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空想のサクラ  作者: 秋山 楓花
第二章 彼らは何を望むのか
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11話

 私とタクは連れ立って、暗い廊下を無言で歩いていく。私たちが使っている宿泊部屋は二階だ。一階からは従者たちの足音と声が僅かながら聞こえてくる。一方こちらは静まり返っていて、私たちの足音も絨毯が全て包み隠してしまう。音の在る世界と無い世界が、不思議と調和していた。彼は二階のホールに佇むミニテーブルに、自室から持ってきたであろう手燭を置いた。宿泊部屋を繋ぐ廊下の先、ここには点々と照明が設置されている。しかし弱い光を放つのみで、足元を柔く照らすほどの光量しかない。一階と二階を繋ぐ大階段の頭上には華々しいシャンデリアが鎮座しているが、今は消灯していて鳴りを潜めている。結果私たちを照らしてくれるのは、淡く輝く短い蝋燭一本のみ。きっと荷が重いと嘆いているんだろうな、なんて思う。

 私の腰から薄闇に隠れた天井まで伸びる、大きなガラス張りの窓。空は言わずもがな曇天模様だ。しかし目を凝らすと、所々雲が薄い箇所がある。もしかしたら、そこから月明かりが顔を覗かせるかもしれない。予定外の入国から早くも半日経ち、私たちはずっと天からの光を浴びていない。人間の体とは何とも不思議なものだ。陽光が足りないだけで体が重く感じる。せめて月明かりを拝むくらいはさせてほしい。そんなことを隣の彼も考えているのだろうか。タクの姿を横目に見る。すらりと姿勢良く伸びた体躯と影。暗がりの中、物憂げな表情を浮かべる整った横顔。紫雲を思わせる瞳は空を見上げている。ここ数日、寝間着姿の非日常的な彼は何度か見てきた。しかし今は……数日前とは違う雰囲気を纏う彼に、私の鼓動は早鐘を打つ。


「そういえば」

「えっ、うん」


 唐突に彼は言葉を発し、私を見る。緊張しているのかよく分からない鼓動の速さについていけず、返事すら流暢に返せなかった。


「目の色、元に戻っているな」

「え……あ、確かにそうだね」


 そうだ、今日の朝、皆に目が赤いって驚かれたんだっけ。そういえばお風呂の鏡で自分の顔を見た時、何か忘れていた気がしたのだけど……これか。そうか、すっかり忘れていた。


「気付かなかったのか?」

「うん……ずっと考え事していて頭になかった」

「……そうか」


 またお互いの間に沈黙が流れる。思えば彼と二人きりでこんな取るに足らない話をするのは、かなり珍しい気がする。チーム四人、性格もバラバラな私たちは関係性も似ずの六パターンだ。その一つ、私とタクは一番ビジネスライクな関係に近い。理由は明確だ。どちらもおしゃべりな性格とは程遠く、プライベートと仕事を区別するタイプだから。必要があれば話す、必要がなければ話さない主義の二人の為、情報共有に満足してしまえば、後はひたすら無言が続く。結果、一番静かになりがちなペアでもある。反対にマイとユウは会話好きで、人が来たらいつでも受け入れるような懐の広い性分だ。そう考えると……マイとユウには根本的な明るさを感じるが、私とタクは根本的な暗さがある。一言で表すなら、根明な二人(マイとユウ)根暗な二人(タクとナナ)。根暗なんて良い意味では使われないけれども、タクだからこそ生み出せる安心感を、私は心地良く思っている。似た部分を感じるからこそ、私たちの中には不用意にテリトリーに踏み込まない、踏み込ませない空気が存在している。それが、とても快いのだ。きっと傍からしたら、事務的な話しかしない冷めた関係に見えるのかもしれない。しかしそうではなく、この立ち位置のまま沈黙を許し合える距離感は一種の信頼の証なのではないかと、私は勝手に思っている。


「ナナ」

「っえ、な、なに?」


 またもタクは読めないタイミングで呼びかける。私もまた変な返事をしてしまった。彼はこちらに体を向ける。というか変なのはタクだ。知らない雰囲気の中、真正面に名前を呼ぶなんて。いつもは開かない右目、薄水色のような透明感溢れる美しい瞳が私を捉えている。彼にとって珍しいことが多発している。再度、ドキドキと胸が高鳴っている。


「ま、前は悪かった」


 今度は素直に謝りだしたよ、この人。どうしたのだろうか、夕飯に変な物が混じっていたのだろうか。いや、今この状況だと笑えない冗談になってしまう。謝るなんて珍しいね、と口が滑りそうになるがなんとか堪えた。私は偉いと思う。しかし、彼が謝らなければいけないことなんてあっただろうか? 思い当たらない。


「前っていつのこと?」

「それは……」


 タクは困ったように目を逸らし、居場所なさげに手を動かしている。身長約百八十センチの大男が、言葉が足りず上手く伝えられないことにもじもじしている。いつも威風堂々としている彼でもこんな姿を見せるときがあるのか。なんだかよく分からないけれど、これは可愛いのかもしれない。


「五人の夕飯時に、俺がマイの話を遮ったこと……すまん」

「あ、あのときね。全然気にしてないよ」

「そ、そうか、それなら、よかった」


 私の顔を見て安心したのだろう、タクの表情が和らいだ。彼は要らぬ緊張で強張っていた肩をすとんと落とし、自然な動作で体を九十度回す。私も同じように空を見上げた。


「俺は咄嗟にマイの話を終わらせて、席を立ってしまった。マイがしたかった話、俺は気付いていたからだ。しかしあの場にはジュナルがいて、何より……聞かれる覚悟が足りなかった」


 マイの声が蘇る。


『でも、彼の中の時間が足りない、それだけなの』


 幼馴染だからこそ、分かっていたのかもしれない。


「マイと俺の様子がいつもと違うこと、お前は気付いているはずだ。これ以上、チームの秩序が乱れるような混乱の種を自ら蒔きたくない。だから今、マイがあの場で話したかったことを、俺から伝えようと思う」


 一呼吸。蠟燭の灯が消えかけ、またゆっくりと立ち上る。


「十年前のスパイ騒動後から鎖国が施行するまでの数ヶ月、その間に移民狩りがあったのは知っているか?」


 タクが私の反応を伺う。素直に首を横に振った。


「スパイ騒動の本来の目的なんて、今の俺たち以外誰も知らない。そもそもソレルナ人の犯行だと発覚したのも大分時間が経ってからだった。だから当時は、関所や警備所等のシェリルム人のみが勤める場所も標的になったことから、一部移民が暴動を起こしたと伝わった。それを出しに使って、移民たちが日頃の差別や待遇の悪さを糾弾する為にデモを起こすようになった。しかし、自治体含めシェリルム人は聞く耳を持たず、鎖国について話を進めていく。市民に鎖国賛成か反対か投票を募ったのだが、移民には投票権を与えなかった。それがより、差別行動としてデモの過激化を招いた。暴力沙汰も頻繁に起き、負傷者が後を絶たなかった。もうこの時点でシェリルム人は、ソレルナどころか他国の人間すら一切信用できなくなってしまった。結果、鎖国賛成側の過激派たちは負傷した仲間の敵討ちとして、デモの主軸に立つ移民を中心に殺していった。それが移民狩りだ」


 前にマイが言っていた。マイとタクの出身はシェリルムだが、東の国の血が流れている、と。私を襲う嫌な予感に、血の気が引いていく。


「俺とマイの両親は積極的にデモに参加していた。だから移民狩りで、殺された」


 タクの声が、震えている。


「俺は逃がされたからよかったものの、マイは両親が殺されるところを目の前で見てしまった。だからマイは血液が大の苦手だ。血を見る度に惨状を思い出してしまうらしい」


 あぁ、まただ。また、脳が情報を受け付けなくなる。


「分かりやすく俺たちが苛立っていたのも、この国に因縁があったからだ。お前やユウに向けたものではない。いろいろ気を遣わせてしまっただろうと反省して……ナナ?」


 目眩が酷い。耳鳴りが五月蠅い。吐き気がする。寒い。立っていられない。足の力が抜けて、しゃがむ。タクの話したことはつまり、私がいなければスパイ騒動は起きなかったわけで。スパイ騒動が起きなかったら移民狩りもなかったかもしれなくて。そうしたら、二人の親は殺されなかったわけで。点と点が忌々しいほどに線で繋がってしまっている。こんなの、話が違うじゃないか。自分がいることで状況が悪化すること。自分の存在自体が罪だと思うこと。何度も、何度も何度も、苦しんできた。百歩譲って自分や他人ならまだいい。今のような数日で解決できるであろう、いい迷惑な問題ならまだいい。でも、今回はそうじゃない。大切な仲間の親の命さえ、無自覚な私のせいで振り回してしまった。大切な人のトラウマを作った。大切な人の心の拠り所を奪った。そんなこと、傷付き慣れた自分を傷付けることより、凄く苦しいじゃないか。憎い。憎い憎い。自分が憎い。自分が妬ましい。のうのうと存在できている自分が嫌になる。


「おいどうした、大丈夫か」


 タクが膝をつき、私の目を見る。彼が、心配そうな顔をしている。やめて、そんな顔をしないでほしい。いつの間にか与えてくれるようになった彼の優しさを、私なんかが受け取ってはいけない。彼の視線から逃げて、床を見る。


「ごめんなさい……」

「何がだ」

「私、間接的にタクとマイのご両親を……」

「違う、俺はそういうことを言いたかったわけでは」

「でもスパイ騒動の元凶は私だから、私がいなければ、移民狩りはなかったかもしれないから」

「一回落ち着いて俺の話を」

「こんな私は皆の隣に立つ資格なんてこれっぽっちもないよね、いても迷惑なだけ、本当にごめ」

「いいから話を聞け!」


 途端、頭上に衝撃が走る。タクに頭を叩かれた。軽く小突かれたから痛みはない。そして、ぐるぐると渦巻き、私の口から吐き出した負の感情が止まる。自然と、私の顔が上がる。彼の顔に怒りの文字はない。ただ、何かを伝えたい真剣な瞳をしていた。


「じゃあ、お前が事を自覚できていたら騒動そのものがなくなっていたのか? 七歳の幼子一人に大人数の大人の行動が止められるとでも思っているのか? どう考えても無理だろう。どうしようもなかった。流されるしかなかった。仕方がなかったんだ」

「あ……」


 どうしようもなかった。それは、私がひとりでなんとかできた問題では、なかった。さっき似たことを自分で考えていたのに……忘れてしまっていた。


「あと、俺とマイのことを舐めるな。過去に親を亡くしても、それでも懸命に生きてきた。今の地位を確立し、不自由のない生活ができている。それに何の問題がある? 過去のことはどうでもいい……とは言い切れないが、でも今をどうやって生きるかの方がとても大切だ」


 タクは私の右手を取る。そして、彼が立ち上がるのと同時に私を引き寄せた。私もつられて起立するが、先ほどの目眩が残って足がふらつく。彼が咄嗟に空いている右手で支えてくれた。ユウと比べてタクは、相手の感情を気にせずに正論のみを投げつける。しかも言葉が強く、強引に振り回す。彼の態度に凹みそうになることもある。しかし、彼は彼なりに、私を引っ張って助けようとしてくれているのだ。


「一回しか言わんぞ」


 彼は私から手を離す。そして、彼はばつが悪そうな顔をする。



「ナナのことがた、大切だと、失いたくないと思っている。

 だから、共に帰りたい」



――私は、何度も苦しんできた。でも、その度にこの人たちに助けられてきた。ユウは優しく背を押してくれた。マイは明るく手を引いてくれた。そして、タクは厳しく喝を入れてくれた。この人たちだからこそ、私は素直でいられた。この人たちだからこそ、私は信頼して身を置いていたんだ。


「……でも、マイとユウはどう思っているかな」


 最後に私は踏み止まる。私自身答えは分かってはいるが、事実しか述べない彼に問いかける。言葉の確信が欲しい。


「分かっているだろう。あの不利な場で身の処し方を考えずに引き留めていたのはマイだ。それにユウは……あれだけお前を好いている奴もいないだろう」


 窓が徐々に明らんでいく。雲の切れ間から、月の明かりが染み出していく。微かな光を受けて、私の心がじわりと滲む。私はどうしたいか。ようやく分かったよ。


「まあ、そうは言ったものの、ナナが当事者だからな。もしもこの国に残るというのなら、俺は止めん。どうするか判断は委ねる」

「私ね」


 やだな、声が震えてしまう。


「マイとユウが私を庇ってくれたこと、本当に嬉しかったの。そして、タクが今こうやって話してくれて、私、ようやくどうしたいのか分かった」


 私の頭の中で、言いたいことが浮かんでは消えていく。ごめんなさい、とか、ありがとう、とか、シャボン玉のように儚く弾けていく。でも、今はあえてこれだけ伝えたい。きっと、目の前にいる貴方が一番喜ぶ言葉だと思うから。


 雲の隙間から、月光が私たちを包み込む。



「私はこれからの未来を、私を必要としてくれる大好きな皆と歩みたい。だから、生まれ故郷がここだったとしても、どんなに辛い過去があったとしても、シェリルムに帰りたい」



 泣きそうになるのを必死に耐えて、言葉一粒ずつに想いを込めた。彼は私の声をゆっくりと咀嚼し、飲む。そして、目を細める。


「……そうか、そうか……分かった」


 彼の相槌が、鮮やかに色付いていた。喜びと安堵を帯びた温かな低音に、私は余計に心を揺さぶられる。そんな彼の情緒的な声は、今まで聞いたことがなくて……あぁ、よかった、伝わったんだね。思わず涙が一粒零れてしまった。急いで潤う両目を拭う。


「はあ……全く、心配させたな、本当に」


 タクは大げさな溜息をこぼす。そして、きりっとしたいつもの顔面に戻した。


「お前が膝をついた後、かなり焦ったぞ。別に責めるつもりはなかったのに、早とちりして一気に落ち込んで、ついつい頭を叩いてしまったではないか。マイもだがな、目の前でパニックになる相手を見た時のこちらの気持ちも考えてほしいものだ。まず、お前はいい加減どうしようもないことでネガティブになるのを止めろ。似たようなことを繰り返すな。分かったな?」

「は、はい、ごもっともです……」


 彼はぺらぺらと説教を捲し立てている。感動的な余韻は、気まぐれにどこかへ消えてしまったみたいだ。もうちょっと浸らせてほしかった。しかし、彼の言っていることは極めて正論な為に、私は言い返せない。まあ……それでもいいか。私は心の中で微笑む。きっとこれは、彼の心配事が解けたこと。自分らしくないことを話して恥ずかしくなったこと。そして、一緒に生きていける嬉しさが込み上げて、私の成長を願って言ってくれていること。気持ちが通じ合った仲間への、彼なりの安心の形だって、分かっているから。

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