も米崎さん所のだな。卸売りだけじゃなくって、出荷や……ほら、あそこに居酒屋があるだろ?あれの経営もしてるらしい」

「あいかわらず、手広くやってるな。おまえの家系は」

 呆れたような感心したような嘆息をついて、都筑は辰彦を見た。あちこちに手を伸ばすのは彼の家系の経営方針らしい。

「あ〜あ。親父、接客慣れてないなぁ……なんかこう……あぁ、なんか喋り慣れてなさそうで……」

 ハラハラしながら見守っている辰彦の横で、都筑も久しぶりに見る懐かしい顔に目を細めた。子供の頃からのつきあいのため、つい昔の面影を探してしまう。皺の増えた顔、どこか小さく見える体、けれど変わらない、人柄のおおらかさを感じさせる懐かしい雰囲気……

辰彦は間違いなく父親似だと、しみじみ都筑は思った。

 と、その辰彦が近くにいるのも憚れるほどおろおろしはじめる。

「うわ、うわ、怒られてる、ど、どうしよ」

 間の悪いことに、ちょうど慣れない接客がたたって客を怒らせてしまったようだ。おろおろする気持ちもわかるし、都筑としても非常に居たたまれない気分なのだが、かといって自分たちが出て行ける場面でもない。

「……いや、そんな顔でこっち見られてもな……どうしようったって、どうしようもないだろ?……って、辰彦!」

客に怒鳴られている父の姿にとっさに飛び出しかけた辰彦を、すんでのところで都筑は捕まえた。

「出るなって!」

「けどよ!」

「親父さんの仕事だろ!?」

 都筑の声に、辰彦は痛みを覚えたように顔を歪めた。都筑は顎で離れた場所にいる彼の父親を示す。何で怒られているのかはしらないが、平謝りに謝っている姿が目に留まる。店の奥から出てきたのは、確か彼らを雇ってくれた親戚の米崎氏だ。一緒に謝っている。

(…………)

 ふいに、胃の中が痛いような熱を帯びた。チリ、と臓腑を灼くような痛みは、わきあがった苛立ちのせいだ。

 客が帰ったあとで、叱られているのか注意されているのか、声は聞こえないが申し訳なさそうに父が米崎氏に頭を下げるのが見えた。米崎氏の嘆息をつく気配。

(……なんだよ)

 なんだか胸の奥がもやもやとして、辰彦は苦いものを呑み込むような顔をした。ひどくもどかしいような、息苦しいような、なんとも言い難い嫌な気分だった。

(……なんだよ……)

強張った顔が見える。落ちた肩に疲れがみえる。まだ家を手放した日から二日しか経っていないのに。なのに、なんであんなに十年も年をとったような顔をしているんだろう?

(……借金ないなら、もうちょっと悠然としてりゃいいだろ? 自分たちの分だけ、のんびり稼げばいいじゃないか)

 なのに、なんで、あんなに必死な顔をしているんだろう?

 なんで、なんで

 なんでなんでなんで……

同じ言葉で頭がいっぱいになる。たぶん、答えなど一つしかないのだろうけれど。

(……バカかよ、親父……)

 都筑の言葉が胸に痛い。

 確かにあれは、今の父親の仕事なのだ。

 慣れなくても、むずかしいと思っても、必死にがんばらないといけない仕事なのだ。

 辛くても、苦しくても、

 息子にすらあかさず、自分達だけで全てを背負うとしている姿なのだ。

 辰彦にはどれほどの額かもわからない借金を……

(……俺だって、働けるのに……)

辰彦は唇を噛んだ。悔しかった。何にたいして悔しがっているのか、はっきりとはわからないけれど。

(俺だって、一緒に……)

一緒に背負っていけるのに。

「……辰彦」

 気遣わしげな声に、辰彦は父親のほうを向いたまま首を横に振った。視線だけは離さなかった。

父母はきっと、自分達のことで手一杯で、息子にまでは手がまわらないからと言っておきながら、その反面、たぶん、せいいっぱい以上に手を伸ばして息子に余分な負担をかけさせまいとしていたのだろう。

 水くさいとか、らしくないとか、のけ者にして、とか……そういうことを思わないわけじゃない。けれど、それだけしか思わないわけでもなければ、それだけしか見えないわけでもないから。

 少しだけ、わかることがあるから。必死なのがわかるから。どれだけ頑張ろうとしているか、わかるから……

(……馬鹿かよ……)

 胸がつまって、目頭が熱い。

 鼓動が早い。

 自分に何も言わないことが……たぶん、彼らの答えなのだ。



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