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空想のサクラ  作者: 秋山 楓花
第一章 彼女は何を想うのか
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2話「希望と逃避」

 まぁ、そんなことがありまして。受け入れ難い事実を飲み込めずにいた僕を、たまたま通りがかった人たちに助けてもらった。一応彼らは何かあったのかと心配してくれているようにも見えた。しかし


「取り敢えず明日はゆっくり休め、いいな?」

「ありがとうございます」

「全くだ。これ以上問題抱え込まれると、こっちが困るんだからな」


 去り際に邪魔だなぁ、と吐き捨てた彼らに僕を気遣う気持ちは微塵もなかったようだ。夕飯作りの途中に帰ってきた僕を、菜箸を持って近寄ってきたナナさんが笑顔で迎え入れてくれた。行く当てのない悲しみに包まれた僕にとって、家の中は一段と明るく、輝いて見えた。


――そして現在、日を跨いで午前十一時半。昨日の喧騒とは打って変わって静やかな時間が流れる。これがずっと続けばいいのに。


「こんな時間がずっと続けばいいのになぁ」

「今、僕も同じ事考えてた!」

「本当? えへへ、嬉しいな」


 彼女はティーカップをそっと撫で、音が鳴らぬよう慎重に置いた。それは微かな揺れを生み、琥珀色の鏡面が揺蕩う。


「私ね、一人暮らしが長くってずっと寂しかったの。シュリさんっていう人がお母さんの代わりみたいだったんだけど。ご近所さんは、やっぱりご近所さんだから……」


 家に帰ってきた時に誰もいない。薄暗くがらんどうな世界が広がっていたら、どんなに独りに慣れていても心の隙間に虚しさが流れ込むだろう。親しい人がいても、だ。


「シュリさんはほんっとうに良い人なんだよ! 小さい頃から勉強教えてくれたり、一緒にご飯作ったり! その……悪い人ばかりじゃないんだよ。シュリさんみたいに優しい人も沢山いるんだよ……」


 彼女の悲しそうに笑う瞳を見て、頭の中の言葉が滑り落ちる。


「ナナさんは無理してない? 僕は色んな人から……その……敬遠されてるけど、ナナさんは僕のこと、どう思ってる?」


 あぁ……聞いてしまった。彼女はきっと自己犠牲を容易くやってしまう人だろう。そんな人こそ無理させたくないと思って……でもこんな聞き方、本音を言うなとしか


「大好きだよ!」

「え」

「皆、損してると思うの。ユウさんとっても優しくて明るくて良い人なのに! 確かに忙しいからピリピリしてるし、色々あるけどね」


 この子には裏がないのか、純粋すぎるのか。こんな返事の仕方をするなんて……色んな意味で心臓バクバクだよ。


「あとね、決めつけるのはよくないと思うの。その人にはその人の事情があるのに自分の価値観だけで判断するのは、凄く悲しいことだと思うの」


 彼女の言葉がティーカップに伝う水滴のように広がる。そうだね、ありがとう、と返して紅茶を一口すする。もっと何か言いたかったけれど、これしか言葉が見つからなかった。今日はストレートティー、喉越しさっぱり、美味しい。そういえば、昨日の夕飯にナナさんが熱く語っていたな。彼女はテアという名の紅茶専門店で取り扱う商品が格別お気に入りらしい。五十種類の茶葉を揃えていたが、大災害のせいで今は五種類しか販売していないという。それでもナナさんはきっちり全種類を買っていると満足そうに言っていた。さらっと話していたが、こんな状況で余程紅茶に愛を注がないとできることではないだろう。明日はどんな味かな、楽しみだ。


「――巨大ゴーストの襲来により大災害が起こりましたが、そもそも群を作っていた他のゴーストと何が違うのでしょうか?」­

「えー、それはですねー。見た目もそうなんですが……」


 ニュースアナウンサーと学者が台本通りに会話している。テレビをつければどこかしら大災害の話題を熱弁していた。ゴースト、ゴーストと言っているが、市民は皆知っていることなのか。


「ナナさん、ゴーストって何?」

「ゴーストは前に言った魔物と同じ意味だよ。黒い煙からいきなり現れて、倒すとまた黒い煙になって消えるの」

「黒い、煙?」

「そう、黒い煙みたいな魔力の残滓って言えばいいのかな。見た目は真っ黒な動物なんだよ。でも殺気とかオーラが違うから、実際の動物とゴーストの判別はしやすいみたい」


 突然あの景色が脳裏に反射する。黒い煙、体、殺気、オーラ。僕と対面したあれが……ゴースト? そんな、でも、合致している。これは聞いて確かめなければ、と同時にインターホンが鳴った。


「ひっ……あ、見てきますね」


 軽く肩を揺らしたナナさんが急いで立ち上がる。タイミングが悪いな。


「はーい、すみません。ちょっと失礼しますねー」


 少々乱雑にドアを開け、ずかずかと玄関に入ってきた見知らぬ男女二名。女性が僕を見て、みつけた、と目を細める。なんなんだ、ナナさん困惑してるよ。


「こんにちは。私たちは魔法軍隊に所属している者です。私はマイ、こっちはタクと言います」


 円滑に紹介を済ましたマイさんと、隣で本を読むタクさん。彼女は懐から何かを取り出し、僕たちの目に映るように右手に持つ。それは黄金の円型に黄金の星が彫られた、バッジか? こうやって見せるということは身分を証明しているのか? つまりこのバッジみたいな物は魔法軍隊の証? 全てを理解していない僕の側にいる、全てを理解しているだろうナナさんが小刻みに震えている。


「用件はですね、ユウさんに話がありまして。拠点に私たちと一緒に来て欲しいんです。そんなに時間は取らせません、お願いします」


 軽く頭を下げるマイさん。物腰柔らかで嫌な感じはこれっぽっちもない。少し危ないのかもしれないけれど、行ってみたほうがいい気がする。


「あの、ユウさんはここに来たばかりで疲れているんです」


 昨日の夕方のことを思い出す。ナナさんに事の顛末を話すわけにもいかず、疲労で軽く倒れてしまったのだと話していたのだった。別に僕疲れているわけでは


「どうか後日また」

「うるさい」


 声と本を閉じる音が反響する。男性が放った四文字の言葉と底知れぬ威圧感に、僕の心臓が跳ね上がった。


「ただの一般市民が口を挟むな。無力者に用は無い。私語を慎め」


 鶴の一声。軽蔑の目で睨みつけている。ナナさんは弾かれたように体を震わせ、怯えている。それを見て彼は溜め息をひとつ、そっぽを向いた。これはあまりにもナナさんが可哀そうだ。


「ナナさん、大丈夫。心配しないで」


 そう僕が言っても、彼女の表情は曇ったままだ。しかし、無力な僕には前にいる二人に反抗する術はない。ナナさんには申し訳ないけれど、行かないといけないみたいだ。


「えっと……マイさん、ですよね。準備するので少し待っててください」

「えぇ」


 マイさんは微笑みを崩さずに頷いた。三人に背を向け、自分の部屋に入り、白のパーカーを羽織る。昨日ナナさんが買ってきてくれた物だ。満面の笑みで袋を渡してきた彼女を思い出す。胸がチクリと痛んだ。痛みを拭うように一呼吸置いて玄関に戻る。マイさんが一礼し、外へ出ていった。


「それじゃ、いってきます」

「……無理だけはしないでね」


 心配で堪らなそうな顔だ。首を縦に振って、ドアを押す。

 僕の本当の二日目が始まった。



*



「――ごめんなさいね」


 服の襟を直してから、一言。斜め前を歩くマイさんは、歩を止め振り返った。横にひとつ結った髪が動きと共になびく。僕が側に並ぶと、視線を先行くタクさんに合わせた。


「あんなこと言ってるけど本当は優しくて良い子なの。仲良くしてあげて」


 声のトーンは落ち着いていた。含蓄のある言葉と表情を一瞬見せた後、また歩きだす。僕はその背中を追っていく。僕は辺りを見渡す。昨日訪れた景色と合致する。またこの丘を歩いている。見下ろす町と大きな林、覚えている。良い思い出は今のところないけれど、ここの風景は気に入っている。広いから一人でのんびりできる場所もあるだろう。次は林の道を通っていく。光と影が小さく分かれて共存する。おかげで目がチカチカする。こんな小道があったのは知らなかった。まだまだ僕の知らない景観がたくさんありそうだ……って何当たり前のことを考えているんだ。こんな広大な丘、数日で全て把握できるわけないだろ。


「……これは、学校?」


 徐々に姿を現したそれは、どこを切り取っても学校の佇まいだ。あれ、でもさっき軍隊って言ってなかったっけ?


「ここが私たちの拠点、シェリルム魔法魔術学園よ。敷地全部自由に使えるの」


 自動ドアが開く。シャンデリアとガラス張りの壁と高級そうな絨毯がお出迎え。豪邸みたいだ。


「この廊下の奥が教練棟よ。浮遊感があると思うけど気にしないでね」

「浮遊感? うわっ!?」


 なんだこれ……まるで柔らかいクッションを踏んでいるかのような感覚だ。すごく歩きづらい。もしかして浮いているのか。床が汚れていないから、本当にそうなのか。どうなっているんだ。


「歩きづらいでしょう? 床に魔力を張り巡らしているの。学生に空中の歩き方を体で覚えてもらうための策なのよ。不便をかけて申し訳ないわ」

「い、いえ、大丈夫です。それにしても立派な学園ですね」


 マイさんが足を動かさず近づいてきた……もう僕は何もつっこまないぞ。


「そうね、この国唯一の魔法魔術を習える学校だからかしらね。国の象徴……みたいなところがあるから。ここは学校らしく、正しい魔力の使い方や護身術を学べるのよ。各地から生徒が集まってくるから寮も完備しているわ。ほら、今ちょうど武器の扱いについてやっているわね」


 第六実習室と書かれたネームプレートの奥には、少年が汗を流しながら斧を振り回している。十くらいの子があんな重そうな武器を……。


「遊びたい年頃の子だろうに、あんなに真剣な顔をしてやっているんですか。ここでの学びが楽しいんでしょうね」


 打ち込めることがあるのは素晴らしい。素直に褒めたつもりだったのだが、マイさんは苦い笑みを浮かべた。


「んー……そんなことはないのよ。前まではもっと緩かったの。こんなに毎日勉強しなくてもよかった。この曜日に演習、この時間に座学、残りは自由。私たちと違って彼らは生徒だから、魔法や魔術に縛られる必要なんてないの。でも、今は時間を費やしてここにいる。もうこの建物が軍隊の基地みたいになっているわ」

「どうしてそうなったんですか」


 足を止め、彼女は俯いた。


「……大災害のせいよ」


 壁を越えて聞こえてきた少年の勇ましい声は、かすれていた。何事もなかったかのようにマイさんはまた歩き出した。僕も慌てて付いていく。突き当たりの大きいドアの向こう側へ通された。広い室内と大きなスクリーン、机の上に置かれたプロジェクター、カメラ。目立つ物はそれだけだ。


「さて、私はもう一つ謝らなければいけないことがあるわ」


 マイさんは左手に持っていた小さなボタンを押した。照明が消え、スクリーンだけが白く光る。プロジェクターの起動音、光彩、反映。僕は息を飲んだ。


「これは……」

「ごめんなさいね、悪気はないの。どうしても映像が必要だったのよ。でも上司も認める優秀な人と出会えたわ」


 一方的に照らされる横顔は、彼女の微笑みをより怪しくさせる。彼は目だけこちらを向け、腕組をしながら立っている。一歩下がった。


「……僕をどうしたいんだ」

「どうしたいだなんて、そんな物騒なことはしないわ」


 スクリーンは緑から青へ、呻き声も一緒に流している。暗い部屋の中で躊躇いもなく一点に彼女は僕を見つめる。背筋が寒くなる。


「ところで魔法軍隊特殊部って言葉に何か心当たりはないかしら?」


 首を横に振る。ゲシュウィンと言う声、地を強く踏む音が聞こえる。そして何かが落ちた物音が響いた。


「あら……記憶がないって本当だったのね」


 ピッと軽快なサウンド。天井から降る光が戻り、銀幕は上に帰っていく。机はひとりでに端へ移動した。強い緊張感を受けたせいか、少し手が震えている。


「私たちは市民を守るために個人情報を管理しているんだけど、貴方を調べた時、何もヒットしなかったのね。生年月日も出身地も住所も。昨日の戦闘シーンをカメラに収めた後、市民に聞いてまわったわ。そしたら、とんだ話になってたのね。ユウさん、貴方、個人情報が分からないと大変なことになるって知っているかしら?」

「いいえ、分からないです」


 彼女は一息吐き、意味有りげな瞳を僕に向けた。


「実はこの国、十年くらい前から鎖国していて、国外から来た人は厳しい処罰に科されているの。まぁ魔法防御システムを突破するなんて無理に等しいんだけど。だから出身地が分からない、ましてや名前すら不明だなんて普通ならありえないし、完全に実刑対象だわ」


 だから周りの人たちが気味悪がっていたのか。確かにこれじゃ不審者同然だ。一気に叩きのめされた。目の前が真っ暗になる。


「そんな貴方に朗報よ。一つだけ助けてあげられる方法があるわ」

「それはなんですか!?」


 マイさんは口角を上げて人差し指を立てる。


「私たち魔法軍隊特殊部に入隊することよ」


 彼女は人差し指を左右に降る。


「さっき言ったとおり、市民の個人情報は特殊部が管理しているんだけど、裏で簡単に書き換えることもできるのよ。上司も任せっきりだし、完全に私たちの手の中にあるの。あ、もちろん悪用はしていないわよ。罪人の証拠が見つからない時ぐらいね」


 もう次元の違う話についていけない。でもこの話は僕にとって好都合以上であることは変わらない。彼女は指を止め、手を差し出した。


「だから貴方が軍に入れば安心して生活を送れるわ。市民の盾となる任務もついてくるけど大丈夫、貴方なら何も問題ないわ。私たちは市民からの信頼も厚い、今まで苦しかったでしょう? もうその心配もないの」


 マイさんはこの場所に快く招いてくれている。母親のような寛大な心。子を宥めるように優しく包む温かな声。使い切りの作業員の扱いなら、ここまで細かく教えることもないだろう。疑いを忘れたわけではない、ただ生きていける保証が欲しい。数分前まで怖かった目が、今では神々しく輝いて見える。甘えていいのかな。

 僕は、助かっていいのかな―――。


「ユウさん?」

「……いや、駄目だ」


 彼女は言った、市民の盾となる任務もついてくる、と。市民は何人いるのだろうか。こんな豪壮な建物があるくらいだ、きっと何千、何万人住んでいてもおかしくない。その人数をまとめて守れる力が僕にあるのか? 伸ばした手を引っ込めた。そもそも昨日、あれは僕がゴーストを倒したんじゃない。あの剣が僕を使って撃退したんだ。僕は剣に踊らされていた。そんな状態でこの市を守る、なんて言うのか。人ひとり殺してはいけないんだぞ? 僕の一つの命より数万の命、どっちが重い? そんなの、分かりきっているじゃないか。


「……ごめんなさい、入隊できません」

「え、どうして!?」


 彼女の悲痛な叫びが心を締め付ける。


「スクリーンに映し出された僕は戦っていません」

「違うわ! あれは絶対にユウさ」

「戦っていたのは、剣なんです!!」


 情けない。


「僕は、剣にいいように使われていた、だけなんです」


 自分の身すら守れないなんて。


「しかもあれが初戦闘です。戦闘後、怖くなって剣はそのまま置いてきました。力があるのなら、そんなことしませんよね」


 本当に情けない。


「皆を助けられる力があるって、とても素晴らしくて誇らしいことだと思います。僕にその力があったなら、喜んで入隊しました」

「で、でも、入隊って言っても……いつもは市のパトロールぐらいよ」

「大災害で大型ゴーストを蹴散らしたのは貴方たちなのでしょう?」


 何も言い返してこない。


「なら、なおさらです。僕がいたら軍隊の顔が汚れちゃいます」


 彼女の顔は歪んでいた。


「こんな不確かな状態で入隊はできません。せっかくの誘いを断ってしまって、ごめんなさい」


……あぁ、これからどうしよう。このままあの家に居たらナナさんも危なくなる。これじゃ恩を仇で返してしまう。そうだ、夜中に家を出て、手紙だけ置いて逃亡しよう。親を見つけた、とか悲しくさせない内容にすれば。いや、罪を背負いながら生きたくはない。自首するか。でも僕は悪いことをしたわけではない。違う、存在していることが罪なんだ。深くお辞儀をして床を見つめる。あれ、こんなに黒かったっけ。


「……顔を、上げてちょうだい」


 彼女の瞳が潤んでいる。


「貴方の、その真っ直ぐな気持ち、感動したわ。久しぶりなの、こんなに綺麗な心の人と話すのは」


 目尻を拭う。


「特殊部隊はその責任の重さから、お給料や位格など全てにおいてハイクラスなの。それに目をつけて低レベルの学園の生徒や育ちのいいところのお子さん、酷いとただの市民が不正を働いてまで入隊しようとするの。そしてね、大災害後に復興の手伝いをしたくないが為に入隊を希望した人もいたのよ。ラクできると思ったのかしら……舐められたものね。そんな人たちよりも貴方のような方を迎え入れたかった。この世は、無情ね。ごく僅かで珍しいけど、素敵な人と会えて、話せて本当によかった。長く、長く生きて」


 震える声で精一杯伝えてくれた。この人がナナさんの言っていた優しい人の一人なんだろうな。良い人に出会えて、よかった。僕は振り返り、扉に向かう。ここにいる必要はもうない。鋭い視線を背中に受けながら、僕はドアノブをひねった。

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