桑畑博士の落とし穴 1
桑畑博士の科学的憂鬱
崖が眼下に広がる廃校に、今日も桑畑博士の高笑いがこだまする。時折吹き上げる強風が博士の首もとに巻かれた赤いスカーフをたなびかせる。
「北枕君、今日も清々しい朝じゃないかね」高笑いをやめて傍らに居る一番助手の北枕助手に話しかける。
「はい博士、良い朝ですね」北枕助手も桑畑博士も昨夜から研究にのめり込み過ぎて昨夜から寝ていない。二人は要するに清々しいのではなくハイテンションなだけなのだ。
そこにチャイムが鳴る。学校だった頃の機能は殆んど変えてない「さあ北枕君、今日も楽しく研究しようじゃないかね」「はい博士」チャイムは始業ではなく就業15分前を知らせるチャイムなのだ。
昇降口で上履きに履き替えた博士と北枕助手。学校の作りも習慣もそのままだ。
「わー」北枕助手が不意に足先から床の中に消えて行った「博士ー、助けてくださーい」
その声に桑畑博士が反応して振り返った。床の下からの北枕助手の声に反応する。
「ああ北枕君、そこは新しい研究室を作ったから気をつけてくれたまえ」
「気を付けるも何も落ちましたー。助けてくださーい」
「ああ、今その研究室の梯子を用意したのじゃよ。使いたまえ使いたまえ」くしゃくしゃに丸まった紙切れを床に刺すとそれがどうしたらそうなるのかきちんとした梯子になり、北枕助手が出てきた。その後からぞろぞろとそれ以前に落ちた研究所の職員や助手、果ては掃除のおばちゃんから宅配便のおじさんも出てきた。出てくる度に床は波打ち、タイル敷きとは思えない様子である。学校としての見た目は変わらないが、科学の力で空間のあちこちが歪んでそこに次々研究室を作っているのだ。
「博士、研究室を作ったらお知らせください。みんな落ちてるじゃないですか」北枕助手がそう言いながら新しい研究室の目印を敷設する。そこは博士によりO-176研究室と名付けられた。周囲を眺めれば、柱やら壁やらに札があちこちにぶら下がっている。
「いやすまんな。わしも忘れておったわい」博士は悪びれた様子も無くカラカラと笑いながら詫びた。
「で博士、あの研究室の鎧兜はなんですか?」
「あれは『落武者会話装置』じゃよ。近所に居る落武者の霊と会話出来るぞい」
「はあ。落武者会話装置ですか?近所に落武者が居なかったらどうなるんです?」
「落武者が居ないなら会話は出来ないに決まっとるじゃないかね?なんじゃ君、地縛霊やらトイレの花子さんと会話でもしたいのかね?」
「うーん。したくはないですねぇ」北枕助手は落武者と会話したいんですか?という問いかけを飲み込んでそのように返した。
博士に下手に突っ込んだら大変なのは北枕助手にとっては常識の内なのだ。最初の内は随分これで意味不明な問答をしたものだ。そんな問答しないに限る。
このような危険なハプニングの有る朝なんか日常茶飯事。これももはや日常の内になっている二人は、話してるうちに学校だった頃は職員室だっただろう部屋の扉を開け、始業前の朝礼をするのである。
「諸君おはよう。ふむ。わしの助手は北枕君を入れてニシガキュー。いち、にい、さん、ご、ろく、なな、はち。なんだ一人足らないではないか」
「遅れてすみません博士」白衣を慌てるように着こんだスレンダーバディでワンレンの髪型、そしてタイトスカートのケイコ助手が滑り込むように入ってきた。
「ケイコ君」
「遅れてすみません博士」ケイコ助手が頭をかきながら謝る。
「ケイコ君」
「いや、ホントにすみません博士」
「いやケイコ君。うちの研究所は人使いも荒いし大変じゃよね。そりゃ朝ギリギリまで寝てたいよね」
「いえ博士、そんなつもりは……」
「そんなケイコ君の為に今日は良い物を用意したのだよ」
桑畑博士が嬉々として話し出す。