8話「陽光の癒し」
総勢約二十人、御一行はぞろぞろと門を潜る。勿論入国しても手の拘束を解いてはくれない。それどころかメイドと執事、影の人らは私たち四人と美しい女性の周りに立ち、一本の指が入る隙間も許さないほどに警備を固めている。彼らから漏れる緊張感と殺気、黒々とした空気を、草原にいた時よりも近距離で浴びる。自国へ戻ったはずなのに、何故この人たちはこんな感情を抱えながら歩いているのか。緊張するのは分かる、私たちとやらを見張っているから。しかし殺気が分からない。しかもそれは警備の外へ向けて放っている。外に、何かあるのだろうか。私は身長が低いから、前方に人がいると視界を遮られてしまう。きょろきょろと目を動かし、小さな窓を見つけた。目に映る見慣れない街並みを目の当たりにして、私は呼吸を忘れそうになる。
植物が一つも見当たらない。建物や橋、道などの建造物がほぼ全て石材でできている。木材の家が多く、自然が豊富に残されているシェリルムとは大きく異なった景観。そうだ、遠い昔に読んだ本の挿絵に、似たような景色が描かれていた、気がする。まさか、本の世界のものを実際に体験できる日が来るとは思わなかった……臨んだ形では断じてないのだが。門外から見た時と同様、それ以上の分厚い雲が空の天井を覆っている。現在は昼のはずだが、まるで夜のように暗闇が辺りを包んでいる。転々と街灯があるが、些か光が弱い気がする。その為か、私たちの足元は黒い沼に浸かっていた。
ここは城下町なのだろう。門から離れるにつれ、民家も国民も段々と増えていく。この国の人たちの顔は皆、青白い。生気の感じられない目をしている。意識が朦朧としているかのように両腕は脱力し、ふらふらとした足取りで、私たちの少し離れたところで立ち止まる。
「姫様……」
「あぁ……どうかお助けください……」
「ひめさまぁ……」
と、頭を下げ、思い思いに口走る。人によっては頽れて、地べたに頭部を擦り付けながら懇願する者もいる。おかしい。つーっと一滴の汗が、背筋を這う。人の出す音が徐々に、耳から遠ざかっていく。呼吸が浅くなっていくのを感じる。なに、これは。この状況は、どういうことなの……? 少しずつ皮を剝いでいけば見えてくる、この国の異常性。一個ずつ確かめるように、自身の目に映る情報を確かめるように、言葉を反芻してきたソレたちは。シェリルムで生きてきた私にとって有り得ない光景で。でも、受け入れ難い事実で。心が追い付かない。憐憫、惻隠の情、遺恨、同情、軽蔑――あらゆる感情を並べてみても、あてはまるものはない。いや、全部あてはまっているのかもしれない。
「――お前たちのせいで母さんが弱ったんだ!」
はっと意識を引き戻す。皆の足が止まり、声のした方向へ振り向く。そこには、まだ十くらいの歳のみすぼらしい服を着た少年が、メイドと執事を睨め付けていた。メイドの一人が一歩、少年の前へ出る。
「姫様の御前である。頭を垂れろ」
メイドの言葉に耳を貸さないどころか、美しい女性に向けて指差す。
「癒しの力で助けてくれるんじゃなかったのかよ! みんなからたっくさん奪っといて、いつ助けてくれるんだよ! このままじゃ母さん、死んじまうよ!!」
涙声を嚙み殺しながら、少年は悲痛に叫ぶ。何も知らないはずなのに、私は心苦しくなる。
「ハル、キノ」
私はメイドの横顔を見て、身震いした。彼女の表情は一寸も狂わず、冷徹な眼差しで少年を見下ろしている。
「やれ」
「はーい」
メイドの言葉に執事が返事し、少年の目の前にゆっくりと立つ。刹那、執事は少年の腹を目掛けて勢い良く蹴り上げた。
「なっ……!」
思いかけずユウの口から驚愕の声が漏れる。軽く一メートルは吹き飛んだであろう、約百三十センチメートルの体は地面に打ち付けられ、転がり、小さくなって震えている。次に、もう一人の小柄なメイドが杖を取り出す。それを二回左右に振ると、蹲る少年の影から数本の黒い手が伸び、彼を縛り上げた。小柄なメイドが彼の側へ歩いていく。
「……っ! は……っ!」
全身の痛みで声の出ない少年は、苦痛を堪えて酷く歪んだ顔をしている。彼は近付いてきたメイドを見上げる。彼の瞳に燃えていた、先ほどまでの無鉄砲な威勢は忽然と消えていた。
「ほんと、バカな子供」
そう彼女は一言。そして、杖を一振り。ぎちぎちと音を立てながら、彼の体を強く締める。
「あ゛……っ……!!」
「バカは、惨めな姿を公衆の面前に晒して、恥ずかしい思いをすればいいんだよ」
一振り。締める。ぼきっ、嫌な音が響く。
「っ!!!! ご……め……な……」
「子供だから殺さないであげるの、お国のルールに感謝してね?」
そして彼女は杖を優しく叩いて、締め上げを少し緩めた。しかし、未だ黒い手は彼の体を蝕んでいる。
「でもリイを侮辱したこと、私は一生許さないから」
肉体的にも精神的にも痛めつけられた彼は、辛うじて生きている。丸まった背中の微弱な揺れが見える。何とも痛々しくて、でも、助けてあげられなくて。私はこれ以上彼を直視できず、目を逸らす。メイドは少年を放置し、こちらに戻ってくる。彼女の無表情さに、私は底冷えした。あんな、あんな非人道的な行為をするなんて、許されない。
「貴方たち、なんてことしてるの!! そんな道徳心の欠片もないことをして、なんとも思わないの⁉」
マイが声を張り上げた。彼女の言葉に私は安心する。良かった、私の思ったことは間違いではなかった。間違いであってたまるかと思う、しかし、私は自分の思考経路を完全に信じ切れなかった。何故ならばマイが意を示すまで、想像していた非難の声が現れなかったから。立ち尽くす市民は、先ほどの行為を朧気に見ていた。まるで、見慣れている、と示しているかのようだった……あぁ、そうか、だからか。こういったことが常日頃起こるから、殺気立っているのか。
「これがこの国のルールですから」
暴力を指示したメイドが淡々と述べる。さもそれが、当たり前かのように。
「貴方方は今、我が国にいるのです。郷に入っては郷に従え、と言うでしょう。分かっていただけますね?」
マイは言い返せなかった。ユウとタクも、啞然とした顔をしている。多分皆、気付いたのだろう。話にならないと。そして、ここでは今までの常識は通用しないと。
*
威厳を放つ立派な城が、一団の到着を今か今かと待っている。大分目的地に近付いてきたようだ。着いたら、私たちはどうなってしまうのだろうか。周辺の暗さと空気の重さ、先々の不安に、嫌でも気持ちが沈んでいく。縋るように、少し後ろを歩くユウを見る。目が合った。憂慮の念を薄く滲ませながら、微笑んでくれた。きっと彼は、ネガティブな感情をなんとか隠そうとしてくれたのだと思う。その姿を見て、あぁ私まだまだ弱いな、と感じてしまった。
一瞬ちらりとマイの姿が見えて、目を疑った。彼女の周りの空気が凄く澱んでいる。黒マントを羽織っているから無意識的な魔力の放出ではない。ただ単に、彼女の発する雰囲気そのものが尖っている。胸の内に溜まった苛立ちが、顔を見なくとも伝わってくる。以前、国外勤務通知を皆と一緒に見た時を思い出した。あのときのマイに似ている。
『お前の私情で任務を拒むな!』
タクがマイに言い放った一言が脳裏に過る。タクは、どうしているだろうか。彼からは不穏な空気は感じられない。でも、強く、強く拳を握っている。ぐっと肩回りの筋肉が上がっているようにも見える。いつも飄々としている彼が、緊迫する空気も真顔でやり過ごす彼が、分かりやすく緊張している。胸がざわざわする。私の先輩であり先生である二人が、イレギュラーに動揺している。思えば、国外勤務通知を読んだ時も、五人で夕飯を取って魔術の話をした時も、二人はどこか変だった。何故かは分からない、でも、その理由が全てこの国にあるような気がしてならない。根拠のない直感、しかし、侮れない直感でもある。ここにどんな秘密が隠されているのだろうか……。
遂に私たちはソレルナ・ステラ城に到着し、内部に進入する。仰々しい扉を開けば、絢爛豪華な内装が出迎える。目を刺すほどに眩しく輝くシャンデリアや、堂々と鎮座する巨大な噴水、塵一つ落ちていない大理石の床、そして極め付けに
「おかえりなさいませ、姫様」
城に仕える者たちがずらりと並び、一糸乱れずに頭を下げる。
「ただいま戻りました、皆さんご苦労様です」
姫様と呼ばれる女性が、柔らかい声で返事をする。彼女にとってこの生活が普通なのだろう。改めて身分の違いと格差をまざまざと見せつけられ、私は何とも言えない気持ちになった。
従者の一人が一室の扉を開け、入室を促す。薄暗い室内だが、こちらも隅々まで掃除が行き届いていることが分かる。どこもかしこもピカピカだ。違和感に気付いて頭を上げると、上部は開放的な吹き抜けになっている。二階部分と天井がガラス張りになっているようだ。ドアの向かいの壁には、高さ七メートルほどの巨大なステンドグラスが一つ。模様は太陽と女神、祈る人々、だろうか。その他の壁にはランプの明かりが点々とついている。部屋の真ん中には円型のダークグレーの机と、それを囲うようにして設置された黒色の椅子。部屋の華々しく特徴的な造りと比べ、家具はこれだけ。しかし、それの存在感は負けていない。重厚感と高級感を仄かに漂わせている。机も椅子もシェリルムでは見たことがない材質の物でできているようだ。
「幻影団、ご苦労。もう下がってよい」
メイドの一言で影の人たちは、何事も言わずに部屋から去っていく。そして、代わりに二人の従者が部屋に入ってきた。姫以外の三人と従者たちは、揃った動作で椅子を引き、私たちに着席を促す。姫は指示するメイドが引いた椅子にゆっくりと腰掛ける。
「姫の対面側の席にお掛けください」
私たちの目線が交差する。座らないと何も始まらなさそうだ。どうしようもない、と皆が思ったのであろう。軽く頷き合い、素直に座った。直後、新たな従者が五人入室し、私たちの前に手慣れた様子でティーセットを準備していく。紅茶とコーヒー、どちらにするかと聞かれ、咄嗟に紅茶と返事をしてしまった。こんな怪しい状況下に与えられた飲み物なんて、口を付けるわけないのに。ティーカップにゴールデンリングが浮かび上がる。照明に照らされ、美しく輝く琥珀色。あぁ……美味しそう……思えば緊張で喉がカラカラだ。なんだか悔しくなってきた。
従者たちは仕事を終えると、一人一人丁寧に一礼をし、部屋を後にする。結局残ったのは私たち四人と、門から現れた四人だけだ。お互いに向かい合って座っている。張り詰めた空気、重い沈黙。手の先が冷えて、私はテーブルの下で強く両手を握り締めた。
「改めまして紹介いたします。こちらの方が我が国の王位継承者、リイ姫でございます」
「はじめまして、リイと申します。以後お見知りおきを」
姫は左手を胸の前に置き、軽く頭を下げる。手の形、会釈の角度……洗練された所作が何とも美しい。これが王族の気品、というものなのだろうか。
「私はアイと申します。代々ソレルナ・ステラ帝国の王家に仕えてきた星であると同時に、この城に従属するメイド、執事の長をしています。そして、執事のハル、メイドのキノでございます」
「よろしくー」
執事と紹介された男性は、手をひらひらとさせて挨拶をする。一方でメイドと紹介された女性は何も言わずに下を向いている。完璧な挨拶を見た後だからか落差が凄い。両者とも従者としてそれでいいのか。
「そちらが名を言うのであれば、こちらも名乗らないと礼儀に欠けるわね」
「いえ、結構です。マイ様、タク様、ナナ様、ユウ様でございますね?」
席順にぴたりと名前を当てられた。マイは眉間に皺を寄せる。私たちのことを隅々まで調べている、そんな薄気味悪さに対しての嫌悪感を彼女は露骨に滲ませる。しかしアイはマイの表情など露知らず、淡々と話し始める。
「はじめに、私たちが許可を出すまで、我が国に滞在してもらいます。予め言っておきますが、逃げられるとは思わないでください。城の中から門の外まで、先ほどの幻影団に貴方方の監視を徹底させていますから」
分かりやすい、脅迫だ。
「私たちに何するつもりなのかしら? それとも、何をしてほしいのかしら?」
アイの醸し出す粛然とした空気に、負けじとマイは質問する。チームメイトの身を必ず守ってみせると、彼女から特殊部三班のリーダーとしての矜持を感じる。
「結論といたしましては、取引に応じていただきたいのです。取引材料は」
アイが私を一瞥する。
「ナナ様の身柄をこちらにお渡しいただきたいのです」
――手先だけではない、一気に全身から熱が消えていく。
今、なんて言った?
私の、身柄を、渡す……?
「そんなことっ!! 許可できるわけないじゃないっ!!」
マイは強くテーブルを叩き、立ち上がって身を乗り出す。彼女のティーカップから紅茶が零れ、ソーサーを汚す。そんなことを微塵も気にせず、彼女は肩で息をする。怒りをあらわにしている。
「マイ、落ち着け」
「落ち着いてなんかっ……!」
タクは、ぐっと力強く彼女の服を掴む。振り解こうとした時、彼女は彼の顔を見た。そして、息を呑む。私に彼の顔は見えない。彼の声には、落ち着け、という言葉に似合わないくらい、怒気が孕んでいたような気がした。彼女は深く息を吐いて、また座り直した。
「勿論簡単に了承していただけるとは思ってはおりません。話を受け入れていただく為には、根拠と証拠が何よりも重要」
マイを立腹させた張本人は、悪びれる素振りもなく、話を続ける。
「話せば長くなりますが、幸運なことにまだ昼間。時間はたっぷりあります」
窓の外は黒色のペンキを被ったように暗く、先の見えない世界が広がっている。
「お教えしましょう。我が国の変遷から、そこの小娘の真実、そして私たちが待望してやまないこと、全てを」




