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空想のサクラ  作者: 秋山 楓花
第一章 彼女は何を想うのか
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1話「愛と孤立」

――僕は何かを失った気がする。

何を失ったのか?

分からない。

悲しくないのか?

全く。

透明な世界で僕の記憶が脳へ。

体へ。

そして、手へ。

光になり、この世界に還っていく。

孤独を超えた場所に居る。

五感が伝えてくれる唯一の情報。

僕はただ、浮かんでいる。


「あれ……何か、忘れちゃいけない、ことが、あったような……」


そして体は、冷たくなっていく。

胸の中の、温かさも、冷めていく。

目から、一粒。

桜の花びら。


「あっ……わっ!」


 風に煽られて目を隠し、捉えた物は数多の花弁。白い空間で桜が舞い散る。反転した風向きに沿って視界を動かすと、人影が佇んでいる。シャツとジーンズを着た男性。じっと僕を見て、そして微笑んだ。


「すみません、貴方は?」


 驚いた表情をして、また優しく笑う。しかし今度は少し悲しそうだ。


「答えられないんですか?」


 首を縦に振る。彼はぎゅっと掴んでいた剣を僕に差し出した。何か言いたげな眼差しに込められた、強い想いを受け取る。


「分かりました。いただきますね」


 手の平から、手の平へ。剣柄は今、僕の側に。あれ……なぜかとても嬉しく思う。頭では理解できない。


「けど、ふるえる」


 さらに目頭まで熱くなってきた。なんで、どうして。分からない、分かんない。


「……っ!」


 僕の心情に気付いたのか。温かくて大きい手が僕の手を包む。貴方は、他人じゃないと体の奥底で叫んでいる。当てなんてないけれど、きっとそうだ。きっと僕は、貴方を知っていた。大切な人だった。


「っあの!」

 

 顔を上げると、彼の姿はいなくなっていた。手の甲のぬくもりは空間に溶け始めていた。

 

 一人、ひとりなんだ。


 胸の前に剣を近づける。急に溢れた無数の感情が身も心も締め付ける。こぼれる雫さえも、僕から離れるのか。


 剣へ落ちた一滴は、光を放った。



「はっ!!」


 チュンチュンと鳥の声が聞こえる。日光が僕の顔を照らす。指で頬をなぞってみても涙の跡はなさそうだ……夢か。立派な夢オチだなんて、こんな終わり方好みじゃない。一体なんだったんだあれは。


 ん?


「夢の前、何してたんだっけ?」


 そうだ、寝る前何をしていた? あれ、夢は何を見たっけ? え、そもそもここはどこだ? 木造の明るい部屋、新築の香り。白のふかふかのベッド、綺麗な室内。少し大きく柔らかい素材のワイシャツとズボン。


「ここはどこ、僕は誰……」


 知らない、知らない! こんなの知らない! 僕はいったい何をしちゃったんだ!? 場所が分からないどころか、自分も分からないなんて! ど、どうすれ、どうすればいいんだ……。頭を抱えていると、左からいきなりノック音らしき音が聞こえた。


「ふぁいっ!?」


 反射で返事をしてしまった。左には見知らぬドア、そこから現れるであろう見知らぬ人物。え、まってこの状況結構怖くないか!? 失礼します、と静かに扉が開く。体を極限まで引いて、薄目でそれを見る。そこには……エプロンを纏った小柄な女性が顔を出した。た、多分無害な人、っぽい? 少々の安堵の束の間、さっきの疑問と焦りが頭に押し寄せる。


「おはようござ」

「ここってどこですか!? 僕は、どうして、なんで……っ!!」


 感情の赴くまま、僕は声を上げた。しかし、いざ目の前の女性の瞳を見ると息が詰まってしまった。所謂、ドン引きの顔だ。


「……ごめんなさい、混乱、してて……」


 いきなり栓を抜かれた風船のように僕は声をすぼめる。これではただの八つ当たりだ。困らせてしまった。申し訳ない。


「ここは、シェリルム第一都市住宅集合地域A区間四十八番号地です」


 しかし彼女は淡々としている。


「大丈夫です。ここは安全です、信じてください」

「っでも!」


 突如犬の呻き声に似た音が鳴った。自分の腹から。


「なっ」


 盛大な腹の虫の声。食欲が急激に襲ってくる。そして恥ずかしさも濁流のごとく押し寄せてくる。


「……ふふっ、あははっ! ごめんなさい、ふふっ」


 熱い顔を上げると彼女は笑っていた。その笑顔は向日葵のよう、いや、太陽だ。僕の心をじんわりと温めてくれる不思議で素敵な笑顔がそこにあった。


「お腹空いてますよね。朝ご飯、食べませんか?」



――イエローグリーンのテーブルクロスの上に、白と淡色の食器がこぢんまりと並べられている。中身はレタスとトマトのサラダと、オニオンスープ。イタリアンソースがサラダに光を添えている。奥にはロールパンの入った小さな木のパンケースと、ブルーベリージャムの瓶。


「どうぞ召し上がってください」

「ありがとうございます。いただきます」


 対面して本を読みながら紅茶を飲む彼女に促されて、パンを一口ちぎる。ふわふわしていて、真っ白な雲のようだ。口に入れる。うまっ、とてもうまい。ほのかな甘みと小麦の味が口内に幸せを運んでくる。そのままでも充分美味しいが、ジャムを付けたら口の中が楽園になってしまうかもしれない……。

 なんて熱弁を振るっている間に一個食べ終わってしまった。スープも優しい味で朝食にとても合う。サラダの野菜が新鮮で、油少なめのドレッシングが相まってさっぱりしていて食べやすい。細やかな気遣いが見えてくる料理たちが揃っている。きっとちらちらと様子を窺う彼女の性格がでているのだろう。


「おいしい……美味しいです! 特にこのパン、たまらなく美味いです!」

「それはよかった! ほとんど手作りなんですよ。口に合ってよかったです。ありがとうございます」


 本で口元を隠して照れ笑いをしている。風貌や彼女の纏う雰囲気は上品で、いいところのお嬢様なのではないかと思うほどだ……ん? 上品で、お嬢様? 前に似た人と会った気がする、いや違う、彼女と会ったんだ。どうして、僕の前の記憶はないのに。お腹は満足感で膨れるのと同時に、頭は疑問で埋めつくされる。彼女のティーカップが鈍く音を立てた。


「――ごちそうさまでした」


 至福の時間はあっという間に過ぎていった。どんな不安も空腹には勝てなかったようだ。


「紅茶いかがですか? 今日はアップルティーなんですけど、苦手ならコーヒーでも」

「何から何まですみません。紅茶いただいてもいいですか」


 申し訳ない想いを優しい笑みで返す彼女。ふわりと立ち上がり食器棚へ向かう。白いワンピースと肩まで伸びた髪が静かになびく。僕の前に置かれた真っ白のソーサーとティーカップ。ティーポットから芳醇な甘い香りが空間に漂う。自分のカップにも注ぎ足して、ゆっくりと元の場所に腰をかける。彼女は僕の目を見つめ直した。


「すみません。いきなり変なことを聞きますね……僕と会ったことはありますか?」


 彼女はキョトンとした顔をする。そして首を横に降る。


「ううん、ないです、多分。はじめまして、ですよ。私はナナと言います。貴方のお名前は?」

「僕の名前?」


 そう、と彼女は柔らかに頷く。僕は。


「ユウ」


 ぽつり一言浮かべると、不思議な安心感。


「あぁ、そうだ。僕の名前はユウ、ユウです。もう気付いてるかもしれませんが、僕、過去の記憶が全くないんです」


 隠せないと分かっていたから言ってしまったけれど、引かれないだろうか。でも気持ちは軽くなった。やはり隠し事はするものじゃない。自分が疲れるだけだ……そんな気がする。


「た、たいへん! どうしよう、今、お医者さんも忙しいし……でも……」


 前であたふたしているこの人はきっと良い人だと再認識する。


「大災害で、だったら診てくれるかな」

「まって、大災害って一体」


 聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。僕の知らない、または忘れた過去にとんでもないことがあったようだ。


「約二週間前、この都市に五体の巨大な魔物が襲ってきたんです。そのせいで街は荒らされ、沢山の怪我人がでました」

「そんなことが」


 だからあの寝室の窓の外を見た時、建物が少なかったのか。


「そして昨日、人気の少ない道の壁に凭れかかったユウさんを見つけたんです。ご近所さんに手伝ってもらって、私の家に運んだんですよ」

「そんなわざわざありがとうございました。でも迷惑になるわけには」

「家のことは気にしないで下さい。前から一人暮らしで、大災害後に怪我人の看病の為に少し広くしてもらったんです。落ち着くまでは居てもらって大丈夫ですよ」


 彼女は戸棚の中の救急箱を指差す。家庭用より大きめで、介護用とペンで書かれている。怒涛の展開で頭がパンクしそうだ。


「あ、誰か来たみたい。ちょっと失礼しますね」


 部屋にチャイムの音は流れない。インターホンがなくても分かるのか? 僕の疑問を通り過ぎ、彼女は早足でドアに向かう。この機会にぐるりとリビングを見渡す。居間と玄関、二つの部屋が直接繋がっているタイプの間取りだ。患者の引き受けやすさを考慮しているのだろうか。


「おはようございます。昨日はありがとうございました」

「いいんだ、困ったときはお互い様だ」


 来客が一瞬僕の顔を見た。キッと睨まれた気がするが。まぁいい、挨拶しようか。


「拾ってきた人は大丈夫かい? 変なことされてないかい? なんせ噂じゃ、身寄りのない人らしいじゃないか」

「こんにちは。助けていただきありがとうございました」


 頭を下げて感謝を述べるが、内心悔しくてたまらない。変なことって……何もする気なんてないのに。何も言い返せない気持ちが拳の力を強くする。


「はぁ……なんだお礼を言えるぐらいには常識があるんだな。まぁ元気そうだし、働いてもらうか。十一時にナナちゃんと一緒に公園に集まりな、いいね?」


 返事も受け取らず乱暴に扉を閉めて出ていってしまった。僕はいいけれど、彼女を悲しい顔にさせてはダメだろう。助けてくれた当の本人なのに。


「大災害の復興の為に、学生も子供も手伝っている状態なんです。病んでいない限り、皆仕事しなきゃいけないんです。ごめんなさい……」


 彼女のおかげで僕は今生きていると言っても過言ではない。そしてかの……ナナさんを生かしているのはこの社会だ。僕が力になれるのなら。


「ひとりの自由より社会の尊重を優先しなければならない。大丈夫です、分かっています」

「でも」

「それに助けてくれた恩もしっかり返さないと、ですから。その為に、仲良くなってもいいですか?」


 心配させないよう目線を合わせ笑ってみせた。少し屈んで、真っすぐ目を見る。綺麗な黄色の瞳だ。硬直し、頬を赤く染めながら


「わ、わた、私でよければ……」


 とナナさんは口籠もった声で頬を緩ませた。



*



 殺風景な地上を歩く。人々は散って、集まってを繰り返す。何かを拠点にして作業しているのか。僕とナナさんは、その間を掻き分けて歩いていく。


「ここが集合場所の公園です」


 いたって普通の公園に滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶ子供たちの中、無愛想な大人が四人ほど突っ立っている。そのせいで異様な光景になっていた。


「ナナちゃん! 昼食準備手伝ってもらえる?」

「あっはい! それじゃユウさんあっ」


 いきなり後ろからきた女性にナナさんが引っ張られていく。僕と引き離しているようにしか見えない。それでも小さく手を振るナナさんの健気さに心を打たれた。全力で小さく手を振り返そう。


「おい、あんたが十一時に集合しろって言われたやつ?」

「はい、そうです」

「丘の清掃と瓦礫の撤去作業が仕事だから。これ持ってついてきて」


 話しかけた彼からごみ袋を貰う。何の変哲もないただの袋、か……ちょっと気にしすぎかな。深呼吸しよう。



――いたる所に瓦礫の山がある。少し道が逸れれば歩けないほど、足場がなくなっている。大きな建物までここから徒歩何分だろう。それだけ遠く感じる。


「ねぇ、あの子、親族が未だ見つからないんだって」

「うそ、あんなに集まって生活してるのに?」

「あいつ昨日道端で倒れてたんだってよ」

「うっわ、ちょーメイワク、こんな時に。しかも前に住んでたところも分からないんだろ、最悪だな」


 噂は相当出回っているようだな。右も左も僕のことだ。聞き間違いだとどんなにいいか。否定するのも悲しくなってくる。


「着いたぞ」

「あっ」

「ボーッとすんなよ。俺たち瓦礫の方やるから、お前掃除頼むわ」


 公園で居合わせた四人が、ごみ袋を僕に渡して去っていく。彼らの手には軍手がはめられていた。最初から清掃なんてする気、なかったのか。冷たくなった手をまた握りしめた。


「今はひとりの方がいい」


 大きく息を吐く。だだっ広いこの丘を行く宛もなく歩き始める。でも何分か経つと不思議と高揚感が湧き出てきた。ここからだと町を見渡せるだとか。ちょっと歩けば近くに墓地があるとか。町から離れるほど、林が深くなったりするとか。何もないと思っていた場所から小さな発見を見つけることが意外にも楽しい。木片や機械の部品、なぜかヤカンを摘みながら、人のいない所へ進んでいく。探険心が擽られるがまま、大地を踏み締め、木々を潜り抜けていき


「まよった」


 迷ってしまった。ついつい夢中になってしまった、失敗失敗。時間は大体一時くらいか。しかし判断基準は太陽の位置と自分の勘。予想的中確率は五分五分といったところか。四方八方に視線を走らせる。奥に開けた空間がある。行って休憩しよう。


「……っうわ、すごい!」


 細い木が譲り合ったようなスペースの真ん中に、大木が凝然と立っていた。しかし見方を変えれば、ただ一つぽつんと佇んでいるようにも見えた。その姿が……なんだか今の僕みたいだ。


「僕と一緒だね。でも君が人間だったら、頼れそうなナナさんがいるじゃないかって言うのかな」


 独り善がりにはなりたくないな。ごみ袋をそっと置いて大木に近づく。手で触れられる場所まで来た。陽射しが暖かい。そもそも何の木だろうか。


「桜……」


 え?  口が勝手に、僕、何言って


「桜の」


 叩きつけられる金属音が地を裂く。


「はっ!?」


 禍々しい何かを感じて後ろを振り返る。ごみ袋が中身を噴き出し落ちている。最初に置いた位置じゃない。移動させたのは


「大きい……犬……」


 真っ黒な大型犬だ。全身黒の毛に、赤く汚れた目玉。舌を垂らし、唾液が地面を濡らす。明らかによく目にする犬と違う。


「うわ!?」


 一気に駆け抜けてきた。僕を威嚇してくる。また突進するつもりか!


「ぐっ……」


 間一髪で避ける。


「グルルルル……」


 心臓がうるさい。


「っあ、はぁ……」


 汗が伝う。


「ガァウ!!」


 逆立つ毛並み。


「どうっ……」


 右へ。


「すればっ……」


 左へ。


「あっ!」


 コケた。


「んんっ!」


 まわる。

 これ、気を抜いたら、

 確実に


 死ぬ


 轟音が響く。鳥が羽ばたく。木々にぶつかり犬がよろめく。今だ。


「はぁ……はぁ……」


 大木の広場から離れた木の影。そこで呼吸を整える。犬……いや、狂犬は辺りを見ている。完全に僕を探している。隠れていても、ここでは見つかるのも時間の問題だろう。下手に動けば殺される。


「何か……対抗できる手段は」


 音を殺して体勢を整える。何か手に当たった。これは……剣? なんでこんなところに。捨てられた物なのか、その割には状態が良い。恐る恐る触れる。掴む。


「うそ……?」


 体が軽い。さっきまでの疲れが吹っ飛んだ!?


「そうか、これなら!」


 剣を堅く持ち、奴の前に出る。獲物は今度は逃がすまいと大きく吠える。僕は剣を構える……構える?

 突進きた。うわっ、空を飛んだ!? 僕の足どうした!? 奴は目標を失ってキョロキョロしている。急降下!?


「うわぁぁぁ!!」


 まって、骨折す……斬りかかった!? 狂犬が痛みで跳び上がる。僕は普通に着地してるし、足なんともないし。


「ゲシュウィン」


 な、僕なんて言った!? 剣が緑色の光に覆われて。突進してくる! ちょ、え。


「……倒した?」


 狂犬の姿は無く、ただ黒の煙が消えかかっていた。

 って、ちがうちがう! 僕はただ剣を振り回せば逃げると思って! 本気で戦うつもりなんて! 空を飛ぶつもりなんて! 変な言葉を言うつもりなんて!! まって、状況を整理しよう。まず空中で回避して、その衝撃を使って背後から斬り込んだ。そしてゲシュ……なんちゃらと言って突進してくる狂犬より速く移動し、一瞬で二、三回斬った? 極めつけは、いつの間にか変わっていた服装。と思ったら元に戻ったし。


……足の力がガクンと抜けて、地べたに座る。


「もう、わけわかんねぇよぉ……」


 疲れと混乱で、ただ放心することしかできなかった。空は夕焼けと青空が混ざり、重なり、広がっていた。

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