4話
――うつらうつらとぼやける視界に、彼女の姿を捉える。整った横顔が机の上のライトに照らされる。ひたすらペンを走らせていたが、終わりが見えない書類の束に飽き飽きしたのか、大きな溜め息を吐き出した。彼女自前のお茶が入ったコップに手を伸ばす。
「ねぇ、マイ」
微笑んでくれた。
「私、タクに何かしちゃったかもしれない」
でも私の言葉は彼女の笑みのように、穏やかなものではない。
「さっき、悲しそうだったから……」
ゆっくりと意識がふわふわ、離れていく。
「ふふ、ナナは優しいのね。彼は何も変わってない、いつも通りよ」
ことり、とカップを置く音と、目線を外す彼女。
「私も、タクも、貴女に伝えなきゃいけないことがある。私としては今すぐにでも言いたいわ」
その目線の先は薄暗い闇の中。
「でも、彼の中の時間が足りない、それだけなの」
今だけは甘い花の香りさえ、私の鼻を刺激する。
「待つよ」
「え……」
また重なり合う瞳の世界に私は笑いかけた。
「待つよ、そのときまで。人に何か打ち明けるのって、覚悟とか、勇気とか、必要だもんね」
世界が暗転していく。天井と向き合い、毛布を掛け直して、目を閉じた。
「おやすみなさい」
「……おやすみ、ナナ」
明日も、良い日で、ありますように――――。
*
青の水平線から現れる爽やかな草原と黒く汚れた城壁。アンバランスの元凶の上から覆い被さる灰色の雲。まるでソレルナだけを押し潰そうとしているみたい。
「ねぇ、タク。これ、明らかにおかしいわよね?」
「あぁ」
小型パソコンとドローンを持って空を見上げる二人。周りの環境調査をしていたユウはサンプルを抱き抱えて戻ってきた。
「空気や植物はおかしい所がないみたいだ。おかしいのは、あの雲だけ、か」
怪しい雰囲気を放ったそれのせいで、誰も近づこうとはしない。のびのびと育った雑草たちが風に吹かれて囁いている。
「そうね……あとはこの子たちに任せましょ。さぁ、たっぷり活躍しなさいっよっ!」
マイが大きく振りかぶって投げた空中撮影用小型ドローンが赤く点灯する。ふよふよと宙を舞い、一人でにソレルナへ向かって移動する。
「ペアリング完了。人型ドローン展開」
タクの一言と、キーボードのタイピング音が重なる。機械が唸り声を上げ、両手サイズの黒い球体がみるみるうちに変形していく。あっという間に私の腰までの高さの人型ドローンができあがった。これが、科学の力。素晴らしい。
「このドローンが僕たちの代わりに潜入してくれるのか……凄いなぁ」
ユウが屈んでまじまじとそれを眺める。確かにここまでハイクオリティな物に触れるのは、十数年科学の国で生きてきても今日が初めてだ。それだけ私たち、今凄いことしているんだよね……。
「うむ……二つとも透明化設定完了、撮影モードも異常なし。極めて順調だ」
彼はパソコンを閉じ、服とマントを捲って腕時計を見る。顔を上げると、まだ昼間の太陽が眩しくて反射で目を細めた。そよぐ春風が心地よい。
「まだ十時半か。マイ、これからどうする」
「一旦店に戻りましょう。このままここにいたらお肌焼けちゃうわー」
「紫外線は女性のお肌の敵、だもんね」
パトロールの時に彼女がよく言っているから、なんとなく覚えた一言。私が応えると嬉しそうに頭を撫でてくれた。これにも慣れたものだ。髪がボサボサになっても心が温かくなるから気にしない。のんびり談笑しながら歩く三人の後ろについていく……ん、また。
「また、この感じ」
胸元に手を伸ばす。やっぱりそうだ。ペンダントが温かい。しかも前より熱いような
「っ⁉」
息を飲む。
昨日よりも輝きが強い。
どうして。
「……まさか、ね」
後ろを振り返る。暗くて大きな壁と、大きな雲。さっき見た時よりも不気味だ。こんなの、こんなのきっと、考えすぎだ。
「ナナ、どうしたの?」
前にいるチームメイトに笑顔で首を横に振る。貼り付けた笑みを蝕んでいく胸騒ぎは収まらない。直射日光の暑さなのか、それとも焦りなのか、私の背筋に一滴、汗が流れていった。
「――ジュナル、これって?」
「これはスピードバッジ! 靴に付けることで足に回ってくる魔術を活性化させて、足を速くするんですっ!」
「へぇー! そんなこともできるんだね!」
「ジュナルの作るグッズは世界一なのですっ!」
恥ずかしげもなく言えちゃうところ、羨ましいな。そんなことを考えながら私も所狭しと並べてあるグッズを手に取る。めいぷる♡くらふとに帰ってきて、ジュナルが暇だと半ば強引に私たちを店内へ引きずり込んで早十分。そのかわり魔術グッズを一個プレゼント、なんて言うから三人は血眼になってお宝を探している。なんでも魔術グッズはほとんどの物が高額で、喉から手が出るほど欲しくても値段のせいで泣く泣く諦めることが何回もある、とユウが言っていた。
「これは?」
「それはー、自分専用魔力回復キットだねっ! 自分の魔力を微量注ぐだけで、いつもの回復キットよりも約二倍の回復量になるんですっ! すごいでしょー!」
「ほぉ……」
あのタクでさえ三割増しで目がキラキラしている。やっぱり軍人さんはこういうの見るの楽しいんだろうな。ジュナルも、決めてはフィーリングだって軍人初心者の私に話してくれた。何かワクワクするような物、ないかな。
「――あ」
自然と足が止まった。淡い黄色の星と月型のバッジ。小さくて軽い、何かのアクセサリーみたいだ。
「ジュナルさん、これ、とても可愛いです」
近くに寄ってきた彼女に声をかけると、もともと印象的な目を大きく開いた。
「ナナさん、お目が高いっ! これはオーラ接続通信機! 片方を相手の衣服に付けちゃうとあら不思議! オーラに反応して相手からの音が聞ける逸品なんですよっ!」
「へぇ……こんなに小さいのにそんなことが……!」
「しっかっもー、設定を変えれば会話をすることだってできちゃうんですよ! すごいでしょ、すごいでしょ!」
お月様と、お星様……私の好きな空の上で輝くものたち。手の中でころころ踊る様子が堪らなく可愛い。
「……ジュナルさん、これ頂いてもいいですか?」
そして隣の彼女もキラキラした笑みで私を見た。
「もちろんですっ!」
ジュナルには、人を魅了する力があるのだと思う。屈託のない笑顔がその力を一番発揮しているようで、こちらもつられて笑いたくなる。話せば話すほど自分が元気になっていく。不思議で、とても心が温かい人。
「ナナさん最近入隊したとはいえ上司なんですから、敬語使わなくていいんですよ〜。あとあとっ、ジュナルさんじゃなくって、ジュナルって呼んでくださいっ! ってあれ、ナナさん?」
初めて会ったあの夜のこと。ユウの秘密を知っていて、彼女を遠ざけようとした。謝ったとしても、心のどこかで許していなかった。彼を守る為に……いや、違う。そんなの建前だ。本当は、また人を軽蔑していた、それだけだ。
「……あっ、えっと」
結局あのときの自分のままじゃないか。何も変われていない、成長していない。また人の善意を踏みにじってしまう。そんなこと、許されないのに、また。
「ありがとう、ジュナル」
気付いてしまえば、後は苦しくなるだけ。
たった五文字のお礼の言葉がこんなに重いだなんて、きっと彼女は知らない。
――昨日とある宿町で買った『おかき』という名の珍しいお菓子を食べながら、私たちはドローンカメラのモニターを見つめる。小腹が空く昼間のリビングでぱりぱりと軽快な音が絶えず響く。一方で映し出される縦横二十センチの世界は酷く、重い。一面に分厚い雲と、明るさが足りない街灯。黒を被ったような建物の間を、正気のない目をした人々がちらほらと歩いている。
「これ、この街だけがこんなになっているわけじゃないのよね?」
「あぁ。人型ドローンの中継映像もほぼ同じ景色が広がっている」
マイとタクの冷静な会話に潜む、確かな動揺。画面のはっきりとした濃い灰色が、こちらの空気さえも侵食しようとしている。漠然とした不安感の中、飲み込まれそうな意識。この感じ、嫌だ。
「ナナ、大丈夫?」
私の顔を心配そうな面持ちで覗き込むユウ。緊張の糸が緩んで、一瞬目眩がした。
「あ、えっと」
「顔色悪いよ、無理してない?」
「慣れない環境で疲れが溜まっているのね。今やることはこれの監視くらいだし、夕飯までゆっくり休むといいわ」
マイが私の頭を優しく撫でる。これをすると私が素直になるのを分かってやっているな……ずるい。
「ユウも休める時に休んでおきなさい。あ、これは司令官命令です。これからが体力勝負だからね」
びしっと人差し指を立ててすまし顔をする彼女に苦笑する彼。
「もー、わざと僕たちが反論できないように言ってるな?」
そうだそうだ、と面白がって乗ってみる。しかし司令官は楽しそうに人差し指を振るだけだ。そんな内側の優しさに心が温かくなる。
「わかった。マイの言う通りにする、ありがとう。……あ、ユウ、休む前にジュナルへ夕飯のこと聞きにいこう」
彼の袖を引っ張ると、にこっと微笑んでくれた。彼女はそっちは任せた、と手をひらひらさせ、タクの元へ歩いていく。凄いな……二人だって疲れているはずなのに。私も同じ魔術師として、人として、強くなりたい。強くて、優しくて、愛おしい仲間を想って行動できるような人に
「あはは! 何だこのだっさい商品! 誰がこんなの買うっての!」
奇怪な言葉と叫び声が、リビング端の空気を一瞬で凍らせる。店を繋ぐ小さなドアの向こうから見える景色。幅数ミリの視界なのに、目を奪われた。
「何このちっせぇやつ。ゴミと変わんねぇじゃんか」
男は小さな棚をひっくり返し、落とした物を踏み潰す。彼と向き合うジュナルは悲しい顔をするだけだ。
「ゴミは飾るよりも床に散らばっている方がお似合いだなぁ!」
何も言わない彼女の代わりに、私の隣に立つ彼が動き出す。
「なんだこれ、オーラ接続通信機? はぁ? 俺ら一般人のこと差別してんだろ。ほんとカスしか置いてねぇな」
彼女が私たちの目を見る。そして、またけたたましい音が鳴る。
「これも、これも、これも! 全部使えねぇ物ばかりだ!」
無理矢理上げた口角と潤んだ瞳で、ジュナルは首を横に振った。それでも歩こうとする彼の腕を掴む。助けたところでどうしようもない。私たちにとってデメリットしかない。後々のことを考えれば、取るべき行動が分かるはず。そうだよね、ユウ?
「っ……」
言いたいことが伝わったのか、掴んだ腕の力が抜けていく。彼は忌々しい背中を睨みつけた。そして音を立てずに戸を閉める。店内のアロマの残り香とやりきれなさだけが、この場を包んだ。
「ごめん、ジュナル……」
ユウの掠れた声の先で、棚が倒れた音がする。




